母を「愚母」と罵倒、父は「もう殺すしかない」――元農水次官が“息子殺し”という地獄に至る「修羅の18カ月」

母を「愚母」と罵倒、父は「もう殺すしかない」――元農水次官が“息子殺し”という地獄に至る「修羅の18カ月」

次官当時の熊沢英昭

 元農水次官の熊沢英昭被告が長男を殺害した罪に問われている事件の裁判で、検察側は懲役8年を求刑、16日に判決が言い渡される。法廷では、長男が原因で結婚が破談になり、長女が自殺したという衝撃の事実が明かされた。母のことを「愚母」と罵倒していたという長男・熊沢英一郎氏の生活実態などを報じた「週刊文春」2019年6月20日号の記事を再公開する。なお、記事中の年齢や日付、肩書き等は掲載時のまま。

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 農水事務次官まで務め、自慢の種だった父に、何十カ所も滅多刺しにされて亡くなった熊沢英一郎氏。実は彼は、44歳までほぼ無職でいながら、高級住宅街で一人、暮らしていた。2週にわたる総力取材で初めて明らかになったその異様な生活実態と、実母の素顔とは――。

 皇室ゆかりの学習院大学を抱える文教地区、東京都豊島区目白。JR目白駅を出て、目白通りから脇道に入り数分歩くと、春にはしだれ桜、秋には紅葉を見に多くの客が訪れる目白庭園に行き着く。周囲には、一軒家と高級マンションが建ち並ぶ、山の手屈指の高級住宅街が広がっている。

 この街の雰囲気に、まるで似つかわしくない風体の男が目撃されるようになったのは、3年前の16年6月以降のことだ。男の身体は不摂生な暮らしを物語るようにぶくぶくと膨れ、肩までかかる長髪は、長い間洗っていないのか脂ぎっている。元は白かったであろうシャツは全体がわずかに黄ばみ、異臭を放つ。靴紐がほどけているのも意に介さず、だらしなく歩く姿からは異様さが漂っていた。

 男は、昼夜問わず界隈のコンビニエンスストアに立ち寄り、煙草「ケント6」と炭酸飲料「デカビタC」をぶっきらぼうに店員に差し出すと、レジ横に並べられたチキンを必ず注文した。現金で800円ほどを支払うと、無言で店を後にするのだった。

「彼は週4〜5回は店に来ていました。夜遅いときもあれば、昼間フラッと姿を見せることもあった。新聞・雑誌や生活用品は一切買わず、飲食物とタバコばかり。日によっては、チキンを一度に5個も買うこともありました。お会計が遅いとこちらを睨みながら『チッ』と舌打ちして威嚇してくる。現金が足りないことがありましたが、無言で店を出ていき、数分後、お金を持って戻ってきました」(コンビニ店員)

 5月下旬、男は約3年を過ごした目白を離れ、練馬区の実家に移った。無残な死を遂げたのは、それから約1週間後のことだった。

 社会部記者が振り返る。

「6月1日午後3時40分、『息子を包丁で刺した』と110番通報が入り、練馬署員が駆けつけたところ、鮮血に塗(まみ)れ、1階和室の布団の上で仰向けに倒れている男を発見。司法解剖の結果、死因は首を切られたことによる失血死でした」

 無職・熊沢英一郎氏(44)を殺害した容疑で逮捕されたのは、父である熊沢英昭(76)だった。

■「長男を刺さなければ、自分が殺されていた」

「逮捕後、英昭は『長男を刺さなければ、自分が殺されていたと思う』と供述しており、自宅内からは〈もう殺すしかない〉という走り書きも見つかっています。

 現在、英昭の妻・A子も複数回にわたり事情聴取を受けていますが、『息子が恐ろしかった。行くところまで行ってしまった。やむを得なかった』と夫を擁護する供述をしているようです。事件の引き金のひとつになったのは、5月28日に、無職・岩崎隆一(51)が川崎市の路上で児童ら20人を殺傷し、自殺を遂げた事件です。英昭の中で、十数年にわたって引きこもりを続けた末に惨劇を起こした岩崎と、目の前の息子の姿がダブって見えたというのです」(捜査関係者)

 あらためて、英一郎氏が実父に刺殺されるまでの足跡を追った。目白の近隣住民が、当時の英一郎氏の暮らしぶりについて明かす。

「あの家は、昼間からアダルトビデオを大音量で流していました。あまりにうるさかったので、苦情を伝えたことがあるのですが、聞く耳を持たなかった。その後、家に工事が入り、(防音のための)二重サッシにかわりました」

 近所では“要注意人物”として知られていたという。

「今年、営業マンがセールスに来たらしく、(英一郎氏が)『もう来るんじゃねえ!』と怒鳴っていました。玄関の扉は開けっぱなしで、外から見える室内はゴミだらけ。彼はよく家の前に座っていて、ツバやゲロを吐いていましたね」(別の近隣住民)

■母の所有物件で、悠々自適の生活

 だが、なぜ無職の英一郎氏に、高級住宅街での一人暮らしが可能だったのか。

 英一郎氏が約3年を過ごしたのは、330平米を超える広大な土地の一角に建つ2階建て、延べ床面積約50平米の木造住宅だった。敷地内には定数8台の月極め駐車場があり、ベンツ、ポルシェ、アウディなどの高級外車が並ぶ。この土地の登記簿謄本を見てみると、意外なことが分かった。英一郎氏の母・A子さんが持ち主なのだ。

 前号で詳報した通り、英昭は農水事務次官まで登りつめて退職金(約9000万円)を手にしたのち、天下り先2つを経由してチェコ大使となり、優に2億円を超えるお金を手にしている。だが、書類には一切英昭の名は登場しない。登記簿から分かるのは、A子さんの実家がとてつもない資産家だった事実である。

 A子さんがこの土地と建物を実父から相続したのは、99年のこと。16年には、英一郎氏が暮らす家の傍らに、同じく2階建てで延べ床面積約80平米の木造住宅を建て、現在は家賃25万円前後で貸し出していると見られる。

「この辺りは坪単価350万円を下らない。あそこは土地だけで3億5000万円の価値があるでしょう。駐車場は月3万円で現在満車です」(地元不動産会社)

 英一郎氏は家賃のかからぬ母の所有物件で、悠々自適の生活を送ってきたのだ。実際、自身のツイッターでは“職業”について次のように明かしている。(※以下、〈 〉内はすべてツイッターより)

〈地主だから、毎日が日曜日だぜ?w〉(18年11月26日)

■毎月80万円近い不動産収入

 さらに調べてみると、A子さんは目白の物件以外にも都内に複数の不動産を所有していることが分かった。その一つが、練馬区氷川台にある約260平米の土地である。目白と同様、99年に実父から相続。その一角に10年に約70平米の2階建て木造住宅を建設すると、16年には同じ敷地内にもう一軒、約90平米の2階建てを建てた。いずれも抵当権は設定されておらず、無借金で次々と家を建て、不動産ビジネスを各所で展開していることが分かる。

「A子さんが所有する複数の不動産や駐車場、すべてを含めれば、毎月80万円近い不動産収入が見込めるでしょう。実は、彼女の生家であるX家は、埼玉県秩父市で指折りの資産家で知られているのです」(X家を知る不動産関係者)

 秩父の知人男性が彼女の生い立ちを打ち明ける。

「かつてX家は国の伝統的工芸品である織物『秩父銘仙』の生産や買付けをしていました。A子さんの父は2代目で、納品しても支払いが早いと評判だった。『秩父銘仙』と言えば昔はとにかく有名で、戦後間もなく、織物を腹に巻いて隠しては闇市に持ち込み、巨額の財産を築いたのです。A子さんの父には先見の明があり、戦後間もなく旧円の預金封鎖をいち早く予測して手を打った」

 旧円の引き出し額と期間が制限され、多くの人が預金消失を泣く泣く諦める中、

「事前に不動産などの実物資産に替えておいた。それが後に相当な資産になったと聞きましたよ」(同前)

 X一族からは地元の有力者・荒舩清十郎元運輸大臣の親族に嫁ぐ者もいるなど、X家は名実ともに秩父の財閥として知られたが、50年代以降、織物業は低迷の一途を辿ったという。

「戦後、着物が売れなくなり、一家は寝具や座布団の生地の販売を始め、東京・日本橋界隈で売り歩いていた。その後、東京に転居。不動産投資や株取引を始め、さらなる財産を築いたのです」(別の知人)

 X家の長女として父の寵愛を一身に受けて育ったのが、A子さんだった。

■英一郎氏への祖父の教え

 英一郎氏は、祖父を尊敬していたようだ。

〈亡くなった母方の祖父は礼儀作法に厳しかったけど(子供だった私は、おじいちゃんって孫に優しいんじゃ? って疑問に思った)、常に株の取引で現役だったけどな?〉

〈その祖父からの、有り難い教え、見知らぬ他人に話し掛ける時「すみませんが」で切り出してはいかん、自分が身分が低い証に「恐れ入りますが」で話し掛けなさい〉(18年11月27日)

 祖父が99年に死去すると、A子さんと弟、妹の3人に、練馬区、中野区、豊島区などに点在する、2500平米を優に超す広大な土地が引き継がれた。

「(英一郎氏の)祖父は目白以外にも複数の物件を所有していました。中でも大きかったのが、練馬区にある約500平米の土地でした。姉弟3人が相続し、翌年には地元のパチンコ業者に売却して、各々莫大な富を手にしたのです」(前出・不動産関係者)

■“華麗なる一族”に生まれ、幼い頃から“英才教育”

 有り余る財産を手にしたA子さんだが、父方にあたる熊沢家も負けず劣らずの“華麗なる一族”だった。英昭は都立上野高校から東大法学部に進学。67年に卒業すると旧農林省に入った。

「英昭さんの父は岐阜県可児市の出身で、上京後は台東区で歯科医院を開いた。(英昭の)弟は東大病院勤務の医師。長女は千葉大を卒業後、千葉県内の大病院に嫁いだ。双子の二女と三女は上智大学大学院に進み、2人とも医療関係者の夫を持っています」(熊沢家の知人)

 英一郎氏は、資産家の令嬢と、将来を嘱望された若き農林官僚との間に、75年3月、長男として生まれたのだ。幼い頃から“英才教育”を受けていた様を、当時を知る元官僚が証言する。

「とにかく奥さんが教育熱心で、官舎中で『熊沢氏の奥さんは教育ママだ』と話題になるくらいでした」

 87年、英一郎氏は、東大合格者を多数輩出する都内随一の中高一貫校、駒場東邦中学に合格した。だが、本人は中学時代を想い出し、次のようにツイッターで負の感情を吐露している。

〈私の両親は私の教育を間違えてたな。テストで悪い点取ると玩具やプラモを壊す。これが間違い。私は玩具を壊されない為だけに勉強した。喧嘩で両親に勝てる高1までこの恐怖は続いた。そして性格が螺旋階段のようにねじくれ曲がった私が完成した〉(17年2月2日)

 母のことを「愚母」と罵倒し、〈中2の時、初めて愚母を殴り倒した〉〈殺人許可証とかもらったら真っ先に愚母を殺す〉と攻撃性を見せる一方で、自らのプライドの根拠となっていたのが、父の存在だった。

〈結局、頼りになるのは、元国のトップだった父親の権力ですね。。。〉(18年12月29日)

■アニメとゲームの世界に傾斜

 英一郎氏は高校卒業後、代々木アニメーション学院を経て、日大に入学したが中退。紆余曲折を経て、01年、流通経済大学大学院の修士課程を修了した。時を同じくして同年1月、父の英昭は農水省トップの事務次官に就任。間もなくBSE問題が浮上し、組織のトップとしての対応に追われた。出世の階段を駆け上る父を尻目に、英一郎氏は定職に就かず、アニメとゲームの世界に傾斜していった。富豪の両親にとって、その生活を支えるのは、金銭面に限っては造作もないことだった。

 目白に来る前、10年頃から約6年間、英一郎氏がさいたま市内に住んでいたことも新たに判明した。アパートの大家が証言する。

「不動産屋に管理を任せていたので契約には立ち会いませんでしたが、トラブルはなかったと思います。この物件は家賃は5万円ちょっとですが、滞納することはありませんでした」

■〈産んでくれた親〉に呪詛の言葉を綴る日々

 両親の庇護の下、何不自由ない生活を保証されていた英一郎氏だが、社会と接点を持たない日々を続けるうち、鬱屈した感情を外部に漏らすようになった。

「当時、そのアパートのある住民が、たびたび近隣の小学校に『運動会がうるさい』と苦情を入れていたという話がありました。あれが英一郎氏だったのかもしれません」(理髪店店員)

 その頃、英一郎氏は頻繁にツイッターを更新し、〈産んでくれた親〉に対し、呪詛の言葉を綴っている。

〈馬鹿言ってんじゃねぇ。親が親の都合で勝手にセックスして産んだんだろうが〉(14年5月19日)

■「江戸京介」という偽名

 息子の危険な兆候を察知したのは、父である英昭だった。さいたま市のアパートから目白に移り住んだ英一郎氏は、父に対しても心を閉ざすようになった。17年11月、連絡が取れない英一郎氏を心配した英昭は、息子が嵌り込んだツイッターの世界に初めて足を踏み入れた。「江戸京介」という偽名のアカウントを作成し、ツイッターを通じて英一郎氏に言葉を投げかけたのだ。メッセージを送った直後、英一郎氏は〈はい、フォローしましたよ〉と応じ、親子のコミュニケーションは復活した。

 だが振り返れば、そこからの18カ月は、「子殺し」という地獄へと彷徨い降りる螺旋階段のような日々だった。みずからの素性が世間に露見するのを極度に恐れる英昭に、英一郎氏はこんなメッセージを送っている。

〈大体ね、お父さんのアカ名で本名がばれる心配はないです。後は、伝えたい事と親子である事が分からないようにツイートすれば良いんです〉(17年12月10日)

 この頃、英一郎氏はゴミ出しを巡ってトラブルを抱えていた。本来、各家庭の前に捨てるべきところを、向かい側のマンションの前に捨てていたからだ。前出の捜査関係者が証言する。

「過去数回、『トラブルが起こっている』という通報を受け、目白署の生活安全課が現場に向かい、事件処理を行なった記録が残っています」

 そのため、父がゴミをきちんと出したのか聞くと、〈寝てて、出す時間逃しました〉〈明日はペットボトルです〉などと従順に返事をしているのが分かる。一方で、英昭が散髪するよう勧めると、英一郎氏は色をなして反論している。

〈そこまでしつこくbotみたいに言うなら、こっちも最終手段スキンヘッドにしますよ。半年は理髪店って言わなくなりますよね〉(同年12月18日)

 英昭はツイッター以外でも「エド京」という名前でSNS「mixi」に登録するなど、慣れないネットの世界に身を置き、息子の更生を図っていたようだ。だが、世間体を気にして正体を隠す父に反発したのか、昨年5月10日、ツイッターで息子は〈私のフォロワーの江戸京介さんが熊沢英昭元事務次官ですよ〉と知人に明かしている。

 それでも父は、最後まで息子への関与を続けていた。目白界隈では、親子2人の姿が何度か目撃されている。

「お父さんと息子さんが目白駅前の『大戸屋』で食事しているところを見ましたが、お互い無言で食事をしていましたね」(居合わせた客)

■自ら「実家に帰りたい」と懇願

 英昭の知人が次のように打ち明ける。

「実は、英昭さんは英一郎くんの病状を案じ、精神科医である妹の夫に相談し、改善の道を模索していたのです。彼女の夫は、千葉県内で総合病院を運営する理事長で、(同病院の)事務長が長年、英一郎くんの面倒を見ていました」

 英一郎氏はツイッターでも、自身が統合失調症(妄想型)だと綴っている。そんな彼と連絡を取り合っていたという事務長に尋ねると「私は申し上げる立場にありません」と、口をつぐんだ。

 鬱屈した感情を抱えた英一郎氏にある「変化」が生じたのは、今年5月下旬のことである。自ら英昭に連絡を入れ、「実家に帰りたい」と懇願したのだ。

 同じ頃には、奇妙な行動も見られた。前出のコンビニ店員が振り返る。

「今までにはなかったことなのですが、支払うとき、10円玉をバーッと大量に出してきて、お会計をすることが何度かありました」

■〈貴族のようなリアル金持ち〉

 父親から仕送りを止められ、自活を促されたのか。それとも、自宅に貯まった小銭を整理し、実家に戻る準備を始めていたのか……。それから間もなく、英一郎氏は年老いた両親が暮らす練馬区内の実家に出戻った。ところがその直後から家庭内で父母を殴るなどの暴力を振るい、5月31日には〈私は、リアルで現実世界では、貴族のようなリアル金持ちなんです。君達なんかと同類にしないでくれないか〉と呟くなど、肥大した自意識は暴走し続けた。そして翌6月1日午前、隣接する小学校から響く歓声に、こう声を荒げたという。

「運動会の音がうるさいんだよ。子供らをぶっ殺すぞ!」

 同日午後3時過ぎ、英昭は台所に置かれた刃渡り約20センチの洋包丁を右手に握ると、人生で唯一、思い通りに行かなかった息子の将来を悲観したのか、そのまま利き腕に力を込め、息子の身体に刃を刺し入れた。官僚時代、多忙にかまけて息子と向き合ってこなかった後悔を打ち消すかのように、一心不乱に、何十回も刃物を振るい続け、自身の右手も傷つけた。

 A子さんの弟を訪ねると、その妻がこう語った。

「英一郎ちゃんが親元を離れて一人で暮らしているのは知っていました。でも親戚の集まりでも、彼の近況はあえて聞かなかったんです。A子さんも私たちの前では家庭内でのトラブルなんておくびにも出さなかった。事件のことは報道で知りました。悲しいというよりショックです。『まさか、ここまでになっていたのか』と。ご夫婦で本当に頑張っていらしたのに……」

 生前、英一郎氏はツイッターでこう書き残していた。

〈私の家系の家訓ですが、子は親の都合で生まれるのだから、親になるなら子が独立するまで責任を持て、です〉(17年12月9日)

 最期まで独立できなかった我が子に父が下した裁断もまた、忠実に“家訓”を守ったものだったのかもしれない。

(「週刊文春」編集部/週刊文春 2019年6月20日号)

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