JR山手線の“終着駅”はどこ? 「一番地味だったあの駅」はいかに“3倍”成長したか

JR山手線の“終着駅”はどこ? 「一番地味だったあの駅」はいかに“3倍”成長したか

山手線の高輪ゲートウェイ駅は3月14日に開業予定 ©iStock.com

 今年は山手線が注目を集める年になりそうだ。何しろ、山手線にとってはおよそ半世紀ぶりの新駅、高輪ゲートウェイ駅が誕生するのだ。開業予定は3月14日。きっとあちこちで話題になることだろう。

■では、山手線の終着駅はどこ?

 で、ここで問題である。山手線の終着駅、終点はいったいどこなのか。ぐるぐると回り続けているから終点なんてありゃしない。そういう意見もごもっとも。いささかヘリクツの嫌いもあるが、山手線は正式には品川〜新宿〜田端間だけを指すから(田端〜品川間は東北本線・東海道本線への乗り入れという形だ)、終点は田端だという意見もありそうだ。

 また、山手線の各駅につけられている駅ナンバリングを見ると、東京駅を「JY01」として上野方面に向かって数字を増やしていく。その視点でいうなら、終点は数字が最も大きくなる有楽町駅ということになる。

 とまあ、このようにいくつかの意見がありそうな山手線の終着駅。ただ、車両という観点で見ると答えはひとつだ。

 山手線の車両は、すべて大井町にある東京総合車両センターの所属。留置線という意味では池袋にもあるが山手線の車両が帰る家は東京総合車両センターなのだ。そしてそこに通じている駅が大崎駅だ。

 実際、山手線には環状運転をする内回り・外回りだけでなくときどき「大崎行」の電車が走っている(他に池袋行・品川行もある)。新宿駅を午前1時ちょうどに発車する内回りの最終電車の行き先も、大崎である。つまり、車両たちが仕事を終えて帰っていく大崎駅こそ、山手線の終着駅であると言える。

■大崎駅、いったいどんな駅なのか?

 そこで今回は大崎駅を訪れた。いったいどんな駅なのか……とわざわざ振りかぶるまでもなく知っている人も多いだろう。大崎駅、山手線でいちばんの“急成長”を見せている駅である。駅の周りにはどデカくも立派なビルがいくつも建っていて、通勤時間ともなればたくさんの人たちが改札の前の陸橋(夢さん橋というらしい)を行き交っている。行き交うというよりは朝は駅から周囲のオフィスビルへ、夕方は改札の中へと一目散に歩いていく。

 駅のコンコースも広々としていて、たくさんのお客をさばくのに充分なスペース。改札口は北と南それぞれにあるが、どちらも構内の通路でつながっている。ひとつ注文をつけるとすれば、南改札口を入ってすぐに山手線に乗ろうとすると、ホームに通じているのはエスカレーター1本。おかげで夕方のラッシュ時ともなると長蛇の列ができてしまってすぐにホームに行くこともできない。北改札口側に行けば階段もあるのだが、この動線はどうにかならないものだろうか。

■終着駅ならではの「贅沢なホーム」

 山手線のホームは1・2番のりばを内回り、3・4番のりばを外回りが使う。つまり島式ホーム2面2線ということだ。山手線がこれだけ贅沢にホームを使っている駅は、この大崎駅の他には池袋駅だけである。環状運転だから、やってきた電車はそのまますぐに発車して次の駅に向かい、1時間経ったらまた戻ってくるという実にシンプルな運行スタイル。だからのりばは外回りと内回りそれぞれひとつずつあればこと足りるはず。ただ、大崎駅は車両基地にもつながっている山手線の“終着駅”。逆にここを始発とする電車もあるわけで、山手線だけで2面2線という贅沢を与えられているのである。

■乗車人員6万人弱から18万人弱に「3倍成長」

 他に大崎駅に乗り入れている路線は、湘南新宿ライン・埼京線(相鉄線直通電車を含む)・りんかい線。つまり大崎駅からは横浜方面、相鉄線方面、お台場方面、さらには大宮・高崎・宇都宮方面まで行くこともできる。すべての電車がもちろん停車するから、交通の便は山手線の他の駅、例えば新宿や渋谷、品川などにも引けを取らない。これらの路線の乗り入れは2002年12月1日から。この利便性の大幅な向上もあって、大崎駅の乗客は飛躍的に増加している。

 JR東日本が発表している駅別の1日平均乗車人員を見てみると、2001年度の大崎駅は5万7069人。それが2018年度には17万3136人にまで増えている。実に3倍以上である。JR東日本における順位でいうと2001年度の71位から2018年度の14位まで大幅にジャンプアップを果たしている。

 ちなみに、「成長した」「変わった」と言われる品川駅は2001年度が25万7361人、2018年度が38万3442人で約1.5倍増。大崎駅の伸び率はそれを遥かに上回っているのだ。すなわち、大崎駅の“急成長”の度合いは山手線で圧倒的なナンバーワン。駅の周辺にまるで林のごとく立ち並ぶ巨大なオフィスビルが、この急成長を支えているというわけだ。

 だが、ちょっと待ってほしい。ここ数年の大崎駅の様子を知っていればこの状況にもなんの疑問も持たないかもしれぬ。しかし、1990年代の大崎駅を知っている人にとっては、まるで違う場所にやってきたような印象を抱くに違いない。実際、文春オンラインの担当編集者もかつて大崎駅に住んでいたというが、「あんなにスゴいビル群なんてなかったし、もっと地味なところでしたよ」と話していた。

 確かにそのとおりで、今では山手線で一番地味な駅を言い合うアソビをすればたいてい鶯谷や目白、駒込、田端あたりが出てくる。が、90年代だったら間違いなく大崎駅が上がった。それが今や山手線一の成長株。いったい、大崎に何があったのだろうか。

■工場労働者の町はいつから「再開発」されたのか

 そこで少し大崎の歴史を調べてみた。大崎駅が開業したのは1901年2月25日。当時はまだ山手線は環状運転をしておらず、日本鉄道品川線という路線の駅だった。山手線の車両基地ができたのは1967年だから、それよりも遥か前に駅が先行して開業したのだ。

 開業した頃の大崎駅付近は、目黒川沿いの低地でポツポツと集落があるくらいの町であったらしい。ただ、品川や港湾部にも近いという立地が良かったのだろう。1912年には現在の西口の駅前に明電舎の工場が生まれる。その後、周辺にいくつもの工場ができて、大崎工業地帯とも呼ばれるようになった。大崎駅の利用者はこうした工場で働く人たちで、工場労働者の町だったのだ。

 ただ、都心にあった工場は高度経済成長期の終わり頃から地方への転出がはじまる。大型工場はもちろん、中小の工場も移転して大崎駅周辺に空き地が生まれると、再開発のターゲットとして1982年に東京都に「副都心」として指定される。これを契機に少しずつ跡地の開発がはじまった。発展はまず駅の東側で、1987年に大崎ニューシティが誕生。ゲートシティ大崎は1999年に完成している。

 2000年代半ばから西口に開発の対象が移り、2007年にThinkPark、2009年に大崎ウエストシティタワーズ、2011年にNBF大崎ビルが完成。こうしてかつての“工場の街”大崎は、あっというまに高層ビルがいくつも立ち並ぶオフィス街へと変貌を遂げたのである。

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 新幹線停車駅で、リニアのターミナルにもなるという品川駅ばかりが注目されるが、やはり大崎駅こそ山手線でいちばんの“新勢力”。同時に、山手線の終着駅として毎日グルグル回って働いた電車たちが帰ってくる場所でもある。駅のすぐ南では東海道新幹線や横須賀線、湘南新宿ラインなどが入り乱れて交差するシーンも見ることができ、今も“鉄道の町”としての顔も持つ。

 そういえば、大崎では毎年秋の地域のお祭りに合わせて「夢さん橋号」と名乗る山手線の貸切列車を走らせている。運転本数の多い山手線では年に一度、唯一の貸切列車。新宿も池袋も東京も、もちろん品川駅も、ドアを開けずに通過する唯一の電車だ。これが許されているのは、大崎駅が山手線の車庫の駅であり、いちばんの急成長駅だから、なのだろう。

写真=鼠入昌史

(鼠入 昌史)

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