男たちが見た小池百合子という女 #1

男たちが見た小池百合子という女 #1

©文藝春秋

 小池百合子とは何者なのか。

 カイロ大留学を経て、キャスターとして颯爽とテレビ画面にデビュー。1992年には新党旋風の中で政界入りを果たす。その後、いくつかの政党を渡り歩くが、彼女の周囲には、細川護煕、小沢一郎、小泉純一郎ら、常に権力者の姿があった。

「男たち」の証言から、女性初の都知事の素顔に迫る。

出典:「文藝春秋」2017年8月号(全3回)

(文中一部敬称略)

 駅前のロータリーは歩道橋の上まで埋め尽くされていたが、彼女のイメージカラーである緑色のものを身に着けた人は、ほとんど見受けられなかった。

 選挙カーの上では候補者の横で黄緑色のジャケットを着た小池百合子都知事が、よどみなく話し続けていた。私の前にいた初老の男性が、

「うまいねえ。大したもんだ」

 と隣の女性に語りかけるのを耳にしたが、その口調には、どこか茶の間でテレビを見ながら論評しているような空虚さが感じられた。

 選挙カーの上から彼女は観客を巻き込もうと問いかけるように話すのだが拍手はまばらだった。

 昨夏の都知事選では緑色の服をまとった、あるいは緑のハンカチやキュウリやニガウリを握りしめた群衆が殺到し、小池の演説に熱狂して、さかんに共感の拍手を送り、さながら野外劇場の観があったものだが。

「小池百合子の前半生を描いて欲しい」と月刊誌『新潮45』から依頼があり、寄稿したのは昨年暮れのこと。以来、私はずっと「戸惑い」を感じながら、今に至っている。

 彼女は非常に発信能力の長けた人で著作も多い。また、マスコミ好きでテレビや雑誌上のインタビューにも積極的に応じ、自分を多弁に語ってきた人である。だが、その彼女の「語り」をどこまで信じていいのか。

 例えば彼女はカイロ大学を「首席で卒業した」と語っているのだが、アラブ語を学んだことのない留学生がカイロ大学を首席で卒業できるとは、私にはどうしても考えられない。

 また、その主張や行動には一貫性が見出せず、彼女が何を思い、何を求めて生きているのかが理解できない。彼女はアジアとの協調路線を謳った日本新党の出身で強烈な「自民党批判」で世に出た人である。ところが自民党に移ると、タカ派的な発言を繰り返すようになる。リベラル層を取り込んで東京都知事になったが、彼女は本当に「リベラル」な考え方の持ち主なのか。

 細川護熙、小沢一郎、小泉純一郎と、政治信条もタイプもまったく異なる実力者の傍らに常にポジションを得て、口の悪い人々からは「権力と寝る女」、「渡り鳥」と揶揄されながらも政界を泳ぎ切った女性である。

 そして彼女は今、権力者の傍らから離れて、自らの手で地位を掴み、さらには政党まで作ってしまったのだった。

 一体、小池百合子とは何者なのか。彼女の「語り」に耳を傾けるだけでは決して実像は見えてこない。ならば、小池と関わりのあった他者たちは、彼女をどう語るのか。そこには本人の「語り」とはまた別の物語が見出せるはずである。

■「やります」と即断

 エジプトの首都カイロで大学を卒業し、通訳兼ガイドをしていた小池は日本テレビの幹部と現地で知り合い、それが縁となって「竹村健一の世相講談」のアシスタントに選ばれる。その後、テレビ東京が夜の経済情報番組「ワールドビジネスサテライト」を立ち上げるにあたり、初代キャスターとして引き抜かれるのは、ちょうど昭和が終わろうという時期であった。小池の起用を決めたのは日経新聞出身で、当時はテレビ東京取締役報道局長の立場にあった池内正人。

「あるパーティーの席で偶然、一緒になってね、『やってみる気あるか』と聞いたら、『やります』と即断即決だった。彼女は芸能プロダクションに所属していなかったから本人の意思で決められたんだ」

 華やかな容姿と頭の回転の速さ。加えて努力家で根性もあった。番組は軌道に乗った。ところが4年後の1992年、細川護熙が新党を立ち上げ、彼女を政界へと勧誘した。

「立派なニュースキャスターになれば、よっぽど社会に影響力を持てる。政治家になったって、どうせ陣笠どまりだ。つまらないじゃないかって引き留めたんだけれどね、彼女はポロポロ泣きながら、『最初は陣笠でも、それで終わるつもりはありません』と言ってね。そういえば話し合いの後、彼女が化粧室に行ったんだけど戻ってきたら、さっきまで泣いていたとは思えない晴れやかな顔をしていたので、あれって思った」

 92年、40歳での決断だった。彼女はおそらく自分の年齢を意識していたのだろう。いくら持てはやされていても、テレビの世界で女性は長く活躍できない。容姿が衰えれば若い女性にとって代わられる。自分をもっと有益に生かし得る、第2ステージとして政界を選んだのだろう。永田町ならば、まだ女の寿命は長い。直後の参議院選で当選。党首の細川護熙とは美男美女の組み合わせで日本新党の広告塔となった。細川が語る。

「私が新党を立ち上げようとしたとき、周りにいたのは地味な年配の男性たちばかりでした。花がないと指摘され、小池さんをお迎えするよう助言されたんです」

 余談めくが、この頃の小池の最大の武器は、知名度とミニスカートだった。本人自身が「ミニスカートとハイヒールで戦います」と宣言し、選挙期間中も当選後もずっとミニスカートで通した。彼女が選挙カーの梯子を登る時、カメラマンたちが殺到したが、嫌な顔も見せなかった。ファッションを重視し、自分の容姿を最大限に生かそうとする。どうすればマスコミが注目するか、骨の髄からわかっていたのだろう。何を着るか、髪型をどうするか、口紅の色に至るまで細心の注意を払った。それは彼女の最大の関心事であると同時に、有権者の関心事でもあると理解していたのだろう。

 細川が内閣総理大臣となる中、彼女が党内で担当したのは広報と候補者の選定だった。細川が続ける。

「発想が自由で独特でした。例えば、ポスター用に『政治家、総とっかえ』なんていうキャッチフレーズを思いつく。私に記者会見でプロンプターを使うように勧めてくれたのも彼女でした。候補者の選定でも、テキパキと指揮を執ってくれた。一方、政策面には、そんなにコミットしていなかったかもしれません。そこは主として新聞記者や学者に手伝ってもらっていましたので」

■表情を作って話をする

 政策の中身よりも、話し方やネクタイの趣味のほうがテレビを見る有権者の心を掴む。この頃から、テレビが政治を左右する傾向が強くなっていた。見た目や、ワンフレーズの受け答えが重視される。平成時代に入って政治そのものがファッション化していった。小池は時代の申し子だったのかもしれない。

「テレビの影響で政治家のあり方が変わり、テレビにうまく対応できる人が政治家として売れていくという時代になった。小池さんもその中から出てきた人、というか、彼女はテレビの中から生まれ、その先頭にいた人でしょう」

 そう指摘するのは、日本新党に合流した元社民連代表の江田五月だ。

「小池さんは日本新党のフレッシュなイメージを象徴する役割を担わされていたから、見られる、ということに過剰になってしまったのかもしれない。今でも、すごく表情をつくって話をする。ああ、小池さんだな、と思う」

 細川政権は7党1会派からなる連立政権だったため始終、政策をすり合わせる必要があった。だが、そういった場に小池がいることはなかった。表向きは日本新党の顔だが、任されたのは候補者選びと広報、マスコミ対策に限られていたからだ。

 絶大な人気を博したものの、細川政権は短命に終わる。彼女にとって最大の庇護者だった細川が首相辞任を表明すると、その行動は素早かった。日本新党に所属していた遠藤利明元2020年東京オリンピック・パラリンピック大臣が語る。

「細川さんが辞めると言い出した時、彼女は自分が代わりに党首になるか、もしくは日本新党を解党し新しい政党をつくり自分が党首になるかで悩んでいました。その頃からトップに立ちたいという意欲はあったんだよね」

 一方、江田の証言は、少し異なる。

「細川さんの輝きが失われて、ぐらつき始めた時、彼女はもう連立を組む新生党の小沢一郎さんに近づいていた。機を見るに敏だなあ、と感じた記憶があります」

 自分がトップに立つか、小沢の元に参じるかで悩み後者を選んだ、ということのようだ。

 細川が辞任した94年の暮には、日本新党、公明党の一部、小沢が率いる新生党ほかが合併して海部俊樹を党首に新進党が誕生。横浜アリーナで客席を一枚布が蔽う華やかな党大会が催され話題をさらった。この時、江田は大会招集委員長を務め、その後、広報企画委員長を担当。小池は広報企画委員長代理だった。江田は続ける。

「小池さんは演出や広報は確かにうまい。ただ、それは表面的なことなんですよね。環境大臣時代に『クールビズ』というのを打ち出しましたが、なぜ環境が大切なのか、そういった信念みたいなものは伝わってこない」

 新進党は200人を超える大野党として好スタートを切ったものの羽田孜と小沢一郎の対立が深刻化し、やがて内紛となる。江田や細川は羽田につき、小池は小沢についた。新進党の解党後は、小沢とともに自由党に参加。

 この時、行動をともにした同僚に西村眞吾がいる。新進党、自由党で一緒に過ごした西村は「やくざ世界でいえば、『姐さん』のようなポジション」だったと小池を語る。

「トップと近い。彼女は常にそう見られるように振舞っていた。男にはできないよ。常に脚光を浴びる人物の隣に陣取る。だいたい、街宣車の上で小泉純一郎のネクタイ、男が直しても様にならんわな。

 例えば小沢さんと飯を食う。そうすると彼女は必ず小沢さんの隣に座る。俺は党首だから『小沢先生』と呼ぶ。彼女は『小沢さん』と呼ぶ。傍から見たら、俺より上、というふうに映るわな。昔、耳かき専門の坊さんがおった。秀吉の時代。坊さんが秀吉の耳かきをする。耳かきしながら、何かしゃべってるように見せかける。実際はしゃべってへんのやけれど。すると周りの大名たちには、坊さんが何かささやいているように見える。で、その坊さんのところには大名から付け届けがたくさん届く。政界にはそういう人間が多い。

 最近の小池百合子を見ていて、よく思い出すのは管野スガ。大逆事件で女性で唯一死刑囚になった人や。このスガは死刑になるとき、他の男たちと違うて、まったく取り乱さなかったそうやね。俺の大学の先生が、この話をしてくれて、こう言うた。『女はな、アバズレほど度胸が据わってるもんや』。あと、朴槿恵にも似てる。孤独な感じが。目が笑うてない。拉致被害者の議連でも一緒やったけれど、テレビカメラが入ると、必ず映り込む。あれは本能やと思った」

 権力者の傍らにいること、トップと近しいと周囲に思わせること、マスコミに登場し知名度を保ち続けること。そのためにはどうしたらいいのか。彼女の関心は、常にそこにあったのか。だからこそ、政策や信念は周囲の状況に合わせてぶれていくのだろうか。西村は続けた。

「コロッと自説を変えてしまうことがあった。例えば、在日外国人参政権、俺も小池も反対してた。ところが、小沢さんが賛成となったら、小池もそっち側に回っていた」

(石井 妙子)

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