相模原殺傷「私が死ななくては解決できない」……1年半の文通で植松被告が見せた“ある変化”

相模原殺傷「私が死ななくては解決できない」……1年半の文通で植松被告が見せた“ある変化”

植松聖被告から届いた手紙

〈今回の事件は、私が死ななくては解決できないと考えております。もちろん全く死にたくありませんが、そうでないと話がまとまらないだろうと思います〉

 2年前の4月27日付の手紙で、植松聖被告は私にこう打ち明けている。彼との手紙のやりとりが始まったのは、事件から1年半が経った2018年の2月。その手紙は文庫本1冊をゆうにしのぐ分量になった。

■突然口に手を突っ込み暴れ出した初公判

 1月8日、横浜地裁で行われた初公判の顛末を聞いて、この言葉が頭をよぎった。被告は殺害の事実を認め、「皆さまに深くお詫びします」と述べた後、突然口に手を突っ込み暴れ出したのだ。舌を噛む自害のポーズにも見え、裁判所の説明によると「右手の小指を噛み切るような動作」だったという。

 2016年7月26日未明、神奈川県相模原市の知的障害者施設「やまゆり園」に複数の刃物を用意した男が侵入し、1時間あまりのうちに19名を殺害、26名に重軽傷を負わせた。当時26歳の犯人・植松聖被告は「やまゆり園」の元職員で、逮捕後一貫して「意思疎通のできない障害者を安楽死させた」と犯行の正当性を主張した。

■言葉を潜在的な凶器としてなされた犯行だった

 逮捕後の接見禁止が解かれてからの植松被告は、取材者を通じて「自分が殺したのは人間じゃない」という自分の主張を喧伝していた。(参照:「“不良”というブランドに憧れていた」相模原殺傷、植松聖被告から文春記者に届いた手紙――文春オンライン  https://bunshun.jp/articles/-/24729 )

 ここで忘れてはならないのは、この犯行が言葉を潜在的な凶器としてなされたという事実である。

 実際、植松被告は犯行前から「会話が人間の文化であり、幸せの共有に不可欠のものです」「意思疎通ができなければ動物です」(友人へのLINEより)と、言語能力の有無で人間を分け、犯行の最中も

<(引用者註:相手が)意思疎通がとれるか職員に確認し、自分でも挨拶をしています>(私への手紙)

  と言葉に判断基準を置いて殺すか殺さないかを決めている。

 さらに、植松被告は短く、的を射たような表現や使い勝手のよい用語に飛びつき、繰り返し使いたがるように見えた。犯行後、「安楽死」させてよい者を指す「心失者」なる用語を造ったのもその一例だ。

 言葉が犯行の主軸ならば、彼自身の言葉にこそ、犯行の動機や彼の人間性、思想がより色濃く表れるのではないかと考え、私は手紙を送り始めた。

■「私の恥を晒すことはご勘弁頂けましたら」

<おっしゃる通りで、私は言葉に縛られておりますが、それは、言葉だけが人間と動物を区別する材料になり得るためです。話せる障害者は中堅職員が「お金が無い」と話していると、絶妙なタイミングで「いい年こいて情けねーなー」と言い放ち、他には「名前飽きちゃった」と言うので〇〇〇〇と名付けると、大喜びしてくれました>

 最初の返事で植松被告は、こう書いている。この手紙ではまた、

<心失者を本心で擁護するのはその家族か脳性マヒ者だけで、彼らは人に迷惑をかけてあたり前と考えなくては自負を保つことができません>

 と述べ、「全国青い芝の会」(※脳性マヒ者による障害者運動団体)の行動綱領が引用されていた。あちこちから面会希望や手紙が来るのだろうな、と想像させられる。そして、

<世界の格言には「正義はなされよ、悪党が滅びようとも」とあります>

 とカントを引用するのである。それをどう解釈して引用したのか、説明らしい文言はない。植松被告らしいな、と私には思えた。

 率直に評して、彼は優秀な思想青年ではなかった。犯行の正当化と不可分の関係にある「安楽死」案は頭打ちになり、なんでもかんでも「税金」や「国の負債」を楯にする。こちらのちょっとした事実確認に対し「(自分の)指をへし折ってやりたい」「私の恥を晒すことはご勘弁頂けましたら」などと過剰に反応する彼に、私は思っていた以上の弱さと自愛を感じた。

■手紙のやりとりの中で、植松被告に起こったある変化

 犯行当時からこの手紙のやり取りまでに、大きく変化した点があった。植松被告は当初、彼の標的とされた人々の家族には同情的だった。犯行前の衆議院議長に宛てた手紙(「保護者の疲れ切った表情……」)からも犯行直後の供述(「突然のお別れをさせるようになってしまい……謝罪したい」)からもそれはうかがえる。しかし私に返事を書いてきた時にはもう、家族を悪役と見なす考えに染まっていた。

<働かないで年間120万円貰えれば、それなりに幸せなのは当然です>

<それは、心失者をやしなうための金銭ですが、実際は家族が自身の生活費、パチンコや車の購入、家のリフォーム等に使用されています>

 さらには施設の職員を、

<障害等級を上げる為に嘘の報告をしてより多くの金銭を騙し奪っていた詐欺師>

と批判する。

 手紙のやりとりをするうちに私は、彼が「安楽死」の主張にこだわるのは単に自分の命が惜しいからではないか、と感じるようになっていた。殺した相手を人だと認めると死刑に直結すると思い込み、それが怖いから「人ではない」としたがるのではないか。

 ところが3通目の返事で、不意に彼の方から自身の死を話題にしてきたのだ。「今後社会貢献するつもりがあるか」という問いに対し植松被告は、こんなことを綴ってよこした。

<私が娑婆に出たら男子校「百山学院」を創ります。百の山をも乗り超える強く優しい日本男子の育成に努めます>

 そしてその直後に書かれていたのが、冒頭に引用した「私が死ななくては解決できない……」という言葉だったのだ。

 またこの手紙では初めて

<(註:被害者の中に)本当に会話ができる方がいたとしたら、それはとても申し訳なく思います>

 と、自分が誤っていた可能性に言及した。

 だが残念ながら、それが今日までに私が受け取った、被告からの最後の手紙となってしまった。御しにくい大人と思い、敬遠したのかもしれない。

■被告からの最後の手紙に書かれていたこと

 初公判に話を戻す。植松被告は暴れる前に、「皆さまに深くお詫びします」と述べたそうだが、「皆さま」とは誰を指すのだろうか。犯行直後と同様に、犠牲者の遺族なのか? それとも彼が3年半前に刃物で殺害し、その後長きにわたって言葉で殺し続けていた方々を、ようやく“人”と認め謝罪したのか?

 法廷では大方の予想通り、もっぱら責任能力の有無が争われることになったようだ。だが植松被告には犯した罪と真摯に向き合って欲しい。

 もう1点、被告の手紙から引用して締めくくる。最後の手紙で被告は私にこんな質問をしている。

<一年程前、旦那を殺害遺棄した妻が「デリートッ? 削除するぞっ?」と意味不明な発言から不起訴(即無罪)になりましたが、このような化け物が社会でのうのうと暮らす現実をどのように考えていますか?>

(前川 仁之)

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