紀子さま53歳 はにかむ「川嶋紀子さん」から「皇室顔」になられるまでの30年

紀子さま53歳 はにかむ「川嶋紀子さん」から「皇室顔」になられるまでの30年

悠仁さまのお誕生日に際してのご近影 宮内庁提供

 秋篠宮妃紀子さまが9月11日、53歳になられた。皇嗣妃として初めて迎えたお誕生日。宮内記者会からの質問に文書で答える形で、心境を明かされた。

 小室圭さんとの結婚が延期されている長女の眞子さまについては、「現在、長女は、さまざまな思いを抱えていると思います」とした上で、「このような状況で、長女の気持ちを推測するなどして現状や今後についてお伝えすることは、控えたいと思います」とされた。

 また長男・悠仁さまについては、初の海外旅行となったブータンでのエピソードとして「英語での説明も懸命に理解しようとしていました」などとお答えになった。

 子育てに、公務に、忙しい日々を送る紀子さまだが、一方で批判的な報道も後を絶たない。

 林真理子さんはそういった状況を憂いて、こう書いていた。

〈いつのまにか紀子さまがヒール役を担わされてまことにお気の毒である。ご婚約の時の、愛くるしく清楚な「紀子ちゃん」を知っている者にとって、昨今の「皇室顔」となられた紀子さまにはあまり親近感がわかない。それでもいつのまにかヒール役を負わされていて、私は憤っているのである。〉(「週刊文春」8月15日・22日号)

「皇室顔」という表現に、うならされた。なるほど、昨今の紀子さまのメディアを通して見る表情は、確かにいつも同じようだ。口角は上がっているのに笑ってないような、笑おうとしているのに楽しくなさそうな。つまり無理をしているような、無理を強いられているような。

 皇室という存在そのものが、「紀子ちゃん」をそうさせている。林さんはそのことを指摘しているのかも。そんな深読みまでしてしまった。

■大きな肩パッド入りの服が当たり前の時代に

 かく言う私も、「愛くるしく、清楚な『紀子ちゃん』」を知っている世代だ。1989年9月、ご婚約内定後の記者会見に現れた、23歳になったばかりの川嶋紀子さんをよく覚えている。はにかんだような笑み。上げた前髪を紺のバレッタで留め、パールのネックレス。大きな肩パッド入りの服が当たり前の時代にあって、紺のワンピースはパフスリーブだった。

 記者から「紀子さんは礼宮さまが初恋の人ですか」と聞かれると、礼宮さまの方を向いて「申し上げてよろしゅうございますか」と尋ね、「そうでございます」と答えていた。学習院大学の1年上の先輩と出会い、好きになって結婚する。そのうれしさがひしひしと伝わる会見だった。

 紀子さんの父は学習院大学教授で、一家は3LDKの「学習院第5共同住宅」に住んでいた。しかもそこにはテレビがないと報じられた。ゆっくりと丁寧な言葉遣いも珍しく、世の中は直ちに紀子さんを「究極のお嬢さま」と認定した。バブルの浮かれた時代に、皇室に嫁ぐべくして嫁ぐ人だなあと思ったものだった。

■「お友だちになりたいのね」紀子さまの“神対応”

 90年6月にご成婚、翌年には眞子さまが生まれた。眞子さまが2歳になろうという93年8月、軽井沢で夏休みを過ごすご一家のワンシーンが忘れられない。

 紀子さまが眞子さまを抱っこして、隣に秋篠宮さま。秋篠宮さまは長袖シャツ、紀子さまは半袖のブラウスとスカート、眞子さまは白い帽子と白い靴に、アップリケのついたロンパース。絵になるご一家だった。

 そこへやって来たのが、散歩中のゴールデンレトリーバー。眞子さまが興味しんしんで手を伸ばそうとすると、いきなりジャンプした。驚いた眞子さまが「こわいー」と紀子さまにしがみついた。すると紀子さまは、こう言われた。「お友だちになりたいのね」。

 今ならたぶん「神対応」と言われたはずだ。眞子さまが動物嫌いになることを防ぎ、「天皇陛下の初孫」に飛びかかった犬の飼い主も救える。究極の一言だ。賢く、優しいお母さんなのだと、誰もが思ったろう。この映像はテレビでヘビロテされ、94年に次女の佳子さまが生まれた時にも放送されたと記憶している。

■雅子さまの長い「適応障害」の始まりがターニングポイント

 2004年がターニングポイントになったことは間違いない。5月、皇太子さま(当時)から「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」という発言があった。雅子さまの長い「適応障害」の始まりだった。

 その年の11月、秋篠宮さまが39歳の誕生日を迎えるにあたって記者会見を開かれた。秋篠宮さまの会見にはいつも紀子さまが同席する。その年も記者とお二人がやりとりし、その一問一答は宮内庁ホームページにも載っている。だが、そこから省かれている紀子さまの短い言葉がある。

 記者から、「雅子さまは東宮御所での生活にさまざま苦労をしたとのことだが、お二人はそのようなことを感じたか」という趣旨の質問があった。秋篠宮さまは「苦労の意味を皇太子殿下本人に尋ねた」ことを明かし、それは普段の生活でもいろいろな人が働いていて配慮がいること、外出も容易でないことだそうだと述べられた。その上で、「私たちにそのような苦労があったかというと、主に私というよりも家内に関係するのかなと思います」と言われた。すると、紀子さまがすかさず、「あちらとは、規模が」と小さい声で挟まれたのだ。

■雅子さまと紀子さま 対比的なお二人

 皇太子さまの東宮家と秋篠宮家では立場が違い、予算も職員の規模も全く違う。このことは、紀子さまの「苛立ちの原因」などとして、のちに何度も報道されることになる。だが当時私は、兄夫婦に厳しい目を持っている秋篠宮さまの横で、紀子さまが優しく冷静に「前提の違い」を指摘したと感じた。秋篠宮さまの「家内」という表現も好ましく、二人にとって秋篠宮家は普通の「家」なのだなと感じた。そこは妻が、夫にためらわずに意見を言える家なのだな、と。

 この年以来、皇室における雅子さまの苦悩が次々と明らかになり、紀子さまとの対比もクローズアップされるようになった。見事なまでに、という言い方は不謹慎かもしれないが、対比的な二人だった。社会人経験のないままに皇室に入った紀子さま。外交官という道を捨てた雅子さま。初恋の人との「キャンパスの恋」を実らせた紀子さま。一度は断ったプロポーズを、「皇室外交」という新たな道に期待をかけて承諾した雅子さま。

■悠仁さまご誕生から、ますます複雑な構図に

 紀子さまの、公務に子育てに励む姿から雅子さまを見れば、適応障害は「怠け」に見える。雅子さまの、自己実現を果たせずもがく姿から紀子さまを見れば、その日々は無批判な「過剰適応」に見える。06年9月、秋篠宮家に長男・悠仁さまが生まれてからは、ますます複雑な構図となった。天皇家には41年ぶりの男子誕生という慶事だったが、「本来、長男の嫁たる仕事を次男の嫁がしてしまった」というストーリーとして、過剰に読み解かれることになる。

 16年に上皇陛下が退位の意向をにじませる「おことば」を発表され、翌年にお代替わりが決まると、雅子さまの活動が徐々に増え、紀子さまへのバッシングが目に見えて増えていった。

 林さんの「皇室顔」という表現が気にかかり、ある報道写真の検索サイトで紀子さまの写真をチェックしてみた。「秋篠宮 紀子さま」と入力してヒットした写真は、婚約前のものから直近まで4000点以上。紀子さまが婚約会見で見せた「心からうれしそうな笑顔」はいつ消えたのか。そんな目で見てみた。

■公務で全国津々浦々へ 外国訪問はアフリカや南米にまで

 写真に残る紀子さま、ものすごく働いている。年に複数回の外国訪問はアフリカや南米にまで及び、全国津々浦々を公務で歩き、合間にお子さま方と「戦争」を学んだりしている。外国にいる時の方が服装も華やかで、笑顔も自然だ。06年、皇太子ご一家がオランダで静養された時、雅子さまと愛子さまが日本では見せないような笑顔だったことを思い出した。皇室という重荷。

 紀子さまの表情を追うと、やはり悠仁さまの誕生以降、厳しくなっていると感じた。笑っていても、どこか緊張感がある。笑みであって笑みでない。そんな表情が目立つ。

 子どもの成長を見守り、喜ぶ気持ちと隣り合わせで、紀子さまにはいつも「将来の天皇」を育てる重圧があるのだろう。そんなふうに思う。

 美智子さまが民間から嫁ぎ、「開かれた皇室」への道をつけた昭和。平成になり雅子さまが病を得たことで、「幸せな天皇ご一家」では済まないことが明るみに出た。ストーリーが単純でなくなった不幸が、令和になり紀子さまの一身に集まっている。そんな紀子さまの現状を憤っているのは、林さんだけではないはずだ。

■佳子さまがあえて述べられた「紀子さまと報道」

 最後に、佳子さまのことを書きたい。

 佳子さまは19年3月、国際基督教大学を卒業するにあたり、文書を発表された。宮内記者会からの質問に回答したものだ。その中で、姉である眞子さまと小室圭さんとの結婚について、「結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています」と答えられたことが話題になった。

 佳子さまは、己の気持ちを率直に表明する女性だ。この文書では「(交際している)お相手はいらっしゃいますか」という質問に、「このような事柄に関する質問は、今後も含めお答えするつもりはございません」と答えている。「プライバシーへの立ち入り無用」と読める。いいぞ、佳子さま。失礼ながら、そう言いたくなる。そんな女子だ。

 20歳になった14年には記者会見に臨まれた。「ご家族について」と尋ねられ、佳子さまは紀子さまのことをこう述べられた。

「母は、週刊誌などでは様々な取り上げ方をされているようですが、娘の私から見ると、非常に優しく前向きで明るい人だと感じることが多くございます」

 もっと当たり障りない答えもできる場面で、あえて紀子さまの報道のされ方を取り上げた。率直さの裏付けは、強さと正義感。そういう女性なのだろう。

 世間は、紀子さまを消費している。皇室のさまざまな事情が重なり、そういうことになっている。

 だが、ご家族に目を転じれば、紀子さまには佳子さまという凛々しい女性がついている。そして、佳子さまを育てたのは紀子さまだ。その事実は、決して揺るがない。

(矢部 万紀子)

関連記事(外部サイト)