高校野球芸人と小柳ルミ子に見る、新聞記者の由々しき事態

高校野球芸人と小柳ルミ子に見る、新聞記者の由々しき事態

(c)時事通信社

 週刊文春には匿名コラムがいくつかあって、「新聞不信」もそのひとつ。先週号のものと合わせて紹介したい。

■「アメトーーク!」を投入しての「新聞不信」の嘆き

 今週は「芸人にコールド負けの朝日」と題して、「アメトーーク!」の“高校野球大好き芸人”たちのほうが異常なまでの熱量をもって高校野球を見て、語っているじゃないかと、朝日新聞の高校野球記事の劣化を憂えている。

 朝日新聞には「北から南から」というエピソードコーナーがあって、「昔はもっとごちゃごちゃと、それこそ知られざるエピソードが並ぶ名物コーナーだったが、今はよくある泣いた笑ったの選手コメントで終わる話がほとんど。その余りの予定調和ぶりは、申し訳ないが『高野連官報』とさえ言いたくなる有様だ」と嘆く。

 地方大会(いわゆる地方予選)は47都道府県で行われるから、その取材は組織力がものを言う。おまけに夏の甲子園では、朝日新聞社は高野連とともに主催者となっている。それがなんだこの体たらくは!という話だろう。

 そもそも高校野球大好き芸人とは何者か。アンジャッシュの渡部建やトータルテンボスの藤田憲右らだ。たとえば渡部は仕事の合間に地方大会を見るために各地をまわり、それどころか、将来の高校球児を青田買いすべく、中学生の試合まで見に行くようになる。

■マニアの熱量が専門記者をも凌駕する

 昨今話題のサッカー通・小柳ルミ子は睡眠時間3時間で年間2000試合以上を観戦するというが、高校野球大好き芸人は甲子園や地方大会のみならず、練習試合や朝の散歩までついて回るなど、まさに足で稼いだ情報を持つ。

 こうしたマニアの熱量が専門記者をも凌駕するのは痛快な話である。しかし「新聞不信」はここに「何かの崩壊の兆し」をも見る。「大汗をかいて生の人間にぶつかって本音を聞き出し、生の姿をざっくり切り取って読者に提供する。それが芸人に出来て記者に出来ないのは、本末転倒の由々しき事態だ」と。書くために人と接する、そこが希薄になっているのだろうか。

■「新聞不信」が褒めた毎日新聞の記事とは

「新聞不信」はタイトルが示すように、毎週毎週、新聞を批判しているのだが、先週号は少し違った。

「相模原事件報道に欠けた視点」と題して、昨年7月に起きた、知的障害者福祉施設で19人が殺害された事件について、1年が経つ先月に新聞が組んだ特集記事を論評する。この回の末尾につく署名は「(翼)」。氏は、私の記憶が確かならば前世紀からこの欄で書いている。

 そのなかで、(翼)氏は毎日新聞の「父と子40年 宝の絆」(7月23日号掲載)を取り上げ、こう評する。

《「父と子40年 宝の絆」と題して、被害者家族として唯一実名と顔を出し各社の取材に応じている父親の思いを一面に加え、四面で克明にレポートしている。幸い息子(44)は何とか手術で回復。記事は、事件だけでなく血縁のない父子の葛藤まで描いており、まさに出色のノンフィクションといえる。》

 大絶賛である。

■生の姿をざっくり切り取って読者に提供する

 なお今週の文春のリレー書評は立花隆の担当で、この事件を取材した朝日新聞取材班『妄信 相模原障害者殺傷事件』(朝日新聞出版刊)を紹介。大事件だというのに、被害者本人ならびに家族が公表したがらないため、犠牲者の名前すら十分に知られていないと述べたうえで、「日本の社会はいつのまにか重度の心身障害者は施設に入れて一般の人の目に触れさせないように(あたかもこの世に存在しないかのように)してしまった」と続ける。

 この社会が記者の前に立ちはだかったのだろう。50人もの記者を投入した朝日新聞の取材をまとめた書籍は二読三読に値するものではあるが、「それでもこの程度のものしかできなかったのか、という嘆きの対象でもある」と立花は評する。

 そのような中にあっての、毎日新聞「父と子40年 宝の絆」である。

 野球であれ事件であれ、《大汗をかいて生の人間にぶつかって本音を聞き出し、生の姿をざっくり切り取って読者に提供する。》これが記者の役割なのだと、あらためて思うきっかけとなる先週と今週の「新聞不信」欄であった。

(urbansea)

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