「窪、谷、沢」がつく地名は本当に危ないのか? 震災後に注目された“災害地名”が参考にならない理由

『災害地名』信じる風潮に危惧 歴史的地名の大半は由来がわからないとも

記事まとめ

  • 週刊誌が『危険・安全な地名につく漢字一覧』を掲載、判断基準として信じる人もいる
  • 千葉県習志野市谷津では『谷』が災害地名だとして、町名を変更する計画が持ち上がった
  • 軟弱地盤でも『良好地盤地名』とされる漢字をつけて売り抜ける事象発生を危惧する声も

「窪、谷、沢」がつく地名は本当に危ないのか? 震災後に注目された“災害地名”が参考にならない理由

「窪、谷、沢」がつく地名は本当に危ないのか? 震災後に注目された“災害地名”が参考にならない理由

東日本大震災で液状化現象に見舞われた新浦安駅周辺(2011年3月13日撮影) ©AFLO

 東日本大震災後に注目された「危険地名」や「災害地名」には、本当に歴史的根拠があるのだろうか? 地図研究家の今尾恵介氏が“地名”の成立と変貌を追った『 地名崩壊 』(角川新書)より、第4章「土地の安全性が地名でわかるのか」の一部を抜粋してお送りします。

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 平成23(2011)年3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)は、マグニチュード9という国内の観測史上最大の地震であった。津波の規模も過去にほとんど例のないもので、869年(平安時代)に発生して大きな津波被害を伴った貞観地震以来とされる。

 東日本大震災では地震そのものによる建物の倒壊率はさほど大きくなかったが、非常に強力で高い津波の与えた被害が空前の規模にのぼったこと、これに加えて軟弱地盤での液状化が広範囲で発生したことにより、地盤に対する世間の注目度はにわかに高まった。

■「危険・安全な地名につく漢字一覧」は参考にならない

 地形と密接に関わる地名そのものに関心が集まるのは結構なことなのだが、無理解に起因する行き過ぎの例が、たとえばある週刊誌に載った「危険・安全な地名につく漢字一覧」と称する表である。これによれば「軟弱地盤地名」には窪(久保)、谷、沢、下、江、海、塩、磯、浦、浜、島、岸、橋、舟、津、池、沼、井、浅、芦、原、稲(その他多数)などの字が用いられ、「良好地盤地名」には山、峰、尾、丘、台、高、上、曽根、岬、森などがつくとして、ずいぶんと簡単に割り切っている。この類の特集は他にも数多く企画刊行され、地名表記に用いられた漢字が土地の安全性を判断する基準になると信じた人も少なくないだろう。

 しかし考えてみれば地名から地質や地形を判断するのはずいぶん無謀な話である。たとえば「窪地には窪のつく地名が発生する」という説明は妥当だとしても、順番を逆にして「窪のつく地名は窪地である」と言ったら大きな間違いだ。狭い範囲を示す小字などを除けば、ある程度の面積をもった現実の大字・町名のレベルでは「窪のつく地名」の大半の領域が窪地ではない。

■大半が武蔵野台地の上にある「荻窪」

 たとえば知名度の高い「クボ地名」のひとつである東京都杉並区の荻窪はどうだろうか。ここの地形を概観すれば、荻窪と名のつくエリア(荻窪・上荻・南荻窪・西荻北・西荻南)の大半は武蔵野台地の上にあり、その南部を流れる善福寺川が浅い谷を形成している。具体的にこのうちどこが地名の由来となった「荻窪」であるのかは特定されていない。地名の由来については「和銅元(708)年にある行者が笈を背負ってこの地に着き、荻を集めて草庵を結び、笈の中の仏像を安置した」(光明院縁起)とか、字義通りに解釈して「荻の繁茂する窪地」などとするものなどいくつかあるが、いずれにせよその窪地がどんな形状であったかは命名者に教えてもらう以外に知る由もない。ただ荻窪関連の地名がついたエリアの大半が台地上にあることだけは明確だ。

■“災害地名”を嫌って町名を変えようとする自治体も

 地名と地形条件が必ずしも一致しないことは、この一例を挙げるだけで十分だろう。前出の漢字一覧を作成した大学教授は、「このような漢字の用いられた土地は軟弱地盤の傾向がある」と相関関係を示しただけであり、元の論文にはさまざまな留保条件が付けられているのは言うまでもない。それでも興味本位でメディアに取り上げられた途端に表の文字だけが独り歩きしてしまう。これが時に「軟弱地盤の漢字は外聞が悪い」として地名を改めようという傾向になることを私は危惧している。

 数年後にそれが現実のものとなったのが千葉県習志野市谷津の事例だ。谷津は古くからの歴史的地名であるが、ある大手不動産会社が開発を行ったエリアを「奏の杜」という町名に変更する計画が持ち上がったのである。ある習志野市議会議員から連絡をいただいたのだが、現地では「谷」の字が災害地名だとする懸念が実際に表明されることがあったという。

「奏の杜」はそもそも地名ではなく企業が創作した商標である。これを正式地名とすることそのものが地名保存の観点からは非常に問題の多い行為であるが、「谷」の字が災害地名の類としてやり玉に挙げられたとすれば、これは地名の将来にとって非常に危うい傾向だ。極端な話をすれば、どんなにズブズブの軟弱地盤であっても(谷津が必ずしも軟弱という意味ではない)、適当に土を被せて「○○台」などと銘打って売り抜ければめでたしめでたしなのか。

■地名から「かつてここに津波が来た」と本当にわかるのか?

 震災の後で、「これが危険地名だ」という類の言説が世に溢れた。たとえば宮城県名取市の上余田・下余田である。余田は「よでん(ようでん)」と読むのだが、ある著者は「かつてはヨダと読んだに違いない」と決めつけ、「ヨダは津波を意味するから、津波が来た証拠」と自説を披露している。しかもヨダを津波とするのは岩手県の三陸海岸の方言だそうで、100〜200キロも離れた場所の方言と「かつての読み(推定)」が一致しているからと地名を推測するのは、あまりにも我田引水ではないだろうか。

 少しでも地名をかじったことのある人なら、余田の字から連想すべきなのは古代の土地制度である。福井県越前市(旧武生市)北部に余田町という地名が現存するが、古代編戸制において50戸で1里とすべきところを、それに満たない端数の村に余部(余戸)と名づけた。素直に考えればその類であろう。はぐり=余りは現代語の「はぐれる」に通じる。

 この著者によれば、秋田県にかほ市の象潟町にある塩越という地名も「津波が越えた」と推定され、福島県いわき市の小名浜や宮城県の女川(女川町)も津波を示す「男波」の変形という。福島第二原子力発電所の波倉は「波がえぐるクラ」。クラの地名が崖を意味するのは一般的な解釈で、当地に海食崖が多く見られるのも事実であるが、日常的な波が長い年月をかけて形成するのがこの地形であり、津波のように1回だけで出来上がるものではない。波倉のナミも海の波とは限らず、他の語であることを検討すべきだ。

 明治期以前から、地名については多方面の学者や在野の研究者、それに愛好家たちがさまざまな側面から研究してきたが、人間の生活──農工業、漁業などの生業関連だけでなく各時代における土地政策や税制などの行政関連、これに加えて民間信仰を含む宗教的な用語、祭礼、雨乞いや豊作祈願などの年中行事や道具の名称や使用法など民俗学的な知見、さらに地理分野では詳細な自然地形の呼称(方言によりさまざま)に始まって河川改修や水防に関する歴史、日照や降水状況といった気候、土地の肥瘠などといった土地条件など、地名の関わる守備範囲はきわめて広大なので、異分野の学者たちが協同作業で向かわないと解明できない難しさがある。

 その点では他分野との協同が苦手な人が多く、共通言語が乏しいといった傾向があったようで、どうしても各自の専攻に偏った解釈を試みる論調が長らく濃厚だった。たとえばアイヌ語学者はアイヌ語、朝鮮語学者は古代朝鮮語にルーツを求めるし、地形学者は地形に重きを置き、民俗学者は人の生活実態に立って論を進めるといった具合である。

■歴史的地名の大半は由来がわからない

 それに加えて、各地に存在する地名に関する伝承が議論に影響することもあれば、それらを全否定したりと混乱しているのが現状だが、いずれにせよ歴史的地名の大半は由来がわからない。「ある大名がこのような理由で変更した」などといった改称の明快な記録が残るものはむしろ例外で、地名を命名した本人に聞かなければわからないのである。そのご本人はとっくの昔にこの世の人ではないので、現代人としてできることといえば、各地に分布する同種の地名を比較検討して条件を考慮し、可能性の高い解釈を求めていくことしかない。

「この類の地名は危険」とセンセーショナルに書き立てれば、あるいは本や雑誌が売れるかもしれないが、いわれなき地名へのレッテル貼りが「飲み屋のネタ」のひとつにとどまらず、悪くすれば個人資産の価値を下げるおそれがあることを考えれば、地名の由来を自己流で断定し、非科学的な「デマ」を広めるのは厳に慎んでほしいものだ。そもそも命名から長らく経過した地名はあくまで広がりをもった存在であり、それをふまえれば「地名の安全性」という言葉自体が非科学的だ。医薬品に適用する法律に照らせば違法となるレベルの「擬似科学」は、そろそろ地名の世界から退場してもらいたいものである。

(今尾 恵介)

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