「ケニアの子どもたちに靴を」“Qちゃん”高橋尚子が10万足の靴を送った理由

「ケニアの子どもたちに靴を」“Qちゃん”高橋尚子が10万足の靴を送った理由

「Qちゃん」の愛称で親しまれているシドニー五輪マラソン金メダリストの高橋尚子。2009年から「高橋尚子のスマイル アフリカ プロジェクト」をスタートし、JICAオフィシャルサポーターを務めている。

 世界の紛争地やスラムなどの貧困地域で何が起きているのか――。

『 この世界を知るための大事な質問 』(宝島社)は、「貧困地域の子どもたちの日常風景」の写真とエピソードを交えながら、子どもの貧困をめぐる問題をQ&A形式で解説しています。

 日本ユニセフ協会の現地視察に同行している著者だからこそ撮れた、ドラマ性のある写真の数々には、一見気づかないような、大事なメッセージがひそんでいます。

 同書から抜粋して、高橋尚子さんのインタビューをお届けします。

◆ ◆ ◆

■Qちゃんが取り組む、海外での支援活動

??高橋さんはJICA(独立行政法人国際協力機構)のオフィシャルサポーターとして、海外での支援活動に取り組まれています。

高橋 私が現役(げんえき)を終えた翌年の2009年に「ケニアでマラソン大会をしませんか」というお誘さそいをいただきました。せっかく行くなら、何か意味のあることを一緒にしたいと思って、ケニアについて調べていたんです。そうしたら、たくさんの子どもが破傷風などで命を落としていることを知りました。はだしの子が多いので、足をケガしてしまうんですね。

「もし靴をはいていれば、そうした感染症を防ぐことができるかもしれない」。陸上競技をやってきた私にとって、靴は自分の分身のように大切なものです。まだ使えるけど、子どもが成長してはけなくなった靴が日本にはたくさんある。それを集めてケニアの子たちに送ってあげられないだろうか。

 スマイル・アフリカ・プロジェクトを発足し、みんなで話し合って、JICAや企業の協力を得て、プロジェクトをはじめました。そして、2019年に目標にしてきた10万足に達したんです。

■ランニングの普及、貧困地域での出会い……ケニアで体験したこと

??これまでに何ヵ国くらい行かれたのでしょうか?

高橋 JICAとのプロジェクトでは13ヵ国に行きました。ケニアに靴を送る支援は11年かけて目標に達し、いったん終了したのですが、その間に現地でいろいろなことを体験できました。

 現地で皆さんにランニングの普及をしたり、世界の貧困地域に足を運び、ストリートチルドレンや施設を訪ねたり。

 活動をはじめて1年目、私は靴をもらった子どもたちが、うれしくて羽が生えたように飛び回るのを想像していました。ナイロビのスラム街に向かうと、途中からすごい匂いがして、ゴミが積もっていて。そこを子どもたちがはだしで走り回っていました。

 病院を視察したときに、25歳くらいの青年がいたんです。彼は足の指が切り落とされていました。「靴があったら、こんなことにならなかったのに」と言われ、自分が恥ずかしくなりました。靴は楽しく走り回るだけのものではなくて、命を守る大切な防具なんだということを知りました。

■モーリスくんの靴

??実際に靴をもらった子たちの反応はどうでしたか?

高橋 最初に2000人の子どもがいる学校に行って、1人1人にサイズの合ったものを1日がかりではかせてあげました。そのとき私が「陸上選手になりたい人?」って聞いたら、1人だけ手をあげたんです。モーリスくんという小学4年生の男の子でした。なりたい理由を尋ねると、彼は言いました。「僕は貧しいけれど、お父さん、お母さんがいる。けれども、ケニアには両親がいない子もたくさんいる。陸上で活躍して、その子たちを助けたいんだ」。ケニアでは長距離走で活躍するという、サクセスストーリーがあるんです。

 2年目に会いに行くと、モーリスくんが走ってきて「尚子、ごめんね」って。「毎日毎日、僕は洗ったんだよ。でもこんなにボロボロになってしまったんだ」。そう言って、親指も人差し指も全部穴があきそうな靴を見せてくれたんです。ものはここまで使えるんだということを初めて知りました。私はあらためて学んだ「大切に使うこと」を日本で伝えなければと思いました。

 そして、靴を送ってくれた日本の子どもたちには、ケニアの子たちが育てたヒマワリの種を渡します。「靴を送ったことを忘れないで、緑化運動につなげてね」という思いを込めています。

 そしてその年、スラム街に陸上クラブができたんです。30〜40人の子が集まって練習するようになった。スラムに生まれたことで、「自分たちなんて」と下を向いていた子たちが、生き生きとしてきました。

■大人も変わり、スラムの子がマラソン大会で上位に

 3年目になるとまわりの大人たちにも変化が起きたんです。子どもたちが安全に走れるように、練習場をきれいにしてあげたいのだと、250人くらい集まって、みんなで一緒にそうじをしました。

 4年目に、マラソン大会のジュニアの部でスラムの子たちが2位、4位、7位に入ったんです。ナイロビの陸上のエリート選手に混ざって、この成績はすごいこと。たくさんのテレビやラジオの取材を受けました。そうすると、陸上に興味がなかったスラムの人たちも、「自分たちもやればできるのかな」って思いはじめて。希望を持った子たちが増えていくのがうれしかったです。さらに5年目に2位に入った子は、最初に陸上選手になりたいと言ったモーリスくんでした。

??お話を聞いて、支援はものを送るだけではなく、受け取った人たちの心を動かすこともできると感じました。

高橋 1回目に行ったときに、「こういうふうにしよう」と自分で決めていなかったのがよかったと思います。初めて知った事実に驚きながらも、みんなと目線を合わせて、一歩ずつ進んでみました。だから受け入れてくれたんじゃないでしょうか。

 青年海外協力隊の人たちに話を聞いても、「やってあげよう」という気持ちでは、拒絶されることが多いと。向こうの人たちも自分たちが続けてきた生活がありますからね。一度「これをしたい」という気持ちを捨てて、その国の人たちに溶け込んでみる。コミュニティの一員として、同じ目線で歩いて行くと、みんながその人を頼って耳を傾けてくれる。その過程が私はすごく大切だと思います。

■アフリカの子たちは夢を1つ持つことがすごく大変

??私が行ったブルキナファソでは、サッカーボールがほしい子どもたちがいました。

高橋 日本では、多くの人にとって夢というのはたくさんの中から選ぶもの。でも、アフリカの子たちは夢を1つ持つことがすごく大変なんですよね。走りたいと思っても靴がない。その靴を買うために、まず自分で仕事をしてお金を貯めなくてはならない。

 破れたサッカーボールを持った男の子の写真、彼の気持ちがすごくわかります。私たちが靴をあげたモーリスくんも、ボロボロの靴をまだはいていました。陸上選手になりたいと最初に言ってくれた子だったので、特別に「また練習してね」と新しい靴をあげたんです。喜んではいたのですが、すぐに脱いでしまった。破れた靴にはき直すと、「今日はこれを抱いて寝るんだ」って。ものを大切にする気持ちは、日本人が学ぶべきことだと思いますね。

??こうした写真を見て何かをしたいと思った日本の子どもたちに、アドバイスをお願いします。

高橋 興味を持ったら、目を向けて調べてみることです。「何だろう?」という興味をふくらませていけば、その子たちが自分で何かができる年齢になったときに、第一歩を踏み出せるのかなと。

 海外で会った青年海外協力隊の人に、「どうして来ようと思ったのですか?」と聞いたんです。彼は言いました。「小さい頃に見た映像がずっと自分のなかに残っているんです。勉強しているうちに、どうしても来たくなりました」。

 この本の1枚の写真も、見た人の人生を変えることにつながるのだと思っています。

■東日本大震災の忘れられない話

高橋 2011年、靴を送ってくれていた宮城県の学校が、東日本大震災で津波の被害にあいました。その1ヵ月後にケニアからマラソン選手のワキウリさんが来日してくれて、一緒に学校へ行かせてもらったんです。少しでも元気を出してもらえたらいいねと。

 そのときに、生徒会長が最後にお礼の言葉を伝えてくれました。「僕たちはこれまでケニアの子どもたちに靴を届ける側だった。それが一瞬にして、自分たちも支援を受ける側になった。でも津波が襲った次の日には、僕たちにはたくさんの物が届けられて、靴や服がない生活にはならなかった。

 今は僕たちにはケニアの子どもたちに渡すだけのものがない。けれども、こうした被害がなくても靴をはけない子たちがたくさんいることを知っている。だからこそ、自分たちの生活が戻ったら、また靴を渡したい」

(野澤 亘伸)

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