ドラクエ作曲者による「稲田朋美の歌」は21世紀の政治音楽か?

ドラクエ作曲者による「稲田朋美の歌」は21世紀の政治音楽か?

(c)文藝春秋

■ドラクエ作曲者が作った稲田朋美の歌

「稲田朋美の歌」をご存知だろうか。先日防衛大臣を辞任した稲田の応援歌で、正式なタイトルは「正しい政治」。2008年頃すぎやまこういちによって作詞・作曲された。

 彼女の公式サイトで聴くことができるが、「稲田朋美、稲田朋美、稲田、稲田!」と名前を繰り返す、なんとも味わい深い歌である。

 作者のすぎやまは、人気RPGシリーズ「ドラゴンクエスト」の音楽を初代より担当し、その作曲者として広く知られる。ゲームのオープニングを飾る名曲「ドラゴンクエスト序曲」は、だれしも一度は聴いたことがあるだろう。

 そのいっぽうで、彼は保守論壇の常連であり、みずからが支援する政治家の応援歌をいくつも手がけている。稲田の応援歌もそのひとつとして作られたものである。

 そのうえであらためて「稲田朋美の歌」を聴き返すと、なるほど間奏部分にドラクエの懐かしい響きがないではない。現代日本らしい政治と音楽の結びつきがここにある。

■アメリカ大統領選挙でも名前を連呼

 もっとも、政治家がみずからをアピールするために歌を活用することはよくある。その典型はアメリカ大統領選挙のキャンペーンソングだ。「稲田朋美の歌」のように、名前を連呼するものも少なくない。

 たとえば、ジョン・F・ケネディ候補のキャンペーン・ジングルは、「ケネディ、ケネディ、ケネディ、ケネディ、ケネディ、ケネディ……」という歌詞ではじまる。

 興味のあるかたは、「Kennedy 1960 campaign jingle」で検索していただきたい。なんども聴いていると、頭がおかしくなってくる。

 ここまで極端でなくても、アイゼンハワー候補の「アイクが好きだ」では、「アイクを大統領に」を連呼し、ニクソン候補の「ニクソン・ナウ」では、タイトルと同じ「ニクソン・ナウ」の文句を連呼する。

 どうやら政治家の歌は、名前の連呼と切り離せないらしい。

 ただ、最近の選挙戦では、既存の曲が使われることも多い。2016年の選挙では、トランプ候補がローリング・ストーンズの「You Can't Always Get What You Want」(邦題「無情の世界」)を利用した。

 へたに新しい歌を作るよりも、こちらのほうが一般にアピールするのだろう。日本でも、かつて小泉純一郎が自民党の選挙CMにX JAPANの「Forever Love」を使ったことがあった。

 もとより、既存の曲の利用にはリスクもある。それは、関係者から拒否され、イメージが悪化してしまう場合だ。

 トランプ候補も、ローリング・ストーンズから、楽曲の使用停止を求められた。もっとも、トランプは意に介さず使いつづけ、当選したのだが。

■北朝鮮の個人崇拝ソングの場合

 名前の連呼は十分な宣伝効果が得られないどころか、かえって逆効果になることもあるのだろう。

 これは、独裁国家においても同じである。北朝鮮の個人崇拝ソングなどは、金日成、金正日、金正恩ら最高指導者の名前を連呼しているだけと思われがちだが、もちろんそう単純ではない。

 個人崇拝ソングは、短い歌詞のなかに、必要な用語や業績をうまくつめこみ、さまざまな比喩を用いながら、もっとも印象的な箇所で指導者の名前を出さなければならない。

 そのため、よくみると、その内容に微妙な違いが認められる。

 抗日武装闘争の英雄、建国の父、朝鮮戦争の勝利者である(ということになっている)金日成関係の歌は、歌詞が具体的なことが多い。彼を讃えるネタは実際にたくさんあるからだ。

 これにくらべ、(とくに初期の)金正日の歌や、金正恩の歌は、業績が少ないために、レトリックを駆使した抽象的な内容になりやすい。

 これは、「金日成将軍の歌」と、「金正日将軍の歌」や「金正恩将軍讃歌」「金正恩将軍に栄光を」などを比べてみるとよくわかる。前者はパルチザンの実績を細かく伝えるが、後者にはそれが乏しい。

 このように、北朝鮮においても、政治家の歌は容易ではないのである。

■21世紀日本の政治音楽の姿

 まして現代日本においてはなおのことそうだ。

 新人の場合、業績がないので抽象的な歌になりやすく、名前を連呼せざるをえない。無理に内容を水増しすると、個人崇拝ソングのようになってしまう。

 かといって、ベテランの場合も、短い歌詞に業績をうまく収めるのに苦労を要する。たとえうまくまとめても痛々しい自画自賛になりうるし、余計なことを書くと足元をすくわれかねない。

 そうすると、21世紀における音楽の政治利用は、コミカルな音楽で名前を連呼するか、既存の音楽を活用するかに落ち着きそうだ。「稲田朋美の歌」は、前者ということになる。

 現在の日本では、政治と音楽はまだまだ距離がある。音楽イベントで政治的なトークを行うと、「音楽に政治を持ち込むな」などと批判されたりもする。

 ただ、政治と音楽の関係は意外に近い。これは、独裁国家だけではなく、民主国家においてもそうだ。

 「稲田朋美の歌」に感激する人間はほとんどいないだろうが、念のため、この手の歌のパターンを知っておくにしくはない。そうすれば、同じような歌がでてきても、すぐ気づけるからである。

 政治家の歌は本気で受け取られるのではなく、冗談で消費されるのがふさわしい。これからもそうであるかどうかは、受け手の態度次第だろう。

(辻田 真佐憲)

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