成人式、源泉徴収、紅白歌合戦……2030年にはなくなっている「ニッポンの25の伝統」

成人式、源泉徴収、紅白歌合戦……2030年にはなくなっている「ニッポンの25の伝統」

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 2020年代に入ったニッポン。「10年ひと昔」と言われるが、元号が平成から令和に替わり、外部環境の変化がますます加速している。夏の東京オリンピック・パラリンピックが終わると日本社会はどうなるのだろうか。

 10年がたつと、いろいろなものが変わっていることに気づく。今我々が常識とか当たり前だと思っているものが、なぜそんなものがあったのか、なぜこんな呪縛にとらわれていたのだろう、と思う日がいずれやってくる。

 そこで、時代の軸を10年後の2030年に移して、「なくなるもの」あるいは「なくなったほうがよいもの」を考えてみよう。

■(1)企業編 ――誰もスーツを着なくなる!?

・スーツ:サラリーマンの制服ともいえたスーツは、おそらく公的な行事や一部の業種を除いてほとんど見かけなくなるだろう。すでに夏場でネクタイをしている人はほとんどいないし、お堅い職場の代表格である銀行までスーツを身に着けない現状の流れからも、10年後は世の中から姿を消しているだろう。

・新卒一括採用:この制度も高度成長期以来、決められた時期に一定数の学生を効率よく採用するには好都合だった。だが今後は、終身雇用を前提としたこの制度がなくなるであろうことは容易に想像できる。

・定年制度:社会保障制度を維持するために国は企業に定年を延長するように求めているが、流れは逆だ。企業にとって定年制度延長は“成長の足枷”にしかならない。終身雇用の終焉とともに、むしろ定年制度なるものは10年後にはなくなる、あるいはなくすべきだろう。

・経団連:1946(昭和21)年に旧経済団体連合会として発足したこの団体。高度成長期から、日本の経済成長を果たすために国にモノ申す団体として存在意義を発揮してきたが、すでに社会的な使命と役割は縮小し、形骸化している。

・連合:経団連と同様にすでに社会的役割を失っている。労働者の権利としての組合活動は職能別ユニオンに戻っていくのではないだろうか。

■(2)公の行事編――成人式はそろそろ終わりにしよう

・国体(国民体育大会):1946(昭和21)年、戦後の混乱の最中にある国民に勇気と希望を与えるために始まったこの大会。都道府県持ち回りで延々と続け、今年で75回となる。スポーツ競技は種目ごとに大会が開かれる中、多額の費用負担をしてまで開催する意味はなくなっている。

・植樹祭(全国植樹祭・育樹祭):戦後国土荒廃を立て直す運動として1950(昭和25)年に始まった国土緑化運動も、すでに一定の役割を終えているのではないか。こうした予算は地震や台風などの被災地に割り当てられてもよいのではないだろうか。

・成人式:成人を祝う儀式は古くは男子の元服、女子の裳着などがあったが、現在の形態になったのは戦後からにすぎない。今や形骸化し、一部の馬鹿者が騒ぐだけの儀式に役所が多額のカネを出すのは、そろそろ終わりにするべきではないか。

■(3)スポーツ編――運動会に何の意味があるのか?

・夏の全国高校野球大会:一部の熱狂的なファンはいるものの、夏の炎天下に高校生に野球をさせる意味は問い直されるだろう。47都道府県全部の代表校で行うトーナメント形式も改められ、ドーム開催や、決勝戦のみ憧れの甲子園でナイターで行うなど、変化が求められるだろう。

・プロ野球オールスターゲーム:以前はセ・パ両リーグが互いの意地をぶつけ合う場として人気だったが、すでに交流戦で代替されてしまった。開催の意味はあまりないし、大リーグのように1試合だけにして価値を高めるようになっているだろう。

・部活動:中学や高校での運動部はやめにしたほうが良い。一部教師による体罰や、誤った価値観・認識での指導、教師の側では長時間労働など問題山積だ。正しい指導ができる地域別のスポーツ塾などでの活動に切り替えられるだろう。

・運動会:各学校が毎年必ず開催する運動会も、なんのためにやっているのか意味不明になりつつある。もともと運動会は「国威発揚」「富国強兵」「健康増進」のために行われてきたもの。玉入れやムカデ競走、棒倒しなどの古典的競技種目を頑なに守ってきたが、この国民的スポーツ行事も朝のラジオ体操とともに10年後には消滅していくものとなろう。

■(4)社会制度編――キャッシュレス化はどこまで進むか?

・キャッシュ:キャッシュレス化が遅れている日本でも10年後、キャッシュはほとんど見かけない世の中になっているだろう。あわせてATMを見た高校生が「何? これ」と言う時代になっているかもしれない。

・源泉徴収:これは税金徴収業務を、労働者を雇用する企業側に押し付けている典型的な制度だ。その結果、納税意識の希薄なサラリーマンが大量に発生してしまっている。また、企業も納税業務のために労働力を提供し、費用負担を強いられている。サラリーマンでも個人申告制にすることで税金の使い方に対する意識が高まることだろう。

・都道府県制度:1871(明治4)年の廃藩置県で決定された枠組みが、今でもなぜ延々と守られているのだろうか。道州制にするかはともかく、この都道府県の枠組みを地域が置かれている現状に即して抜本的に変更するべき時期に差し掛かっている。逆にこうした改変が新たな発想を生み、地方創生につながってくることを期待したい。

・新聞雑誌:すでに新聞雑誌に代表される紙媒体は存続の危機に瀕しているが、10年後にはその存在が消滅しているだろう。メディアはオンライン化され、街中から本屋なる店は姿を消しているだろう。

・百貨店:新宿や銀座に大型店舗を構えてきた百貨店はその業態を大きく変えているだろう。つまり、「百貨」を売り物にするのではなく、一部富裕層のためのサロンとして店構えや立地も変わっていることだろう。

・通勤:働き方の変化で多くの勤労者が毎朝、都心にある会社に「通勤」をすることがなくなるだろう。人々が「好きなとき」「好きな場所」で働くようになると、これまでの会社ファーストの住宅選びにも変化がでるだろう。駅徒歩5分などというマンションデベロッパーの広告もなくなるかもしれない。

・住宅ローン:上記の通勤概念の消滅と住宅選びの基準の変化、これに加えて今後間違いなく発生する大量相続によって、家の価値は大幅に下落するだろう。家をローンで買う考え方が大幅に後退するのが10年後の世界だろう。

・修学旅行:これも何のためにやっている制度なのか存在意義が問われるだろう。戦後まもなくは、経済的事情などでなかなか旅行に行けない子供たちのために積立をしてまで行うことに教育上の意義があったかもしれないが、現代ではすでに形骸化している。10年後も続けている意味はほとんどないだろう。

■(5)生活習慣・風俗編――紅白歌合戦を見る人はいなくなる

・高級クラブ:銀座や六本木などにある企業接待や富裕層の遊びの場だったクラブは、人々の価値観の変化、企業コンプライアンスの進化とともに消滅しているだろう。

・バレンタインデー/ホワイトデー:すでに商業主導としての習慣はなくなりつつあるが、10年後にはおそらくこの単語自体がなくなっているのではないか。

・紅白歌合戦:年末恒例の紅白歌合戦は、すでに現状でも高齢者ばかりが視聴している番組になっているので、10年後には視聴者がほぼいなくなるだろう。毎年喧伝される赤が勝つか、白が勝つかなんてほとんどどうでもよい議論になるだろう。

・大河ドラマ:紅白歌合戦と同様に社会的な存在意義を失っている。NHKも無理にネタをひねり出す必要がなくなっているだろう。

・年賀状:年賀状で新年のあいさつを交わす習慣は、さすがに10年後にはほぼ完全に消滅しているのではないか。年賀状の取り交わしはせいぜいネット上でのものに代替されていくことだろう。

 日本社会はこうした社会習慣や制度を延々と引き継いできた。この中のいずれもが、ある時代には存在意義があり、社会に一定の役割を果たしてきたといえるものだ。だが時代は移り変わる。伝統として残していくべきものがある一方で、そろそろ私たち日本人はこれまでの制度習慣を見直していく時期にきているのではないだろうか。

 残念ながら平成の30年間に日本は世界の成長スピードから周回遅れになってしまった。いちど原点に立ち返って必要なもの、必要でなくなるものを整理しなければ、新しい令和の時代、五輪後のニッポンのグランドデザインを描けないのではないだろうか。がんばれニッポン。

(牧野 知弘)

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