工藤會VS福岡県警 「工藤會は命を取るが、警察は会社を潰す」地元建設業者の言い分

工藤會VS福岡県警 「工藤會は命を取るが、警察は会社を潰す」地元建設業者の言い分

©iStock.com

工藤會VS福岡県警 「職務質問には応じるな」“最凶組織”をどう壊滅させたのか から続く

 かつて「暴力の街」「修羅の街」と呼ばれた福岡県北九州市。全国唯一の特定危険指定暴力団「工藤會」がこの街を牛耳っていたからである。しかし今、工藤會の屋台骨がぐらついている。福岡県警による相次ぐトップ検挙。一体何があったのか――。 現場を指揮した元刑事が、工藤會壊滅作戦の全貌を明かした 「 県警VS暴力団 刑事が見たヤクザの真実 」(文春新書)から一部を抜粋する。

◆ ◆ ◆

■建築1%、土木2%、解体5%

 工藤會は建設業者から、どれだけのみかじめ料を取っていたのか。

 十社会と呼ばれた工藤會・田上理事長の関係企業にも、情報班は何度も足を運んだ。当時は20〜30社程度に膨れ上がっていた。

 元請けの一部ゼネコンも、その存在を認識した上で、工藤會関係企業が二次、三次の下請けに入るのを黙認していた。工藤會関係企業を下請けに入れれば、工藤會はもちろん、地元とのトラブルも発生しないからだ。

 一次の業者は、下請け工事の作業を水増しするなどして、工藤會へのみかじめ料をあらかじめ組み込んでおく。結果的に、公共工事であれば税金を払う市民が、民間工事であれば発注者が、その分を多く負担させられることになる。

 当時、工藤會へのみかじめ料は、建築工事が1%、土木が1.5から2%、解体工事が5%と言われていた。解体工事が高いのは、解体の際に出る鉄骨などを売ればその分の利益が出るからだ。

 現地本部には、贈収賄など知能犯事件を扱う捜査第二課特捜班も配置され、二課の特捜と四課の資金源担当特捜班とが競うように、これら工藤會関係企業を摘発していった。談合、建設業法、廃棄物処理法など、使える法律は何でも活用した。二課の特捜は、さらに捜査を進めて、これら企業と公務員の癒着も解明し、国交省職員や地元議員らが絡む複数の贈収賄事件の検挙にも繋がっていった。

■「工藤會は命を取るが、警察は会社を潰す」

 現地本部の資金源対策が軌道に乗るにつれ、工藤會と関係の深い業者からは次のような言葉が聞こえるようになった。

「工藤會は命を取るが、警察は会社を潰す」

 県警は決して真面目な業者を目の敵にしていた訳ではない。

 これら工藤會関係の建設業者は、北九州地区の大型工事を工藤會と自分たちの都合の良いようにねじ曲げていた。これらの企業は、多くの大型工事の下請けを次々に受注し、真面目にコツコツ仕事をしている大多数の業者は、それらの工事から弾き出されていた。

 一方で、警察に摘発された後、それを機に工藤會との関係を断とうとする業者もでてくるようになった。

■ゼネコンの発注者までが狙われた

 工藤會にとって、みかじめ料が無くなることは死活問題だ。

 平成18年、大手ゼネコンが暴力団への資金断絶を打ち出すと、これをきっかけに連続銃撃事件が起こる。

 7月に小倉北区で大手建設会社の九州支店に対する銃撃事件が起こると、翌平成19年2月までに、建設業者や工事現場に8件の銃撃事件と2件の放火事件が発生した。そのうちの一つはゼネコンに発注した福岡県の有力企業・西部ガスの本社への銃撃だった。暴力団への資金断絶を表明したゼネコンの顧客である発注者までが狙われたのだった。

 背景はこうだ。工藤會関係企業に対する取締りを強化した結果、地元建設業者の中には、みかじめ料を明確に断るものもでてきた。これまでなら、その関係先に銃弾を撃ち込めば屈服していたものが、銃撃されても従わないものが出てくるようになった。

 そのために、それら業者の元請け、更には発注者を狙うようになっていったのだ。

 その後も元請け企業への攻撃はエスカレートし、スーパーゼネコンの一つ、清水建設が狙われた。

 平成19年3月、これらの事件が一件も検挙できない中、現地本部への残留を強く希望していた私は、福岡空港警察署署長に異動となった。

■トヨタへの手榴弾投てき事件の衝撃

 同年11月、トヨタ自動車九州小倉工場内にある清水建設の現場事務所が放火された。その2週間後に、八幡西区でやはり清水建設の現場事務所に銃弾が撃ち込まれた。さらに2週間後、福岡市東区で清水建設関連の会社事務所への発砲事件が発生した。

 いっぽうで12月には八幡西区で不動産業者の自宅への発砲事件が発生し、同日、小倉北区で建設会社社長が何者かに刺され、翌年1月に亡くなった。

 日本のトップ企業のトヨタも標的となった。

 平成20年9月15日、トヨタ自動車九州苅田工場へ手榴弾が投げ込まれ、地面に約10センチの穴を開けた。現在まで検挙に至っていないが、原因は当時この工場の工事を請け負っていた清水建設に対する嫌がらせと思われる。清水建設が暴力団の違法・不当な要求を撥ね付けると宣言してから、前述のように暴力団と思われる者から度々銃撃等の被害を受けていたからである。

 日本のトップ企業に対する事件は、中央経済界にも衝撃を与え、北九州市に進出を計画していた大手企業数社が断念したと聞いている。暴力団による“テロ”は福岡経済にも計り知れないダメージを与えたのだ。

 このトヨタ自動車九州の事件後、工藤會を含めた暴力団対策の抜本的見直しが行われた。

 同年11月、暴力団対策を検討するためプロジェクトチームが結成され、春から鑑識課長を務めていた私は、わずか8か月でその職を解かれ、刑事部参事官という肩書でプロジェクトを担当した。その後、県民、事業者、行政が一体となって暴力団排除を進めるため、暴力団排除条例を検討するプロジェクトチームが別途立ち上がり、日本初となる条例の施行に結びつく。

 平成21年3月、捜査第四課内に北九州地区暴力団特別捜査室が設置され、私は参事官という肩書に加え、この特別捜査室を担当することになった。北九州地区の暴力団といえば工藤會をおいてほかにない。実質的な「工藤會対策課」の誕生である。

■全国初の暴力団排除条例施行

 平成22年1月、県警の刑事部から組織犯罪対策部門が独立し、「暴力団対策部」が設立された。

 また、暴力団捜査を担当していた捜査第四課が、主に工藤會を担当する北九州地区暴力団犯罪捜査課と、それ以外を担当する暴力団犯罪捜査課とに分かれた。県警が工藤會対策を最重要視した結果だ。

 私は、北九州地区暴力団犯罪捜査課(北暴課)の課長を命ぜられた。

 同年4月1日、全国で初めて福岡県において、暴力団排除条例(暴排条例)が施行された。

 暴排条例は、工藤會や道仁会など県内暴力団が、県民等に多大な脅威を与えている福岡県の現状を背景に、暴力団排除の基本理念を定め、福岡県や福岡県警による暴力団排除の基本的施策を規定している。

 基本理念として、その第三条で「暴力団が社会に悪影響を与える存在であることを認識し」「暴力団の利用、暴力団への協力及び暴力団との交際をしないことを基本」とすることが定められた。暴力団対策法よりも更に踏みこんで、暴力団は社会にとって「悪」だと明確に規定したのだ。そのうえで県民や事業者が暴力団員等に利益を供与したり、暴力団の威力を利用すること、暴力団員等が利益を受けることを禁止した。

 警察に対しては、市民等に対し必要な保護措置を講ずることを規定している。

 また、中学生、高校生等に対し、暴力団への加入や暴力団による犯罪の被害を防止するための教育等の措置、具体的には、現在、福岡県内で行われている暴力団排除教室の基本となる条文も設けられた。

 そして施行後は、幼稚園、学校等から200メートル以内の場所に暴力団事務所を新たに設置することが禁止された。

■元暴力犯刑事への襲撃

 暴排条例の施行後、私は暴力団対策部の副部長となり、平成25年3月に久留米警察署長として異動するまでの4年間、引き続き工藤會対策を担当した。

 この4年の間、北九州市を中心に暴力団によると見られる襲撃事件が30件ほど発生し、それはすべて一般市民や企業を狙ったものだった。

 その中の一件に、元暴力犯刑事への襲撃があった。平成24年4月、元県警警部H氏が工藤會組員から銃撃され重傷を負ったのだ。H氏は暴力団捜査の大先輩であるとともに、退職前には北暴課の班長として、私を補佐してくれた。H氏は長年、工藤會対策に従事し、工藤會の主要幹部らを多く知っていた。トップである総裁・野村悟とも対等に話ができる数少ない捜査員だった。

■「退職後は気をつけろ」という脅し

 工藤會は、平成10年には「警察との接触禁止」「接触すると破門、絶縁する」と傘下暴力団員に指示徹底した。ただ、現役だったH氏は、以後も工藤會側を代表する最高幹部の一人と非公式に接触を続けていた。平成15年2月、私が捜査第四課の北九州地区担当管理官となる1か月前、工藤會側は、そのH氏と最高幹部との非公式な窓口をも閉鎖した。だが、その後も、工藤會本部や総裁自宅の捜索などで、H氏が野村総裁、田上会長らと顔を合わせた際には挨拶程度の会話は交わしていた。

 H氏は、定年となるまで、その実力を買われて北暴課で情報収集等を担当していた。

 その中で、工藤會を破門・九州所払い処分、すなわち工藤會を追われ、九州から追放された元幹部と、福岡県外で接触して情報収集を行ったことがあった。一対一の会話だから、H氏の発言には、工藤會による数々の凶悪事件を念頭に、トップである野村らに対して批判的なものもあった。

 ところが、破門になっていたその元幹部は、H氏との会話をこっそりICレコーダーに録音していたのだ。しかも、自分を破門にした野村らにご注進に及んだのである。

 工藤會トップとして北九州に君臨しているつもりの野村には、その発言が許しがたいものだったのだろう。また、工藤會取締りを続ける、福岡県警に対しても大きな牽制になると踏んだと考えられる。つまり「退職後は気をつけろ」という脅しである。

 H氏襲撃の実行犯は、工藤會田中組幹部・中田好信(当時37)だった。中田の撃った2発の弾丸がH元班長の太もも付近を貫き、瀕死の重傷を与えた。

■一方的な怒りによる襲撃

 この事件の翌年発生した看護師殺人未遂事件も、野村がそのプライドを傷つけられたと感じたことから起こった。野村は、看護師が勤務する診療所で自らの局部の増大手術と周辺の脱毛治療を受けた。その手術結果に不満を持った野村は、自分に対し、普通の患者と同じ態度で接した看護師に一方的に怒りを募らせた。そして、直接には何の動機もない工藤會幹部・大石薫らに卑劣な襲撃を行わせたのだ。

 H氏に対する殺人未遂事件と、元漁協組合長の孫にあたる歯科医師に対する殺人未遂事件、この2件の実行犯である中田好信被告の控訴審判決が平成30年7月4日に下された。中田被告は看護師殺人未遂事件では実行犯・大石薫被告の送迎役を務めていた。

 福岡高裁は、中田に懲役30年を言い渡した1審の福岡地裁判決を支持し、控訴を棄却した。1審、2審ともこれらの事件に対する工藤會総裁・野村悟による指揮命令を認定している。

(藪 正孝)

関連記事(外部サイト)