「挺対協の償なえない大罪」 元慰安婦に韓国人より愛された日本人が語る“悲劇の真相”

「挺対協の償なえない大罪」 元慰安婦に韓国人より愛された日本人が語る“悲劇の真相”

臼杵敬子氏(中央)と元慰安婦(右)、キム・ジョンニム氏(臼杵敬子氏提供)

「真相糾明を歪ませた」韓国政府の欺瞞 現場を見た日本人が語る、歴史問題“利権化の理由” から続く

 挺対協(現・「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」)の不実について告発した元慰安婦李容洙(イ・ヨンス)氏の記者会見によって韓国社会は大揺れに揺れている。

 はたして挺対協とはいかなる組織なのか。彼女らの実態をよく知る日本人がいる。その女性の名前は臼杵敬子氏という。ライターとして女性問題に関心を深く持っていた臼杵氏は、半生を韓国太平洋戦争犠牲者遺族会を支援するための活動に費やした。90年代から議論が始まった日韓歴史問題を、最も間近で見つめてきた日本人の一人であるともいえよう。

 本連載では臼杵氏から見た、なぜ慰安婦問題が歪んでしまったのか、その真実について回想してもらう。そして挺対協とはどのような組織だったのかを、当事者として批評してもらおうと考えている。(連載8回目/ #1 から読む/ 前回 から読む)

◆◆◆

「来る必要はない!」支援者を門前払いする元慰安婦

 私の韓国語は「じいちゃん、ばあちゃんの韓国語だ」とよく言われます。元慰安婦や遺族会の人々はみなおじいちゃんおばあちゃん。私は彼ら彼女らと30年近く近き付き合ってきたので、どうしても言葉の影響を受けてしまうのです(笑)。?

「アジア女性基金は無くなってしまうけど、臼杵さんに元慰安婦のフォローアップをしてもらえないか」?

 こう外務省やアジア女性基金サイドから相談を受けたのが、アジア女性基金が解散する前年である2006年のことでした。?

 06年にプレ事業を始め、07年から17年までの10年間、民間受託者として外務省のフォローアップ事業に私は取り組むことになりました。?

 アジア女性基金では償い金を配りましたが、その後、高齢者である元慰安婦たちがどう暮らしているのかがわからない。そこで私がフォローアップ事業者として、人脈を頼りに元慰安婦の自宅を訪ね歩き、健康状態を訊ね、医薬品などを届けるというケアサービスを行うことになったのです。?

 私のパートナーとなってくれたのが、遺族会のキム・ジョンニム氏でした。キム・ジョンニム氏は温厚な性格なので人当たりがいい。更に料理上手なので、みなで集まって食事をするときに腕を奮ってくれました。まさにフォローアップ事業にはうってつけの存在でした。?

 ある時、元慰安婦の沈美子(シム・ミジャ)氏が病床に伏していると聞き、日本にいた私はキム・ジョンニム氏に訪問を依頼しました。?

「来る必要はない!」?

 沈美子氏は彼女を門前払いしたそうです。沈美子氏は04年に、挺対協の不透明会計を目の当たりにして「水曜集会の中止と募金禁止」を求め裁判を起こした元慰安婦で、市民活動家が被害者を利用しているということに敏感でした。遺族会も募金活動をしていることに懸念を持ち、挺対協と同じような団体だろうと考えていたようなのです。?

 キム・ジョンニム氏は何度も沈美子氏のもとを訪問したそうです。沈美子氏は黙々と働くキム・ジョンニム氏を見て思うところがあったようです。キム・ジョンニム氏も戦争で父親を失った同じ「実被害者」だと理解するようになり、心を開いてくれるようになったのです。?

「ジョンニムさんに悪いことをした」?

 彼女はこう謝ったそうです。

 元慰安婦の多くは孤独な老後を送っている人ばかりでした。食事も一人でしているというハルモニが多かった。フォローアップ事業では、彼女らの自宅を訪ね「お体の具合はどうですか? どこか悪いところありますか」とまず聞きます。日本からは胃腸薬やシップをお土産として持って行くと喜ばれた。特に正露丸が大人気でした。雑談後、食事に連れ出し、少しドライブをするというのが定番でした。?

「臼杵は今度いつくるんだ!」?

 小さな行動でもハルモニたちは凄く喜んでくれ、こう言ってくれました。元慰安婦のお世話をしていた、あるヘルパーさんからはこう聞かされたこともありました。?

「ハルモニはウスキさんが来ることを本当に楽しみにしているのよ。訪問の数日前からソワソワし始めて、髪をセットしたり、綺麗なチマチョゴリを用意して待ってるのよ」

 元気なハルモニは旅行に連れ出しました。ソウルから2時間ばかりの所に安眠島というリゾート地があります。景色は綺麗だし、温泉もある所です。場所は私が好きな韓流ドラマの舞台になったところで、みんなで行こうと思いつきました。 ?

 ホテルで元慰安婦たちに温泉に浸かってもらい、フルコースのマッサージを受けてもらいました。?

 ハルモニ達は「こんな幸せはない」といった上気した表情でくつろいでくれた。夜は花札大会でみんなで盛り上がる。戦後、苦労を重ねてきた元慰安婦たちは、みな倹約家です。たまには少し贅沢をしてもらって、生きがいを感じてもらえればと思っていました。?

忘れられない、あるハルモニのこと

 慰安旅行は年に3、4回行いました。ある時、私はホテルの片隅に祭壇を作って、亡くなられた元慰安婦や遺族会関係者の写真を飾りました。みなで追悼をしようと考えたのです。?

 金学順氏、金田きみ子氏、姜順愛氏等、十数人の写真を飾りましたーー。?

 私にとっても思い出深い方ばかりです。?

「ここまでしてくれるのか」?

 元慰安婦たちはみな大いに喜んでくれました。キリスト教、仏教などみな宗派は様々でしたが写真を拝み、持ち寄った料理を食べ、お菓子をつまみながらみなで語り合いました。この追悼式は毎回恒例の行事となりました。?

 フォローアップ事業は2015年の日韓合意により廃止が決まり、2017年度をもって終了しました。せめて元慰安婦が生存している間だけでも続けたいと思っていたので、事業の終了は残念でなりません。?

 元慰安婦のハルモニたちとは様々な思い出があります。?

 その中でも金田きみ子氏は、私にとっては忘れえぬハルモニの一人です。?

長く慰安婦だった女性ほど、女性としての機能を失っていた

 彼女と出会ったのは東京裁判を始めた後の92年2月ごろでした。以前の連載でも語ったように、金学順さんが語る慰安婦イメージを私たちは覆したいと考えていました。金学順さんは慰安婦期間が三か月と短く、キーセン出身ということで誤解される部分も多かった。

 そこで新しい原告探しのために調査を行いました。韓国で新しく名乗り出た元慰安婦20名あまりの中にいたのが金田氏でした。彼女は7年間も慰安所にいて、証言には深いリアリティがあり、原告には最適な女性でした。金田氏はいつも寂しそうな表情をしている、笑顔をまったく見せない女性でした。

 ある時、金田氏の自宅に泊まったことがあります。彼女は6畳1間で老犬と一緒に生活していました。老犬はカプトリと名付けられていました。カプトリとは韓国では有名な昔話の主人公の名前で、この昔話は悲恋の物語でした。?

 仕事は「派出婦」をされていた。つまり、日雇いの家政婦の仕事です。?

 家の中での金田氏は、いつも老犬に話しかけていました。寝るときも一緒に寝ています。彼女にとって老犬は旦那であり、子供であり、友なのです。?

 長く慰安婦とされていた女性ほど、女性としての機能を失っていました。生理が無くなり、子供が産めず、性病にかかり、子宮摘出を余儀なくされた人も多くいました。金田氏も病院で「梅毒の後遺症がある」と診断されていました。 梅毒に死ぬまで苦しむ元慰安婦も少なくなかった。

 挺対協は「1回でも1000回でもレイプは同じだ」とよく主張します。だから元慰安婦には期間の長短に関わらず一律に補償をしろ、という議論になっていく。?

 でも、先ほど述べたように慰安婦の期間が長いほど身体への被害は大きいのです。人によって確実に実情が違う。こうした言論を見るだけでも、挺対協がいかにいい加減に慰安婦問題に取組んでいるか、実態調査を疎かにしているかがわかります。?

 夜就寝していると、横で寝ている金田氏が酷くうなされていました。?

 私が「どうしたの?」と聞くと、金田氏は汗をビッショリかいていた。?

「慰安婦時代の夢を見ていた。怖い兵隊がいて……」?

 痛みの記憶は何十年経っても消えていないのです。?

 翌日、「また会いましょう」と別れました。仕事を終えて夕方、ホテルに戻るとロビーに金田氏がいるのです。私が「どうしたの?」と聞くと、こう言いました。?

「お土産を渡すのを忘れたから」?

 彼女はわざわざ遠出してホテルまで来てずっと私を待っていたのです。その日から金田さんは「ウスキ、ウスキ」と私を慕ってくれるようになりました。?

活動家が醸し出す“両班(ヤンバン)意識”

 元慰安婦たちは、戦中に苦痛を味わっただけではなく、戦後も差別されたり、赤貧のなか孤独な生活を余儀なくされた方が多くいました。そうした実情を知るにつれ、私はそんな彼女たちに少しでも寄り添ってあげられたらと思うようになりました。?

 挺対協の傲慢な言動を見るにつけ、私は彼女たちには拭い難い“両班(ヤンバン)意識”があるのではないかと思うようになりました。?

 両班(ヤンバン)意識とは、いわゆる貴族意識のことです。挺対協には韓国の名門女子大学である梨花女子大卒が多く、みなインテリです。?

「私は土方の娘だから慰安婦にされたの。同じ町の両班の娘は慰安婦にされてないじゃないか」?

 姜順愛氏はよくこう話していました。慰安婦には常奴(サンノム)と呼ばれる下層階級の家庭の娘が差し出されるというケースが多かったといいます。?

 慶尚南道馬山出身の姜順愛氏の自宅の道を挟んで向かい側には後に挺対協の幹部になった女性が住んでいたそうです。その幹部は両班の娘でした。?

 同年代の2人の女性の運命はその後、大きく分かれました。?

 姜順愛氏は「何で私が慰安婦になり、彼女(挺対協幹部)は慰安婦にならずに梨花女子大に進めたのか」とよく嘆いていた。?

 他の元慰安婦からも「私は両班の娘の身代わりになって慰安婦として差し出された」という証言を聞いたことがあります。みな、階級により慰安婦にされるというその不条理さを死ぬまで訴えていました。?

利権作りや日本叩きに奔走する挺対協

 今も両班階級にいる挺対協は、自分の利権作りや日本叩きに奔走するばかりで、元慰安婦たちの生活や人生に関心を持とうとはしない。挺対協の権力作りの為に利用されたハルモニたちは、死んでも死にきれない思いでいるはずです。?

 一方で日本政府側にも問題があったと思います。もっと日本政府は実被害者である元慰安婦たちと直接向き合うべきだったのです。事実確認を怠り、お金だけで問題を解決しようとしたことは誤りだったと思います。

 全てのハルモニたちの話を聞き、虚実を含め検証・資料化し、正確に歴史として残しておけば、挺対協が何と言おうと反論できたはずです。日本には歴史の真実を追求して、後世に伝え残す責任があるはずです。?

 私たちは金田きみ子氏や沈美子氏などの多くの被害当事者の証言から学び、慰安婦問題の本質を知るべきだと思います。

 挺対協は世界中に慰安婦問題を喧伝してまわり、ウソを流布し問題を歪め続けました。結果、挺対協は弱者である元慰安婦を利用して金儲けし続けたのです。

 尹美香(ユン・ミヒャン)は国会議員にまで上り詰めました。慰安婦問題を政治利用し利権化した、その悪行は償えないほどの大罪です。問題が噴出した挺対協をどう断罪するのかは、韓国社会に突き付けられた大きな課題だと私は思っています。?

(了)
(インタビュー・赤石晋一郎)

赤石晋一郎 南アフリカ・ヨハネスブルグ出身。「フライデー」記者を経て、06年から「週刊文春」記者。政治や事件、日韓関係、人物ルポなどの取材・執筆を行ってきた。19年1月よりジャーナリストとして独立

勝山泰佑(1944〜2018)韓国遺族会や元慰安婦の撮影に半生を費やす。記事内の写真の出典は『海渡る恨』(韓国・汎友社)。

(赤石 晋一郎)

関連記事(外部サイト)