“箱根駅伝を知らない”青学OBの下克上 「“山の神”の補欠」橋本崚がMGCで考えたこと

“箱根駅伝を知らない”青学OBの下克上 「“山の神”の補欠」橋本崚がMGCで考えたこと

MGCで5位に食い込んだ橋本崚。GMOアスリーツ所属

 9月に行われた東京五輪のマラソン代表決定戦・MGC。

 2位までが五輪の代表に決定、3位でも選出が濃厚となる大レースで、出場選手の多くは、お正月の風物詩となった箱根駅伝でのスターランナーたちだった。

 そんな中、上位に入ったランナーに、ひとりだけ箱根駅伝を走ったことのない選手がいた。

 日本最高峰のマラソンレースで5位に食い込んだ男は、なぜ大学時代の苦節を乗り越え、ここまで力を伸ばすことができたのだろうか――。

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■大迫傑、服部勇馬を出し抜くスパート

「勝つには、ここで行くしかない」

 ほんの一瞬、自信と恐怖心が釣り合いかけた天秤を押し切って、橋本崚は勝負のスパートをかけた。

 舞台は東京五輪のマラソン代表を決めるMGC。39kmを過ぎたあたりだった。

 それまで聞こえていた人垣からの声援も耳に入らなくなるほど集中して、橋本はこのタイミングで一気にギアを上げた――。

 実はこの日、最もメディアルームが騒然となったのは、橋本が仕掛けに出たこの瞬間だったかもしれない。

 中村匠吾(富士通)や服部勇馬(トヨタ自動車)、大迫傑(ナイキ)ら日本を代表する錚々たるメンツを相手に、レース前には決して前評判の高くなかった橋本が先手を取って仕掛けたからだ。

「もともと上りが得意なので、急な上り坂が2回あるポイントを狙っていて。40kmと41kmあたりに上り坂があるので、39kmあたりから仕掛けようと考えていました。最初に仕掛けるのはちょっと怖いなという気持ちもあったんですけど、最後の1kmになったら、スピードの無い自分はそれこそ勝てない。本気で優勝を狙っていたので、勝つにはここが一番可能性があると思って仕掛けました」

 結果的にそのスパートは中村、服部、大迫の3人に反応され、橋本の代表入りは叶わなかった。だが、事前の評の低さを覆し、積極的な走りを見せた橋本の姿は多くのファンやメディアの脳裏に刻まれることになった。

■箱根経験ゼロ――異質な経歴

 そして、もうひとつ印象的だったのが、橋本が上位のランナーたちの中でただ1人、箱根駅伝を“走ることができなかった”選手だったということだ。

 昨今の日本長距離界は、箱根駅伝とともにあると言っても過言ではない。事実、実業団やプロなど日本のトップクラスで活躍するランナーのほとんどが箱根駅伝での出走経験を持ち、多くがエースとして活躍した選手たちだ。

 だからこそ、橋本の経歴はより異質に映った。

 橋本が箱根を走れなかったのは、強豪・青山学院大学の出身ということが最大の理由だ。実は当初、橋本が青学大を進学先に選んだのは、「箱根駅伝を走りやすそう」だったからだ。入学前年度の箱根駅伝で青学大は5位。その他に声をかけてくれた強豪大学よりも、箱根を走る競争率が低そうだと考えたのだ。

 ところが、橋本が進学後に青学大は予想外の躍進を遂げることになる。

■青学では「ずっと11〜16番手だった」

 同期には後に「三代目・山の神」となる神野大地(セルソース)に加えて、久保田和真(九電工)、小椋裕介(ヤクルト)ら、高校時代から実績豊富な選手が揃った。彼らを中心に、原晋監督の指導の下でチームは力をつけ、箱根駅伝での初優勝をはじめ黄金時代のはじまりをむかえたのだ。

「自分が自己ベストを出していっても、強い後輩がどんどん入ってくるんですよね。2年生でやっと箱根駅伝の16人のエントリーに入って、普通だったら先輩が抜ければ10番手には入るんですけど、そこに強力な後輩が入ってくる。なので、ずっとチームで11番〜16番みたいな感じで。箱根を走れる10番以内が遠かったですね。練習していても、『こんなに練習しても走れなかったら意味ないよなぁ……』みたいな。結構、思う瞬間はあったんですよ。今考えるとネガティブだったなと思うんですけど。いまでもそういうシーンは覚えていますね」

■「ケガから復帰したばかりの神野の方が速かった」

 大学2年時以降はいずれの年も、坂への適性を認められ、箱根駅伝の象徴でもある山上りの5区の有力候補になった。だが故障もあり、最後まで同期の神野を上回ることはできなかった。

「最後の年は神野が箱根本番の3週間前くらいにケガから復帰したんですよね。それでも本番前には僕が半年かけてやってきたタイムよりも、神野の方が速くて」

 結局、最後まで神野のスタート前のアップや給水の手伝いなど、チームを支える裏方の立場だったという。

 そんな大学時代の経験をバネに、反骨精神で社会人では成長できたのだろうか。そんな話を振ると、橋本は少し戸惑ったような表情を見せた。

「うーん……確かに大学の時は、箱根は走れなかったんですけど、1年間故障していた3年生の時以外は、毎年自己ベストを出していました。自分のベストの水準が低かったのでレギュラーにはなれなかったんですけど、成長している実感はあったんです。だから、『悔しい』というよりは『しょうがない』という気持ちが強かったですね」

 これは少し意外な答えだった。

 いまの日本で箱根駅伝を越えるような大きなスポーツイベントはほとんどなく、多くの学生ランナーはそこを目指して日々、鍛練を積んでいる。橋本自身も高校時代は箱根駅伝に出ることを最大の目標として、青学大へ進学している。そんな思いの強さと比べると、4年間の雌伏の時を語るには、あまりに冷めた感想だと思ったからだ。

■「社会人になったら伸びるよ」恩師・原監督の言葉

 ただ、その理由を聞くにつれて、徐々にそこに橋本の強さのわけが見えてくる。

「なんというか、『そんなに俺、弱くないよな』という自信がずっとあって。試合は出られていなかったですけど、さっき言ったようにベストは毎年出せていましたし、自分を卑下することはなかったですね。だから腐らずできたのかなと思います。結局、箱根駅伝は走れなかったですけど、納得して練習はできていましたから。なので大学後も競技を続けるのは迷わなかったですね。声をかけてくれるところがあれば続けようと。箱根を走れなかったからモチベーションがなくなる、とかは全然なかったです」

 橋本が言う自分への「自信」。

 それはスポーツにおいては非常に大きな要素だ。実際の走力は大前提として、その時点での自分の力を100%出すためには、自分を心から信じることが必要である。個人種目であり、自分と向き合う時間が長くなる長距離種目では、不可欠だ。

 口で言うのは簡単だが、これが難しい。特に大学時代の橋本のように、なかなか目に見える結果を出せていなかった中では、そういう心境になることは相当難易度が高いはずだ。どうしてもどこかで自分の能力や、周囲の環境を疑う気持ちが出てきてしまう。それでも橋本が自信を失わなかったのは、恩師の存在も大きかったという。

「原監督は今でも『お前は昔から強かったもんな』と言ってくれるんです。監督はずっと『お前は強いから、いまは結果が出なくても社会人になったら伸びるよ』と言ってくれていて。GMOアスリーツから声がかかった時もすぐに話を進めてくれたので、伸び代はなんとなく感じてくれていたんじゃないかと。だからこそ、いまになっても『お前、強くなったな!』という感じはないです(笑)。普通に『頑張ったな』という感じで、原監督にとっては予想通りなのかもしれません」

 その反応こそが、橋本への最大級の賛辞とも言えるのかもしれない。

 そんな恩師の言葉も励みにして、橋本は“箱根の無い”大学時代も自分への自信を失うことなくトレーニングを積むことができた。そして、そんな心の強さは、マラソンという種目への挑戦で開花することになる。

■駅伝よりマラソンに向いていた理由

 2レース目に走った2016年の防府読売マラソンで初優勝を飾ると、その後も安定した成績を残し2019年の別府大分毎日マラソンで初のサブテン(2時間10分以内の記録)とMGCの出場権を獲得する。これは神野らを抑え、青学大出身者として初のMGC出場権獲得だった。

「社会人になってからは、もちろん練習もしましたけど、結果が出るまでにもっと時間がかかると思っていました。MGC含めてすでに7回マラソンを走ったんですけど、『10回目くらいでようやくサブテンだろうな』と思っていたので。意外と早くマラソンに適応できた感じです」

 マラソンは駅伝以上に「自分との戦い」が占める要素が大きい。40km以上の長丁場を、「絶対に行ける」と思い続けて走らなければならないからだ。

 距離が長い分、少しでも「無理かもしれない」という想いが頭をもたげ、心が折れれば走りきることさえ難しくなる。

 だからこそ、橋本はマラソンが自分に向いていたと考えている。

「駅伝を走るときって、すごく周りの選手を見ていたんです。『飛びだしたらついていかなきゃ』とか『仕掛けには反応しなきゃ』とか。でも、マラソンだとあんまりそういうことがないですね。とにかく人に流されずに、自分の走りをする。それで勝てなかったらしょうがない。仮に仕掛けを追わずに負けてしまっても、追わない思考になった自分の弱さだと思えます。他のレースだとそういうミスが納得できないと思うんですけど、マラソンだと『これだけやって来たんだし、負けてもしょうがないか』と思えるんですよね」

 勝つのも負けるのも、すべて自分の準備次第。マラソンが持つそんなプレッシャーも、橋本にとっては心地よいものだった。

「大学時代って、もう走る全部が選考レースみたいな感じで、年に何度も調子を合わせないといけなかったんです。ポイント練習も絶対にミスできなかった。それに比べればマラソンは1回くらい練習を設定どおりにできなくても、後から取り返せるし、レースの日程も決まっていて出られなくなることもない。なので僕はマラソンの方が好きですね。逆に大学時代に1年間に何回もピークをあわせないといけなかった経験が、いま活きているとは思いますけど」

■「僕、結構自己中なんですよ(笑)」

 本人も不思議なのだそうだが、トラックレースでは名前負けしてしまうような選手にもマラソンでは引かずに戦えるという。だからこそ、マラソンという競技への想いは強い。

「駅伝は自分が外すと周りに迷惑をかけるし、逆に失敗した選手がいるとどうしても『なにやっているんだよ』みたいな気持ちも出てしまう。僕、結構自己中なんですよ(笑)。でも、マラソンは本当に自分との勝負という感じがします。最近は箱根をはじめ駅伝から陸上競技に入る人も多いですし、僕も駅伝は好きですけど、やっぱり陸上競技って最後は個人競技なんだと思います」

 淡々と、クールに自分の過去を振り返る橋本の語り口は、常に穏やかだ。

 いまでも後輩たちの駅伝の結果は気になるし、同期の選手たちの動向も気にはしているという。これからはニューイヤー駅伝に向けたトレーニングも始まる中で、チーム想いの一面はもちろん、ある。

 ただ、実はその根底には誰よりエゴイスティックな、マラソンランナーとしての矜持があるような気がした。

■――「もし箱根駅伝を走っていたら」と考えることは無い?

 そんなことを思ったので、最後に、こんな意地悪な質問をしてみた。

――成長したいまだからこそ、「もし箱根駅伝を走っていたら」と考えることは無いですか?

「そうですね……。『もし走っていたら、どのくらいの記録が出たんだろう』とかは考えることはありますね。でも、そのくらいですよ(笑)」

 想像で振り返った箱根路でも、相手は山の神でもなければ、他チームの選手でもない。あくまでも、敵は自分。

 考えれば、当たり前かもしれない。

 だって橋本は、自分が「強い」と誰よりも知っているのだから。       

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 今後は駅伝シーズンを経て、2024年のパリ五輪を狙って走っていくという。いまこだわっているのは、マラソンで「勝つ」ことの重要性だという。

「結局、MGCを決めたレースも5番で、今回のMGCも5番だったんです。結果に納得はしているんですけど、勝ててはいない。優勝した時の感覚をまた味わいたいんです。どんな形でもいいから勝って、勝つことで次につなげて行ければいいかなと思います」

「2時間6分台までは想像できている」という橋本は、これからどんな結果を残していくだろうか。

写真=松本輝一/文藝春秋

(山崎 ダイ)

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