いじめ、DV、過労……「苦しみから逃げない人」は、なぜ逃げないのか

いじめ、DV、過労……「苦しみから逃げない人」は、なぜ逃げないのか

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 近年の動向を見ていると、いじめや家庭内暴力、長時間労働で苦しんでいる人たちに我慢を強いるのではなく、第三者がその苦難を理解し、「逃げていい」と言ってあげられる世の中になりつつあることは、大変すばらしいことだと感じます。

■「それでも逃げないのはただのバカ」などと心無い言葉

 しかしその一方で、未だに強い存在感を放っているのが、「逃げられなかった人」に「逃げようと思えば逃げられるのに、それでも逃げないのはただのバカ」など、心無い言葉を投げつける人々の存在です。例えば、いじめを苦に自殺してしまった学生のニュースに対して、コメント欄に「メンタルが弱すぎる」とか「学校に行かなければいいだけの話」というコメントがたくさん付いてしまうように――。

 彼らは、自分以外の痛みには鈍感で、当事者がどういった状況にあるかを慮ったり、想像力を働かせることができないばかりか、「自分の意見は人よりも優れている」と信じているように思えます。そしてその高説を武器にして、傷を負っている人たちをさらに攻撃しようとするのですから、非常に厄介です。

 堪え難い苦しみの中にいる人が陥りやすい思考の傾向については、まだまだ世間一般に広く知られているとは言えません。渦中の人に心無い言葉を投げかける人たちがあとを絶たないのは、彼らが「心身が健康な人の思考パターン」と、「そうでない人の思考パターン」の違いを理解していないことが大きな要因でしょう。

■「この状況が死ぬまで続くのだろう」と絶望した

 生活環境による思考能力や判断能力の変化は本当に恐ろしいもので、いわゆる「正常な判断」ができなくなってしまいます。

 以前『「貧困は怠慢だ」と言っている人が知らない「見えざる弱者」の実情』で書いたとおり、私は機能不全家族に生まれ、1人で家を出るまでの間、兄の家庭内暴力に悩まされながら生活してきました。母も同様に、息子からの日常的な暴力や罵声、金銭の要求に苦しみ、家出をくり返したり、自殺願望を抱くほどに追い込まれていました。そんな生活を15年以上続けた私たちは、次第に「何をしても無駄だ」とあきらめ、「この状況が死ぬまで続くのだろう」と絶望し、自分たちの人生を呪いました。

 もちろん、初めから何もしなかったわけではありません。母は、成長するにつれてどんどん粗暴になる兄をなんとしてでも食い止めようと、あれこれ試行錯誤していましたし、暴力に屈しない姿勢を示したり、兄の精神状態を心配して、病院へ連れて行くことも視野に入れていました。私もまた、家庭内暴力を解決するためにさまざまなアプローチを探したり、警察に通報することも考えました。

 しかし、いくら調べても現実的な手段は無く、のちに起こりうる報復などのリスクも踏まえると、(あくまで)この国では、家庭内暴力の解決については「その場しのぎ」にすらならない選択肢しかなく、ただただ暴力に耐えることしかできなかったのです。

■思考パターンが変わり、正常な判断ができなくなる

 アメリカの心理学者・セリグマンは、1967年に「学習性無力感」という理論を発表しています。「学習性無力感」とは、いじめや監禁、暴力など、抵抗や回避が困難な状況に長期間さらされ続けた場合、

(1)自らその状況を脱する行動を起こさなくなる

(2)何をしても状況が変わらないと感じ、「努力すれば脱出できるかもしれない」とすら考えられなくなる

(3)ストレスの原因から逃れられない状況で、情緒的に混乱をきたす

 など、過度のストレスを受けながらも回避行動を行わない人が一定数いることを実験で証明し、彼らの行動の心理的根拠を裏付けたものです。

 私と母は、おそらくこの「学習性無力感」に陥って、「死ぬくらいなら、この身一つででも逃げればいい」という、生物としての「正常な判断」ができない状態にあったのだと思います。私が家から逃れられたのは、今にも自殺しそうな私の身を案じた「第三者」が、数年にもわたって、根気強く「とにかく逃げろ」と説得し続けてくれたためでした。

 初めは「何も知らないくせに。どうせ無駄なんだから、放っておいてくれ」と否定的な態度を取っていた私は、今思えば「井の中の蛙」で、狭い世界に閉じ込められていたのです。このような状況下では、過酷な環境から自力で脱出するのは困難であり、第三者からの「外的刺激」がなければ二度と抜け出せないケースもあるでしょうから、私はとても幸運だったと思います。

■信頼できる第三者の介入が不可欠

 一方で、母はまだ、兄との縁を断ち切れず、苦しい日々を過ごしています。私も、顔も名前も知らない誰かから「母親を置いて逃げたお前も同罪だ」と批判を受けることが多くあります。

 私は実家にいる頃から、母に何度も「一緒に逃げよう」と提案をし、必死に説得してきました。しかし母はいつも「私が産んだ子だから、私が責任を取らないといけないし、逃げられない」と泣くばかりで、説得に応じることはありませんでした。

 母はまだ、井の中の蛙です。外の世界にどれほどの可能性があるのかを、まだ知りません。私は今、母が誰にも知られず避難できる場所を確保したり、兄への金銭の支払いを肩代わりしたりしながら、母への説得を続けています。もちろん、ただただ金を毟られるつもりは毛頭ありません。次の一手を打つための準備は進めています。

 母の置かれている環境が異常であることに気が付いて危機感を抱いているのは、今、この世界に私だけでしょう。ですから、今度は私が「第三者」になって、当事者である母が「逃げよう」と決心できるまで、何年かけてでも、外的刺激を与え続けなければならないと思っています。

 私がこの文章を書いたのは、読んだ人にとっての「身近な誰か」が「逃げないのではなく、逃げられないのかもしれない」ことに気が付いてほしい、という思いからです。1人でも多くの人が「心身が健康でない人の思考パターン」を理解し、脱出を手助けすることができれば、「逃げられなかった人」の未来は変わるのではないか、と考えています。

(吉川 ばんび)

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