J-POPの表現も中国基準へ? 酸欠少女さユり「MV削除事件」が示す暗い未来

J-POPの表現も中国基準へ? 酸欠少女さユり「MV削除事件」が示す暗い未来

※“酸欠少女”さユり。オフィシャルホームページより

 11月下旬、日本のシンガーソングライター、“酸欠少女”さユりのMV(ミュージックビデオ)が中華圏でちょっとした話題になったことはご存知だろうか? 

 さユりを知らない読者のために説明すれば「人と違う感性・価値観に、優越感と同じくらいのコンプレックスを抱く“酸欠世代” の象徴=『酸欠少女』として、アコギをかき鳴らしながら歌う、2.5次元パラレルシンガーソングライター」(オフィシャルサイトより)である。独特の世界観が若者層を中心に人気を集めているアーティストだ。

 彼女の新曲「航海の唄」は日本テレビ系列で放送中のTVアニメ『僕のヒーローアカデミア』第4期シリーズのエンディング・テーマだ。11月27日にCDがリリースされ、フルバージョンのMVが午前0時からYouTubeプレミア公開されていた。

 だが、このMVが政治的にちょっとキナ臭いことになっている。

■香港デモがモチーフなのか?

 理由は、黄色いヘッドホンとガスマスクを着用した黒い学生服姿の青年が登場する「航海の唄」のMVの演出が、今年6月以来香港を騒がせている反政府デモの参加者を露骨に想起させるものだったからだ。

 たとえば、冒頭部分で青年が落ち込んでいるシーンの背景は中国国旗とそっくりな色調の赤色で表現され、それと対照するように雨ガッパ姿の少女が登場するシーンでは、背景がデモ隊のシンボルカラーである黄色に変わる(ちなみにガスマスクだけではなく雨ガッパも、2014年の雨傘革命や現在の香港デモで催涙ガスや放水を防ぐためにしばしば使用されるアイテムだ)。

 さらにMVのフルバージョンでは、香港デモ隊の記者会見さながらにガスマスク姿の少年少女が長机の前で横一列に並ぶシーンや、バリケードを思わせる積み上げられた机の山が登場するシーンもあった。

 加えてMVのサビ部分では、黄色いオーラをまといながら疾走するガスマスク姿の青年の背後で、彼を励ますように黄色いギターを奏でるさユりの姿が映る。

 ここでは「航海の唄」のサビの歌詞が表示されているのだが、「強さは要らない 何も持って無くていい 信じるそれだけでいい」「この先でどんな痛みが襲ってもそれだけが君を救うだろう」といったワードも、警官隊との圧倒的な武力の差のなかで抵抗する香港の若者をイメージさせなくもない。

 こうした一連の演出がさユり本人の意向によるものか、MVの映像制作者の独断によるものかはわからないが、今年6月に始まった香港デモをモチーフにしてこのMVが作られた可能性はある。さユりは以前からガスマスクをモチーフにした演出を好んでいたようだが、製作者側に政治的な意図がなく偶然の一致に過ぎなかったとしても、香港人や中国人が見れば間違いなく香港デモを連想する内容であることは間違いない。

 事実、私が複数のデモ支持派の香港人の友人にMVのリンクを送ってみたところ、軒並み大好評で、「ありがとうさユりさん」という感謝の声まで返ってきた。本件を報じた香港メディアの『香港01』の記事も、現在の香港の状況にぴったりの歌詞に「鳥肌が立った」と感想を書いている。

■なんとYouTube、Apple Musicからも削除される

 そして、話はこれだけでは終わらない。中国国内の動画サイト『bilibili』に転載されていた「航海の唄」のMVが間もなく削除されたのだ。

……もっとも、中国のネット表現規制は極めて厳しく、当局にとって少しでも都合の悪い(と誤解させる可能性のある)メッセージを含むコンテンツはすぐに削除される。『bilibili』からのMVの削除は、中国なら当たり前のこと。「想定の範囲内」の話である。

 ただ、問題は削除が中国国内の動画サイトだけにとどまらなかったことだ。なんと11月29日ごろまでに、YouTubeやApple Musicで公開されていた「航海の唄」のフルバージョンのMVまで、なぜか次々と見られなくなったのである。

 本来は販促の目的で公開されているであろうYouTubeプレミア公開が、楽曲のリリースから2日足らずで閉じられるのは明らかに不自然な現象だと言っていい。

 現在、「航海の唄」のMVは、香港デモの記者会見に似たシーンなどがある後半部分をカットしたショートヴァージョンだけが、さユりの公式Youtubeチャンネル 「 酸欠少女 さユり(Sanketsu-girl Sayuri) 」 でのみ公開される状態になっている。

■世界配信を前にした「大人の判断」?

 このYouTubeとApple musicからのMV削除の理由について、筆者は文春オンライン編集部を通じて「航海の唄」のリリースに関わったレコード会社のソニー・ミュージックレーベルズの社内レーベル・アリオラジャパンに問い合わせてみたのだが、期日までに回答は得られなかった。

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 ただ、今回話題になったさユりの「航海の唄」は、11月29日からソニー・ミュージックマスターワークス傘下のミランレコーズを通じて全世界配信がおこなわれることになっていた。MVのフルヴァージョンがネットから消えた理由として、中国の国内市場や、欧米やオセアニアに存在する巨大な華人マーケットからの反発を避ける目的ゆえの「大人の判断」が下された可能性は否定できないだろう。

■NBAやティファニーの二の舞を避けた?

 近年、中国当局はこの手の問題には非常にヒステリックな対応を取ることが多く、ときに海外企業に対して強烈な圧力をかける。

 たとえば今年10月には、NBAのヒューストン・ロケッツのゼネラルマネージャーがTwitterで香港デモを支持するツイートをおこなったことを理由に、中国国内ではNBA放映権を持つ媒体が軒並みロケッツの試合放送をボイコット。さらに中国バスケットボール協会がロケッツとの協力停止を発表するなど、国家規模でロケッツへのバッシングがおこなわれた。

 また、同じく今年10月には、ティファニーがSNS上に中国人女性モデルが手で右目を覆う広告写真を掲載したところ、香港デモを支持していると中国人から非難が集中。削除措置に追い込まれている。

 香港デモでは警察の銃撃によって右目を負傷した女性がおり、デモ隊が右目を覆うポーズを示して抗議していたことから、モデルに同じ姿勢を取らせるのはけしからんという中国人の主張にティファニー側が屈服した形だ。

 もちろん今回の「ガスマスクMV」については、香港デモ関連で話題になったことでレコード会社がデモ反対派の在日中国人や日本人からクレームを受け、深い考えなしに「政治的な問題だから」と自粛をおこなった可能性も高い(香港デモは賛成派か反対派かを問わず、問題に異常なほど入れ込んで企業やメディアへの「メル突」を繰り返すようなファナティックな人が少なくない)。

 ただ、香港デモを連想させるMVの配信に対して、中国からNBAやティファニーが受けたのとの同じような制裁を受ける懸念があり、ゆえにレコード会社側が一定の配慮をおこなったという想像も、それほど荒唐無稽なものではない。

 中国での市場規模がまだ大きくないさユりが中国人のバッシングを受けるくらいならともかく、全世界のソニー系歌手が中国で軒並みボイコットやコンサートの妨害を受けたり、中国・香港・台湾などのソニー系の大物歌手が中国市場への配慮から他レーベルに移籍する「愛国的」なアピール行動を取ったりすれば、企業としては目も当てられない事態になる。早期の火消しが必要な事態だ。

 グローバル経済のもとでは、大企業を通じてリリースされる表現は、たとえ企業幹部による1本のツイートや“酸欠少女”のMVであっても、14億人の市場を擁する中国の基準で「政治的に正しい」表現を意識せざるを得ない。いまや日本発のコンテンツであるJ-POPですらも、中国を怒らせる表現を自主規制せざるを得ない時代とも言えそうなのだ。

■「塞外」に遠征をはじめた中国言論統制

 2019年11月末には、17歳のアフガニスタン系アメリカ人の少女が「まつ毛カール」の方法を教える美容動画のフリをして、中国が新疆ウイグル自治区でおこなっている少数民族弾圧を非難するスピーチ動画を、中国系ショート動画サービス「TikTok」に投稿したところ運営側に削除されてしまった事件も起きた(その後、TikTok側は謝罪)。

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 従来、中国の言論統制は「赤い万里の長城(GFW)」と呼ばれるファイアウォールに守られた中国国内のネットサービスのなかで完結していたが、いまや中国企業の国外向けサービスであるTikTokはもちろん、TwitterやYouTubeやApple musicといった西側系のプラットフォームであっても、資本の論理のなかでそのくびきから逃れることは難しくなっている。

 本来は中国の体制を国外の情報から守るために構築された「赤い万里の長城」から塞外に遠征をはじめた中国の言論統制に、日本や世界はどう対応するのか? 現代はそんな判断が迫られる時代になっている。

(安田 峰俊)

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