無期懲役で万歳三唱 新幹線殺傷犯の父が語った「私が息子を棄てた理由」

無期懲役で万歳三唱 新幹線殺傷犯の父が語った「私が息子を棄てた理由」

逮捕後も無表情だった

 2018年6月9日に起こった新幹線殺傷事件で、横浜地裁は小島一朗被告に無期懲役を言い渡した。これは皮肉にも被告自身が望んでいた判決であり、言い渡された際に「控訴はいたしません。万歳三唱します」と叫び、両手を上げて万歳したという。

 被告が「一生刑務所に入っていたい」と考え事件を起こすに至るまで、一体何があったのか。事件発生当時、世間の耳目を集めたのは、実の息子を赤の他人のように「一朗君」と呼ぶ被告の父だった。その真意はどこにあるのか、150分に渡り話を聞いた「週刊文春」2018年6月21日号の記事を公開する。なお、記事中の年齢や日付、肩書き等は掲載時のまま。

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 凶行は、最高時速280キロを超える車内で起きた。逮捕された小島一朗容疑者の外見と惨劇とのギャップをどう理解すればいいのか。取材で浮かび上がったのは、容疑者とその実父との希薄すぎる父子関係だった。実の息子を「一朗君」と呼ぶ奇妙な父を直撃した。

「本人が死にたいと言っていたと聞いたので、自殺をするとか(息子が)死ぬかもしれないとは考えていた。何か事件かトラブルを起こすかもしれないという考えもゼロじゃなかった」

「週刊文春」記者にこう語るのは東海道新幹線無差別殺傷事件の犯人・小島一朗容疑者(22)の実父・S氏(52)だ。

 事件は6月9日、午後9時47分ごろ、東海道新幹線東京発新大阪行き「のぞみ265号」の12号車で起きた。ナタと果物ナイフを持った小島容疑者は、座席に座っていた2人の女性客にいきなり襲いかかったのだ。「助けて!」というただならぬ叫び声を聞いた2つ後ろの席に座っていた会社員・梅田耕太郎さん(享年38)は、凶行を阻止しようと小島容疑者に飛びかかり、もみ合いとなる。

「小島容疑者は梅田さんの上にまたがり、ナイフで首など数十カ所をメッタ刺しにしており新幹線内は血の海となりました。病院に搬送された梅田さんは間もなく死亡。切りつけられた女性2人は、幸いにも軽傷でした。警察の調べに対して、同容疑者は『むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった。(被害者らと)面識はない』、『犯行を邪魔されて逆上してやった』などと供述しています」(全国紙社会部記者)

 眼鏡姿のその風貌からは想像できない凶悪な事件を引き起こした小島容疑者とは、どんな人物なのか。

■放置された「アスペルガー症候群」

 小島容疑者は、愛知県一宮市で育った。上に姉が一人いる。

 実父であるS氏は、近所ではいつもニコニコしている人物として知られ、喫茶店で働いた後、いくつもの職業を転々とし、現在は、車関連の会社に勤務。母親は共産党候補として市議会議員選挙に出馬した過去を持ち、現在は団体職員としてNPO施設で働いている。

 幼少の頃の小島容疑者はのんびりした天然キャラだったというが、5歳のころ、児童保育所から発達障害の一種である「アスペルガー症候群」の疑いを指摘される。

「ところが母親は『そんなの大きくなれば治る』と病院にも通わせずに、放置していた。父のS氏の説明だと、『成長は遅いと思っていたけど、学校の先生に“この子は普通ですよ”と言われたので、病院や特殊学級には入れなかった』と言っていました。14歳のときに一朗が自ら病院に行こうとしたときも、薬代が高いからと母親はお金を渡さなかったそうです」(親族)

 地元の公立中学校に進学した小島容疑者は、やがて不登校になってしまう。S家を知る人物が語る。

「父親は『男は子供を谷底に突き落して育てるもんだ』という教育方針で息子に厳しかった。共働きのS家では同居している(父方の)祖母が食事の用意をしていたようですが、『姉のご飯は作ったるけど、一朗のは作らん』とよく言っていた。実質的に育児放棄されていた。一朗君と家族の会話はだんだんと少なくなっていったようです。そんな彼が唯一慕っていたのが、母方の祖母でした」

 小島容疑者は自室に籠もり、インターネットやテレビアニメに夢中になるなど自分の世界に没頭するようになる。食事も自炊をするか、作り置きのものを一人で食べるだけだった。

■深夜、両親の寝室を蹴破り……

 中2のときに、後の凶行に繋がる事件が起きる。

 この事件について、父のS氏は週刊文春に次のように証言している。

「(子供たちが)新学期だから水筒が欲しいと。それで妻が渡したんですが、姉が新品で、彼のが貰い物だった。そうしたら、その日の夜中、彼が障子を蹴破って、私と妻が寝ている寝室に怒鳴りながら入ってきて……。ここが核心に迫るんですけど、ウチにあった包丁と金槌を投げつけてきたんですよ。殺気はなかったですけど、でも刺されるかも、死ぬかもなぁ、と。だけど見当違いのほうに投げたんで、私からヘッドロックのような形で抑えにいって、10分ぐらい揉みあって、(妻に)『おい、はよ警察よべよ!』と」

――キレやすかった?

「元々からかわれて、カッとなると手が出ちゃうこともあったけど、そこは子供の喧嘩ですから」

■「お姉ちゃんとの“格差”に腹が立った」

 小島容疑者は、駆けつけた警察官に対して、「新品の水筒を貰ったお姉ちゃんとの“格差”に腹が立った」と語ったという。

 この事件は父子関係に決定的な亀裂を生んだ。父親は息子を避けるようになり、小島容疑者も父親を嫌悪するようになる。

「息子が不登校で、父親との相性も悪く困っている」

 中学2年生の終わり頃、母親は、自身が勤務するNPO法人代表に相談を持ちかけている。相談を受けた三輪憲功氏が振り返る。

「うちは居場所のない人を支援する自立支援NPOで、母親から相談を受け、一朗くんをうちのシェルターで預かることになりました。彼は整理整頓が出来ないところがあったくらいで、手のかからない子でした。定時制高校に入学したのですが、成績はオール5で4年かかるところを3年で卒業したくらい優秀。他の人とトラブルを起こしたこともない。……こんな事件を起こすなんて想像もつきませんでした」

 小島容疑者は同施設から中学、定時制高校、職業訓練校に通い、5年間に渡って、集団生活を送った。NPOの施設で同じような境遇にある人に囲まれていたこのときが、もしかしたら彼が自らの“居場所”を実感できた唯一の時間だったのかもしれない。

 15年春に職業訓練校を卒業した小島容疑者は、在学中に取得した電気修理技師の資格を活かして、埼玉の機械修理会社に就職。一人暮らしを始める。

「彼は理解力が高く仕事は優秀で、人間関係も特に問題はなかった。親会社から発注される機械の修理を担当していましたが、いくつも資格を持っており的確にこなしていた印象です」(機械修理会社の社員)

■社内いじめで退社、引き籠り、精神疾患……それでも両親は……

 しかし翌年、小島容疑者は退社してしまう。小島容疑者を知る人物によると、「愛媛工場に転属された後に、“お前には仕事を教えない”といった社内いじめがあったと聞いています」という。

 地元愛知県一宮市に戻った小島容疑者は市内で一人暮らしを始める。

「しかし、すぐに一朗は引き籠り状態になってしまったのです。精神疾患の持病もあったので、母親にも『責任もって面倒を見るように』と言ったのですが、両親は一朗を放置していた」(前出・親族)

 その年の10月に小島容疑者は、最初の家出をする。後に、家出の理由を「親に殺されるから」と語っていた。

「小島容疑者は自転車で長野県の諏訪を目指している途中、警察に保護されています。その後も、彼は何か気に入らないことがあると何回も家出をしては、保護をされるということを繰り返していました」(前出・社会部記者)

■母方の祖母と養子縁組

 2017年2月からは、周囲のすすめもあり地元の専門病院に2カ月あまり入院、ここで自閉症と診断されている。

 退院後、小島容疑者の運命は更に流転する。当時彼が身を寄せていた母方の祖母と養子縁組をすることになったのだ。

「母親が『おばあちゃんの家にいるなら名前を変えたほうが都合いいんじゃない』と提案した。一朗君と祖母も同意して養子縁組をした。父親はそれについて特に何も話さなかったそうです」(前出・S家を知る人物)

 小島容疑者は祖母宅でも、再び自室に籠もってインターネットやパソコンゲームに没入する。

「唯一慕っていた祖母に対してもだんだん態度が横柄になり、まるで家政婦扱い。言うこともきかなくなっていた」(同前)

■自殺願望をほのめかすメモ

 一方で「罪と罰」(ドストエフスキー)、「楢山節考」(深沢七郎)など文学作品や、「ローマ人の物語」(塩野七生)といった歴史物の本を愛読していた。

 事件後、彼の部屋からは「口語訳聖書 創世記」と題されたノートや、自作の小説らしきものを記したメモなども多数見つかっている。その中身は例えば、次のようなものだ。

〈人の世は住みにくい。人の世は住みにくかろうが、人でなしの世はなお住みにくかろう。人の世から住みにくさをとりのぞいたのが詩であり、画である。私の前途は死ぬか、宗教に入るか気狂いになるしかない。詩人的な実在は罪である。罪とは絶望である。絶望とは分裂である〉

 また〈人生においてやり残したこと〉と題されたメモには、〈1、冬の雪山での自殺←もう春である〉と自殺願望をほのめかしながら、〈若い子たちとTCG(*トレーディング・カード・ゲーム。専用のカードを集めて対戦するゲーム)をしたいという気持ちがわきあがってきた その為には外出しなければならないだろう〉という記述もある。

 小島容疑者は、社会復帰を目指して、昨年11月から障害者支援施設で働き始めたが――。

「勤務態度もまじめだったのですが、1カ月もしないうちに『ホームレスになりたいから辞めたい』と言い出したのです。『自分はホームレスをやったことがあって、食事を全然取らなかったときの空腹感が快感になって忘れられない』と。それっきり職場には来なくなった」(同僚)

 年末、小島容疑者は4度目の家出をする。

「『自殺する』と言ってロープを持って家を出て、寝袋で野宿しながら半年もの間、長野県内を転々としていたようです。生活費は祖母から貰ったキャッシュカードで下ろした年金を使っていた。このお金でナイフも購入したようです」(前出・社会部記者)

 そして6月9日、小島容疑者は凶行に走った――。

■あくまで「生物学上の産みの親」

 事件後、世間の耳目を集めたのが実父S氏の存在だった。

 テレビや新聞の取材に応じたS氏は、時折、薄ら笑いを浮かべながら、「私は生物学上のお父さんということでお願いしたい」と語り、小島容疑者のことを赤の他人のように「一朗君」と呼び続けた。

 S氏の真意はどこにあるのか。本誌はS氏の自宅で150分にわたり話を聞いた。

――「一朗君」という呼び方が波紋を呼んだ。

「(昨日の囲み取材で)『元息子』と言ったのも、けしからん父親だと炎上しているみたいで。じゃあどういう言葉が正しいんですか。(記者から)『お父さん』と言われると、最初に出ちゃうのが『生物学上の産みの親です』なんですよ」

――今でも父親であるという思いはありますか。

「はい。じゃあどういう表現をしていいの?」

――小島容疑者に食事を与えていなかった?

「一緒に食べないから作らないだけで、彼が自分で料理したものをとりあげたり、冷蔵庫を開けるなと言ったことはない。これを虐待と表現されると難しい」

――彼が自分でつくるようになった?

「冷凍食品とかですね。そこはひとつの自立みたいな。僕もこの年になって自分で作ったことない。申し訳ない(笑)。だから僕より大人だったんです」

――何か確執があった?

「まあ、話が噛み合わない」

――具体的には?

「例えば彼は中学時代、剣道をやっていて、検定試験で一級を取ったんです。そうしたら『一級とったからやめていい?』って言ったんだよ。僕としては、卒業するまでが部活、やめちゃいかんよ、という話をした。けれど、いつの間にか行かなくなってた。それで先生から電話がかかってきて、『行ってないらしいな』と訊いたら、『行ってる』と。こっちも『行ってねぇだろ』と激しくなるんだけど、私が説得しても曲げないんだから、もう無理だなぁと感じました」

■「引きこもるから外に出そうと思って」

――発達障害の疑いを5歳の頃に指摘されている。

「僕が聞いたのは、彼が高校生のとき。(病名は)僕見たことない。妻が聞いただけ。なんて病気なの?って聞いたら、そういう言葉(アスペルガー症候群)を使った。それが最初」

――不登校になり、中2から相談所に預けた。

「引きこもるから外に出そうと思って。(相談所に)泊まるようになったのは高校から。報道とは時期が食い違う(*相談所によると「時期は中2から」)」

――それ以前に、虐待やネグレクトがあったのか?

「虐待はありえない。この(夫婦の寝室で暴れた)とき、うちの子がお巡りさんに『虐待を受けている』と言ったんですよ。でも、アザとかケガはないから(警察も信じなかった)。その日が、僕が決断した日ですよ。(息子への)教育を放棄した。彼にやりたいことをやらせましょう。外の空気を吸って自立を証明しろ、と」

■息子の姓が変わることに苦悩はなかった

――相談所に預けたことは後悔していない?

「していないですね。仕事を辞めるまでは、よく頑張った。大人になった」

――施設に預けたことで、親の愛情が薄かったのではという意見もあるようだ。

「放棄と言われたら放棄だし、父親失格という表現になるのもわかる。ただ僕なりにやれることはやった」

――息子の姓が変わることに苦悩はあった?

「ないですね。ないっていったらおかしいですけど、これが最後の手段かな、と。またどこかへ行っちゃうくらいなら、同じところにいてください、と。(戸籍が変わるのは)やっぱり寂しいものはありますよ。でも彼にとって、これが最後の手段なら、難しいんですけど、単純にオッケー」

■「親子関係は“程度”の話」

――小島容疑者と最後に会ったのは?

「2年前の岡崎での法事のときですね。会社の給料で買った2万円の時計をしていて、『いいじゃん』って。立派になったなって。あの頃が彼のピークだったんじゃないかな」

――息子の私物とか、写真は実家にあるのか?

「今はもうない。捨てたと言ったら捨てた。(段ボールや物が積み上げられた室内を見渡しながら)見ての通りのゴミ屋敷ですので(笑)、彼の部屋は今は物置になっていて」

――相談所に預けてから、現在まで何回会った?

「法事などで4回だけかな。親子関係はない。でもそれは野球でいえば、(打率10割はありえなくて)3割50本120打点だとしても(凄い)。(親子関係も)どれくらいなのかという“程度”の話だと思う」

――母親は息子と父親との相性が悪いと話していた。

「父親のことは嫌いだったと思いますよ。でも事件前の6月8日こんなことがあった。寝ていたら『お父さん』という一朗の声が聞こえた。寂しそうで何か訴えるような声で。目を覚ましたら誰もいなかった」

■「取材を受けることが僕の贖罪です」

――インタビューに応じるのはなぜか。

「取材を受けることが僕の贖罪です。親の責任として受けた」

――事件後、奥さんとは何か話をしたのか。

「取り返しのつかないことをした。そういう言葉でしかセリフが出てこない。他に当てはまる言葉がない」

 時折、笑顔を見せながらS氏は淡々と話し続けた。

 一方で、小島容疑者の母は、知人に「私は生きていていいですか……」と漏らすなど憔悴しきっているという。事件後、母は謝罪の言葉とともに次のようなコメントを発表している。

〈今回このような事件を起こしたことは、(中略)青天のへきれきで、自殺することはあってもまさか他殺するなんて思いも及びませんでした。(中略)一朗は小さい頃から発達障害があり大変育てにくい子でしたが、私なりに愛情をかけて育ててきました〉

■なぜ自殺願望が他人に向かうのか

 言うまでもないが、発達障害が直接事件と結びつくものではない。

「 発達障害 」(文春新書)の著書がある昭和大学医学部・岩波明教授が語る。

「発達障害という病気は実はなくて、精神上におこる障害の総称。日本の場合はアスペルガー症候群を指す場合が多い。アスペルガー症候群は、いまは自閉症スペクトラム障害と呼ばれているのですが、対人関係・社会性の障害で、集団生活で溶け込めないということがしばしば起こり、不登校や引き籠りになるケースが多い。また発達障害の子供が親からのネグレクトや虐待に遭うというケースもかなり多いのです」

 様々なマイナス要因、不幸の連鎖が重なり、最悪のケースに至ってしまう。岩波氏は「彼の精神を荒廃させるような環境が事件に繋がった可能性はある」と指摘する。

「今回の事件を見ていると、必要な時期に適切な愛情を受けて育たなかったということはかなり決定的な気がします。大切に育てると社会的な予後が違う。犯人は、かなり自分に不全感を持っていて、それは親から見捨てられたという感情から来ているものもあったと思います。自殺も考えたということは衝動的な感情が内に向いていたということ。それが今回は逆に外に向かい暴発したともいえる。自分の内に向かうものが外へ向く、こうしたスイッチはわりと起こりやすい。今回の事件が発達障害の典型例かというとそうではないが、衝動的な行動パターンを選んでしまうというのは一つの特徴ではあります」

 凶行の最中、薄ら笑いを浮かべていたという小島容疑者、その胸に去来していた思いとは何だったのか。

(「週刊文春」編集部/週刊文春 2018年6月21日号)

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