「3・1独立運動」の新資料を発見! 100年目に明かされた日韓の“不都合な真実”とは?

「3・1独立運動」の新資料を発見! 100年目に明かされた日韓の“不都合な真実”とは?

「3・1独立運動」100周年の式典で演説する文在寅大統領 ©共同通信社

「偶然は誤解の始まり」とはたしか丸谷才一の「女ざかり」の一節だったと思うのだが、 「文藝春秋」9月号 「新資料が明かす『3・1運動』の不都合な真実」に紹介した資料との出会いには偶然とは割り切れない思いがある。

 今年の2月27日、東京の国立公文書館でのことだった。午前の調査を終え、東京駅の売店で買ったおにぎり弁当で昼食をすませ閲覧室に戻ると、「あらーワタナベさん」と静寂の空間に不釣り合いな音量で呼びかけられた。旧知の中国人の歴史研究者で、久しぶりの再会だった。

 昼食を取った休憩室に戻り話し込んだ。中国でも有名な大学の教授になり、日本研究センターの所長をしているなどと彼は話してくれた。私も近況を説明した。足かけ40年にわたった新聞記者暮らしに前年末で終止符を打ったことを告げると、彼の目の色が変わった。

「それなら時間ができましたよね」

■内田康哉外相から原敬首相にあてた文書を発見

 そこから「中国に来てくれ」との誘いが始まった。大学院生に日本語の書き言葉や日本文化を指導できる教員がいなくて困っているという。「いつからなら可能ですか」「待遇で希望はありますか」と矢継ぎ早。

「糖尿病があるので」をはじめいろいろと理由をつけて固辞したのだが、「半年でも構わない」など実に粘り強い。納得してもらうのに2時間以上もかかってしまった。

 ようやく閲覧室に戻ると、閉館までの時間は残り少なくなっていた。予定した調査は諦めたが、帰るのはもったいない。そこで気になっていた大正8(1919)年の内書記官室の文書綴りをのぞいてみた。日本統治下の朝鮮で起きた3・1独立運動の100周年の記念日が、2日後に迫っていた。

 そこでめぐり会ったのが、「朝鮮騒擾事件ニ対スル鮮人ノ言説ニ関スル件」。外相内田康哉から首相原敬にあてた文書で、冒頭に花押があり、スマホで調べると原敬のものだった。

 3・1独立運動がなぜ起きたのか。その原因、背景についての報告だった。後日、再び訪ねさらに調べると、内閣書記官室に残った3・1独立運動についての文書はこの1点しかないことがわかった。韓国の研究者に調べてもらうと、これまで知られていない資料らしいこともわかった。

■本来は後世に残るはずがない「1年保存」の資料

 この資料の詳細と読み方は 「文藝春秋」9月号 をご覧いただきたいが、政権中枢の文書綴りに残った資料がなぜ人知れず眠り続けていたのか。その素朴な疑問についてだけ、私の考えを述べておきたい。

 内閣書記官室の文書管理には明治期に作られた内規があり、保存期間によって、永久、10年、1年と3種類の綴りを作っていた。私の見つけた資料は、1年保存の綴りに入っていた。本来は後世に残るはずのないファイルで、しかも他の2種とは違い、公開されたのが遅かった。

 歴史を主な取材対象とする新聞記者として四半世紀を生きてきた。その経験から、朝鮮と関わる歴史的出来事について日本に公的な記録が少ないことは知っていた。意図的に処分したとしか考えられない状況だ。

■3・1独立運動から100周年というタイミング

 そうした中、この資料は何かの手違いだったのか、それともとりあえず入れたのか、事情は知りようもないが、保存期間1年のファイルに綴られた。ところが廃棄されなかった。ちょうどこの年あたりから綴りが残っているので、運用の変更があったのかもしれない。そうしたいくつかの偶然が重なり図らずも残ってしまった資料と考えることができる。

 しかも本来は、高級官僚の旅行や忌引きの届といったものが中心の綴りだ。プロの歴史家なら調べてみようとは思わないのだろう。そこに100周年という節目が重なり、たまたま私が出くわしてしまったということなのだろう。

 取材を進めるうちに、自分の抱いている歴史像を自問することとなった。3・1独立運動に詳しい日本人などめったにいない。私もどれほどの予備知識もなかったが、何となく知っているつもりだった。その何となくの正体と来歴である。

■内村鑑三ですら「つまらぬ捏造」と書き残した

 当時、朝鮮を支配していた日本陸軍はこの事件の報告書をまとめている。「朝鮮騒擾経過概要」というタイトルで、国立公文書館がネット上で公開している。

 それを読んでみると、「不逞鮮人が、鮮人の特性である性情を利用し、あらゆる虚構の事項を挙げて民心を煽り」などを原因だとし、結集の軸となった天道教は「宗教と認める価値なく幹部の政治的野心のもとに組織せる団体」と切り捨てていた。

 事件に真剣に向き合ったとは到底思えず、不始末を糊塗する言い訳といった印象が強い。

 軍隊を増派し武力で鎮圧し、「軽微なる問題」として処理しろと首相の原は指示している。朝鮮の人々がなぜ立ち上がったのかを解き明かす必要などなかったのだろう。欧米の新聞は残虐な事件があったと批判的な報道をしたが、日本政府は認めなかった。当時の代表的知識人といえるだろう内村鑑三ですら「つまらぬ捏造」と手紙に書いている。残虐な事件など日本人にとってはなかったことになっていたのだ。

■歴史像の正体と来歴を問い返す

 そうした当時の認識から、今日私が抱いている歴史像はどこまで自由なのか。知れば知るほど自問することとなった。

 日本と韓国の関係は険悪の度を増している。歴史をどう見るかの違いに始まり、不信を募らせ、憎しみを膨らませている。いわゆる慰安婦や徴用工など個別の事案にとどまらない歴史認識をめぐる構造的な問題があるのではないか。なぜ分かり合えないのかを掘り下げて考えなくてはいけないのではないか。そんな思いがしてならない。

 そのためには正しいと信じて掲げる歴史像の正体と来歴を互いに問い返してみることが必要なのではないか。そんなことを伝えるために、今日のような局面にこの資料は登場したのではないか。そんな思いがしてならないでいる。
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(渡辺 延志/文藝春秋 2019年9月号)

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