工藤會VS福岡県警 「逆らう者は許さない」手榴弾によるクラブ襲撃事件“最凶組織”のやり方

工藤會VS福岡県警 「逆らう者は許さない」手榴弾によるクラブ襲撃事件“最凶組織”のやり方

手榴弾を投げ込まれた店内の様子(福岡県警撮影)

 かつて「暴力の街」「修羅の街」と呼ばれた福岡県北九州市。全国唯一の特定危険指定暴力団「工藤會」がこの街を牛耳っていたからである。しかし今、工藤會の屋台骨がぐらついている。福岡県警による相次ぐトップ検挙。一体何があったのか――。

 現場を指揮した元刑事が、工藤會壊滅を本気で志すきっかけとなったという「倶楽部ぼおるど襲撃事件」の全貌を、このほど発売される「 県警VS暴力団 刑事が見たヤクザの真実 」(文春新書)から抜粋する。

◆ ◆ ◆

■手榴弾によるクラブ襲撃事件

 平成15年8月18日、月曜日の午後9時過ぎ、ちょうど私が帰宅したところだった。小倉北署担当の捜査員から電話が入った。

「倶楽部ぼおるどに爆発物が投げ込まれました。犯人は(工藤會系)中島組のKです。Kは現場で取り押さえられましたが意識不明です」

「はじめに」で触れたクラブ襲撃事件である。実行犯の工藤會系組員が投げ込んだ手榴弾によって、その店で働いていた女性たち12人が重軽傷を負った。投げ込まれた手榴弾のそばにいた数人は顔面、両手両足に火傷を負い、中には、爆風で足首付近が裂けたり、飛び散ったガラス片などで酷い傷を負った女性もいた。工藤會とは何の関係もない女性たちだった。この事件は全国でも大きく報じられ、工藤會の凶悪性は北九州市民以外にも知られることとなる。

 私が到着すると、すでに負傷者は救急隊が病院に搬送し、店の関係者らは小倉北署で事情聴取中だった。私は応急的に現場を検分した。手榴弾の破片が飛び散り、付近を破壊しているはずだが、そのような痕跡はない。だが、ソファがひっくり返り、爆発現場の壁板が割れていた(※写真参照。矢印の先が爆発地点)。壁板を隔ててトイレがあったが、小便器が粉々になっていた。店内のガラス窓は上から壁紙が張られており、壁にしか見えないようになっていたが、爆発現場付近の窓は全て内側から外にガラスが砕け散っていた。つまり強烈な爆風が生じたのは間違いない。

■使われたのは米軍製の「攻撃型手榴弾」

 事件当時、店の右奥のソファにホステスの女性20名ほどが待機していた。犯人の組員が投げた手榴弾は一番奥にいた女性の頭に当たって、入口側に跳ね返り、トイレとの境の床で爆発したのだった。手榴弾が爆発した場所には浅い窪みができ、床や壁には煤がついていた。その後、ソファの下から手榴弾のピンなどが発見された。使われたのは米軍製の「攻撃型手榴弾」だった。

 手榴弾というと通常パイナップル型を思い浮かべると思う。これは「破片型手榴弾」と呼ばれるが、パイナップルのように周りに切れ目があり、爆発の際にはこの外壁部分が大小の破片となって飛び散り、その破片で敵を殺傷するのがこの型である。平地で使用すると、手榴弾を投げたほうにも破片が飛んでくる。

 一方、この事件で使われた攻撃型手榴弾というのは、TNT(トリニトロトルエン)という強力な爆薬の爆風で近くにいる敵を殺傷するものである。手榴弾の外壁は樹脂などでできている。直近数メートルの敵を殺傷し、破片型のように投げた人間に破片が飛んでくることはない。攻撃に適しているので、攻撃型と呼ばれている。

■Kはなぜ「ぼおるど」を襲撃したのだろうか

 後日、鑑定の結果、爆薬が不完全爆発したことが判明した。壁や床の煤はそのために生じたものだった。もし完全爆発なら、何名かの女性は確実に亡くなっていただろう。開店後1時間程度だったので、店には数組の客と、20人ほどのホステス、他に店長や数名の男性従業員がいた。結果的に12人の女性従業員が重軽傷を負った。

 事件を起こしたのは、現在の工藤會本流である田中組系の中島組組員K(当時33)だった。Kは紺色の作業着上下、ズック、手袋を着用し、黒色フルフェイスのヘルメットを被っていた。ぼおるどの入口付近には防犯カメラが設置されており、Kが店内に入るところと、爆発が起こった後、逃走を図り逮捕されるところがしっかりと映っていた。

 Kは走って逃げたが、店内にいた店の男性従業員ら数名が追跡し、店近くの路上で取り押さえた。Kはフルフェイスのヘルメットを被っていたため、この時に取り押さえることができなければ、工藤會の犯行であることすら特定できなかったかもしれない。

 Kは男性従業員に殴りかかるなど激しく抵抗した。そばにいた通行人も応援し、数人がかりで押さえつけ、ようやく逮捕することができた。Kを取り押さえた従業員2名もKから激しく殴られ負傷した。

 従業員らがKを取り押さえた直後、救急隊とパトカーの警察官がほぼ同時に到着した。そのときKは意識を失っていた。そのため、被害にあった女性従業員らとともに救急病院に搬送された。搬送後、Kの死亡が確認された。たまたま病院に急行した捜査員がKを知っており、犯人が工藤會田中組系中島組組員であることが判明したのだ。

 Kはなぜ、ぼおるどを襲撃したのだろうか。

 事件の少し前まで、Kは工藤會野村悟会長(当時)本家の部屋住みをしており、ぼおるどとの個人的関係はなかった。死人に口なしで、Kを取り調べて工藤會上層部の関与を明らかにする道は断たれてしまった。しかし、仮にKを取り調べても、上層部の関与は一切自供しなかっただろう。ただし前述のように、前年には、ぼおるどで同じ中島組組員による威力業務妨害事件が起きている。

■爆発現場の写真を報道機関に公開

 Kは、小倉北区で小売業を営む両親の次男として生まれ、兄は父と共同で店を経営、妹は看護師という普通の家庭に育った。Kの恋人からも事情を聞いたが、事件直前も特に変わったところはなかったようだった。

 Kの死因に関しては、さまざまな憶測を呼んだ。

 工藤會と親交のある人物などが「Kは自ら舌を噛み切って自決した」「あれは爆弾ではない。閃光弾(光るだけで殺傷能力のないもの)だ」などと主張した。「閃光弾」の根拠となったのは、一部の新聞に掲載された、事件直後の店内の写真である。その写真には傷一つないグランドピアノが写っている。テーブルやソファも整然と並んでいる。だがそれは前述したように、手榴弾がピアノなどから離れた店内奥で不完全爆発したためだったのだ。反論の意味で、異例のことだが、爆発現場の写真を報道機関に公開した。それが先ほどの写真である。

「舌を噛んで自決した」という声もあったが、舌を噛んでも簡単には死なない。噛み切った舌の断片がのどに詰まれば、それが原因で窒息死することはあり得る。しかし、Kの舌はちゃんとあった。そもそもKがその場で自殺する理由が考えられない。

■Kの人権を主張する人々も

 Kの死因は「圧迫死」だった。圧死ともいうが、群衆事故などで時々発生している。胸部を重たいもので押さえつけられたり、群衆の中で身動きが取れなくなったりすると、呼吸ができなくなり死に至るのだ。

 警察官が到着したとき、数名が折り重なるようにしてKを押さえつけていた。Kは逃げようと激しく抵抗するし、爆発物を投げ込んだ犯人である。逮捕にあたった従業員らは当然Kを逃がさないよう一生懸命押さえ込む。従業員らはKの腕や足だけではなく、時には首も押さえている。ただそれは死因になるものではない。

 解剖の結果、Kの舌骨にも異常はなかった。舌骨は喉仏の上側にあり、絞殺や縊死の場合、折れることがある。Kの場合は絞殺でも扼殺でもない。何よりも一部始終が防犯カメラに映っていた。

 それに対して、Kの人権を主張する人々もいた。事件の翌年には作家の宮崎学氏や著名な評論家などが参加し、北九州市小倉北区で「人権を考える」と称する大会が開催され、弁護士らが記者会見を行い、Kの両親らが逮捕者である店の従業員や福岡県に対し損害賠償請求訴訟を起こしたと発表した。Kの遺族は、その前年には逮捕者である従業員や現場警察官を殺人罪で告訴していた。

 この「人権」とは襲撃実行犯のKのことで、被害にあった女性たちの人権は含まれていない。Kの遺族の告訴については、福岡地検が捜査の結果、「嫌疑なし」で不起訴とした。また、損害賠償の請求は原告側が取り下げている。

■「逆らう者は許さない」という工藤會

 一方、ぼおるどへの脅迫は続いた。事件後、倶楽部ぼおるどはガードマンを雇って営業を再開したが、実弾入りの脅迫状が送られるなどして、事件の翌月には休業、ついには廃業してしまった。「逆らう者は許さない」という工藤會の目的は達成されたのだ。

 事件以降、福岡県警は工藤會に対する一斉摘発を続けた。平成15年は7回の一斉摘発を行い、工藤會組員90人、準構成員等102人を検挙した。平成16年は暴力団員200人、準構成員等292人を検挙している。

 工藤會組員は平成15年末で約580人、翌年末が約590人だったから、2年間だけで二人に一人を検挙していた勘定になる。もちろん、罰金となったり、処分保留で起訴猶予となるものもあった。それでも、工藤會組員のうち、実質3分の1程度が勾留、服役で社会不在となっていた。しかし、これだけの取締りが行われたにも拘わらず、工藤會組員は減少するどころか年々増加し、平成20年末には、県内で約730人と、そのピークを迎えた。取締り中心の暴力団対策には限界があったのだ。

 工藤會はその後も市民や事業者に対する襲撃事件を繰り返していくことになる。

(#2へつづく)

工藤會VS福岡県警 銃撃事件解決の糸口は「組員の恋人の証言」だった へ続く

(藪 正孝)

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