地方国立大学には研究費がないのに糞ベンチャーには大金が集まる問題

地方国立大学には研究費がないのに糞ベンチャーには大金が集まる問題

(c)iStock.com

 経済指標的にはとっくにバブル景気超えをしているという話は投資界隈ではよく知られていまして、それでも投資には無縁の国民には景気拡大の実感など持てないというのが実情ではないかと思います。

景気 バブル超えと言われても…|NHK NEWS WEB
https://www3.nhk.or.jp/news/business_tokushu/2017_0622.html

■腸内環境が悪いと形にならない物件が出てくるのも当然です

 実際には、景気拡大を上回るスピードで働かない年金生活者や、嘱託再雇用で安値で働く高齢者がたくさんいるため社会保障費や賃金の下げ圧力をまともに喰らってお前らの給料が上がらないメカニズムが働いているわけなのですが、こりゃもう国の不作為というよりも合成の無謬で、国民が子供を儲けなければ社会が高齢化して資金を押し込んでも消化不良に陥る症状が起きてるんじゃないかと思うんですよね。

 その液体状のぐじゅぐじゅしたところは、仮想通貨取引所のコインチェック社とかいう非常にアレな感じのベンチャー企業が代表格だと思うんですけど、腸内環境が悪いと形にならない物件が出てくるのも当然です。あるいは、大東建託とかレオパレスとかサブリース商法で誰も入らないアパートが林立して退職金千万単位でぶち込んだ投資家が死滅するとか、投資の仕組みを知らなければ投資家の持っているあぶく銭は養分になるしかないのです。みんな儲かると思って金をそういう投機にぶっ込んでしまえば、ルールのない無法地帯でウェイウェイした輩が広告宣伝費振り回してブイブイ言わせて派手にコケるのも当然ではないかと感じるわけであります。

 巷に出回る資金の量ばかりはバブル超えしているわけですが、なにぶん国内市場は高齢化しておりますので、まともに成長している産業なんてそれほどないのが現実です。資金はいっぱいあるけど成長しないから大きな金額を労働者に払えないし、必然的に不動産や証券市場にカネは流れる。そりゃ、そこの側面だけ切り出せばバブルのようにも見えますわな。

■人の賃金や教育、研究に資金が集まらないと将来的には沈没

 しかし、実際に経済というのは老人もいて、若者もいないと回らないわけです。お金があって、将来を担う若い人に適切な教育が施され、社会をよりよくしていくための学術活動がないと社会は停滞してしまう。人手不足だという割に、企業や不動産にばかり投資が集まり、人の賃金や教育、研究に資金が集まらないのではいまの経済はそこそこ穏やかに落ち着いているように見えても将来的にはどんどん沈没していってしまうのではないか、と危機感を感じる人たちは少なくないでしょう。

2017年8月17日ニュース「論文数で日本は世界2位から4位に 複数国への特許出願数は1位維持」 | Science Portal
https://scienceportal.jst.go.jp/news/newsflash_review/newsflash/2017/08/20170817_01.html

文部科学省 科学技術・学術政策研究所「日本の科学研究力の現状と課題 抜粋」
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shinkou/025/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2017/02/17/1382206-14.pdf

 んでは、日本の大本営である政府や文部科学省が問題に気づいてないのかというと、そうでもないのです。論文数が減少していることも、質の面で課題があることも充分承知で、対策が必要だということは10年以上前から言い続けている。日本は将来の少子高齢化が問題だと80年代から言われ続けてきたのと同じように。だけど、充分な資金が集まらない、研究者に良い環境を与えられない、硬直化した大学の統治機構では世界に冠たるイノベーションを生み出す仕組みが機能しない、さまざまな問題を起こして現在に至ります。そして、いまや地方国立大学では研究者にお金が回らなくなり、研究は指揮できるけど経営は駄目すぎるスーパーコンピュータ企業「PEZY Computing社」は摘発され、部下の研究不正で適切に情報公開したはずの京都大学の山中伸弥さんは意味の分からない批判を社会から浴びました。

■「資源のない日本には人という資源でやっていくしかない」

 投資家の観点から見るに、それもこれも社会の制度疲労による「何をすれば世の中が良くなるのか」「何に投資をすれば実績を挙げられそうか」という目利きの能力と、人間の頭の中の力を使うことで世の中を良くするのだというビジョン、そしてどうにかしてこの問題に取り組むのだというリーダーシップの欠如の問題です。昔、モノづくりや技術立国と言われていたころから「資源のない日本は人という資源でやっていくしかない」というコンセンサスがあったじゃないですか。でも、モノづくりはしなくなった、技術を担う大学にも投資が回らなくなった、国内で元気がいいのは不動産やコト消費を担う企業の株価だけ、というのでは、世の中が良くなるはずがないじゃないですか。

 ただ、社会保障だけは、どうにもならないところはあると思っています。だって、本当にどうにもならないんだもの。私も介護やってますが、介護そのものにまず金がかかる、介護のために仕事を辞めたり減らしたりするのだから金が入らなくなるってのは、普通の人には相当しんどい状況だと思いますよ。

■地方国立大学の勤勉で優秀な研究者にはほとんどお金が落ちない

 そして、ベンチャー企業の界隈は金余りの最たるもので、いまや医薬や航空宇宙、半導体、人工知能などなど、旬なサービスにはもれなく億単位、十億単位の投資資金がきちんと集まる体制にあります。なのに、そういうお金の流れから取り残された地方国立大学の勤勉で優秀な研究者にはほとんどお金が落ちない、落ちたとしてもせいぜい共同開発で彼らの研究キャリアにはそれほどの貢献もないということでは、何のための国立大学なのかを考えなければならないように見えます。

 本当に価値を生める研究者は海外に出て勝負をするべきと言っても、今度はまた、渡航費は誰が出すのか、結婚したら奥さんは、子供は、親の介護はどうするのか、いろんな「人生」がのしかかってきます。そういう問題も全部クリアした人たちだけが科学技術を引っ張るのだという世界観もあるのかもしれませんが、それは結局親が金持ちという特異点ピープルだけが到達できる境地なんじゃないかと思うんですよ。

 大学教授が助手も使わず自ら請求書を書いたり科研費の申請のために事務処理にすりつぶされ、教育と研究に時間を費やし、少ない予算でどうにか頑張っているというのは、補給なく強大なアメリカ軍と戦った太平洋戦争のあの敗戦と被ります。研究費のない研究者って、弾丸も食料もなく戦う部隊長のようなもんじゃないですか。

■何をやるにも補給が命

 何をやるにも補給が命だとすると、日本の学術研究は、高齢化した日本社会が引き起こした動脈硬化で血液が来ず壊死する指先のようなものです。せめて、国立大学にもっと投資資金を呼び込めるように、また研究者や教授が雑務に追い立てられて研究に没頭できないなんてことのないように、地方に然るべき教育が行き届き都市部にばかり若者が誘引されないように、資源のない日本が身を立てるために本来何をしなければならなかったのか根本に立ち返れるように、ちゃんと考えるのが大本営だと思うんですよ。

 大本営が「我々はバブル景気を超える素晴らしいアベノミクスを達成している」というたび、毎年毎年研究費が回らなくて無為に過ごす研究者や、経営のプロがいなくて地方国立大学自体が存亡の危機にさらされている現状に太平洋戦争の補給の続かない前線で餓死する日本人兵士や、高齢のために自律機能が働かず自宅でクーラー入れなくて熱中症で担ぎ込まれる高齢者を思い起こすのです。

 もうちょっと、どうにかならないもんですかね。

(山本 一郎)

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