【ルポ・毒親介護】母親から父親への虐待がはじまった。壊れていく両親を看る息子の葛藤

【ルポ・毒親介護】母親から父親への虐待がはじまった。壊れていく両親を看る息子の葛藤

©iStock.com

【ルポ・毒親介護】うつ、パニック障害を抱え、老親の年金で暮らす独身姉妹の絶望 から続く

「恨みがあっても逃げれらない!」高齢の「毒親」に介護が必要になったとき、かつて虐待を受けた子どもはどうすればいいのか? 毒親との関係に悩む人たちの生々しい声を紹介し、その実態や心の内に迫った『 毒親介護 』が発売されました。「おしん」のようだった母が老いた父を虐待するようになった“ケース4”をお届けします。

■半身マヒになった父の介護におわれる毎日

 東京郊外で工務店を経営する渡辺啓治さん(48歳)は、実家から徒歩10分の自宅に妻と2人の子どもと暮らす。工務店の事務所を兼ねた実家には要介護一の母(80歳)がいて毎日のように顔を合わせるが、もともと啓治さんはここで父(90歳)を介護していた。

 先代の父は腕の立つ職人だったが、家庭内では暴力的な人だった。「しつけ」と称して子どもを殴る蹴る、とりわけ母には厳しく「おしん」のようにこき使うこともあった。

 そんな父は2001年、脳出血の後遺症で半身マヒになる。当時は介護保険に関する情報が乏しく、なにより「介護は家族の役目」といった風潮が強かったため、啓治さんは母とともに、また妻の協力も得ながら在宅介護をつづけた。

 多忙な仕事を抱えながら1日置きに実家に泊まり込み、入浴や着替えの介助、深夜に何度ものトイレ誘導をすればほとんど眠れない。心身ともに疲弊した啓治さんは、実家を離れていた兄と姉に助けを求める。

 2人は父の前妻の子どもで、啓治さんにとっては母親違いのきょうだいだ。過去の家族関係が複雑だったこともあるのか、必死に窮状を訴えてもまったく通じない。助けてくれるどころか、「親父の財産を独り占めにするつもりだろう」などと口汚く罵られる始末だ。

 結局はそれまでどおりの介護をつづけざるを得なかったが、5年が過ぎたころ、妻から思わぬ話を聞かされた。父を介護する母の様子が危ない、というのだ。( #1「要介護状態になった「毒親」を捨てたい──50歳の息子の葛藤」   #2「気力、体力、財力が充実した『ハイブリッド老婆』に苦しめられる長女」   #3「うつ、パニック障害を抱え、老親の年金で暮らす独身姉妹の絶望」 より続く)

◆◆◆

■母親が父親を巧妙に父をいじめていた

 啓治さんは気づかなかったが、妻は女性ならではの目線で細かい異変に気づいていた。母の危うさ、それは巧妙に父をいじめていることだった。

 たとえばパンツをはかせようとする際、太ももや臀部に爪を立てたり、思いきりつねったりする。ご飯やおかずに殺虫剤をかけ、喉の奥にスプーンを突っ込み、手の甲にはフォークを突き立てたりしていた。

「これはマズイぞ、そう思いましたけど、実はざまあみろという気持ちもあった。僕もおふくろも昔は親父に散々ひどい目に遭わされてきたわけだし、それくらいの復讐は仕方ないだろうと。ただ、女房はこれ以上何かあったら怖いという。5年間、家族だけでがんばってきたんだし、もうこのあたりで他人に介護を頼もうということになったんです」

 2006年、父の介護申請をしたところ要介護2と認定された(のちに要介護4に変更)。母が「他人に家の中に入られるのは嫌だ」と言ったため訪問介護は頼まなかったが、週に3日のデイサービスの利用がはじまった。

■送迎車の中で大声を張り上げ、女性介護士に抱きつこうとする父

 安堵したのも束の間、父は他の利用者や介護スタッフとたびたびトラブルを起こす。デイサービスのレクリエーション中に補助具を振りまわしたり、送迎車の中で大声を張り上げて他の利用者を怖がらせる。入浴中に女性介護士に抱きつこうとしたこともあった。

 トラブルのたびに呼び出される啓治さんは平身低頭で謝るが、結局は利用を断られて別のデイサービスを探す羽目になる。

「もしかしたらすでに認知症がはじまっていたのかもしれません。ただ、元来が暴力的な人だったからこっちも医者に診せようとも思わず、次はどうしようかと悩むばかりです。今でこそケアマネ(ケアマネジャー=介護支援専門員)さんはかなりがんばってくれるけど、あのころは結構冷たかった。『デイ(サービス)は無理ですね、やっぱり家族で面倒みてはどうですか』みたいな感じで、途方に暮れることも多かったです」

 要介護認定が下りて2年が過ぎたころ、父は肺炎になって3ヵ月近く入院する。これを機に認知症の症状が進み、「枕の下に毛虫がいる」、「廊下の向こうに墓地があるからお参りしたい」などと幻覚を訴えるようになった。

 転院先として高齢者専門の精神科病院を紹介されたが、啓治さん夫婦が見学に行ってみるといかにも殺伐とした雰囲気だ。病室の中は隙間なくベッドが並び、生気なく横たわった患者たちが壁や天井の一点をボーッと見つめている。手足をしばられた状態で、「アーアー」と言葉にならない声を上げている人もいた。

「家族が切羽詰まってる状況なら、ああいう病院に入れても仕方ないと思います。でも僕らはなまじ親の近くに住んでいて、今までも介護をやってきたでしょ? 介護サービスだって使えるんだし、それなのにあの状態に追いやるのはさすがにどうだろうという気持ちでした。女房は反対だったし、おふくろも『先が長くないなら、できるだけ家で看てやりたい』と言うしね」

■夜中の徘徊を防ぐと、雄叫びのような声をあげるように

 あらたに訪問介護や訪問診療の体制を整え、退院後の父を実家で介護することになった。昼間はヘルパーの助けを借りられるためずいぶん楽になったが、夜間は人手不足で頼めない。以前と同じように啓治さんが泊まり込んでいたが、ある夜のこと、物音で目を覚ますと父がいない。右半身のマヒに加え入院で体力が衰えた父は、家の中を歩くだけでも誰かの介助が必要だ。それがいったいどこへ行ったのか、すべての部屋を探しても姿が見当たらなかった。

 このころ、夜中に父が徘徊するようになった。短い距離だが、疲れると物陰でうずくまっていたりするため容易に見つけられない。啓治さんは窓やドアを工事して父の徘徊を防ぐことにしたが、今度は室内での思わぬ行動が生じる。

「一番多かったのは大声と大きな音を立てること、まるで動物の雄叫びみたいな声を何時間でも出すんです。夜中になると杖でベッド柵をガンガン叩いて、これも一晩中つづけたりしてね。おふくろも僕も眠れないし、近所からは苦情がくる。医者に相談して睡眠薬とかいろんな薬を使うことにしたんだけど、そのあとが大変でした」

■壊れていく父と顔を合わせるのが怖かった

 叫ぶようなことはなくなったが、一方で心身の状態がみるみる悪化した。飲み込みが悪くなって通常の食事がとれない、便秘がつづく、表情が乏しくなる、ふつうの会話が理解できない……。ふと気づくと、精神科病院で目にした患者たちと同じように、父から生気が失せている。

 そんな父と顔を合わせるのは怖かった、そう啓治さんは振り返る。不気味な父の姿を目にすると、「自分のほうに負のオーラが降ってくるような感じ」でぐったり疲れてしまう。

「あのとき紹介された病院に入れたほうがよかったと、正直何度も思いました。悪い言い方になっちゃうけど、人間じゃなくなっていくような状態を目の当たりにすると、先行きへの不安や恐怖を感じてやっぱり大きなストレスなんですよ」

■叩いたり蹴ったり、虐待を平然と行うようになった母

 壊れていくかのような父に困惑し、一方で惨めさと悲哀も感じながら介護の日々がつづいた。月日の経過とともにケアマネの交代やあらたなケアプラン(介護計画)ができたが、支援体制の充実に反比例して家族の状況も変わっていく。

 啓治さんには建築不況や銀行の貸し渋りなど仕事上の危機があり、慢性的な頭痛や狭心症などの持病を抱えた。長く子育てと父の介護を両立してくれた妻は自律神経失調症になり、不眠や円形脱毛症に苦しんだ。

 さらに母にも問題があった。父へのいじめがひどくなり、誰も見ていない隙に叩いたり蹴ったりする。寝ている父の頭を持ち上げてドスンと落とす、手首をつかんで逆側にひねろうとする、そんな虐待を平然と行うようになった。

■母は平気で人を傷つけるようなことを言うようになり…

 母による虐待行為を防ぐためショートステイ(短期入所生活介護=特別養護老人ホームなどに数日宿泊して介護を受ける)を利用しつつ、何ヵ所もの介護施設へ入所申し込みをした。2014年、病院を併設する有料老人ホームに父を入所させることができたが、一人暮らしになった母の様子はますます変わっていった。

「平気で人を傷つけるようなことを言って、まわりの人間を不快にさせる。止めても『私は間違ってない』って反応で、頑として非を認めないんです」

 たとえば啓治さん夫婦が母を外食に連れ出す。こちらが「おいしいね」と言えば、「量が多すぎる」、「値段が高いのにまずい」などと周囲の客にも聞こえるような大声を上げる。あわてて止めても「ほんとのこと言って何が悪いんだ」と怒り出し、火に油を注ぐような状況になってしまう。

 親孝行のつもりで母の日に高価な果物を贈ると、「こんなぜいたくをして。バカじゃないか」と吐き捨て、といって手ごろなお菓子でも渡すと「どこにでも売ってるものだからいらない」と突き返される。足が不自由な母を案じて代わりに買い物をしてやると、「食べたくないものばかり買ってきて」と文句。それなら買ったものは持ち帰ると返せば、「何も食べるものがない。私に飢え死にしろと言うのか」と大騒ぎだ。

 息子の啓治さんでも不愉快になるのだから、義理の関係の妻にしたら到底平静ではいられない。以前から悩んでいた円形脱毛症がひどくなり、激しい動悸などの不安発作も起こるようになった。

■「嫁にいじめられている」母は“ウソ”を周囲に吹聴

 さらに問題なのが母のつく「ウソ」だ。父への虐待行為は母がしていたはずなのに、「息子がやった」と話が変わり、「でも私は責めたくない」などと寛容な自分を作り上げる。「息子夫婦が勝手にお金を使う」、「嫁にいじめられている」などと、ありもしない話を周囲に吹聴されるからたまらない。

「介護スタッフは事情がわかっているからうまく聞き流してくれるけど、近所や親戚はそうはいきません。兄や姉とはずっと疎遠になっていたのに、おふくろは勝手に連絡を取って僕ら夫婦の悪口を吹き込んでいるらしい。あの2人は親父の世話なんか一切していないのに、財産だけはほしいという人間。おふくろから聞かされるウソの話をこれ幸いとばかりに利用して、いずれ自分たちの権利を主張してくるでしょうね」

 一年ほど前、啓治さんは危うく母を殴りかけたという。兄と姉の名前を挙げた母が、「血のつながりがなくたって、私のことを気の毒に思ってくれてありがたい。それに比べておまえは冷たいよ」、そう言ったことに思わずカッとなったのだ。

 自身の生活を少なからず犠牲にし、心身の疲弊に耐えながら父を介護してきた息子を「冷たい」と見て、腹黒い兄と姉を持ち上げる母が許せない。それと同時に、なぜ母はこんなふうに変わってしまったのか、そんな思いも渦巻く。

■いつになったら楽になれるんだろう

 あれほどの経験を重ね、痛みや苦しみを存分に知っているはずの母なのに、いったい何が理由でこれほど意地悪い人間になってしまったのか。懸命に両親を支えてきた自分たち夫婦への感謝もなく、それどころか傷つけ、貶めるような言動を繰り返す母が今さらながら「毒親」に思えてしまう。

「もしかしたらこれも認知症の症状かもしれないと、医者にも聞いてみたんです。そしたら確かにそういう状態はあると言われて、少しは気持ちも落ち着きました。ただ、それはそれでやっぱり複雑なんですよ。親父のことで大変な思いをしてきて、今度はおふくろがこんなで、いつになったら楽になれるんだろうと。『意地悪もウソも認知症の症状だから、ご家族で認めてあげましょう』なんて言われると、かえって見捨てられなくなるじゃないですか」

 啓治さんは再び日焼けした顔をゴシゴシとこすり、今度はふぅーっと深いため息をついた。

 大きくなったら必ずかあちゃんを幸せにしてやるぞ、幼心に抱いた決意は消えてはいない。周囲を振りまわす母がときおり見せる寂しげな表情に、かわいそうだなと心が揺れることもある。

 最近、母が「私の人生、なんにもしないで終わるんだろうね」、そうポツンとつぶやいた。

「なんにもしないってことはないだろう。家のために働いて、俺たちを育てて、親父の面倒だってみたじゃないか」と言うと、大粒の涙をこぼして弱々しくうなずく。

 いったい母のどの面を見ればいいのか、啓治さんの葛藤は尽きない。苦労した母への思慕、一方で自分たちの生活を壊そうとするかのような母への嫌悪が絡み合って、徒歩10分の実家への足取りはつい重くなるという。

※「ケース5」は11月24日公開です。

(石川 結貴)

関連記事(外部サイト)