「人生100年時代構想」がアベノミクス大反省会みたいになってて面白い

「人生100年時代構想」がアベノミクス大反省会みたいになってて面白い

(c)iStock.com

 先日、某シンクタンクの政策勉強会で「また官邸が程度の低い会議を立ち上げてブーイングが起きている」という話をされたので、どんな話をしているのかと思って内閣官房のサイトに見物に行ったんですよ。まーた税金使ってくだらん会議やってんのかと。

 そしたらこれ。

https://www.kantei.go.jp/jp/headline/ichiokusoukatsuyaku/jinsei100.html

 題して「人生100年時代構想」。ほっといてくれよ。最初タイトルだけ見たときはそう思いました。国民が寝たきりになりながら100年生きようが20歳で若い命を戦場で散らそうが好きで生きてるんだからどうでもいいだろと感じたんですけど、語られている中身を見てみるとコンパクトに有識者が問題意識をぶつける内容になっていて興味深いわけです。

■人生100年時代構想会議の大きなテーマとは?

 簡単に言えば、大きなテーマは2つで「アベノミクスの3本目の矢が失敗に終わったから教育改革と紐付けて生産性の高い仕事を実現できる知価社会を実現しよう」ってのと「年寄りは未来がないから死ね」であります。まあ、単純に生産性がマイナスになる老人に金使っても国益に資さないから、ほどほどにしておいて若者の教育や科学技術、企業と国民の働きやすさに力点をおいたほうがいいだろという話ですね。どこぞの長谷川豊が叫んでいた話を有識者が格調高く申し立てるとここまで薫り高い文言になるのかと思うと心が晴れやかな気分になれます。

 一番の日本の問題点というのは、高齢者の割合が高くなり、彼らが病気がちになって働けなくなると、国としては生産性のなくなった彼らから税金を取れない以上に年金を払ったり健康維持のための費用を肩代わりしなければならなくなったけれども、減少する若い人が生み出す貴重な生産性を高齢者のために使って良いのか、という話であります。あ、これは私がそう言ったんじゃなくて会議をしている有識者の話をまとめるとこんな感じだって話だからね。私の意見じゃありませんよ。

■心意気だけでは将来は見えないし、給料も上がらない時代の構想

 でもまあ、働き方改革のようなネタも含めて思い返すと、高齢者を健やかに寿命まで生きながらえさせるという理想はもちろん崇高なものなんですよね。「お爺ちゃん、長生きしてね」は美しい日本の姿だとは思うんですよ、ええ。しかし、それを実現するためにいつ死ぬかもしれない老人の介護に若者の貴重な労働時間を費やさせて、これといったスキルを得ることもなく安月給の介護の現場で疲弊させて良いのかという議論になるのも仕方がないところではあります。

 どんなに頑張って介護したって、老人はそのうち死ぬんだよ。でも、ありがとうと思って逝ってもらいたい。なんだろう、この複雑な心境。見ず知らずのご縁もない老人がくたびれた姿で助力を求めるのであれば、人間として、あるいは日本人同胞としてせめてこの社会に生きたからには「日本で生まれ、暮らしてきてよかった」と思いながら生を全うして欲しいという気持ちはあります。

 そういう弱い人をなんとかしてあげたいという献身的な精神で介護に取り組むのは良いことなのでしょうが、そういう人たちも心意気だけでは将来は見えないし、給料も上がらないでしょうから、相応の稼ぎを得て結婚して、子供を儲けて、とはならないのが難点です。

 だからこそ、限りあるリソースを今後バンバン増える高齢者のために使うよりは、未来の日本を担う日本の若者のために使うべきだという議論は当然起きます。というか、少子化対策や育児の現場では予算不足が著しい側面もあり、幼少期教育を担う保育園・幼稚園の無償化や、将来的な高等教育についても改革が必要だと有識者はみな口を揃えて言うわけですね。

■日本の優秀な頭脳が海外に流出するという話は、産業界でも発生中

 ところが、実際に起きていることはディズニーランドでポップコーンを買い求める家族のような長蛇の列になっている待機児童だったり、線引が曖昧でどういう学生を入学させようとしているのかさっぱり分からない大学でのAO入試だったり、まあ部分最適を追い求めた結果の予算不足であることに間違いはありません。社会保障費の総額は国庫負担分も併せて120兆円を優に超えた割に、子供を産んだり育てたりするための費用はまあたいした予算がついてないってのが現状なんですよね。死ぬ日本人のために金を使って、これからを支える日本人に金を使わないのは、人生100年時代とか言ってる場合じゃないぐらい大変なことだろうというのはまあ理解はできます。

http://www8.cao.go.jp/shoushi/shinseido/meeting/kodomo_kosodate/k_27/pdf/s1_1.pdf

 ただ、これからの日本人に金を使い、日本の生産性や産業の競争力に資する科学研究に予算を投下する姿勢というのは、アベノミクスからすると「頑張ってはいたかもしれないが、もっとも成果が出なかった分野」であることは間違いがないのも事実です。安倍晋三総理においては明らかな失政と言える部分であって、世界の大学ランキングは計測の仕方に問題があるとは言え東京大学で46位、日本で2番の京都大学で74位です。言い方は悪いですが、春入学のこんなレベルの大学がたとえ高等教育無償や負担減免を実現しても、本当に優秀な日本人子弟は国家の扶助を受けることなく海外の大学や研究機関に転出してしまいかねないという懸念は健全な危機感としてもっておくべきであろうと思うわけです。実際、日本の優秀な頭脳が海外に流出するという話は、先に産業界で発生し、日本の家電や科学技術を支えた研究者や技術者がアメリカや中国、韓国の企業に高給で引き抜かれ、日本が東芝やシャープ、オリンパスの問題ですったもんだしている間に抜き去られた分野が出てきてしまったというのは世耕弘成さんを1000回失脚させても拭い去れない喪失でした。

■国家100年の大計を考えるのなら、教育経済学より遺伝行動学

 出生・子育てにせよ、働き方改革にせよ、今回の「人生100年時代構想」では旧民主党を支えた最大の支持団体・連合の意見も聞きながら進めているという点で、真の意味でオールジャパンの動きにしていこうという強い気持ちがあることは分からないでもありません。予算の面でもさることながら、単発の大学入試改革だけでなく、日本がどのようなナショナルアイディアで国富を積み上げ、次の世代によりよい社会を引き渡せるのか、本来は考える必要があります。

 また、本当に人生100年時代を考え、国家100年の大計を考えるのであれば、すでに旬を過ぎた教育経済学のようなアプローチよりも、遺伝行動学のように本当の意味で人間社会の本質に迫る知見をベースに証拠(エビデンス)を積み重ね、国家と社会と教育のあり方を考えなければただ「国際的な周回遅れの日本が、周回遅れのまま先進国の後塵を拝し続けることを認める会議」になりかねません。そもそも、学力は遺伝で6割が決まっているものであって、勉強に不向きな子供を無理に大学に入れ、大学の入学者数を維持しようとすることで、定員割れして統廃合の対象となるべき大学を温存して文教・科学教育予算を無駄にすることに意味があるのか、というところから議論しなければならないでしょう。

 論文もないのに知名度だけで教授に任命してしまう大学や、海外から有望な研究者を招聘しても俸給も研究体制も満足に与えられず逃げられてしまう現場についても考えるべきでしょうし、そういうところに政府が金を出してどうにかしてやるのは文字通り砂漠に水をやるようなものです。

■加計学園問題で大学教育問題が矮小化されたという不幸

 日本人にとって不幸だったのは、そういう大学教育の現状や政策の行き届かないところについてもう少しきちんと話し合うべき時期に、なぜか安倍ちゃんのお友達である加計学園問題が獣医学部の要不要や大学認可の問題へと矮小化され、必要な人材育成を行える大学教育のあり方の問題を捻じ曲げて単なるゴシップ、スキャンダルにしてしまった、という点にあります。

 ご関心のある方は、冒頭に置いた内閣官房へのリンク、読んでみると面白いと思います。著名な各界の有識者が、A4ペラ2ページぐらいのラフな資料にエッセンスだけを詰め込み、これが国家の基本戦略に強く影響を与える(かもしれない)会議で堂々と語られているんですよね。これで会議を成立させている官僚の皆さんは本当にお疲れ様だなと思うわけですけれども。

(山本 一郎)

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