「まさに生き地獄」――55歳の春を迎えることなく命を絶った財務省職員の苦悩【森友スクープ全文公開#2】

「まさに生き地獄」――55歳の春を迎えることなく命を絶った財務省職員の苦悩【森友スクープ全文公開#2】

森友 職員手記に"生き地獄"

「まさに生き地獄」――55歳の春を迎えることなく命を絶った財務省職員の苦悩【森友スクープ全文公開#2】

財務省 ©iStock.com

「すべて佐川局長の指示です」――森友問題で自殺した財務省職員が遺した改ざんの経緯【森友スクープ全文公開#1】 から続く

週刊文春」2020年3月26日号 に掲載された大阪日日新聞記者・相澤冬樹氏による記事「森友自殺〈財務省〉職員遺書全文公開 『すべて佐川局長の指示です』」が大きな反響を呼んでいる。「週刊文春」編集部は完売により記事が読めない状況を鑑み、文春オンラインで全文公開する。真面目な公務員だった赤木俊夫さんに何が起きていたのか。森友問題の「真実」がここにある。(? #1 、 # 3 、 # 4 も公開中)

出典:「週刊文春」2020年3月26日号

◆ ◆ ◆

■《あっけらかんと修正作業を行い、差し替えを行った》

《その後の3月7日頃にも、修正作業の指示が複数回あり現場として私はこれに相当抵抗しました。

(注・近畿財務局の)楠管財部長に報告し、当初は応じるなとの指示でしたが、本省理財局中村総務課長をはじめ田村(注・嘉啓)国有財産審理室長などから楠部長に直接電話があり、応じることはやむを得ないとし、美並近畿財務局長に報告したと承知しています。

 美並局長は、本件に関して全責任を負うとの発言があったと楠部長から聞きました。

(中略)本省からの出向組の(注・管財部の)小西次長は、「元の調書が書き過ぎているんだよ。」と調書の修正を悪いこととも思わず、本省杉田補佐の指示に従い、あっけらかんと修正作業を行い、差し替えを行ったのです。

(大阪地検特捜部はこの事実関係をすべて知っています)》

 この記載から以下のことがわかる。

 現場の赤木俊夫さんは不正な改ざんに反対した。
→それに上司の楠敏志管財部長もいったんは同調した。
→しかし財務省理財局の中村稔総務課長(現・イギリス公使)らが圧力をかけ覆した。
→最後は近畿財務局トップの美並義人局長(現・東京国税局長)が「全責任を負う」と述べゴーサインを出した。
→大阪地検特捜部はすべてを知っていたが、全員不起訴にした。

■「公務員として最低の人間や」

 また、ここで批判的に書かれている近畿財務局管財部の小西眞次長について、昌子さんには忘れられないエピソードがある。17年5月14日、日曜日。俊夫さんはこの日も休日出勤。昌子さんもたまたま近くで用事があり、近畿財務局の最寄りの大阪メトロ谷町四丁目駅で降りて、職場までの坂道を連れだって歩いていた。

 すると前方に、同じように休日出勤する小西次長の後ろ姿があった。俊夫さんは「あっ、次長や。あの人、こんな時にもスポーツジムに通ってる。体力あるんや」と話した。そこで昌子さんが「声をかけたら?」と言うと、俊夫さんは不機嫌な顔になって「公務員として最低の人間や」とつぶやいたという。

 この日の俊夫さんのメモ帳には、「小西次長も同時刻出勤されていた 話しはせず」と書かれている。

《これが財務官僚機構の実態なのです。

 パワハラで有名な佐川局長の指示には誰も背けないのです。

(中略)杉田補佐などが過剰反応して、修正範囲をどんどん拡大し、修正した回数は3回ないし4回程度と認識しています。》

■俊夫さんは一人で不正な改ざんのかなりの部分を担わされた

 俊夫さんの直属の上司だった池田氏は改ざんについて「自分がやればよかった」と昌子さんに話している。一方、俊夫さんは生前、若い部下二人には「やらせていない。そこはよかった」と話していたという。とすれば、俊夫さんは一人で不正な改ざんのかなりの部分を担った(担わされた)のだろう。

 その若い二人と俊夫さんは、改ざんに涙を流して抵抗したと、彼らの上司だった池田氏は後に昌子さんに話したそうだ。

 財務省の情報隠蔽はこれにとどまらない。森友学園への国有地売却問題を受けて近畿財務局が会計検査院の特別検査を二度にわたり受けた際、財務省は次のように対応したという。

《決議書等の関係書類は検査院には示さず、本省が持参した一部資料の範囲内のみで説明する。

(中略)応接記録をはじめ、法律相談の記録等の内部検討資料は一切示さないこと、検査院への説明は「文書として保存していない」と説明するよう事前に本省から指示がありました。》

■「絶対うまくいかない。絶対(検査に)合格しない」

 会計検査院の一回目の特別検査は17年4月11日から13日にかけて実施された。俊夫さんの手帳にはこの3日間に「会計検査(森友事案)」という記載がある。マメな俊夫さんは退庁時間も手帳に書いていた。11日と12日は22時50分、13日は午前3時10分、タクシーで帰宅している。メモ帳の別の欄には、13日に「検査院応答録 修正作業」と記されている。昌子さんは語る。「あの頃、朝晩最寄り駅まで車で送り迎えしていたんです。トシくんは車内でいつもこぼしていました。『絶対うまくいかない。絶対(検査に)合格しない。絶対もう一度ある』って」

 実際、検査は6月にもう一度行われた。

 この頃から俊夫さんは目に見えて元気がなくなっていった。以前はどんなに仕事が忙しくても残業が続いても平気だったのに。明るくてよく笑い、昌子さんにやさしく、けんかをしたこともほとんどなかったのに。

 昌子さんはこの年の4月に淡路島に行った時の写真を見せてくれた。

「ほら、トシくん、笑ってないでしょ。いつもはにこにこしていたんですよ。超明るい人で。それが笑うこともしゃべることも減って。会計検査のころは本当に辛そうで、仕事への意欲も薄れていたんじゃないかと思います」

■俊夫さん以外全員異動……一人だけポツンと残された

 当時、俊夫さんの心の支えは、7月の人事異動で担当部署が変わることだった。そうすれば森友関連の苦行から逃れられる。直属上司の池田氏からは内々に「動かしてもらえるよ。大丈夫だよ」と言われたと、昌子さんに話していた。ところがふたを開けてみると、6月23日の内示の日、俊夫さんは異動しなかった。それどころか、同じ部署の他の職員は上司の池田氏も含め全員異動が決まり、彼だけがこの職場に残される形になったのである。

 しかもさらに追い打ちをかける出来事があった。問題の国有地の売買に関する資料がすべて処分されて職場から消えていたのだ。

「それがとにかくショックやった」と俊夫さんは話したという。昌子さんは語る。「むっちゃ落ち込んでました。一人だけポツンと残されて、資料はすべて処分されて……あんまりですよね」

 もちろん、あんまりだ。俊夫さんは問題の国有地が売却された後に担当になったから、実際の売買交渉の経緯は何も知らない。知っているのは上司の池田氏だが、池田氏はいなくなり、資料はない。となったら、後を引き継いだ人間はどうすればいいのか?

 俊夫さんのメモには、内示の5日後、6月28日のところに「18:30特捜部来庁」とある。これが資料の任意提出を受けに来たのだとしたら、その直前に関係資料がなくなっていたことは、どうとらえたらいいのだろう?

■俊夫さんをさらに追い詰めた検察の捜査

 この後、俊夫さんの精神状態は悪化する。7月15日に精神科を受診、うつ病と診断される。7月19日、夫婦一緒に外出先で昼ご飯を食べた時は、震えがすごく顔は真っ青だった。その時、俊夫さんは「森友のことだけやないんや」と気になる言葉を残している。そして翌20日から病気休暇に入る。結局、そのまま職場に戻ることはなかった。

 病気休暇に入って90日がたつと、その後は休職扱いとなり、給与が減る。俊夫さんはよくお金のことを心配していたという。「(職場に)戻れるかなあ。森友のとこじゃないとこに」と口にしていた。だが職場からは「問題事案の担当は外すが、部署は異動させない」と告げられたという。

 異動がなかったことに輪をかけて俊夫さんの心を乱したターニングポイントがある。検察の捜査だ。問題の国有地の値引きについて、この年の3月22日と7月13日に市民団体や弁護士らの団体から「国に損害を与えた背任だ」と告発が出ていた。同時に「取引記録は廃棄した」と繰り返し答弁する佐川氏らに対する証拠隠滅での告発も出て、いずれも大阪地検特捜部が捜査していた。

■「内閣が吹っ飛ぶようなこと」

 俊夫さんは国有地の売買には関与していないから背任は関係ない。だが証拠隠滅は? この頃はまだ公文書の改ざんは明らかになっていなかったが、心ならずも改ざんをさせられることになった俊夫さんは、自分も罪に問われることを恐れていた。ことあるごとに「大変なことをさせられた」「内閣が吹っ飛ぶようなことを命じられた」「最後は下っ端が責任を取らされる」「ぼくは検察に狙われている」とおびえていたことを、昌子さんはよく覚えている。

 その検察による最初の接触は11月17日に訪れた。職場を通しての事情聴取の要請だ。事情聴取は、容疑者扱いの取り調べとは違うのだが、不正な改ざんに関わった自覚のある俊夫さんには同じように感じられただろう。昌子さんは当時の様子について「震え上がっていました。怖くて怖くてしょうがない感じでした」と話している。

 そして12月25日、俊夫さんは震える小声で昌子さんに告げた。

■「ドクターストップがかかってるのに、電話が来た」

「きょう、とうとう電話あったわ。医師は止めていたはずなのに。こんな辛いのに、ドクターストップがかかってるのに、電話が来た」

 この日のメモ帳には「久保田検事より受電」とある。

 実はそれに先だって検事が俊夫さんの主治医に事情聴取が可能か尋ねていたことが、主治医の話でわかった。主治医は「病状が悪化する」と聴取を止めた上で「手紙かメールでごあいさつ程度に様子をうかがったらどうですか?」と話した。だが検事はすぐに俊夫さんの携帯に電話をかけて20分間も話したのだという。20分は挨拶のレベルを超えている。事実上の聴取と言われても仕方ないだろう。

 これをきっかけに俊夫さんの病状は極端に悪化した。

「ぼくは職場に復帰したら検察に呼ばれる。検察は恐ろしいとこや。何を言っても思い通りの供述を取る。検察はもう近畿財務局が主導して改ざんしたという絵を描いている。そのストーリーから逃げられない。ぼくが何を言っても無理や。本省の指示なのに最終的には自分のせいにされる。ぼくは犯罪者や」

 妄想も現れるようになった。「玄関の外に検察がおる!」と繰り返し叫んでいたという。

 昌子さんも辛かった。

「壊れたみたいにずっと同じことを繰り返しているんです。職場に復帰しないとお金がない。でも復帰したら検察に呼ばれる。その板挟みが本当に辛かったんだと思います」

■「まさに生き地獄」

 この頃、俊夫さんは「苦しくてつらい症状の記録」という文書を書いた。そこには次のように記されている。

「これまでのキャリア、大学すべて積み上げたものが消える怖さと、自身の愚かさ」

「家内や、家内の家族・親戚の皆様にも迷惑をかけることが本当に苦しい」

「まさに生き地獄」

「家内にそのまま気持ちをぶつけて、彼女の心身を壊している自分は最低の生き物、人間失格」

 あれほど尊敬していた上司の池田氏についても批判を口にするようになる。

「池田さんは仕事が雑や。池田さんがちゃんと(国有地を)売っていたらこんなことにならんかった。大学に売っとったらよかったんや」

 大学とは大阪音楽大学のこと。問題の国有地の隣接地にあり、森友学園より先にこの国有地の購入を希望して7億円以上の金額を提示したとされるが、近畿財務局は売らなかった。それを森友学園には1億3400万円で売っている。

 そしてついに改ざんが明るみに出る日が来た。

■朝日新聞の第一報

 2018年3月2日、朝日新聞に記事が出たのだ。「森友文書 書き換えの疑い」「財務省、問題発覚後か」「交渉経緯など複数箇所」の見出しが躍った。

 昌子さんはこの日のこともよく覚えている。

「朝、スマホで記事を見て、『この人のやったこと、これやったんや』とすぐわかりました。本人に見せたくなかったけど、結局、見てしまった。ものすごく落ち込んで『死ぬ、死ぬ』と繰り返してました。夜中にロープを持って出ていこうとしたので止めたんです」

 翌3日、俊夫さんは外出中の昌子さんに「もうぼくは山におるからメールもしてこんで」とメールを送ってきた。この時は昌子さんが探しに行って連れ帰ることができた。6日には「死ぬところを決めている」と言って再び山に向かおうとした。

 そんな状況で彼はこの「手記」を書き上げた。なぜ自分が追い詰められなければならないのか? この不条理に対し最後の力を振り絞って、真実を書き残しておくために。

《役所の中の役所と言われる財務省でこんなことがぬけぬけと行われる。

 森友事案は、すべて本省の指示、本省が処理方針を決め、(中略)嘘に嘘を塗り重ねるという、通常ではあり得ない対応を本省(佐川)は引き起こしたのです。

 この事案は、当初から筋の悪い事案として、本省が当初から鴻池議員などの陳情を受け止めることから端を発し、本省主導の事案で、課長クラスの幹部レベルで議員等からの要望に応じたことが問題の発端です。

 いずれにしても、本省がすべて責任を負うべき事案ですが、最後は逃げて、近畿財務局の責任とするのでしょう。

 怖い無責任な組織です。》

■「いってらっしゃい」ではなく「ありがとう」

 手記の文面から、最後に書き上げたのは死の当日の3月7日と見られる。改ざん発覚の5日後だ。この日、昌子さんが出勤する際、いつもはぐったりしている俊夫さんが玄関まで見送りに来て言った。「ありがとう」……「いってらっしゃい」ではなく「ありがとう」。あれは死ぬ決意の表れだったのだろうと、今、昌子さんは思う。

 職場から昌子さんはショートメールを送った。最初は11時45分。「大丈夫かな?」というメッセージにすぐ「はい」という返事が返ってきた。ところが16時6分、「疲れるほど悩んでる? 悩んだらだめよ」というメッセージにはいつまでも返事が来ない。不安になった昌子さんは職場を早退し急いで自宅に戻った。すると……。

 昌子さんは自宅の部屋の窓を指しながら語った。

「あそこの手すりにひもをかけて首をつっていたんです。普通ならまず119番しますよね。でも私は『財務局に殺された』って思いがあるから、つい110番に電話しちゃったんです」

 俊夫さんの「手記」は次の言葉で締めくくられている。これは彼が命を絶つ直前に渾身の思いで書き残した“遺書”であり、不正の告発文書なのだ。

《◯刑事罰、懲戒処分を受けるべき者

 佐川理財局長、当時の理財局次長、中村総務課長、企画課長、田村国有財産審理室長ほか幹部

 担当窓口の杉田補佐(悪い事をぬけぬけとやることができる役人失格の職員)

 この事実を知り、抵抗したとはいえ関わった者としての責任をどう取るか、ずっと考えてきました。

 事実を、公的な場所でしっかりと説明することができません。

 今の健康状態と体力ではこの方法をとるしかありませんでした。(55歳の春を迎えることができない儚さと怖さ)

家族(もっとも大切な家内)を泣かせ、彼女の人生を破壊させたのは、本省理財局です。

 私の大好きな義母さん、謝っても、気が狂うほどの怖さと、辛さこんな人生って何?

 兄、甥っ子、そして実父、みんなに迷惑をおかけしました。

さようなら》

 これとは別に、妻に宛てた手書きの遺書もある。

《「昌子へ

これまで本当にありがとう

ゴメンなさい 恐いよ、

心身ともに滅いりました」》

 俊夫さんは死の前日、仲が良かった昌子さんの母に「あすは検察なんです」と話していたという。しかし今となっては、それが事実だったのかどうかはわからない。

 命日は3月7日。俊夫さんの誕生日は3週間後の3月28日。「手記」にある通り、彼が55歳の春を迎えることはなかった。

「トシくんは亡くなって、財務局は救われた。それっておかしくありませんか?」財務省職員の妻が提訴した理由【森友スクープ全文公開#3】 へ続く

(相澤 冬樹/週刊文春 2020年3月26日号)

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