1年後の五輪より“個人の明日” もし私がプロ野球チームの経営者だったら“今週の目標”を打ち出す

1年後の五輪より“個人の明日” もし私がプロ野球チームの経営者だったら“今週の目標”を打ち出す

都知事選 ©?AFLO

 プロ野球、そしてJリーグと、日本の代表的なプロスポーツのリーグ戦が再開されました。心待ちにしていたファンの方は多いでしょうし、スポーツのある日常が戻ってきたこと自体は喜ばしいことだと思います。ソーシャルディスタンスを保った形ではありますが、スタジアムにも人を入れての開催へとフェーズが進んできています。

■人々の心を躍らせるものがめっきり減った

 ただ、私個人の感覚としては、以前のような純粋な盛り上がりまでには感じられない、今は、コロナ以前とまったく同じ社会には戻らないのだな、というのが正直なところです。

 それは、観客のまばらな状況が寂しい、といったような表面的な部分で感じていることではありません。試合の勝ち負けをはじめとしたスポーツ界での出来事が、その競技のファンの枠を越え、世の中の話題になり、活力になる――そんなかつての日常に戻っているようには見えないのです。

 つい先日、複数のサッカー関係者が、チケットに対するお客さんの感度が想像以上に低く、危機感を覚えている、と話していたことが思い出されます。新型コロナウイルスによる社会不安が広がって以降、スポーツに限らず、人々の心を躍らせるものが世の中からめっきり減りました。

 もちろん、エンタメ業界の動きが大幅に制限されていることの影響も大きいのですが、私はこの閉塞感の原因はそれだけではないと考えています。世の中で話題になる様々な事柄に、「心躍らせたい」という強い意志にもとづく“シナリオ”の存在が感じられないのです。

■東京都知事選を興味深く観ていたけれど

 政治の話を持ちだすのは適切でないかもしれませんが、分かりやすい例として、7月5日に行われた東京都知事選を挙げたいと思います。

 今回の都知事選では、過去最多、様々な方々が立候補していました。ただでさえ高齢者層をのぞけば政治への関心が低い状況なのに、コロナ禍でより一層の投票率の低さを計算したうえでの立候補だったと思います。既定路線にあるかのような現職小池百合子氏優位の周囲で、政見放送ひとつとっても、実にさまざまな候補が大小の騒ぎをおこしていました。売名目的の方もいたのかもしれません。

 しかし、私はてっきり、このすべての騒ぎは、都知事選の先を見越しての活動であるのだろう、と、選挙期間中考えていました。これだけ泡沫候補が乱立し、さらにコロナでの投票率への懸念も加わると、ただでさえ票が集まりがちな現職を倒すことは難しくなりますから。

 では、都知事選の先にどんなシナリオがあるのだろう? 次の大きな騒ぎをどう起こすのだろう? それが気になって、都知事選の騒ぎを興味深く観ていました。

 しかし、今。

 その先の展開を注視していた私としては、まだ肩すかしを食らっているような気持ちのままです(コロナですし、まだまだまだシナリオの途中なのかもしれませんが、政治へのアンチテーゼを示していくという意味で、期待をしているからこその意見ですので、あしからず)。

■「シナリオ」は柔軟に変化させよ

 私は経営者として、常にシナリオを用意して、様々な手を打つことを意識しています。私がいつも描いているシナリオは、自分以外に誰にもできないような、もっといえば、やろうとすら思わない、私自身の社会に対する挑戦の意志にもとづくものです。

 ある程度のざっくりとしたタイムスケジュールはひいていますが、私は世の中や自身をとりまく状況や環境の変化で柔軟にシナリオを変化させます。いつも意識の根底にあるのは、先を見越したうえで、今やるべきこと、打ちだすべきメッセージを見定めることです。物事の背景にシナリオの存在が感じられるとき、そこに一連のストーリーが生まれ、人は次の展開が楽しみになります。今やっていることの意味が深くなります。

 人々の共通の話題にも発展していきますし、次の展開を受けて「やっぱりそう来たか」と感じてうれしくなるのも、「まさかそう来るとは」と驚くのも、見えないシナリオの伝播と第三者同士の勝手な共有がもたらしてくれる楽しさです。

 言うまでもありませんが、シナリオはいわゆる“やらせ”ではありません。

 あくまでその時点における仮の筋立てであって、先述したとおり常に状況に応じて描き直されていくものです。ただ、仕掛ける側としては、その“仮の筋立てとしてのシナリオ”を持っているか持っていないかで、世の中にその波を伝える力に大きな違いが出てくるのです。

■「優勝を目指す」は心躍る目標ではない

 今のスポーツ界に、そうしたシナリオに基づいて繰り出されている話題がどれほどあるでしょうか。スポーツ界が発信する情報の中に、人々の心を躍らせるものがきちんと、また数多くあるのでしょうか。私は正直、物足りなくて仕方がありません。

 たとえば、これまで、人々が共有してきた目標なり「シナリオ」は、以下のようなものでしょう。来年に“予定”されている東京オリンピックの出場選手が金メダルを目指し、プロスポーツチームがリーグ優勝を目指す。あるいは下部リーグのチームが「来シーズンの昇格を目指します!」「いつか1部で優勝するのが目標です!」と宣言する。

 いずれも、競技に全力で挑んでいる選手たちやチームにとって、それらを目指して戦うことは当然のミッションです。ただ、見ている側の気持ちとしては――少なくとも、コロナ禍ですべての人類に先がみえない最中の“いまを生きる私”には――それを聞いても心が躍る目標ではありません。

 なぜなら、それはある意味「当たり前のこと」であり、ずっと前から耳にしてきたことの繰り返しでもあるからです。価値観の大変革期の狭間にいる今、「優勝を目指すなら全力で応援してあげたい!」という共感や昂ぶりは、湧いてこないのだ、と私は“いま”の社会の空気を読んでいます。

■「先」のことを語られてもピンと来ない

 コロナ感染拡大に伴って人々の価値観は大きく変化した、あるいは、変化している最中と言われていますが、「今こそが大事」という認識の強まりはその一つなのではないかと思います。

 このところ再び感染者数の増加が報告され、また集中豪雨が続いています。 東京だろうが地方だろうが、この国を、世間を覆うさまざまな不安がまた強まりつつあるように、「先が読めない」「先が見えない」という現実は私たちの前に立ちはだかっています。

 そんな状況にある今、遠い「先」のことを語られても、どうしてもピンと来ない。人々の視線は、明らかに、より近いところに向けられているのです。先行きが見えないことに加えて、今は「目先の楽しみ」「目先の希望」がほとんどない状態。毎日続く感染者数の報道も、政治の対応も、世の中の反応も、数カ月前に見た光景の繰り返し、あるいはその延長線上に感じられますし、エンタメも今できることはやり尽くした感がある。

 だからこそ今、ワクワクできることが欲しい。今、心を躍らせてくれる何かが欲しい。自分自身の目の前の不安と苦悩を乗り越える、元気の源だったり、これからの生き方の学びが欲しい。スポーツは、必ずその思いに応えられるはずです。

■いま求められる「短期的かつ個人的な目標」

 でも、そうした世の中の価値基準の変化に対応できておらず、コロナ前と同じ古い認識のままになっているように感じられます。「コロナ前」の意識の範疇の中で、「コロナ禍」の今、できることをやることが目的になっているように感じます。

 東京オリンピックが本当に行われるのかどうか。はっきりとしたことは誰にも分かりませんが、世界的な感染状況を見る限り、開催はかなり危ういと言わざるを得ないと思います。

 プロ野球やJリーグ、その他のスポーツも、リーグ戦を最後まで続けられるかすら、不透明です。感染者の増加で中断されたり打ち切りになったりするリスクは依然として相応に高い。そうした将来に対する潜在的な不安や疑念が、世の人々の潜在意識の中にあると思います。要は、誰にも2カ月先の未来がわからない時代なのです。

 にもかかわらず、金メダルやリーグ優勝、来季の昇格といった目標を掲げられても、どうしても共感しきれない。「オリンピック、本当にできるのかな」「リーグ戦を最後までやれるかな」との思いが頭をよぎり、「仮に優勝したとして、どうなるんだろう」「私たちにとって、どんな意味があるんだろう」と、何かしら引っかかりを感じてしまう。

 コロナの不安が完全に払拭されない状況下においては、「長期的かつ全体的な、漠然とした目標」よりも、「短期的かつ個人的な、そして具体的な目標」に人々は惹きつけられるのだと思います。そちらのほうがより確かで、実感を持てるからです。

■「来週、いつも練習しているプールで世界記録に挑戦します」

 では、どんな目標を掲げたら、みなさんに共感してもらえ、そのアスリートやチームの活動が社会的に注目を集められるようになるのか。

 たとえば、オリンピックの代表に選ばれている水泳選手が「来週、いつも練習しているプールで世界記録に挑戦します」と言ってくれたら、どうでしょう? その挑戦がしっかり演出されていたらどうでしょう? 心が躍りませんか?

 あるいは、体操選手が「まだ誰も成功したことのない新技に挑戦します。明日、YouTubeで配信します」と言ってくれたら、多くの人が見ませんか? そこに水泳連盟や体操協会が、彼らの“世界記録”や“世界初の新技”を認定できるよう動き出してくれたなら、大きなストーリーが展開していくような予感が生まれます。

 端的に表現するなら、今は、1年後のオリンピックより、個人の明日のほうが強い。そうした認識のもとに、スポーツ界は様々な新しい取り組みを行うことに力を注いでいけば、どんな時代でもスポーツの力で社会を元気にする潜在能力を具現化し、世間に披露できる、そう私は思います。

■私なら“今週の目標”を打ち出す

 もし私がプロ野球チームの経営者だったら、リーグ優勝は当然の目標として特に強調はせず、むしろ毎週、“今週の目標”を強く打ち出します。

 たとえば、「今シーズンは6タテ目標! 今週こそは絶対“6タテ”を達成! そのために戦力総動員」

 そのほうがファンの心をより強く刺激することができる。

 あるいは、シーズン中のある1カ月で自分のチームが最も多く勝ったなら、勝手に「月間優勝チーム」としてお祝いしてしまう。「7月度優勝!」と独自基準で盛り上がり、それに付随して様々な施策を講じていく。

 先が見えない世の中だからこそ、そこに至ることすら不確かな目標ではなく、より確実に到達できる目先の「そこならみえる」「そこならついていける」という分かりやすい目標に基づいたシナリオを積み重ねるのです。

■小さくてもいいから、ファンと世の中を楽しませたい

 私は今、プロバスケットボールのB3・さいたまブロンコスの経営を担う立場にありますが、現況下において、B2昇格や、将来的なB1優勝を目標として掲げることはしません。それは、きっと数年後、コロナの不安が完全に払拭されたときに考えるべきこと。そのくらいに考えています。

 ブロンコスについては、つい先日、チーム名、チームロゴ、チームカラーの変更という大きな変化を打ち出したばかりです。次はどこよりもカッコいいユニフォームをつくろう。その次はこんなことをして、世間を驚かせよう――そうやってブロンコスにしかない、私なりの今の社会への挑戦のシナリオを描きながら、小さくてもいいから、ファンと世の中を楽しませたい、元気にしたいと考えています。

 念のために付記しておきますが、私はもちろん、オリンピックは実施してほしいと思っています。各スポーツのリーグ戦も、最後までやりきることが可能であってほしい。ただ、それと同時に「今、心躍ること」を大事にすべきだと思うのです。

 選手個人めいめいが、あるいは各チームが各々勝手独自で挑戦の心あふれるシナリオを描き、おもしろいことに挑戦し、先の展開をにおわせつつ、世の中を駆動させていくようなことに取り組んでほしい。

 コロナによる社会変化に対応できなければ、スポーツの持つ力は大きく削がれていくでしょう。オリンピックはまさしくその評価が問われる舞台です。価値観の転換をうまく捉えて適切な手を打てれば、今だからこそ大きな注目を集め、スポーツの力をあらためて世に知らしめることができます。

 大きな大きな分岐点にある日本のスポーツ界が、より日本社会の元気をリードする存在へと進んでいくことを願っています。

(池田 純)

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