地方は消滅しない――広島県安芸高田市の場合「汗と涙の神楽甲子園」

地方は消滅しない――広島県安芸高田市の場合「汗と涙の神楽甲子園」

イラストレーション:溝川なつみ

 哀愁を帯びた笛の音が響くと、ざわついた会場が静まり返った。大太鼓、小太鼓、手打ち鉦(がね)が続く。しばらくすると、鎧に身を包んだ帝(みかど)役の舞い手らが現れ、「異国より数万騎の軍勢を従えて来る者がある。塵倫(じんりん)と言い、自在に飛び回る大悪鬼だ」という趣旨の口上を述べた。帝は塵倫と一戦を交えるのである。

 島根県立矢上(やかみ)高校(邑南[おおなん]町)の神楽「塵倫」の始まりだ。

 七月三十日、広島県安芸高田(あきたかた)市の神楽ドーム。屋外の舞台にビニール製の天井を張った二千人収容の大演舞場だ。ここで「神楽甲子園」が開かれていた。毎年七月下旬の土日に二日間にわたって行われる。

 神楽甲子園は、部活動で神楽に取り組む高校生が一堂に会する場を設けようと、二〇一一年から同市役所が中心になって催している。伝承への応援が目的なので順位は付けていない。当初は五校だけの参加だったが、市が神楽に取り組む高校を探しては声を掛けてきたので、今年は岩手から宮崎までの七県から、十六校の約三百人が出演した。

 矢上高には神楽部がない。神楽甲子園にも当初は出場していなかった。だが、「自分達も出たい」という神楽好きの生徒が、安芸高田市役所に「有志を募るので出させてほしい」と直談判して“出場権”を得た。第四回目の一四年のことだ。以後、連続出場している。そうまでして出場してきた高校生に、私はひと目会いたかった。

 今回出演した矢上高の生徒は十四人だ。鬼役の藤井司さん(三年)と小太鼓担当の岸樹哉(たつや)さん(二年)は剣道部との掛け持ちで、「月水金が剣道、火木が神楽というような形で練習してきました」と話す。

 島根県や広島県の山間部は日本でも有数の神楽が盛んな地域だ。島根では社中、広島では神楽団と呼ばれる保存会が各地区にある。藤井さんは保存会に属しているが、岸さんは属していない。「小さい頃から祭で神楽を見て、楽しそうだな、やってみたいなと思ってきました。夢がやっとかないます」と岸さんは快活に語る。そんな話をしていたら他の生徒も集まって来て、「僕らは仲がいいんです。裏方を含めたチームプレーで頑張ります」「皆で神楽甲子園を目標にして頑張ってきたんです」と口々に教えてくれる。

 矢上高の出番は、会場がいよいよ盛り上がってくる二日目の昼だ。その舞台が始まった。

 塵倫は空を飛ぶだけでなく、煙を吐き、消えたり現れたりする怪物だ。金糸や銀糸で刺繍(ししゅう)をした、きらびやかな衣装をまとう。ただし重量は二十キログラムにも及ぶ。

 梅雨明けの暑い盛り。スポットライトに照らされる舞台は想像以上に暑い。前日の鳥取県立日野高(日野町)の演舞では、大蛇(おろち)役の生徒が熱中症で救急搬送されたほどだ。

 矢上高の異変は後半に起きた。手打ち鉦をたたいていた高野多優(なゆ)さん(三年)は、塵倫役の男子の足がもつれ始めたのが分かった。「熱中症だ!」。舞いの最中に衣装を脱ぎ捨てるシーンでも、腕に力が入らないようだった。一度、舞台裏に戻って裏方に脱がしてもらい、また出て舞う。が、もう踏ん張り切れず、倒れる前に引き揚げるのが精一杯だった。帝役の洲濱(すはま)俊輔さん(三年)らがアドリブでつないだものの、最後は打ち切らざるを得なかった。

 むせび泣く生徒達。会場からはいくつも「よく頑張ったぞ」という声が掛けられた。市の黒田貢一・商工観光課長補佐(47)は「ぎりぎりによく引き揚げた。打ち切りの判断を含めて高校生にはなかなかできないファインプレーでした」と讃える。

 高野さんは「多くの人に『来年頑張れ』と励まされました。失敗はしたけど、それでも誰かの心に残ったのなら、私達は満足です。後輩に託します」と潤んだ目で微笑んだ。

 この日は、その後の出演校でも演技を終えた途端に倒れる生徒が出た。野球に勝るとも劣らない「汗と涙の神楽甲子園」である。

 それにしてもなぜ、高校生はこれほどまでに熱演するのか。

 理由の一つに、安芸高田市を含む広島県西部の山間部、芸北(げいほく)地域の気風があるだろう。神楽はプロ野球の広島カープに匹敵するほど人気のある伝統芸能なのだ。

 神楽甲子園は午前十時開演にもかかわらず、午前六時前には行列ができる。今回は二日間で三千八百人の客が押しかけた。目が肥えた観客の熱い視線に負けまいと、高校生が必死になるのも分からないではない。

 舞台と会場は一体になって盛り上がる。「頼政」という演目を舞った島根県立浜田商業高(浜田市)は猿の大群に扮した生徒が舞台を降りて観客の間を駆け回った。葛巻(くずまき)神楽を披露した岩手県立葛巻高(葛巻町)も、獅子を持った高校生が会場をくまなく巡り、人々の頭の上で歯を鳴らす「頭かじり」で厄(やく)払いをした。

 もちろん派手な動きが少ない演目もある。宮崎県立高千穂(たかちほ)高(高千穂町)は伝統の高千穂夜神楽を舞った。静岡県立遠江(とおとうみ)総合高(森町)の「天宮(あめのみや)神社十二段舞楽」は国指定重要無形民俗文化財だ。

 そうした遠方からの出場校は市内の集落に分かれて民泊するので、引き受けた地区の人々が横断幕などを持って応援に駆け付ける。

 大会運営はパンフレットの配布からトイレ掃除まで生徒が行い、司会も部員数が足りずに出演できなかった広島県北広島町の広島新庄高が担当した。「手作りの大会の微笑ましさも魅力の一つ」と七十代の女性が汗をだらだらと流しながら語る。

 こうして異様なほどの熱気が神楽ドームに満ちる。数メートルごとに巨大な扇風機が置かれるものの、その程度では収まらない。高校生は熱に浮かされるようにして、体力の限界に挑戦するのである。

■神楽がある限り若者は残り続ける

 広島県の神楽は、地域によって五つに分類される。芸北地域のそれは「芸北神楽」と呼ばれる。勧善懲悪の分かりやすい物語で、音曲はアップテンポの「八調子」だ。和紙で作る面は長さ五十センチメートルを超えるものもあり、何百万円もする絢爛(けんらん)豪華な衣装をまとう。剣劇あり、仮面を使った早業の変化(へんげ)ありで、演出には煙幕や花火も使う。安芸高田市には二十二の神楽団がある。

 起源は島根県の石見地方の儀式的な神楽だ。江戸末期までに伝わり、集落ごとに独自の発展をした。ところが戦争で中断を余儀なくされ、戦後はGHQに規制された。天皇賛美の演目が多かったのが理由という。

 そこで安芸高田市の小・中学校教師で、郷土芸能研究家の故佐々木順三さん(一九〇八〜二〇〇六年)が「新作高田舞」を発表した。GHQの目を逃れるために、謡曲などを参考にし、演劇性の高い台本を次々と書いたのだ。戦前の旧舞に対して新舞と言う。これが人々を魅了し、芸北神楽の新時代が幕を開けた。

 しかし高度経済成長で若者が流出し、舞い手の確保が難しくなっていった。同市で有数の実力を誇る横田神楽団も数年間、活動を休止した。それを一九六四年、現在の久保良雄団長(77)ら当時の青年団員十三人で復活させた。「経験者に聞き、他の団の演舞を見て学んだのですが、当初は演目が少なくて時間が余り、青年団の演歌バンドとセットで公演しました」と笑う。久保さんは安芸高田神楽協議会の会長である。

 地元の小学校に郷土芸能クラブができた時には教えに行った。谷本陽莊(ようそう)さん(45)は小学五年でこのクラブに入り、魅力にとりつかれた。同市の広島県立吉田高に進学した時、神楽部はまだなかったので、横田神楽団に所属した。卒業後、谷本さんは大阪の料理専門学校に進もうと考えていた。だが、親に「神楽はやめられるのか」と尋ねられた。「神楽のない生活は考えられない」。谷本さんは地元の衣料品メーカーに就職して、神楽を続ける道を選んだ。

「農協、自営業、郵便局、近くの工場……。うちには同じように神楽のために地元に残った団員がたくさんいます」と久保さんは言う。

 谷本さんが二十歳ぐらいの時だ。芸北神楽にまた転機が訪れた。隣の北広島町の神楽団が、三代目市川猿之助のスーパー歌舞伎から着想して、宙づりなどを取り入れた「スーパー神楽」を始めたのだ。これが火付け役となり、若い女性の間で神楽ブームが起きた。「拍手が地鳴りのように聞こえ、会場に入れない競演大会もありました」と谷本さんは振り返る。若い舞い手の「追っ掛け」をする女性が出現し、芸北地域の高校には次々と神楽部や同好会ができていった。吉田高の神楽部も〇〇年に創設された。

 現在の同校神楽部(十八人)の部長は奥原伶至(りょうじ)さん(三年)だ。父は同市の塩瀬神楽団の団長。母も団員で「僕がお腹にいる時にも笛を吹いていました」と話す。三歳の頃から神楽遊びをしてきた神楽の申し子だ。自身も同じ神楽団に所属していて、家族の会話はいつも「神楽」だ。夢は「地元で仕事をしながら、神楽を続けること」と話す。

 吉田高は昨年の部長、山下春希(はるき)さん(18)も神楽を続けるために県内の大学に進んだ。「担任の先生には県外に進学して力を試してはどうかと勧められたのですが、どうしても神楽を捨てられませんでした。練習のない平日は体が動き出しそうになるので、神楽のDVDを見て抑えています」と言う。市内の神楽団に所属しており、週末ごとに練習や公演のために実家に帰っている。

 今年の神楽甲子園で、吉田高の出番は二日目の最後から二番目だった。演目は矢上高と同じ塵倫。客席からひときわ大きな拍手が湧く。

 奥原さんは伸びやかな歌声と大太鼓で演舞をリードした。塵倫役は西田良也さん(三年)だ。やはり市内の神楽団に属しており、「生涯神楽をしていくために、卒業後は地元で就職したい」と希望している。

「他校には負けたくない」と話していた奥原さんの言葉通り、吉田高の演舞には切れと深みがあった。塵倫が従える鬼は四匹も出てきてスケールが大きい。バチ、バチと床を叩きながら舞うので迫真の恐ろしさだ。塵倫と帝らが戦うシーンでは、舞い手がぐるぐると回転する。その速度は他校の追随を許さなかった。

 ついに塵倫は討ち取られて舞いが終わる。割れんばかりの拍手。西田さんは「最高!」と壇上で叫んだ。

 吉田高の三年生は神楽甲子園が引退の舞台になる。「最後に皆で楽しく舞えました」。緊張していた奥原さんの顔が、高校生に戻る。

 暑い夏が終わった。

(葉上 太郎)

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