ゲイであることを隠すために付き合った女友達が、十年後に教えてくれたこと――2019年 BEST5

ゲイであることを隠すために付き合った女友達が、十年後に教えてくれたこと――2019年 BEST5

(c)平松市聖/文藝春秋

過去に文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。ライフ部門の第3位は、こちら!(初公開日 2019年3月14日)。

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書籍「 僕が夫に出会うまで 」

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2016年10月10日に、僕、七崎良輔は夫と結婚式を挙げた。

幼少期のイジメ、中学時代の初恋、高校時代の失恋と上京、カミングアウト……。僕が夫に出会うまでを振り返り、何を考え、何を感じて生きてきたのかを綴った「僕が夫に出会うまで」が現在発売中です。

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文春オンラインでは中学時代まで( #1 〜 #9 )と、母親へのカミングアウト( #28 〜 #30 )を特別公開中。

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自分がゲイであることを認めた瞬間から,彼の人生は大きく動いていきます。さまざまな出会いや別れ、喜び、悲しみ、怒り──幾多の困難を乗り越えて、生涯のパートナーに出会い、そして二人は大きな決断を下す。

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物語の続きは、ぜひ 書籍 でお楽しみください。

 実は僕も、中学時代に彼女を作った事がある。それは自分への挑戦でもあったのかもしれない。

 なんせ自分をゲイだとは思ってもみなかったので、男は女と付き合うものだと無条件に信じ込んでいたし、僕に彼女ができれば、司と秀美と僕の三人デートで僕だけ虚しい想いをする事はなくなり、歴(れっき)とした「ダブルデート」として司と一緒にいられる時間が増えるという計算もあった。

 だから「さくら」との付き合いも、僕にとっては「好きだから付き合う」という純情なものではなかった(もちろん人としては好きだったが)。

「スケバン」のような格好をして、破天荒だったさくら

 付き合う事になったのも、さくらの強い「押し」だったと記憶している。校内でも目立つ存在だったさくらはいつも元気いっぱい、破天荒。女子達がどれだけスカートを短くして、ルーズソックスをゆるゆるにして履くかで躍起になる中、さくらだけはくるぶし丈の靴下を履いて、スカートをくるぶしまで長くして穿き、まるでいつかの時代の「スケバン」の様な姿で毎日廊下をガニ股で歩いているような女子だった。

 彼女ができたといっても、僕の気持ちはさくらにはなく、司に一直線だ。

 さくらの唇や、髪や、肌なんかよりも、司の脇に顔を埋めたいと思っているのだから、さくらにとって僕は物足りない彼氏なのは当然だ。

 手を繋ぐのも、僕のファーストキスもさくらから半ば強引にされたように思う。キスの時は二人ともお酒の力を借りた。

喧嘩の火種だった「送る・送らない問題」

 よく喧嘩になったのは「送る・送らない問題」だ。「彼氏と彼女」「男と女」にはそれぞれ役割があり、彼氏が彼女の家まで送っていくのが習わしのようだったが、僕はそれがどうしても許せなかったのだ。

「今日はさくらが僕を家まで送ってよ。僕、お腹すいちゃったから早く帰りたいの」とさくらに申し出た。さくらは、最初は承諾したものの、後から「やっぱりおかしいだろ!」と思ったのか、喧嘩になった。それから、なんだか不穏になり、二人の短い付き合いは終わった。

 さくらとは一回キスをしただけで、その先はなにもない。司とのダブルデートも叶わなかった。さくらとは中学卒業後、高校も別々で、それから疎遠になっていたが、実は何年か前に進展があった。

「あの時の私はなんだったの!」と責められても仕方がないと思った

 僕と、僕の旦那である亮介君が、ゲイの夫夫として新聞に取り上げられた記事を見て、人づてに連絡先を調べ、さくらからメールで連絡をしてきたのだ。

 僕は正直、戸惑った。だって、さくらからしたら、昔、一瞬でも付き合った男が「ゲイ」だと恥ずかしげもなく公表し、新聞に載り、パートナーまでいる。

「あの時の私はなんだったの!」「私の過去の汚点だわ!」と責められても仕方がないと思ったのだ。

 中学当時は、自分をゲイだとは気づいていなかった事を説明して、司とダブルデートをする為に利用しようとした事を、素直に謝らなくてはいけないと思った。

 勇気を出して、メールに記載のあった番号に電話をかけると、さくらはすぐに出た。

謝りたくてかけた電話で告げられた意外な事実

 さくらは電話先でソワソワしている様子だった。

「あのさ……、七崎の記事、新聞でみたよ」

 先に切り出したのはさくらだった。

「うん、実はそうなんだよね……なんか申し訳ないと思ってて」

「あのさ……、実は、七崎に謝らなきゃいけない事があるんだ。性同一性障害って知ってる?」

「うん、わかる」

「実は俺、それでさ。今はケンジって名前で生活してるんだ」

「ああ、そうだったんだ」

「実は、七崎と付き合う前に、女と付き合ってたんだ。だけどその事が噂になって、その噂が広がっていくのが怖くて……。男と付き合えばカムフラージュになって、変な噂もなくなると思って俺……七崎のこと利用したんだ」

「ちょっと待って! まじで?」

「本当ごめん! ずっと謝りたくて……」

 さくらからのカミングアウトと謝罪をうけて、僕は笑ってしまいそうになった。僕だって、さくらを利用していて、それを申し訳なく思っていたのだから。

「それが……お互い様なんだよ。僕、あの頃、3組の司がずっと好きでさ。司は秀美と付き合ってたから、僕もさくらと付き合って、ダブルデートとして、司と一緒に居たいなって思って、さくらを利用してたの。こちらこそごめん」

「まじかよ!」

 さくらは驚いていたが、笑っていたことに僕は少し安心した。

あの頃、自分が何者なのかキチンと理解できてたら

「でも俺、司とダブルデートした記憶がないな」

「司とのダブルデートは叶わなかったよ。だってウチらすぐ別れたでしょ?」

「まあな!」

「なんか、お互い苦労した青春時代だったんだね。お互い許しあう事にしようよ。それより、今は幸せにやってるの?」

「今はバツイチ子持ちの女性と付き合っていて、たいへんだけど頑張ってる」

「子どもがいると、毎日が明るいだろうね。羨ましいよ。周りはケンジのこと理解してくれてるの?」

「親とは疎遠になって、友達にもあまり言ってない。田舎はまだ理解が進んでないよ」

「理解を進めていかないとね」

「うん……それより、本当ごめんな……」

 さくら改めケンジは終始、僕に謝り続けた。きっと当時のケンジは、色んな葛藤を抱えていただろうと思う。それに僕自身、ケンジに謝ってもらう資格なんか無いのだ。

「あの頃、僕がもし、自分が何者なのかキチンと理解できてたら、ケンジの事にも気づいてあげられたのにな」

「俺もそう思う! お互い、良い相談相手がめちゃめちゃ近くにいたって事だもんな! 俺、あの当時は、『なんとかなるべ〜』って、そう、自分に言い聞かせて、なんとか生きてた」

「わかる気がする! 僕もそうだったかもしれない」

ケンジの様な悩みをもつ人に対して、今の日本は優しくなさすぎる

 この連載を執筆するにあたり、ケンジに改めて電話をした時、もう子どものいる彼女とは別れていた。でも、親が少しずつ理解を示してきてくれているという、嬉しい話もあった。

 ケンジはまだ性別適合手術はしていないけど「手術をしない選択肢はないな!」と言っていた。手術のお金も貯まっているようなのだが、手術のための休みがもらえないのだそうだ。「女として採用したのだから……」と会社にも言われてしまったらしく、手術を受けるには仕事を辞めるしかないのだとケンジは言う。

 僕からしてみれば、なんだかな……と思うのだけど、ケンジに言わせると仕方がない事らしく、自分を想って、言ってくれた事(その後の仕事や人間関係などを考慮してくれての事)だと受け取っているみたいだ。

 トランスジェンダーのケンジと、ゲイの僕とでは立場も悩みも全然違う。でも、ケンジと同じ様な悩みをもつ多くの人に対して、今の日本の制度や、社会の環境は、優しくなさすぎると思う。

たまたま僕たちが付き合ったのは「奇跡」ではない

 ケンジと僕が付き合っていた過去があり、それが実はトランスジェンダーとゲイだったというと、「奇跡の組み合わせ」のように思われるかもしれないが、そうではないのだと僕は思う。「当事者に会ったことがない」「身近にそんな人はいない」という人が多くいるが、それは間違いだからだ。

 人権先進国では、多くの人が「当事者が身近にいること」を知っている。カミングアウトをするかしないかは個人の選択で、正解はない。ただこの国に、カミングアウトを「したくてもできない」人が多いのは、日本の社会が不寛容すぎるからだと思う。

 僕はケンジと会話をしながらこんな事を考えていた。

 ケンジと僕で、タイムマシンに乗り、中学時代の自分達に会いに行く。そして中学生のケンジと僕を思いっきり抱きしめて「大丈夫だから!」って言ってあげたい。

 ただ、「未来は明るい」と言うには、もう少しだけ、社会は変わらなくてはならない……そんなことを考えていた。

卒業アルバムの撮影の日に髪を切り落とされた

 僕にとって、中学時代の、いい想い出と言えば、「司への片想い」と「生徒会活動」しかない。中学の卒業アルバムも捨ててしまった。なぜなら、卒業アルバム用の個人写真の撮影日に、ある男子に前髪とモミアゲをハサミで無理やり切り落とされてしまったからだ。

 最近、中学時代の同級生にその卒業アルバムを見せてもらった。アルバムに写る僕は、髪を切られ、ヘンテコな髪形にされていても、気丈にも、笑顔を見せていた。大人になってから自分で見ても、かなりのショックを受けてしまう写真だ。

 先に記したように、当時は廊下で殴られ、息が止まるのも、何度も経験したし、トイレで胸ぐらを掴まれ、顔に唾を吐きかけられたこともある。殴られたり蹴られたりした痣や、シャープペンを刺された痕は今でも消えていない。いつも不意に殴られていたものだから、25歳を過ぎる頃まで、背後に人が立つだけで、ギクリとしてしまうようになっていた。

■殴られることよりも、自分が嫌いなことのほうが辛かった

 当時の僕は、殴られた日は「今日は運が悪い日」と思うようにしていた。先生には「お前が男らしくしていないから、からかわれるんだ」と注意をうけていた。自分では普通にしているつもりでも、「オカマ」や「ブリッコ」と言われてしまう自分が嫌いで、殴られたりすることよりも、自分を嫌いなことの方が辛かった。

 今僕は、当時理解を示してもらえなかった先生や、僕を傷つけた人を恨んではいない。自分をいじめの被害者だとも思っていない。いや、正直に記せば、あの頃の自分が被害者だった、と思いたくないのだ。

 僕が「被害者」になると、おのずと「加害者」がうまれてしまう。当時の彼らを加害者として責め立てたい、という気持ちには、どうしてもなれない。もしも加害者がいるとすれば、それはきっと、“社会の差別や偏見そのもの”であって、彼らではない。

 それに、こんなふうに考えられるようになったのは、あれから15年以上も時が経って、僕の頭の中でいろいろなことが整理されたからであって、イジメはもちろんあってはならないことだ。暴言で人の心を傷つけること、ましてや暴力なんてものは、この国の法律では許されてはいない。

■自分に合った戦い方、生き方をみつけて

 もし今イジメを受けている人、辛い想いをしている人がこの連載を読んでいるのならば、勇気は必要だけど、とにかく一人で抱え込まないでほしい。信頼できると思った近くの人に、助けを求めてほしい。「どうせ僕が(私が)いけないんだ、だからいじめられてもしょうがないんだ」と自分を卑下せず、それぞれが、自分に合った戦い方、生き方をみつけて、一歩踏み出してほしい。きっとできる。僕はみなさんの勇気を信じている。

 大人たちにも言いたい。もちろん全ての大人ではない。イジメを「子ども同士の問題」と軽く扱い、もみ消したり放置したりする、そんなやり方や体質にはうんざりする。気丈に振舞おうとする子どもたちの笑顔の裏にある悲しみや苦しみを、理解できないような大人ならば、そんな人間のアドバイスなどいらない。

 僕は一番辛い時期に、大人たちに人間性を否定されるような言葉を投げつけられた。今、そのことを恨んではいない。でも、放たれた言葉は一生忘れることもない。

■他人を呪ってでも生きようとした

 当時、相談できる人を見つけられなかった僕が思いついた、自分に合ったイジメとの戦い方は「呪術」だった。自分の手を汚さず、僕を殴る人間を、呪い殺してしまおうと本気で考えていたのだ。今思うと引いてしまうような話だが、当時の僕はそのために黒い本を読み漁っていた。自分の手は汚れなかったが、心が汚れた。ただ、そうやって、必死に生きようとしていたのだと思う。

 とにかく苦痛でしかなかった学校生活に、光をもたらしてくれたのは司だった。司のまっすぐな眼差し、そして脇毛に魅了され、恋に落ちてしまった。司に会うために、学校に通った。司がいれば何も怖くなかった。司が離れていってしまうこと以外は。

 司に彼女ができたとき、僕は、大きなショックを2つ受けた。それは司に彼女ができたことに対するショックと、司に彼女ができたことにショックを受けている自分へのショックだ。自分が何者なのか、よくわからなくなってしまったのだ。

 司と秀美が早く別れるようにと、願わない日はなかった。しかし、司と秀美は、僕の期待を裏切って、中学卒業後もしばらく関係が続いた。そして、僕と司はそれぞれ別の高校へと進学することになる。

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写真=平松市聖/文藝春秋

(七崎 良輔)

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