6割が女性客! 岩手県久慈市の“日本最強の闘牛”に黄色い声援が集まる理由とは?

6割が女性客! 岩手県久慈市の“日本最強の闘牛”に黄色い声援が集まる理由とは?

闘牛は目をむいて、力を振り絞る

 ドスン。頭と頭がぶつかる音が響く。

 岩手県久慈市の山形町で開かれる「平庭(ひらにわ)闘牛」。横綱・豆之介(10歳)と大関・3代目平庭嵐(11歳)の対戦が始まった。

■「がっぷり四つに組んで、両者一歩も引きません」

 牛を操る勢子(せこ)の一人で、市職員でもある新井谷(にいや)保彦さん(49)が、場内を走り回りながらマイクで実況解説する。

「平庭嵐は鹿児島県・徳之島の闘牛でも活躍した百戦錬磨の牛です。どんなに大きな牛も負かしてきました。しかし、体重は750キロしかなく、1トンもある豆之介とは200キロ以上違います。しかも、今回は左足を負傷していて、なかなか動けません。対する豆之介は横綱だけにスキがありません。よっしゃー。はい、よっしゃー」

 新井谷さんの解説は、勢子特有の掛け声入りだ。

「がっぷり四つに組んで、両者一歩も引きません。豆之介の攻撃を、体重の軽い平庭嵐が受ける。さぁ、豆之介の力が入ってきた。目のふちが赤くなっています。あっ、平庭嵐が前に出た。豆之介も出ろ。出ろっ。反撃だ。よいっしゃー、よいっしゃー」

 巨体と巨体がぶつかり合う大相撲になった。新井谷さんの実況も熱が入ってきて、解説なのか、声援なのか分からなくなる。

 闘いは引き分けで終わった。割れんばかりの拍手に包まれて、2頭は意気揚々と引き揚げた。

■年に3場所ある東北唯一の闘牛大会

 平庭闘牛は、東北唯一の闘牛大会で、正式には年に3場所ある。8月18日には今年2回目の場所が開催され、22頭が出場する。

 紹介した豆之介と平庭嵐の対戦は、今年の1回目、6月場所の様子である。

 全国9市町で催されている闘牛でも、久慈市山形町のそれは極めて特殊だ。どちらかが負けるまで、場合によっては血みどろになっても闘わせる地区もあるが、平庭闘牛は勝敗が見えた段階で、勢子が引き分けに持ち込んで終わらせる。

 このため手綱を放さない。勢子と牛、そして勢子同士が呼吸を合わせながら闘いを進める。

■会場を訪れる人の6割は女性!

 闘い終わった牛は、互いにやりきったという満足感にひたる。場外の草地で寝そべるなど、牛本来ののんびりした姿に戻る。

 こうしたことから、近年女性に人気が出ており、「会場を訪れる人の6割は女性」と事務局の久慈市役所山形総合支所、谷地彰・産業振興係長(44)は説明する。

 琥珀どらごん(3歳)の所有者でもある葉阪(はさか)裕子さん(60)が魅力を語る。

「闘いはメスを争うオスの本能です。しかし、闘牛で勝っても、牛は何も得られません。なのに本能の赴くまま、命をたぎらせて、ただただ闘う純粋さに、胸を打たれます。いつもは優しくて、おっとりとした牛ばかりです。ブラッシングをしてやると、『まだやってよ』と体をすり寄せてきて、まるで子供みたいなところもあるんですよ」

■日本短角種の最大の産地で行われる闘牛

 約15人いる勢子の一人でも、華麗な手綱さばきから「闘牛界の牛若丸」と称される畜産農家、柿木敏由貴(かきき・としゆき)さん(46)は「平庭闘牛ならではのやり方には、歴史と文化に基づいた理由がある」と言う。

 久慈市山形町は、平成合併前の山形村だ。旧村役場は太平洋岸から25キロほど離れた山中にあり、1000メートル級の山が連なる北上高地の北端に位置する。

 一帯では4種類の和牛のうち「日本短角種」が飼われており、日本最大の産地になっている。

 日本短角種の体は褐色で大きく、オスの成牛の体重は1トンほどになる。

 もとは土着の「南部牛」として飼われていたが、明治期に外来種のショートホーンなどと掛け合わされ、今の形になった。

■かつてはリーダー牛を決めるために角突きが行われていた

 南部牛は古くから運搬に用いられてきた。太平洋岸の塩を内陸まで背負い、江戸時代に製鉄が盛んになると粗鉄を関東や越後に運んだ。

 運搬時は7頭で隊列を組んだが、「ワガサ」と呼ばれるリーダー牛が群れを率いたので、牛追いはこの牛をコントロールするだけでよかった。ワガサを決めるために行われたのが角突きだった。

 また、山形町では今でも夏期は山に放牧して牛を自然交配させている。かつては牛を放った時に喧嘩をしないよう、里で角突きをさせ、序列を付けてから山に上げていた。

「叩きのめすほどの勝負は、むしろ必要ありません。牛は生活のパートナーであり、愛でる対象でもありました。女性はこうしたところにひかれるのではないでしょうか」と柿木さんは分析する。

■日本最強との呼び声が高い“平庭闘牛”

 本気で闘えば底力があり、日本最強との呼び声が高い。

「山形町は急峻な地形なので、祖先の南部牛は日頃から運搬で鍛えられたのに加え、厳しい自然環境に適合できる強い牛が残りました。また、新潟へ鉄を運ぶには2カ月もかかりました。その間、筋力トレーニングをしているようなものでした。鉄を運び終えると新潟で売られ、闘牛に駆り出されたそうですが、そこでは地元の牛を蹴散らしたと聞いています」と柿木さんは語る。

 改良されて日本短角種と呼ばれるようになってからは、力強さに体の大きさも加わり、沖縄へ渡った伝説の名牛「岩手トガイ」は現地で無敗の大横綱になった。

 最強の牛を求め、平庭闘牛には他地区から買い手が集まる。ここで活躍した2〜3歳の牛を連れて帰り、4〜5歳でデビューさせるのだ。

 だが、冷涼な岩手の山間部の生まれだけに暑さには弱い。その対策として、暑さに強い黒毛和種との間で生ませた子が増えている。柿木さんは「全国で日本短角種や子孫がチャンピオンになっています。山形の牛は自然交配なので、精子の時から喧嘩をして勝ち抜いてきたせいで強いと言う人もいますが、これは本当かどうか分かりません」と笑う。

■闘牛を御して引き分けで終わらせる技術が必要

 闘う巨体を御し、しかも引き分けで終わらせる勢子の技術は極めて高い。

 最年少の勢子、當山亜斗夢(とうやま・あとむ)さん(21)は沖縄県の闘牛家の息子だ。勉強のために柿木さんの農場で就職したが、「手綱を切って牛だけ闘わせる沖縄とは比べものにならないほど難しい」と嘆息する。

 柿木さんは「牛の行動の理由を、性格も含めて理解しないと御せません。攻める牛も、実は相手が怖いからやっつけようと、がむしゃらに攻めているだけかもしれないのです。そういう時に無理に引っ張ってやめさせたら、牛は何をやっても怖いとしか感じなくなり、次から闘わなくなってしまいます」と語る。

 では、どうやって引き分けにするのか。

■「牛の目で感情が分かるようになりました」

「これ以上やると勝負がつくという時を見極め、がっぷり四つに組むように勢子が持っていきます。それから分けるのです。すると観客が拍手をしてくれる。飼い主も喜んでくれる。楽しかった。また闘いたいという気持ちを牛は抱きます。普通なら退場は負けた方からでしょうが、平庭闘牛では有利だった方を先に出します」。そう話す柿木さんも失敗を繰り返して、ここまでたどり着いた。

 柿木さんらを目標にして、當山さん、市職員の谷崎雄二さん(36)、農協職員の北村智哉さん(34)が手綱を握る。3人は若手のホープだ。

 北村さんは本業でも牛を扱っており、「牛の目で感情が分かるようになりました」と話す。

■“牛格”を備えた横綱・白樺王

 平庭闘牛の横綱は、冒頭の豆之介以外にも2頭いる。白樺王(11歳)と若獅子(10歳)だ。両者は8月18日の千秋楽で対戦する。

 若獅子は攻撃力ナンバー1で、元大相撲の朝青龍関をほうふつとさせる。

 白樺王は、実況中継を行う新井谷さんら、市職員有志約60人の「平庭べごっこ倶楽部」で所有している。

 新井谷さんは白樺王にべた惚れだ。「久慈市と合併した時、旧山形村の職員組合で何か残したいと、組合員が中心になって倶楽部を結成しました。白樺王は6歳で横綱になり、人格ならぬ牛の格を備えています。攻撃をゆっくり受けるタイプで、まさに横綱相撲です。新潟から譲ってほしいと持ち掛けられたこともありますが、残しました。いろんな場所に姿を見せて、市の観光にも寄与しています。

 牛の1年は人間の4〜5年に当たるので、もう40代半ばから50代半ばに相当します。一昨年は体調を壊して引退かと心配されましたが、闘牛場へ来た途端に元気になりました。さすが横綱。まだ何年も頑張ってくれると確信しています」と期待する。

■『ONE PIECE』から名付けられた柿木チョッパー

 柿木さんのお気に入りは、自身の農場で飼っている柿木チョッパー(6歳)だ。

 漫画『ONE PIECE』に登場するキャラクターから名付けた。母牛はメスの中でも、ひときわ目立つ存在だった。体が大きいわけではない。角も大きくないのに、放牧場では群れを率いる立場にあった。

 その息子だからと見込んで選んだのだが、「まれに見るケンカべたでした」と柿木さんは苦笑する。

「相撲は上手(うわて)が有利ですが、闘牛は下手(したて)です。首を相手の下に入れた方が押せるからです。チョッパーはこれがまったくできないのです。うまい牛は上手になっても首を使って下手を取り直しますが、それもできない。前足を伸ばして、押されないようにする体勢も取れない」

■「思わず息を飲む取り組みでした」

 だが、闘牛は大好きで、一度も逃げたことがない。

「いつも圧倒的に不利な状態で引き分けにしてもらうのですが、根性があって、やられても嫌にならないようなのです」と柿木さんは話す。

 6月場所も開始早々、いきなりやられた。半ばのけぞりながら闘牛場の縁にまで押し込まれ、しかしその後は粘りに粘って、一進一退を繰り返した。観客席から何度も歓声が沸き、女性司会者が「思わず息を飲む取り組みでした」と会場アナウンスするほどだった。

「不器用で愚直なところが、かわいくて仕方ありません。日頃は大人しくて、柔和な牛なのです」。柿木さんは目を細める。

■闘牛場で見せる命の輝き

 久慈市山形町の日本短角種は、本来肉牛として飼われている。オスとして生まれても、多くは去勢されて、生後30カ月未満で人間に食べられる。

 素質を見抜かれて闘牛になり、人々に雄姿を見せられるのは、ほんの一握りにすぎない。

「人間は動物の命をもらって生きています。畜産で暮らしを立てている山形町だからこそ、生きて価値を発揮する闘牛を行う意味がある」と柿木さんは力を込める。チョッパーや白樺王が闘牛場で見せる命の輝きがまぶしいのは、そのせいかもしれない。

写真=葉上太郎
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(葉上 太郎)

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