即位の礼に合わせて「天皇家の故郷」を観光したら、予想以上にカオスだった

即位の礼に合わせて「天皇家の故郷」を観光したら、予想以上にカオスだった

宮崎市の「八紘之基柱」。現在では「平和の塔」と呼ばれる

 来たる22日、「即位礼正殿の儀」が行われる。皇統譜によれば、新天皇は126代目にあたる。古式ゆかしい儀式とともに、日本神話にもあらためて注目が集まるだろう。

 初代の神武天皇は、日向(現・宮崎県)を船出して東進し、大和(現・奈良県)の橿原で即位したとされる。そのこともあり、宮崎県は「天皇家の故郷」ともいわれ、神話観光が盛んに宣伝されている。

 ただ、神話はしばしば愛国のネタに使われる。神話観光で、神話と歴史が混ざってしまうリスクはないのだろうか。今回その実態を見に行くことにした。

■神武天皇と史実が結びつく港町

 まず向かったのは、県北・日向市の美々津である。美々津は、神武天皇が船出した地だ。『古事記』や『日本書紀』にその記述は見えないが、地元の伝承ではそうだとされている。

「そんな曖昧な……」と思うかもしれないが、神話観光は終始このノリなので、まず感覚を慣らさなければならない。地元の伝承。このマジックワードは、あらゆる困難を突破する。

「神武天皇御舟出の地 美々津」。そんな看板に迎えられながら、国道10号線より町中に入る。歴史ある港町の美々津には、腕の立つ船大工によって江戸時代や明治時代に立てられた立派な町家が幾つも残っており、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。

 これだけで十分な観光資源のように思われるが、やはり神武天皇は欠かせないらしい。

 見渡すと、町のあちこちに、古代船を彫刻した木製の郵便受けが設置されている。この船は、神武天皇が乗ったとされる「おきよ丸」だ。

 この名前は、風の都合で予定よりも早く出航する天皇一行を、村人が「おきよ、おきよ」と互いに起こし合って見送ったという伝承にちなむ(異説あり)。1940年には、皇紀2600年を記念して「おきよ丸」が復元され、美々津から大阪まで記念航海が行われてもいる。

 地元のひとの話によれば、この郵便受けは、伝建地区に指定されたのち高齢者によってひとつずつ手作りされたという。江戸時代の町家と神武天皇がナチュラルに結びつく。これが美々津の姿である。

■「神武天皇っていうと、(存在を)疑われるんですよ」

 美々津はとにかく、神武天皇に関係する伝承が多い。

 神武天皇は、出航のときに着物の綻びに気づいた。だが、脱いで繕っている暇はない。そこで天皇は、立ったまま臣下に綻びを縫わせた。そのため、美々津は別名「立縫(たちぬい)の里」ともいう。

 また「おきよ丸」は、沖合の黒島と八重島の間を通って旅立った。そして二度と帰らなかった。そのため、地元の漁師は験を担いでいまでもそのルートを避けるという。

 観光案内してくれた地元のひとは、「神武天皇っていうと、(存在を)疑われるんですよ」と悲しげだったが、伝承としてであれば、こういった話もなかなか味わい深い。

 実際、神武天皇といってもそこまで堅苦しいわけではない。

 港近くの立磐神社には、神武天皇が腰を下ろしたとされる岩が大事そうに祀られている。ただ、近くにある日向市歴史民俗資料館には、この神社の鳥居近くに遊郭があったことを示す明治末から大正の写真が展示されてもいる。

 遊女と巫女の境界が曖昧だった時代の名残だろうか。国家神道の時代のものとは思えない。このような緩さも、田舎町の風情と相まって観光客を楽しませてくれる。

■八紘一宇の塔の弟「日本海軍発祥之地」

 その立磐神社のすぐ近くに、変わった形の石塔が立っている。「日本海軍発祥之地」の碑がそれである。

 日本軍は、天皇が統率する。だから、海軍の由来は神武の東征だ。その発想から、アジア太平洋戦争中の1942年9月、この記念碑が美々津に立てられた。文字は、首相、海相などを歴任した米内光政の書によった。その下には、やはり「おきよ丸」のミニチュアが備え付けられている。

 制作した彫刻家の日名子実三は、宮崎市内にある「八紘之基柱」(1940年)や、「皇軍発祥之地」(1941年)のモニュメントでもよく知られている。つまり「日本海軍発祥之地」は、あの八紘一宇の塔の弟なのである。

「八紘之基柱」は、戦後に文字などが削られ、「平和の塔」と改称された。同じように「日本海軍発祥之地」も、戦後に碑文が破壊され、「平和の碑」などと呼ばれるようになった。ただ、1969年9月、「地元有志の強い要望により、防衛庁(海上自衛隊)などの協力を得て、現在の通り復元された」(案内板)。

 この日は降ろされていたが、普段は隣接するポールに旭日旗が翩翻とひらめくという。ゆるやかな稜線を背景に、歴史的な建物が並ぶ町並みにあって、天に向かって雄々しくそそり立つ石塔は、帝国海軍の旭日昇天の勢いをいまに伝えながらも、やはり独特な印象を与えずにはおかなかった。

■神武天皇には、なんと複数の生誕地が存在する

 ところで、この神武天皇は一体どこで生まれたのだろうか。宮崎県内には、なんと複数の生誕地が存在する。これらもすべて伝承にもとづく。

 そのひとつは、県南・日南市に鎮座する鵜戸神宮付近である。太平洋の荒波が寄せくる日向灘に面する、本邦一級の景勝地だ。社殿は、潮の香が鼻をつく洞窟のなかにある。かつて日本を親善訪問したヒトラーユーゲントも、ここを詣でたという。

 ヤシの木が茂り、白い砂浜が続く南国の景色を楽しみながら、宮崎市よりひたすら南下すると、山間に入り口が現れる。

 この日は、台風19号が本州を襲った日だった。宮崎は30度を超す快晴だったが、波は激しく、岸壁にぶつかっては炸裂し、飛び散った。そしてしぶきは雨のごとく降り注ぎ、濛々たる靄となり、ときに薄い虹を作った。

 眼前の巌はこのような波に侵食され、なめらかな表面を持ついっぽうで、まるでキノコが生えたような突起も持っていた。まことに奇観である。ずっと眺めていても飽きが来ない。誰もがスマホやカメラを構えて、なかなかその場を離れなかった。

 ここは、神武天皇の父であるウガヤフキアエズの生誕地ともいわれる。だが、海を見ているうちに、そんなことはどうでもよくなってしまった。

 そういえば、宮崎市と鵜戸神宮の間に位置する青島神社には、日向神話館なる施設があり、神話の場面ごとに蝋人形が展示されていたのだが、入口と出口には、毎年参拝にくる読売巨人軍の選手の写真などが展示され、神話よりも目立っていた。長嶋茂雄にいたっては蝋人形も作られ、「神」扱いに近い。

 神武天皇の祖父ホオリなどを祀る神社なのにこの状態。まさにカオスだった。そんな土地柄だから、あまり細かいことを気にしても仕方ないのかもしれない。

■南北にふたつある「神都高千穂」

 神武天皇の曽祖父ニニギは、高天原より高千穂に降り立ったとされる。この天孫降臨の神話は記紀に記されているが、その高千穂の具体的な場所は特定されていない。

 古来より、県北西部の高千穂町と県南西部の高原町が、有力な比定地とされている。公式ウェブサイトでは現在、前者が「神話と伝説の町」、後者が「神武の里」となっている。つまり高千穂は南北でふたつあるわけだが、神話のことなので、われわれがそれほど真剣に考える必要はない。

 今回は、北の高千穂町を訪れた。街なかの案内板にいわく、「天孫降臨の地 神都高千穂」。まことにパワーワードである。

 この町にも、やはり神武天皇生誕の地が存在する。ニニギが降臨したとされる?觸(くしふる)山にある、「四皇子峰(しおうじがみね)」と呼ばれる場所がそれだ。ここで、神武天皇を含む四兄弟が生まれたという。

「神都」だけにどんな場所なのだろうと期待して行ったが、ずいぶんと殺風景だった。山の中腹に、開けた場所があるにすぎない。すぐ近くには、ニニギたちが高天原を仰ぎ見たという高天原遥拝所なる仰々しい名前の場所もあったが、こちらも小さな祭壇があるだけ。ほかに観光客はゼロ。いささか拍子抜けしてしまった。

■カオスを「自覚的に」楽しんだほうがよい

 もっとも、高千穂町自体が閑散としているわけではない。観光地として名高い高千穂峡(真名井の滝で知られる)はもちろん、山奥に位置する天岩戸神社も、観光バスが何台も止まり、ツアー客がぞろぞろと境内に入っていくほど大賑わいだった。

 天岩戸といえば、アマテラスが引きこもったとされる洞窟である。それを踏まえてか、近くには「あまてらすの隠れテラス」なる休憩所があった。

 もっとも、ここまで足を運ぶ観光客なので、引きこもり知らず。軽く休んで、ぐいぐいとつぎの場所に進んでいく。そして会話といえば、パワースポット、スピリチュアル、インスタ映え。まさにたくましい現代消費者の姿だった。

 日本神話というと、都市部では、とかく愛国を標榜する怪しげな商売のネタになりがちである。だが、ここ宮崎では、そんな陰険な雰囲気はない。南国気分の海岸に、神秘的な渓谷。観光地として良質だから、ことさらにいかがわしいアピールをする必要がないのだろう。

 たしかに、天岩戸神社の鳥居近くには「日本の政治は日本人の心で」などという古びた看板が立てられていた。ただ、その近くには「超古代史の郷 天岩戸神社」などという真新しい看板も掲げられていた。いうまでもなく、超古代とは、ムー大陸やアトランティス大陸など、オカルト的な文脈で使われる言葉だ。

 ようするに、ざっくりしているのである。適度にいい加減で、ぼんやりした神話観光。それは神話や歴史以上のものが混ざり合い、予想以上にカオスだった。神経質に「神話を史実のごとく解説するのはけしからん」といちいち批判するのも結構だけれども、ことここにいたっては、むしろこの混沌ぶりを「自覚的に」楽しんだほうがよい。

 そのなかで、あまりに自由自在な案内板や展示を読み解き、「あ、これは少なくとも史実ではないな……」と考えるにいたる。景勝地がその圧倒的な魅力で人々を吸引する現実の前では、それに期待をかけるほかないのではないだろうか。

■参考文献
「八紘一宇」の塔を考える会(編著)『新編 石の証言』改訂版、鉱脈社、2017年。
宮崎市神話・観光ガイドボランティア協議会(編著)『ひむか神話伝説 全212話』補訂5刷、鉱脈社、2018年。

写真=辻田真佐憲

(辻田 真佐憲)

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