がんと闘った天才物理学者 66歳で逝去した戸塚洋二があの日、私たちに問いかけたこと

がんと闘った天才物理学者 66歳で逝去した戸塚洋二があの日、私たちに問いかけたこと

亡くなる1ヶ月前、対談時の戸塚洋二氏 ©?文藝春秋

「戸塚さんが亡くなったよ」

 2008年7月10日、立花隆氏からこんな留守電が吹き込まれていた。戸塚さんとは、当時の物理学界を代表する研究者、戸塚洋二氏のことである。ノーベル賞受賞も確実視されていた。

 留守電を聞いて、インターネットのニュースサイトを開くと、たしかに訃報が載っていた。享年66歳である。 

 愕然とした。

■訃報の1カ月前に行われていた対談

 立花氏と一緒に戸塚氏に会ったのは、その1カ月ほど前である。立花氏は当時、月刊「文藝春秋」で膀胱がん手術の体験記「僕はがんを手術した」を連載していた。その番外編として、がん患者でもあった戸塚氏との対談記事を同誌に載せるのが訪問の趣旨だった。

 筆者は1990年代後半の学生時代、立花氏のゼミを受講した。それ以来、折にふれ、立花氏の取材の手伝いをしたり、本の編集をしたりするなどの付き合いが続いている。

 対談場所は、一番町の日本学術振興会学術システム研究センターのオフィスだった。戸塚氏はさすがに元気とは言いがたい様子だったものの、自宅からそこまで一人で来たと仰っていた。それなりの体力はあるのだろうと思っていただけに、1カ月後の逝去に心底驚いた。

 筆者がまとめた二人の対談記事「がん宣告『余命十九カ月』の記録」は、「文藝春秋」の2008年8月号に掲載された。奇しくも、戸塚氏が亡くなったのは、その発売日だった。

■2002年のスーパーカミオカンデで

 戸塚氏の発言でよく覚えているのは、2002年の夏、立花氏に同伴して岐阜県神岡のスーパーカミオカンデを見学したときに聞いた「生物学は科学なのか」というものだ。

 スーパーカミオカンデは、宇宙から降ってくる素粒子である宇宙線を観測する装置である。かなり大ざっぱにいえば、10階建てビルがすっぽり収まるタンクに水を満杯に入れ、タンクの壁面に巨大な電球をぎっしり敷き詰めればスーパーカミオカンデのできあがりである。

 巨大な電球と言っても、スーパーカミオカンデに据え付けられているのは光電子増倍管と呼ばれ、普通の電球が電気を光に換えるのに対して、光電子増倍管は光を電気に換える。

 宇宙線は水と反応してチェレンコフ光と呼ばれる微弱な光を出すが、これを検出するのが光電子増倍管の役割だ。四方八方から飛び込んでくるエネルギーの高い宇宙線を岩石でブロックするため、山の中に設置されている。

 スーパーカミオカンデが狙うのはもっぱらニュートリノと呼ばれる素粒子だ。幽霊粒子とも呼ばれるこの粒子は、他の物質とほとんど反応しない。われわれの体はもちろん、地球すら簡単に貫通する。しかしまれに反応することがある。そこで巨大タンクで、いわば大きく網を張って、感度の高い検出器で、ニュートリノ反応の痕跡を捉えようというのである。

 同じ神岡鉱山の別の場所に設置されていたスーパーカミオカンデの前身であるカミオカンデは、1987年に地球から16万光年離れた大マゼラン星雲で起きた超新星爆発で生じたニュートリノを検出している。この功績で、戸塚氏の師である小柴昌俊氏が2002年のノーベル物理学賞を受賞した。私と立花氏がスーパーカミオカンデを訪ねたのは、この受賞が決定する少し前だった。

■物理学者の矜持を感じた戸塚氏の“ことば”

 さて、どういう話の流れで、戸塚氏が生物学に疑問を呈し、科学を名乗るに値しないといった内容の発言をしたのか今となっては正確には思い出せない。生物学の対象となる細胞なり、動物なりを観察する過程において、どうせ個体差を調べてもその由来は解明できないからと、個体差を無視あるいは軽視する姿勢に不満を持っているようだった。

 ニュートリノにも種類が幾つかあり、それぞれの「個体差」を小数点以下に0がいくつも続く精度で観測し、そのデータを何年も蓄積することで、質量なしとみなされていた従来の理論を覆したのが戸塚氏や、共同研究者で、この業績により2015年のノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章氏らである。

 一口に生物学と言っても様々なので、筆者自身は、生物学が科学ではないというのはさすがに言いすぎだと思う。しかし、素粒子物理の最先端で、超高精度の観測実験をしている物理学者の目には、生物学すら科学に見えないのかと、戸塚氏の発言に物理学者の矜持を感じた。

■ビッグデータ時代の到来を見抜いていた

 大腸から左右の肺、肝臓、骨、脳にまでがんは転移したが、戸塚氏は自身のがん闘病でも体を観測対象に見立て、それぞれについて抗がん剤治療と腫瘍マーカーの増減の関係をグラフ化したり、CT写真から腫瘍サイズを測って経時的に大小の変化を追跡したりした。そうしたデータを戸塚氏は医者に見せても、個体差があるから数値化しても仕方ないと取り合ってもらえなかったらしい。

 個体差があるからこそ、その違いを数値化し、たくさんの個体のデータを収集すべきという戸塚氏の考えは、ふり返れば、慧眼と言うほかない。戸塚氏は「理数系の人間と医療系の人間が一緒に仕事をしたらいい」とも指摘していた。当時は、理数系と医療系は水と油のような関係に思えたが、今では医療機関が理数系、特に画像認識など人工知能技術に強みを持つベンチャー企業と手を組むことは珍しくない。研究もビジネスもビッグデータ全盛時代である。

 ヒトゲノムやがんのゲノムをシーケンサーで解析し、そのデータを、がん関連の大量の論文を読みこませた人工知能に入力して、最適な治療法を探るといった取り組みもはじまっている。こうした医療系と理数系をかけ算するような試みをニュースなどで見聞きすると、戸塚氏の発言をよく思い出す。

 筆者は、冒頭に触れた立花氏の留守電を1年くらい保存していた。留守電の大半は「電話ください」とか「○○の記事をコピーして送って」といった指示の内容で、そういうものはすぐに捨てたが、戸塚氏の死を伝える震える声だけはなかなか消去できなかった。

(緑 慎也)

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