100キロで疾走、赤信号は停止……警察から5日逃げた男のすごい“運転テク“

100キロで疾走、赤信号は停止……警察から5日逃げた男のすごい“運転テク“

自宅から約100キロ先の糸島市まで走ったハリアー

「藤木は警察官たちが『捜査令状がある』と言ったか言わないかぐらいのタイミングで彼らを押しのけ、2階の玄関から逃げ出した。警察も逮捕状がなかったため、強くは制止できなかったようです」(社会部記者)

 野田毅衆議院議員の元私設秘書・藤木寿人容疑者(43)の5日間に及ぶ逃走劇は、そうして始まった。

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 7月9日早朝、熊本市西区の藤木の自宅に、熊本東署員6人が覚せい剤取締法違反容疑で家宅捜索に訪れた。藤木は自宅脇に停めてあった紫色のトヨタのSUV「ハリアー」をバックで急発進。3人の署員が転倒し、膝などを擦りむいた。

 その後、自宅前の通りを、通学中の小学生たちを横目に、100キロ近いスピードで一気に南へ疾走した。

 小学生の保護者が語る。

「娘が『すごいスピードで走る車を見た』と言っていました。友達は『あんなの絶対捕まるよね』と。でも赤信号ではきちんと停止していたそうです」

■元・議員の運転手で裏道にも詳しい

 藤木の車はかつて仕えていた野田議員の地元である玉名市方面へ。その後、佐賀、福岡両県での走行が確認されたが、足取りはぷっつりと途絶えてしまう。

「長年、議員の運転手を務めていたので裏道にも詳しく、運転テクは相当なものでした」(地元の秘書仲間)

 そして14日午前11時過ぎ、藤木は福岡県糸島市の駐在所にハリアーで現れ、「疲れた」と出頭した。

「藤木は2015年10月にも、野田事務所を辞めた翌日に覚せい剤の使用で逮捕されている。今回も覚せい剤使用が疑われているが、逃げた理由について『警察を暴力団と勘違いした』と供述。だが、5日も経てば『シャブ抜きには十分』と判断して、出頭したとみられている」(前出・記者)

■父親は地元で頼られる名士だった

 藤木は逃走現場となった実家で生まれ育ち、中学卒業後は地元の私立高校の機械科に進学。同級生が語る。

「高校では空手部で、兄貴肌ではあったけど悪いことをするような奴ではなかった。20代前半の頃に熊本市内の繁華街で会った時は『野田事務所にいる』と言っていました。父親が後援会に関わっていた関係で秘書になったと聞いています」

 消防士だった父は、地元で頼られる名士だった。

「人望が厚く、地域の防犯協会や社会福祉協議会の会長に就いていました。また柴犬が好きで、長年、日本犬保存会の支部長も務めています」(近隣住民)

 藤木は野田事務所をいったん辞めており、商事会社勤務や建設会社経営者の運転手を経験。その後、再び事務所に出戻っていた。

「一時、野田氏が東京で借りたマンションにも住んでいました」(後援会関係者)

■自民党の地元秘書にありがちな“チャラついた男”

 秘書時代の藤木は「真面目で、言われた仕事はきちんとやっていた」(野田事務所の秘書)というが、東京で遊び歩く姿も目撃されていた。クラブイベント関係者が語る。

「藤木は2010年ぐらいから渋谷のクラブのヒップホップイベントに顔を出しています。議員秘書という肩書もあり、芸能人などにも人脈を広げていました」

 熊本に戻ってからも、夜の世界にはまっていた。

「自民党の地元秘書にありがちな、少しワルぶってチャラついた男でした。キャバクラで飲み歩き、女の子に『バツイチです』とアピールしていた。野田事務所は待遇がよく、地元企業の経営者たちとの飲み会も多い。人脈を作って、将来は政治の道も志していたと思います」(前出・秘書仲間)

 だが15年に逮捕されてからは、「熊本市内の飲み屋では一切見かけなくなった」(飲食店関係者)という。16年の熊本地震の後は、仲間と共同経営で土木業や解体業を営んでいた。

「父親は息子が逮捕された後、地域の役職から退いたが、執行猶予期間が終わったので徐々に復帰していた矢先に今回の事件が起きた。父親も不肖の息子を嘆いているようで、近所の人はみんな『親父の築いたものを壊して、バカタレ』と言っている」(前出・近隣住民)

 逃げるは一族の恥で、何の役にも立たない。

(「週刊文春」編集部/週刊文春 2019年7月25日号)

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