「ジャパゆきさん」の子供が半生を語る 彼女はいかにして輝かしい毎日を手に入れたのか

「ジャパゆきさん」の子供が半生を語る 彼女はいかにして輝かしい毎日を手に入れたのか

※写真はイメージです ©iStock.com

「全然なかったです、夢も」 日比ハーフの少女がフィリピンパブの客引きとして汗を流した時代 から続く

「ジャパゆきさん」は、1983年頃に流行語となった、アジア各国から日本に働きにやってくる女性たちを指す造語だ。ジャパゆきさんとして来日してきた彼女たちの多くは、劣悪な環境での労働を強いられた。現在となっては珍しくない存在になりつつあるが、当時日本人男性との間に生まれたハーフの子供たちも、ジャパゆきさん同様に一筋縄ではいかない人生を送ってきただろう。

 その実態に、山田孝之氏主演のNetflixドラマ『全裸監督』の原作者として知られる本橋信宏氏が迫った。

 独特の出自を持つ彼ら彼女らは、どのような半生を送ってきたのか。日本社会への適応を探り、懸命に生きる子供たちを追う渾身のルポ 『ハーフの子供たち』 (角川新書)より、ロックシンガー“レイン”が、歌手を目指すようになってからの日々を引用して紹介する。

◇ ◇ ◇

 もしもそのときその人と出会っていなかったら、まったく違った人生を歩んでいた。

 それを「運」と言うのかもしれない。

■親友との出会いをきっかけに

「キャバクラで、1人の女の子に出会うんですよ。親友なんですけど、その子がいまはプロのカメラマンさんなんですね。最初はキャバクラでバイトしてて、アメリカンスクールに行ってた子なんです。日本語より英語のほうが得意で、彼女がわたしのこと信用してくれて、わたしの言うことしか聞いてくれなかったんですよ。

 普通は店長さんに何か言われたら、“わかりました。すいません”ってなるじゃないですか。彼女は、“いや、そうじゃない”ってはっきりしてるんです。その子がきっかけで、歌手をするようになったんです。そう、わたしが歌手になったのもその子との出会いがきっかけです」

 それまでは歌手の「か」の字もなかったレインに歌手という職業が現実化する。

「歌はたまにカラオケで歌うみたいな、そんな程度でした。そのキャバクラでもよく歌わされてて、お客さんから“じゃあ、歌ったら、延長するよ”とか、“じゃあ、延長するから、歌って”みたいなこと言われてちょこちょこ歌わされてて、その親友の子がわたしの歌を聴いてたんですね。

 ある日、“あなたはここにいちゃだめだよ。歌、がんばったほうがいいよ”って言われたんです。その後もことあるごとに、“歌でがんばったほうがいいよ”って言うんだけど、なかなか踏み出せなくて、会社も厳しかったからなかなか辞められない。固定の給料もらっちゃうと、新しい仕事に就くのが賭けになるじゃないですか」

 レインがもらっていた給料は25万円。長時間労働を考えたらさほど高い額ではない。役職につけたら給料は上がるのだが、女性だからということで上がらない。キャバクラの裏方は男社会なのだ。

 レインの仕事着はスーツだった。

 ショートカットに身のこなし方も爽快感があり、男装の麗人風であった。

「中学のとき制服がスカートで仕方なくはいてました。子供のときは腰くらいまで髪があったんです。お母さんの趣味で。もう嫌で嫌でしょうがなかったですね。ショートがよかったです。ショートにしたのは中学校入って、1回肩くらいまで切って、お母さんがあんまりびっくりしないように、徐々に徐々に短くして。やっぱりフィリピンはロングヘアの黒髪がモテるイメージがありますね」

 キャバクラでレインは独自の地位を占めるようになる。女子ゆえにキャバクラ嬢たちの信頼も得やすい。

■水商売を辞めさせてもらえない日々が続く

「わたしにしかできない仕事っていうのがあったから、なかなか辞めさせてもらえなかった。1回、“辞める”って言ってみたんですよ。“夢追いかけてみようかな”って言って、“辞めたいです”ってつづけたら断られたんですね」

 水商売の世界は縦社会、上の命令は絶対である。

 なかなか辞めさせてもらえない。それでも歌手でやっていきたい。

 レインにとって絶対的な存在である上司ゆえに、退社はなかなかできない。

 そこでどうしたか。

「逃げちゃったんですよ。いままでの感謝を書いた手紙を置いて」

 遠方の地方まで逃げた。

 1カ月後、東京にもどり、ある街のある店で歌手のスタートをきった。

「そこのお店はホストがいて生バンドとダンサーのショーがあって、ターゲットは深夜からのアフターの女の子たちです」

■アフターのキャバクラ嬢相手にステージデビュー

 キャバクラが終了して、店の子たちと客が外で落ち合い、食事したり酒を飲むことをアフターという。レインのいた店は、キャバクラ嬢がアフターで客と来るようなところだった。

「歌は3ステージあるんですけど、その間は、お客さんの席に座らなきゃいけなくて、指名も入れば接客もしなきゃいけなくて、それがあんまりわたしには合わなかったみたいです。お酒も飲まなきゃいけないし、接客もしなきゃいけないし、いい環境ではなかったですね。とにかく毎晩飲んでました。一晩で3本空けたこともあります」

 関東地方のフィリピンパブ数店のステージを転戦、そして六本木の本格的なライブハウスに立つ。

「喉はポリープでもう2回手術してます。歌手の宿命だと思います。フィリピンパブの仕事こなして、その後ライブハウスの仕事こなすと、朝まで仕事することになっちゃうんですね。二つこなすとけっこうきついんですよね。1日2店舗。いまもやってます、週末。さっきも朝6時まで仕事してました。いまがすごいベストですね。

 去年、1人女の子がボーカルやめるから新しいボーカルを探してたんですよ。そしたらラッキーなことに採用してもらって。それがこの前のお店です。ノリがいいですね、みんなね。大使館の人だったりするんで、飲み方もきれいですよ。お金持ってるし。いますごくいい感じに仕事してます」

 この前会ったときは、店の仕事を手伝っていたが、現在は歌手としての活動になった。

 先ほどから気になっていたのは、21歳のときに入れたという胸から腕にかけてのタトゥである。薔薇とカラスの絵柄が素肌を彩っている。

「カラスは東京のシンボルですから。それにサッカー日本代表のシンボルって八咫烏じゃないですか。後ろには鷹の羽が入ってます。あとは(腕をさして)これは水、土、炎、風みたいなのが入ってます。麻酔やらないで彫るから痛いです。これはスペイン語の歌詞ですね。ラブソング。“君は私のすべて”みたいなロマンチックな感じ。これは最近入れました。去年の10月」

「じゃあ、私が六本木で出会ったときは、タトゥを入れたばっかりだったんですか」

「そうですね。入れたばっかですね」

■「バンドって、1人でも欠けたらできない」

 フィリピンバンドを組み、ボーカルを務めたことがあった。

 そこでフィリピン人の特性に直面する。

「バンドって、1人でも欠けたらできないんですよね。みんなライブハウスで仕事してるじゃないですか。ギター、ベース、ドラムがいて、1人でも来ないと、その日、そこで演奏できないじゃないですか。お客さんに見せられないじゃないですか。でも余裕で来ないです」

「余裕で来ないんですか。何やってるんですか、来なくて」

「何もしないです。何の事情があるかはわかんないですけど。みんな仕事しに来てるのに、個人的な理由で来ないって、一番頭に来ますね。でも日本人とかアメリカ人とかだと、最低でも1週間前、“ごめん、来週ちょっと忙しくて行けないんだけど、だれか代わりいないかな”とか言ってくれるんです。フィリピンの人って言うにしても、“ごめん、今日行けない”みたいなことよくあります。だから、仕事するんだったら、フィリピンの人とやりたくないです。

 フィリピンのライブハウスで仕事して学んだことは、みんな、仕事はいいかげん。仕事するんだったら日本ですね。みんなプロ意識があるから。フィリピンのバンドの人にお願いすると、まずお金。名誉よりもお金。でも日本人だと、これは自分のプラスになるってなると、“じゃあ、今日はお金はいい”ってなる。フィリピンの人だと、“え、お金が出ないんだったら、ちょっと”っていうのがあります。せっかく才能があるのに、面倒くさがる、ルーズな性格がそこで出ちゃう」

 現在、レインは様々な血を持つ4人のメンバーたちとバンドを組んでいる。

「ギターがドイツと日本のハーフ。キーボードがペルーと日本のハーフ。ベースが日本人なんですけど、アメリカンスクール行っていた。ドラムも日本人。わたしがフィリピンと日本のハーフ。みんな、ちょっとどこか個性的です。バラバラのジャンルの人たちだけど、ひとつのいいリズムに、いい音楽になればいいかなっていう想いを込めて『RYSM』っていうんです。メンバー全員の頭文字をとってつけた名前ですね」

 二昔前までは、ミュージシャンといえば酒とドラッグと女、というイメージが強く、実際にそんなバンドはアマチュアにもプロにもよくいたものだ。

 ところがいまではミュージシャンというと、健康志向、ぶよぶよした肉体でステージに立つのは一番みっともないとされている。

 レインも不規則な生活で体形が崩れかけたときがあったが、ジムに通い出し筋肉質のカラダに変身した。

「やっぱり健康なほうが気持ちよく歌えるんですよね。パワーも出すし、腹筋も使うんで。ライブなんかやっちゃったら1時間半は歌いっぱなしじゃないですか。体力も必要だし」

 今日のインタビュー場所にレインは真っ赤なレクサスのオープンカーで駆けつけた。

 レインによく似合っている。

「最初の(自動車)運転免許が大分前にフィリピンでとったインターナショナルの免許だったので、また日本の免許を取り直したんです。3人目のお父さん、フィリピン人のお父さんが教えてくれたんですよ。日本の教習所って厳しいですよ。フィリピンでは1日か2日で取れちゃう」

■義父をライブハウスに招待すると……

 3人目の義父はレインを実の子のようにかわいがり、運転免許を取るときでも勉強をするときでも、親身になって世話をしてくれた。

 そんな義父のために、レインは六本木のあのライブハウスに招待したのだった。

 50代後半の義父はレインのステージを以前から観たがっていたのだから、これも義父孝行だろう。

 ライブがはじまった。

 光線に彩られ、大音響と共にステージにレインが登場。

 歓声が巻き起こる。

 客席は総立ちとなり、その中にレインの三番目の父もいた。

 店内は熱気に包まれ、レインは歌う。

 少しずつ夢に近づいていく自分を実感しながら、義父に晴れの舞台を見せられたことがうれしかった。

 ライブは成功だった。

 義父は店を出て帰路に就いた。

 不幸は突然襲ってきた。

「1年まだたってないです。帰り道でお義父さん、発作で倒れたんです。心筋梗塞」

 あっけない最期だった。

 最初の実父はレインが幼いころに姿を消し、二番目の父はギャンブルにハマったことを思えば、三番目の父こそレインにとって相性のいい人物だったであろう。いい人は長生きしない、という言い伝えはこの場合、当たっていた。

「フィリピンの人って、油もの好きなんですよ。お義父さんは特に甘いものが大好きでした。甘いものなら妹のものだろうが、食ってましたね。中性脂肪が増えてあんまり運動しなかった」

 レインは結成して間もない新バンド・RYSMで命日に同じステージに立って、亡き父への供養とするのだった。

■小学校6年生の時に気づいたこと

「レインさん、いままで一番好きだった彼氏の思い出、ありますか?」

「前につきあっていた人が、面倒見のいい人で、自由にいろいろやらせてくれて、あと、いろんな旅行とかも行ったりして。最近ですね。2年前くらい。ただ束縛がすごかったので。ある店の従業員だったんですけど」

「フィリピンの人って、独占欲強いのかな?」

 するとレインは今日一番、予想外な発言をした。

「わたしの恋愛対象は女の人です。言ってなかったけど」

「ああ。束縛がすごかった、というのは女性だったんですね」

「そうですね」

「レインさんは、男性との恋愛はない?」

「ないです」

「一度も?」

「一度もないです、好きになったことも。好きになっても、恋愛じゃなくて、兄妹みたいな関係です」

 先ほど、私は「予想外な発言」と書いたが、予想通り、という気持ちもあった。

 みずからを“ウェイター”と呼び、スカートをはくことへの抵抗感、身のこなし方等、そう思うときがあった。

「自分がそうなんじゃないかってわかったのは日本にいたときです。フィリピンにいたときは、“男っぽいね”ってよく言われたんですけど、それがはっきりわかったのが、日本に来てでした。みんな、好きな人の話しません? 男子のこと“大好きなの”とか友だちが言うんだけど、わたしにはそれがまったくなくて、逆に“あの女の子かわいいな”って思うんですね。友だちの女の子と違うのかなって薄々気づいたのが、小学校6年生だったかな。タイプの女性? 女性らしいかたがいいです」

 私は最後に肝心の質問をしてみた。

「雨は好きですか?」

「嫌いじゃないです。フィリピンでは、よく雨で遊んでましたから」

 レインはこのインタビューの後、スポーツジムでカラダを鍛えるために、真っ赤な愛車レクサスを運転して去って行った。

 ここで空から雨が舞い落ちてきたら最高なんだが……。

 春先の空は乾燥した霞色をたたえている。

(本橋 信宏)

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