昭和史の宝庫!「皇居の防空壕の設計者」まで網羅する「油谷これくしょん」とはなにか?

昭和史の宝庫!「皇居の防空壕の設計者」まで網羅する「油谷これくしょん」とはなにか?

廃校になった小学校校舎を活用した「油谷これくしょん」

 日本一といわれる生活用品のコレクションが、秋田市にあるのをご存知だろうか。「油谷これくしょん」と呼ばれるものがそれである。

 秋田県横手市出身の油谷滿夫(あぶらや・みちお、1934年〜)氏が、地元で文房具店などを営みながら、1950年より60年以上にわたってコツコツと収集してきたもので、その収蔵品数はなんと50万点にものぼる。

 2012年、そのうち20万点が秋田市に寄贈された。現在、廃校になった同市立金足東小学校の校舎で展示・公開されている。

■「後世に残らない」生活用品 内容は多種多様

 秋田駅より車で30分弱。郊外の田園地帯にあるので、アクセスはあまりよくないが、それでも行ってまず損はない。まだ白くきれいな2階建ての校舎には、所狭しと生活用品が並べられ、誰もが「ひとりでよくここまで集めたな」と驚かされるだろう。ちなみに、入場料は無料だ。

 内容は本当に多種多様。めんこ、こけし人形、うつし絵などの玩具から、ビール、日本酒、煙草、缶詰、マッチ、レコード、映画チラシ、ランプ、ちょうちん、化粧品、ミシン、針箱、アイコン、職人道具、カレンダー、カタログ、寺社案内、そして箪笥、リヤカー、荷車、自転車、人力車など大型のものまで。時代も幅広いが、やはり昭和期のものが群を抜いている。

 こうした生活用品は、不要になればすぐ処分されるので、意外と後世に残らない。そのため、ここは昭和史を記録する貴重な宝庫である。今後、ドラマや映画の時代考証でたいへん役立つだろう。

■「最近こんな品々が戦地で渇望されてゐます!」

 なるほど、現在のところ、あまりに雑多に並べられているので、わかりにくい面もあるかもしれない。じっさい、開館当初は客足が伸びなかったという(昭和の駄菓子屋やタバコ屋を再現した展示スペースは、そのテコ入れで新設された)。だが、昭和史に興味をもつものならば、心に刺さるものがかならず見つかる。

 筆者も、興味関心にもとづいて幾つか取り上げよう。

 まずは、戦時下の生活用品から。教室いっぱいに、ポスター、チラシ、寄せ書きされた日章旗などが飾られている。有り触れたものから、希少なものまで、これだけで何時間でも見ていられる。

「白金の大動員」「戦争死亡傷害保険案内」「町政も第一線の心がけ」「一億で射落せ空の敵」。壁一面の資料のなかに、慰問袋の広告を見つけた。新潟県の百貨店が、前線の兵隊に品物を贈ろうと訴求しているものだ。

 そこには「最近こんな品々が戦地で渇望されてゐます!」として、「ウヰスキー」「梅酒」「スツポン酒」「皇国ぶどう酒」「耳かき」「爪切」「戦勝かみそり」「安全かみそり」などが値段つきで列挙されている。

 また「1円セット」「1円50銭セット」「2円セット」の「慰問組合せ袋」なるものも記されている。いつの時代もお任せのセットが重宝されたらしい。物価の資料としても、愛国ビジネスの資料としても、たいへん興味深い。

■秋田市には東海林太郎音楽館も

 教育関係のコーナーも見逃せない。「兄弟ニ友ニ」「夫婦相和シ」「世務ヲ開キ」「学ヲ修メ」「業ヲ習ヒ」……。ひと目でピンときた。これらは教育勅語の徳目である。それに、関係する絵が添えられている。小学生にわかりやすく、教育勅語の内容を伝えようとしたものだろう。

 もちろん、教育勅語の本文も資料として展示されている。

 なお、LPレコードや電気蓄音機など音楽関係の資料も豊富だが、レコードについては、秋田市中心部にある東海林太郎(しょうじ・たろう)音楽館にもぜひ立ち寄ってほしい。

 東海林は秋田市出身で、早稲田大学を卒業し、南満洲鉄道株式会社に就職するも、脱サラして30代で歌手に転身したという異色の人物だ。「赤城の子守唄」「国境の町」「麦と兵隊」あたりが代表曲として知られる。

 同音楽館は、ビル2階の小ぢんまりとしたスペースだが、実家の軒先が移築されているなど、工夫が凝らしてあって面白い。秋田県庁で技師をしていた東海林の父が、この家をみずから建てたとも教えてもらった。戦前のSPレコードや歌詞カードは、ここでみるのが同市ではもっとも手っ取り早い。

 秋田市有数の繁華街・川反(かわばた)に近いので、アクセスの点でも申し分ない。

■美酒と美食で満洲征服?

 寄り道ついでにいえば、秋田県に縁のある人物が文化史には少なくない。第1回芥川賞受賞者の石川達三もそうだし、東京出身だが、秋田の富豪・平野政吉の求めで「秋田の行事」(秋田県立美術館所蔵)を描いた藤田嗣治もそうだ。

 前者は、日中戦争初期に『中央公論』に寄せた小説「生きてゐる兵隊」で司法処分を受け、後者は、「アッツ島玉砕」「サイパン島同胞臣節を全うす」などの戦争画を描いた。

 また、秋田県民歌で「篤胤信淵 巨人の訓」と謳われている、江戸時代の国学者・平田篤胤と佐藤信淵も捨ておけない。

 平田はたいへんユニークな学者で、『 霊の真柱 』で日本神話にもとづき世界の成り立ちを説明し、『聖書』のアダムとエヴァはイザナギとイザナミの派生であるなどと主張した。平田に学んだ佐藤はさらに進めて、『宇内混同秘策』において、世界の根本である日本は外国を征服すべしとまでぶち上げた。

 この佐藤の満洲征服構想はとくに抱腹もので、日本の美酒・美食により、貧しい飲食に悩む満洲の民を懐柔できるのだという。

「彼れ等これまで艸根木皮を食とせしを、此に代るに皇国の糧米を以てし、馬トウ[さんずいに重。乳汁のこと]を飲て宴楽せしを、此に代るに醇良の美酒を以てせば、誰か歓喜して心服せざる者あらんや」(尾藤正英、島崎隆夫校注『 安藤昌益 佐藤信淵 』岩波書店、1977年。カタカナをひらがなに改めた)。

 秋田市内にある平田の墓を見物して、そんなことを久しぶりに思い出した。

■皇居の防空壕を設計した軍人

 横道がすぎてしまった。もとに戻ろう。

 今回、「油谷これくしょん」でとりわけ印象深かったのは、「皇居の防空壕の設計者・佐々哲爾中佐」という展示だった。佐々(最終階級は大佐)は秋田県出身の軍人であり、陸軍築城本部研究部長のとき、皇居の防空壕を設計したという。

 皇居の防空壕といえば、終戦の「ご聖断」が下された場所だ。それが秋田と関係しているとは、まったく知らなかった。

 展示品には、家系図や軍服だけではなく、大正年間の夏季休暇日誌なども含まれている。油谷氏が遺族から引き継いだのだろう。こういうものがさり気なく置かれているから侮れない。

 現地に足を運んだからこそ、こうしたものに出会える。平田篤胤、石川達三、東海林太郎といった名前に、佐々哲爾も付け加わった。知識が有機的に結びつく面白さ。これこそ、旅行の醍醐味だ。

 ほかの生活用品についても、それぞれの分野に詳しいひとがみれば新しい発見があることだろう。日本酒のラベルなども、現在とデザインが違っていて目を引かれた。「日本一」のコレクションを埋もれさせてはならない。ぜひグループでも足を運んでみてほしい。

写真=辻田真佐憲

(辻田 真佐憲)

関連記事(外部サイト)