“武闘派ヤクザ”高山若頭の支配力――山口組が大きく揺れ始めた「2007年のある殺人事件」とは?

“武闘派ヤクザ”高山若頭の支配力――山口組が大きく揺れ始めた「2007年のある殺人事件」とは?

高山清司若頭 ©共同通信社

「組員6000人の顔写真を入手済み」警察vs.山口組「特定抗争」指定をめぐる水面下の暗闘 から続く

「知力と武力を兼ね備えた男だ」

 指定暴力団「6代目山口組」の若頭、高山清司が2019年10月に刑務所を出所したことをきっかけに、「神戸山口組」との間で銃器を使った凶悪な対立抗争事件が続発している。

 冒頭で紹介したのは、組織犯罪対策を担当している警察庁幹部が語った、高山の人物評である。

■「1000億円を稼ぎ出した」

「知力」というのは信賞必罰を旨とした組織運営に長けているうえ、組織維持のために必要なシノギ(資金獲得活動)にも秀でているといったことだ。名古屋を中心とした中部地域での高山の経済活動のうち、特に中部国際空港建設の利権が以前から指摘されてきた。

 事情を知る山口組幹部は、「シノギは何と言っても中部国際空港が最も大きい。全部で1000億円稼いだとも聞いている。砂利などのほか諸々の建設資材などの調達、ダンプカーなどでの運搬でもカネが落ちるよう様々な利権を拡張していったようだ」と説明する。

 警察庁幹部もこの点について補足するように同趣旨の解説をする。

「砂利については合法、違法を含め大きな利権だった。採取地は三重県から和歌山県にかけて広範囲にわたっていた。違法採取の砂利は、ある会社を通すとクリーンな砂利になって納入されていたようだ。違法な砂利のロンダリング(洗浄)だ。そのほかセメントだとか何だとあらゆる利権に手を広げ徹底してシノギを集めていたようだ」

「武力」とは高山出所というだけで、各地の山口組傘下組織による神戸山口組系幹部を襲撃する抗争事件が続発していること指す。

 警察庁幹部は、次のように指摘する。

「高山が(刑務所から)出てくるというだけで、事件が起きて何人も死んでいる。動機はどうあれ高山出所で、(山口組傘下の)各団体が自らの力を誇示するように神戸山口組側の幹部に攻勢をかけている。とにかく動きが加速している」

 山口組幹部は「ヤクザというのは、親分の表情を見て何を考えているか忖度し、先回りして動くもの。親分が『あいつを殺せ』などと言う訳がない。そのような指示を出していたら、後々に事件の全容が判明した段階で殺人容疑の共犯となってしまう。絶対にある訳がない」と強調する。各地で山口組傘下組織が高山の意向を踏まえ、指示がなくとも走り出しているのが実情だ。

 武力については、ただ粗暴な手段で対立組織を攻撃するだけでない。対立組織を分断して弱体化させたり、ナンバー2、3クラスの最高幹部に接近して“後ろ盾”となり、トップに揺さぶりをかけたり、その手法は様々だ。「戦わずして勝つ」という巧緻に長けた動きも窺える。

 智謀をめぐらせるだけでなく、弘道会の前身組織に所属していた若手のころは群雄割拠の中京地区の暴力団社会の平定に自ら乗り出し、結果として対立抗争事件で長期の服役も経験している。

 弘道会が山口組内で影響力を増して行くにあたり、資金不足の山口組内の他の傘下2次団体の幹部らに融通するなど、カネの力による山口組内の“与党形成”にも余念がなかった。高山は「武闘派ヤクザ」であるとともに、「経済ヤクザ」としても知られ暴力団社会で大きな存在を占めてきた。

■弘道会支配への道

 山口組は、3代目の田岡一雄が組長を務めていたころに全国に勢力を拡張し、3代目時代に長く若頭を務めた山本健一が創設した山健組が保守本流の組織として、山口組内でのブランドとされてきた。4代目組長の竹中正久は就任後、今回同様の内部分裂から引き起こされた山一抗争の際に暗殺され、5代目山口組組長には山健組出身の渡辺芳則が1989年に就任した。

 それ以降は、山口組内の「山健組支配」が続き、「山健組にあらずんば、山口組にあらず」とも評された。一方の弘道会も、山健組に迫る組織へと巨大化し、双方の組織は山口組内の2大派閥と称された。こうした経緯を経て、司忍は2005年8月、渡辺を追放する形で6代目に就任。ナンバー2の若頭に同じ弘道会出身の高山を指名。山健組支配に終止符を打ち、司・高山体制に移行すると弘道会支配を確立した。

■山口組の権力闘争を自民党に例えると…

 山口組内部の権力闘争を長年ウオッチしてきた捜査員は、自民党の派閥抗争の歴史になぞらえる。

「暴力団社会について詳しくない人に分かりやすく例えると、山健組の本部は(3代目の)田岡が本家を構えていたのと同じ神戸市内だし、山口組内での本流意識が強い。弘道会は名古屋が拠点ということなどもあり傍流だ。山健組は長年、自民党を支配してきた竹下派経世会みたいなもの。竹下登、橋本龍太郎、小渕恵三と多くの首相を輩出した。弘道会は経世会支配の下で耐えてきた清和会(現細田派)のような存在」

 その後の経緯も永田町に例えて解説する。

「司と高山がのし上がってきて、山健組出身の(5代目山口組組長の)渡辺を排除した。組長の地位の禅譲、というよりはクーデターだった。この2人の活動は、『自民党をぶっ壊す』と叫んで登場し経世会支配を終わらせた清和会出身の元首相、小泉純一郎のような存在に見えた」(同前)

 小泉内閣の発足は2001年4月。司の6代目山口組組長就任は2005年8月で、小泉内閣発足後だ。「司とは」「弘道会とは」という説明するのに、こうした例えの通りがよかったのだろう。小泉内閣の後も、2012年12月からは同じ清和会の安倍晋三が首相となり、8年目の長期政権となっている。司も6代目組長となり長期にわたり山口組を支配している点も、あえて挙げれば共通点と言えそうだ。

 首相を輩出した派閥は党内で幅をきかすのは常の事。敗れた派閥は傍流に押しやられ、そこに怨念が生まれる。山口組の中でも同様のことが起きていた。

■神戸山口組系の組織の解散

 2019年12月、神戸山口組は神戸市内の関連施設で年末恒例の納会を開催した。

 同組組長の井上邦雄をはじめ最高幹部が出席したなか、重鎮とも呼ぶべき最高幹部の太田守正は欠席した。太田は自らの団体である太田興業を率い神戸山口組舎弟頭補佐でもあったが、解散を宣言したのだ。

 さらに、年が明けた2020年の年始には別の神戸山口組系の有力組織でも解散の動きがあることが発覚。先行き不穏な年始となった。

 年末年始にこうした動きが露呈したのは前年の内部統制に疑問符が付きそうな動きが原因となっている。発端は、2019年4月に起きた、神戸山口組の中核組織、山健組の若頭、與則和が山口組組員に刺され重傷を負う事件だった。

 暴力団業界では「やられたらすぐに報復に出る」のが常識。さらに、報復に出るには若い衆が親分の意をくんで自ら動くものとされているが、山健組は即座に動かなかった。約4カ月後の8月、山健組組長の中田浩司が自らヒットマンとして山口組組員を銃撃、組員は病院に搬送されたが、右腕に集中的に弾が命中しており切断せざるを得なかったという。この事件で中田は12月に殺人未遂容疑で逮捕された。

 事件後、中田は神戸山口組組長の井上に顛末を報告したが、この際に厳しい叱責を受けたという。警察庁幹部が解説する。

「井上が怒ったのは、ひとつは山健組の親分が自分で行くほど組内の下の者たちを信用出来ないのかということと、もうひとつは下にケンカを任せられるような人材がいないのかということ。この2点について、世間に恥をさらしたと叱責したようだ」

■山口組が揺れ動いた2007年の事件

 8月の事件が神戸山口組に与えた影響は大きいと、山健組について詳しい山口組幹部も口にする。

「親分が自ら行くということは、組織としてなっていない、統制が全く取れていないという恥をさらすようなもの。山健組と言えば、かつては巨大組織だった。今は離脱者がかなり多いのではないか」

 この幹部が述べるように、山健組は5代目山口組時代には組内で最大派閥を誇り、6000人以上の勢力を誇っていた。しかし、この幹部は、「ある事件から、揺れ動きだした」と振り返る。

 幹部が指摘する、ある事件とは、2007年5月に神戸市内で発生した山健組傘下の多三郎一家総長、後藤一男の殺害事件だという。

 山口組が6代目体制となり、それまでの山健組支配から、次第に弘道会支配へと、組内力学が変化し出したころだ。不満を抱いた後藤は公然と6代目執行部や弘道会を批判。中でも当時、山口組本家の若頭に就任していた高山批判を繰り返していたという。

 こうした場合は、後藤が総長となっていた多三郎一家は山健組傘下のため、弘道会としては山健組に問い合わせをするほか、止めさせるよう申し入れするとみられる。しかし、山健組は後藤に対して批判を控えるよう説得することはなく思いも寄らぬ行動に出た。

 後藤を刃物で襲い殺害し、公然と高山批判をしていた口を封じたのだった。殺害場所は神戸市内の山健組本部近くだった。事件は後になって、山健組幹部数人が殺人容疑などで逮捕される。事件の顛末を振り返ると、山健組執行部が弘道会に白旗を上げたのも同然の結末だった。

■「山健の先代がいれば…」

 当時を知る山口組幹部は、「この事件あたりから山健組はおかしな行動を取るようになった。当時の山健の先代がいたころは、筋目がしっかりして、統制が取れた山口組内のブランドだった」と振り返る。

「当時の山健の先代」とは、5代目山口組若頭補佐で山健組組長だった桑田兼吉のことだ。

 5代目山口組時代には、山健組組長として自らの組を率い山口組では若頭補佐を務め、重鎮として大きな存在感を示し山健組による山口組支配を事実上、取り仕切っていた。しかし、桑田は1997年12月、東京・六本木の路上でボディーガードに拳銃を持たせていたとして、銃刀法違反の現行犯で警視庁に逮捕され社会から隔離されることになる。

 その後は裁判が続く中、2005年に山健組の組長の座を現在の神戸山口組組長の井上邦雄に譲り引退、2007年4月に病死している。多三郎一家の後藤が殺害される1カ月前のことだった。山健組の現状に疑問符を投げかけていた山口組幹部が語る。

「先代がもう少し生きていれば、山健はこのようなことにならなかったのではなかろうか」

 神戸山口組の中核組織である山健組の組長、中田が逮捕されたことで、長期にわたり社会から不在となり、神戸山口組の迷走も続きそうだ。

 こうした状況で、「御通知」というタイトルの令和2(2020)年1月12日付の書面が暴力団業界に回された。

 神戸山口組から2017年4月に分裂して結成された「任侠山口組」が、山口組の看板を外して「絆會」と名称を変更するという内容だった。書面には「山口組の再統合と大改革を目指して参りました」「現状では極めて困難で有ると判断致し、新たなる出発をする事と致しました」(一部抜粋)と理由が記載されていた。

 警察当局によると、山口組の名称を外したのは「高山の圧力」だという。

 山口組若頭という絶対的で強大な地位にある高山の神戸山口組、任侠山口組(現・絆會)への圧力、中核組織の山健組の組長逮捕などによる神戸山口組の迷走など動きは混迷化している。

 しかし、高山も安泰ではない。2020年1月、山口組と神戸山口組を特定抗争指定暴力団として強い規制に乗り出した警察当局が最重要ターゲットとしているのは引き続き高山だ。今後も暗闘が続く。

(敬称略)

「カジノはシノギになる」と幹部は不敵な笑み “経済ヤクザ”高山が仕切る山口組「次の一手」 へ続く

(尾島 正洋/週刊文春デジタル)

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