主筆室でポックリ、延命はNO ナベツネが語る理想の大往生

主筆室でポックリ、延命はNO ナベツネが語る理想の大往生

今年3月には「燦燦会」の総会で元気に挨拶 ©共同通信社

「ナベツネが死亡した」

 こんな情報がマスコミ各社を駆け巡ったのは昨年11月。“ナベツネ”とは言うまでもなく、渡邉恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役主筆(93)のことだ。

「その理由としては11月16日に『読売幹部の緊急会議が開かれている』との噂が流れたことでした。さらに同日、秋季キャンプ中の巨人軍の原辰徳監督が予定を2日も繰り上げて急遽帰京。元々、渡邉氏は8月から頸椎骨折で入院し、体調不安が囁かれていた。そこに、こうした異例の動きが次々と重なったため、『ナベツネ死亡』の噂は永田町に瞬く間に広がり、マスコミ各社も裏取りに奔走したのです」(社会部記者)

 だが後に、これが“ガセネタ”であることが判明。読売新聞も「あり得ない」と否定し、渡邉氏本人も翌12月には原監督の「野球殿堂入りを祝う会」に出席、健在ぶりをアピールした。

 一度「死亡説」が浮上すれば、これほどの大騒動を巻き起こす渡邉氏。それは彼が今なお読売グループの“ドン”として隠然たる影響力を誇ることの証である。

 そんな渡邉氏が新刊『 私の大往生 』(文春新書)で、佐藤愛子氏、内海桂子氏ら13人の著名人と共に、理想の最期を余すことなく打ち明けた。

■渡邉氏が語った「理想の死に方」とは

「理想の死に方、これは達者でポックリ(中略)この部屋(主筆室)で死んでいて、秘書が発見する。これなんか、いいんじゃないか」

 取材の際にこう語った渡邉氏の口調は、イメージとは裏腹に実に穏やかだったという。続けて氏は「機械的延命っていうのは絶対にお断りだな」と、延命拒否の意志をはっきりと表明。

 また、前述のような“死亡騒動”も、初めてではなかったことが分かる。

「今から40年前、読売新聞の政治部長だった時代に、渡邉氏は読売診療所で食道がんと診断されています。死を覚悟した彼は、すぐさま身辺整理を始め、遺書をしたため、親友には『倅の将来を頼む』とまで伝えている。ところが後に、これが誤診だったことが発覚するのです。渡邉氏はこの本で当時を振り返り『天にも昇る気持ちだった』と述懐しています」(担当編集者)

 さらに意外な事実も明かされる。例えばすでに完成している墓碑の碑銘は中曽根康弘元首相(101)に3日で書いてもらったとか。死の直前にはチャイコフスキーの交響曲「悲愴」を聴き、最後の晩餐に「好物のソース焼きそばと、茹でたジャガイモに塩をかけて食べたい」と語る渡邉氏からは、どこか楽し気な様子も覗える。

 死を前にしても“ドン”と構えているようだ。

(「週刊文春」編集部/週刊文春 2019年8月29日号)

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