【追悼】横田滋さん めぐみさんが姿を消したのは、45歳の誕生日の翌日だった

【追悼】横田滋さん めぐみさんが姿を消したのは、45歳の誕生日の翌日だった

めぐみさんの写真を手に会見する横田滋さん ©getty

 横田滋さんが逝かれた。1977年11月15日に、新潟市内で下校途中だった中学1年生の横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されて42年余り。めぐみさんとの再会という悲願を叶えられずに、天国に召された滋さんの無念さは計り知れない。残念至極だ。心よりご冥福を申し上げたい。

 筆者は北朝鮮問題をライフワークとし、横田さんご夫妻が住む川崎市内の自宅マンション近くにも住んでいたことから、これまで何度も取材させていただいた。この拙稿では、取材を通して知り得た滋さんのお人柄や思いについて書かせていただきたい。

■娘を何としても取り戻すという執念

 筆者が横田さんご夫妻を初めて単独インタビューしたのは2009年4月だった。滋さんに最初に会ったときの印象は、「聡明で優しいお方」だった。

 滋さんが筆者に対し、拉致問題を丁寧に時系列的に説明し、分かりやすく解説してくれたことを鮮明に覚えている。

 例えば、当時は、福田政権時の2008年8月に中国・瀋陽で行われた日朝協議で拉致問題再調査に合意がなされたが、その直後に福田首相が退陣し、麻生政権に変わったタイミングだった。そして、北朝鮮は麻生政権の外交姿勢を見極めた後、日本との交渉をキャンセルしていた。

 滋さんは、こうした風雲急を告げる日朝交渉の細部を含め、北朝鮮情勢をめぐる国内外のニュースを丹念に追い、自ら分析・展望されていた。情報収集を万全にし、娘を何としても取り戻すという強い執念が感じられた。

※この時の取材を踏まえて、筆者はAsia Timesに記事を書いたが、すでにページへのリンクがなくなっていた。筆者の古い英語ブログに拙稿を掲載しているので、興味のある方はぜひご覧いただきたい。米中央情報局(CIA)の元東アジア部長は、この拙稿を読んで「拉致問題で私にできることはないか」と連絡をくれ、支援を申し出てくれた。
http://kosuke2009.blogspot.com/2009_04_26_archive.html

■日銀職員だった滋さん

 滋さんの経歴をたどれば、その聡明さは十分に理解できるだろう。

 1932年生まれの滋さんは北海道の名門校、札幌南高校(戦前は札幌第一中学)を卒業後、日本銀行札幌支店に就職した(滋さんの父親は札幌南高校の国語教諭だった)。日銀名古屋支店勤務時代に早紀江さんと出会い、めぐみさんを授かった。そして、新潟支店に転勤後の1977年、当時13歳のめぐみさんは帰宅途中に、たまたま道端で北朝鮮の工作員と遭遇しただけで拉致された。

■“行方不明”の前日にもらっていたプレゼント

 この忌まわしい出来事がなければ、滋さんと早紀江さんのご夫妻は娘の奪還に人生を費やすことなく、平穏な家庭生活を過ごせただろうに、と無念さがいつまでも募る。

 滋さんが話されためぐみさんの思い出の中で印象深いのは、1977年11月14日、45歳の誕生日祝いに「もっとおしゃれに気を遣ってね」と中学1年生のめぐみさんからべっ甲のくしをプレゼントされたという話だ。娘の成長と優しさに触れ、滋さんが幸せをかみしめていた矢先の翌15日、めぐみさんは行方不明になった。いたたまれない。

 父親にとっての娘の可愛さは古今東西、格段のものなのだろう。滋さんはめぐみさんの成長を記録するかのごとく、スナップ写真を撮り続けていた。

■ヘギョンさんと面会した後に見せた笑顔

 横田さんご夫妻を取材していて、滋さんは聡明で頭の回転がとても早い分、時に話が冗長になることもあった。しかし、そこではご夫妻の見事な役割分担があった。そばにいる早紀江さんが短く簡潔にお答えになり、フォローされていた。

 川崎市内の横田さんご夫妻の自宅マンションの集会室で行われる記者会見には、いつも大勢の記者やテレビクルーが詰めかけてきた。

 なかでも、2014年3月にご夫妻がモンゴルで孫のヘギョンさんと初めて面会した後、集会室で行われた記者会見が一番印象に残っている。ヘギョンさんと会い、「行って良かった」「充実した3日間でした」と満面の笑みで嬉しそうに話した滋さんの表情が、今も忘れられない。

■2005年には難病を患い、生と死の境をさまよった

 滋さんは1997年から2007年までの10年間、北朝鮮による拉致被害者家族会の代表を務めた。その間、2005年12月に血液の難病の「血栓性血小板減少性紫斑病」と診断され、生と死の境をさまよったことがあった。めぐみさんが1977年に行方不明になって以来の長年のストレスや心労がたまり、気が休まる日は1日もなかった影響も大いにあろう。

 2017年2月5日に早紀江さんの誕生日にあわせて行われた「横田夫妻を囲む会」では、滋さんは会話や歩行がすでに不自由になっているように見受けられた。そして、自分が話さない分、マスコミの取材に普段通りにテキパキとお答えになる早紀江さんをそばで優しく見守るように、にこやかに、はにかんだ表情をみせていた滋さんが忘れられない。

 上記は、その際に筆者が撮影した動画である( https://www.youtube.com/watch?v=tmI20riicvw&feature=youtu.be )。その最後の場面になるが、早紀江さんが滋さんの歩行を支えるために、後ろからそっと腕組みをした。筆者を含めた周囲の人々が「滋さん、羨ましい」「滋さん、いいな」などと声をかけると、滋さんはこの時も思いっきりはにかんでいた。嬉しそうな表情が印象的だ。

 聡明で、はにかみ屋さんだった滋さん、長い間、お疲れさまでした、ゆっくりお休み下さい。天国で安らかに。

(高橋 浩祐)

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