“全員団結”で東京五輪へ?――スポーツに政治を持ち込む自称・右派の浅ましさ

“全員団結”で東京五輪へ?――スポーツに政治を持ち込む自称・右派の浅ましさ

野球のU-18W杯出場で、釜山の空港に到着した佐々木(左)と奥川 ©共同通信社

 昨夏の甲子園大会で準優勝に輝いた星稜・奥川恭伸投手(18)や163km右腕の大船渡・佐々木朗希投手(17)らを擁するU‐18日本代表が「U‐18ワールドカップ」参加のために渡韓したのは昨年8月28日のことだった。

 この際に騒動となったのが、代表選手たちの着用したポロシャツから日の丸を外した日本高等学校野球連盟(八田英二会長)の決定である。

■三原じゅん子議員「韓国への配慮とか必要なのでしょうか」

 7月に日本政府が韓国への半導体製造の材料などの輸出規制の強化を行い、これに反発して韓国国内では反日運動が激化。直前には旅行中の日本人女性が、誘いを断った韓国人青年に暴行を受けた事件なども大々的に報じられ、日韓関係が戦後最悪と危惧される情勢だった。

 その中で「韓国の国民感情に配慮して、日本を前面に出すのはやめようと思っている。日韓関係が悪化していることと、スポーツをすることは別なので、我々は真摯にプレーすることだと思う」(竹中雅彦事務局長・当時)と高野連が、通常は白地のポロシャツの袖につけてきた“日の丸”を外す決定を行った訳だ。

 無用な刺激を避けて、選手の安全を配慮した決定だったが、これに対して「過剰な忖度」とネット論壇を中心に批判が湧き上がった。テレビのワイドショーでも、あたかも国の姿勢を示す大問題であるかのように論議されると、そこで出てきたのが一部の右派をもって任ずる政治家だったのである。

「スポーツの世界で、日の丸を背負って闘う日本代表選手たちに、韓国への配慮とか必要なのでしょうか」

 こうツイッターでつぶやいたのは三原じゅん子参議院議員だった。他にも和田政宗参議院議員らが、この“日の丸外し”に疑問を呈するコメントを発した。

 高野連の処置は全く政治的決定ではない。選手の安全を配慮したものなのは明らかだ。また試合をするユニフォームから日の丸を外したのでもない。戦後最悪と言われる日韓関係の中で、日の丸をつけて戦うのはグラウンドの中だけでいいということだ。ましてやスポーツとは戦う相手がいて初めて成り立つもので、だからこそ相手に対するリスペクトは不可欠である。そういう背景の中での“日の丸外し”だった訳である。

■スポーツを“政治利用”するムード

 ところがそこで政治的な思惑や話題性に飛びついてすぐに口を挟む自称・右派の浅ましさ。選手の身を案じるより、勇ましさや日の丸の責任を押し付ける人びとにはスポーツを語る資格は一切ない。

 東京五輪を控える中で、我々がもう一度、戒めなければならないのはこうしたスポーツに政治的なナショナリズムを持ち込もうとする論調であり、それを政治的に利用しようとする政治勢力である。特に気をつけなければならないのが、五輪のメダルとナショナリズムをリンクさせることで、スポーツを政治的に国威発揚の場に利用しようというムードではないだろうか。

 オリンピックの歴史の中でスポーツと政治的ナショナリズムを連結したことで、最悪の見本と言われるのが1936年のベルリン大会である。

 別名「ナチ・オリンピック」とも呼ばれるこの大会では、33年に政権をとったアドルフ・ヒトラーが国威発揚とのちのユダヤ人虐殺につながる「アーリア人の民族優勢」を示す大会として位置づけ、メダル獲得に国家的事業として取り組んだ。その結果、ドイツは89個のメダルを獲得し、2位のアメリカの56個を抑えて圧倒的な勝利を収めている。この大会の模様はレニ・リーフェンシュタール監督の指揮で「民族の祭典」と「美の祭典」として映像化され、ナチスドイツのプロパガンダとして国内外に大きな成果を収めることとなったが、その後の歴史的な惨劇は説明の必要もないはずだ。

 アスリートたちの心にはもちろん勝利への強い思いがあり、その先にメダルというものがある。そして自分自身のためだけではなく家族や友人、そして生まれ故郷や国への思いが、勝利へのモチベーションとなるケースもある。ただそれはあくまで選手個々が心に秘めて戦うもので、その思いを安易に国のためと求めたり、政治的に利用すべきではないということだ。

「金メダル候補で日本が本当に期待している選手だからガッカリしている」

 2月に競泳の池江璃花子選手が白血病であることを発表した際に、当時の桜田義孝五輪相が語った言葉だ。

「オリンピックの神様が池江璃花子の体を使って『オリンピックとパラリンピックをもっと大きな視点で考えなさい』といってきたのかな」

 直後の講演でこう語った橋本聖子現五輪大臣は、スポーツ界で問題になっていたパワハラ問題やガバナンスの問題にリンクさせてこうも語っている。

「そんなことで悩んでいる場合ではない。もっと前向きにやりなさいよ、と池江璃花子を使って叱咤激励してくれているのではないかとまで思った」

■「日の丸はスタンドにあろうとなかろうとあまり関係ない」の真意

 これらの軽率な発言には当然、多くの批判が集まった。ただ何より怖いのはオリンピックに関わる政府の中心的人物の間にも、政治とスポーツを切り離すという意識が欠如していることである。

「結局は自分の中に思いがあれば、それはスタンドにあろうとなかろうとあまり関係はないと思います」

 2006年の第1回ワールド・ベースボール・クラシック直後にマリナーズ時代のイチローを取材した時の言葉だった。イチローもこの大会での日の丸の重みを熱く語っていたが、その一方で日の丸のフラッグが戦う上での力となったか、という質問にはこんな風に答えていた。

 スポーツは自称・右派の人々が唱えるような、国威発揚の道具では決してないし、そうであってはならないはずだ。日の丸はポロシャツの袖になくても、選手の心の中にあればいいものなのである。

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(鷲田 康/文春ムック 文藝春秋オピニオン 2020年の論点100)

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