Aマッソに金属バット……米国の「キツい人種差別コメディ」との違いは何か?

Aマッソに金属バット……米国の「キツい人種差別コメディ」との違いは何か?

大坂なおみ氏 ©getty

「大坂なおみに必要なものは?」

「漂白剤。あの人日焼けしすぎやろ!」

 漫才コンビのAマッソが9月のライヴ公演で発したこのジョークに対し、黒人差別だとして即座にバッシングが起こった。2日後にはAマッソと所属事務所のワタナベエンターテインメントが謝罪コメントを発表。その翌日、この件をイギリスBBCのスポーツ・セクションが報道。その数日後には大坂なおみ選手本人が以下のツイートを行なっている。資生堂は大坂選手のスポンサー企業のひとつである。

「"日焼けし過ぎ"(笑)これはすごいね。彼女たちは知らないと思うけど、資生堂アネッサのパーフェクトUVサンスクリーン使ってるから日焼けしたことないの」

■「黒人が触ったもん座れるか!」

 Aマッソの件とほぼ同時に、吉本興業の漫才コンビ、金属バットが昨年12月のライヴ公演で使ったネタも黒人差別として掘り起こされた。

 以下は批判されている箇所からの抜粋だ。

小林圭輔「生麦を食べるのは人間にあらず。生米を食べるのは人間にあらず。生卵を食べるのは日本人特有の文化だ。すなわち日本人は人間にあらず。イエローモンキーなのである」

友保隼平「差別が入ったわ。あんたムチャクチャやわ、ほんとに。名誉白人ぶってるもん、お前」

小林「黒人、白人、黄色人種。みんな合わせて地球人」

友保「いいね、いいねぇ! 黒人も白人も黄色人種もね、差別なく、地球っていうひとつの星に住んでんねんから。地球人、差別なくキレイに生きよ。いいこと言ってんのよ、本当にねぇ。山田くん、ちょっと。コバちゃんに座布団、えー、40キロ持ってきて。黒人に運ばせてよ」

小林「なんで黒人に運ばすの。なんで黒人に運ばすのよ、お前。黒人が触ったもん座れるか!」

(2019年12月16日に東京・新宿のルミネtheよしもとで行われたイベント「余韻」より)

■「アメリカにも同様のコメディがある」という指摘もあるが……

 一部のファンからは人種差別にアンチを唱えるための風刺であり、すべての人種をネタにしている、特にアジア系を「イエローモンキー」と呼んで自虐している、アメリカにも同様の手法を取るコメディ番組があるといった声が出ている。

 アメリカは風刺コメディの根強い文化を持つ。コメディアンの多くが政治も含めて時事問題を取り上げ、人種問題も欠かせないネタとなっている。近年ようやくヒスパニックやアジア系のコメディアンも台頭し始めたが、圧倒的多数を占めるのは白人と黒人であり、特に黒人コメディアンにとって人種問題は必須のネタだ。

 北米に初めて黒人が連行されて今年はちょうど400年目にあたる。以後、奴隷制は約250年にわたって続き、奴隷制終焉からまだ150年少々しか経過していない。奴隷解放後もあらゆる黒人差別が続き、今も黒人であるというだけで殺害の対象にすらなることがある。

 こうした背景があるからこそ黒人にとって人種問題は非常に重要であり、黒人への警察暴力に抗議するための「ブラック・ライヴズ・マター」運動も生まれた。同時に人種差別をコメディに昇華し、自ら笑うことでカタルシスを得る(ネガティヴな表現によって逆に精神を開放させる)作業も必要となる。

 つまり、現実の黒人差別が今も厳しいからこそ、黒人コメディアンの表現も過激になり、白人への強烈な揶揄(笑い者にする)も含まれる。その一方、白人コメディアンは人種ネタに慎重にならざるを得ない。黒人を「黒人である」というだけの理由で笑い者にすることは出来ない。黒人を個の人間と認めず、黒人であるというだけで貶める言動こそが、まさに人種差別だからだ。

 アメリカのこうした人種コメディ事情を知るために、以下に3つのコメディ――「黒人コメディアンによる過激なネタ」、「白人コメディアンによる自虐ネタ」、「白人クリエイターによる際どいネタ」――を挙げる。

■ケーススタディ1:白人至上主義者になった黒人

 黒人コメディアンによる人種コメディには"名作"とされるものがいくつもある。デイヴ・シャペルの「Frontline - Clayton Bigsby」もそのひとつだ。シャペル演じる老人が、なんとKKKのメンバーという突拍子もない設定だ。

 KKKはかつては黒人の殺害をも厭わなかった白人至上主義団体だ。生まれつき盲目だった老人は幼い時期に盲学校に入学するが、唯一の黒人であることを不憫に思った白人の校長が「あなたは白人」と信じ込ませる。自分は白人であると疑わず成長した老人は黒人を忌み嫌い、やがてKKKに入団するのである。白人の偽善、差別主義者の愚かさ、黒人のセルフ・ヘイト(自己への憎悪)をこれでもかと過激に詰め込んだ傑作だ。

■ケーススタディ2:白人の自虐ジョーク

 あえて人種ネタに挑む白人コメディアンもいるが、ジョークの内容には慎重だ。

 白人コメディアンのコーナン・オブライエンは自身の番組内のコーナーで、ラッパー/俳優のアイス・キューブ(黒人)、コメディアンのケヴィン・ハート(黒人)と共にタクシーに乗り込み、トークを繰り広げた。キューブとハートは途中で車を停めさせ、オブライエンにスナック菓子を買いに行かせる。オブライエンが車外に出るや、ハートがヒスパニックの運転手に質問する。「白人のこと、好きか?」。


 この一言で大きな笑いが取れるのは、番組ホストであるオブライエンの巧みさゆえだ。頼りない白人が黒人に使い走りに出され、挙句にこっそり「白人は嫌いだ」と言われてしまう。つまり白人の自虐ジョークなのである。

■ケーススタディ3:差別主義者と非難される白人の恐怖

 白人による人種コメディにも過激なものがある。大人向けのTVアニメ『サウスパーク』は常に社会問題を取り上げ、すでに20年以上続く長寿番組だ。番組クリエイターは2人の白人男性であり、主人公はほぼ白人ばかりの街に住む4人の小学生男子。ユダヤ系1人を含むが、全員が白人だ。

 あるエピソードでは主人公の1人、スタンの父親がテレビのクイズ番組で勘違いから「Nワード」を口走ってしまう。人種差別の意図はなかったといくら説明しても父親への風当たりは強くなるばかりで、スタンも学校で唯一の黒人生徒と対立してしまう。そこに実在の白人コメディアンで、実際に舞台でNワードを使ったために仕事を干されたマイケル・リチャーズが絡む。

 最後はスタンが「Nワードを使われた黒人の気持ちは自分には分からない」と悟り、それによって黒人生徒と和解する。

 このエピソードのポイントは、スタンの父親がクイズの答えをNワードだと思った理由だ。ヒントが「イラつく人々」だったからであり、つまり父親が無自覚の人種偏見を抱えていたことを示している。

 『サウスパーク』はこのように非常に鋭い視点がみられる一方、「社会問題に目覚めた白人男性による、社会問題に目覚めた白人男性のための番組」という評がある。上記のエピソードも人種差別主義者と謗られる白人側の恐怖を誇張して描いている。かつ、わずか22分の番組中、Nワードが40回以上も使われ、そのほとんどが白人キャラクターから発せられる。

 いずれにせよ、登場人物がほぼ白人ばかりであることから『サウスパーク』を観る黒人視聴者は少ない。

■金属バットは完全に一線を超えていた

『サウスパーク』は人種差別に鈍感な白人への風刺ではあるものの、Nワードを意識的に乱発しており、相当に際どい。しかしながら「Nワードがいかに黒人を傷付けるかを描いている」とも評され、2007年のオンエア当時は賛否両論が出た。そこから金属バット擁護に『サウスパーク』を持ち出す声があったが、二者は比較対象にならない。

 金属バットの「黒人が触ったもん座れるか!」は完全に一線を踏み越えているからである。このセリフは「黒人に触れたくない」という生理的嫌悪を表すものであり、人間を人間として見做さない「dehumanization(デヒューマナイゼーション)」だ。人種差別のリアリティ描写を追求する映画やドラマは別だが、コメディにおいては、まず使われないタブー表現だ。

 転じて日本の人種コメディ事情を考えてみる。アメリカと異なり、黒人奴隷制度があったわけでなく、日本での黒人の歴史は短く、人口も極端に少ない。ゆえにコメディアンも観客も「自分の周囲にも黒人がいる」「日本で生まれ育った日本人にも黒人がいる」「彼らもこのネタを耳にしている」とは意識せず、アメリカやアフリカ経由のイメージ上の黒人、生身としては存在しない黒人を想定してネタにし、笑う。「身近にいないから仕方がない」と擁護する向きもある。しかし、これこそがまさに「dehumanization(デヒューマナイゼーション)」であることを忘れてはならない。

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追記:10月1日、金属バットの以下の差別発言が含まれた2012年のライヴ公演ヴィデオの存在が新たに報じられた。
「猿とエッチしたらエイズになるわ」
「黒人とかな」
(「 Buzzfeed Japan 」より)

(堂本 かおる)

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