「セブンイレブンいいなあ」JR山陽本線 広島〜岡山の間“ナゾの終着駅”「糸崎」には何がある?――2020上半期BEST5

「セブンイレブンいいなあ」JR山陽本線 広島〜岡山の間“ナゾの終着駅”「糸崎」には何がある?――2020上半期BEST5

JR山陽本線の“ナゾの終着駅”糸崎には何がある? 岡山からは1時間半ほど

2020年上半期(1月〜6月)、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。ライフ部門の第5位は、こちら!(初公開日 2020年4月20日)。

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 岡山駅から在来線の山陽本線に乗って、広島方面を目指す。できることならば乗りっぱなしでのんびり車窓を眺めたり、うつらうつらしながら行けるのが理想である。が、そうはさせまいと、山陽本線は岡山から1時間半ほど走った途中の駅でいったん終点を迎えてしまうのだ。その駅とは、糸崎駅である。

 岡山から西に向かう山陽本線の列車は、ほとんどが糸崎止まりになっている。そのひとつ先の三原駅まで行く列車もあるが、頑張っても三原まで。つまり、糸崎駅(と三原駅)が鉄壁のごとく立ちはだかって、まるで広島行きの関所のよう。青春18きっぷで山陽本線を乗り通す人にもすっかりおなじみだろう。三原駅は新幹線も乗り入れるから聞いたことはあるし、糸崎のひとつ手前の尾道駅は大林宣彦監督の尾道三部作でおなじみだ。そんな有名な三原・尾道を露払いと太刀持ちとして従える山陽本線岡山〜広島間の“終着駅”糸崎、さぞかし横綱級の立派な駅なのでしょうね……。

■さっそく糸崎駅に到着。何がある?

 というわけで、実際に訪れた。岡山から在来線で行くのが正しいような気もするが、新幹線が福山駅まで連れて行ってくれるのでそこで在来線に乗り換え。福山から糸崎までは30分足らずである。

 これまでいくつもの“終着駅”を訪れてきたから、糸崎駅の正体はおおよそ想像がつく。大きな町とか立派な駅ビルとかそういうものを期待してはならない……両隣が尾道と三原なのだからなおのこと。おそらく車両基地があるんでしょう。

 そう思いつつ糸崎駅のホームに降り立った。

 すると、予想を裏切らず2面4線のホームの傍らには広大な留置線。駅のホームのすぐ横に車両基地があるパターンはこれまでにはなかったような気もするが、少なくとも糸崎駅が車両基地の駅である点においては他の終着駅の面々と同じであった。そしてその車両基地には、山陽本線の岡山エリアを走る国鉄時代からの大ベテラン115系と、広島の新エース・227系Red Wingが仲良く並んで停まっている。広島と岡山の、鉄道車両における違いをまざまざと見せつけられる糸崎駅である。

■なぜ貨物列車のコンテナがある?

「車両の運用は基本的にここで分かれているので、227系は糸崎までしか来ないんですよね。でも、一応1日3往復だけ福山までは走っているんですよ」

 そう言いながら出迎えてくれたのは、JR西日本岡山支社の藤井彰二さんと福山列車区長の懸田剛一さん。今までの終着駅の旅はひとりで勝手に訪問していたが、今回はなんとJR西日本の方々のエスコート付きなのだ。ありがたいような、申し訳ないような……。

「かつては機関区として車両基地の機能も持っていましたが、今は留置線としての役割だけになっているんですよ。駅前はあとにまわして、まずは留置線のほうから見ていただきましょうか」

 懸田区長に案内されながら、駅舎とは反対側に向かって留置線を何本もまたいで歩いていく。115系と227系が仲良さそうに佇む横を。その先には貨物列車のコンテナがいくつも並んでいる。おや、ここには貨物列車も来るのか。

「いや、今はオフレールステーションになっていて列車での貨物の取り扱いはないそうですね。旅客列車の拠点としては岡山エリアと広島エリアの境界で大きな役割を持っていますが、まあ実際には車両留置としての機能があるくらいです。昔は糸崎機関区と言っていましたが、今では福山列車区の糸崎派出。車両留置以外では、乗務員の休憩所として使っています。車両と同じで、乗務員も糸崎・三原を跨いで乗務することはありませんからね」

 確かに、ホームの横の車両留置スペース、広々とはしているものの雑草が生えていてとてもじゃないが使えなそうな線路もあるくらいだし、停まっている車両も少なくてどこか淋しげ。留置線をすべてまたぎ終わった先には立派な建物もあるが、職員で賑わっているわけでもなく、無人であった。

■鉄道の街“糸崎黄金時代”とは?

「昔の話ばかりになりますが、ここは機関区としての機能と乗務員の基地としての機能の2つがあったんですね。山陽本線が電化されるまではここで蒸気機関車の付替もやっていたようで、古い写真を見ると転車台も給水塔もあって、そうとう賑やかだったことがわかります」

■「SL時代の跡を調べてみたんですけど……う〜ん、わからない(笑)」

 さらに、駅のすぐ南側には倉庫街があり、その先は瀬戸内海。四国との物流の拠点だった歴史もあるといい、糸崎の市街地には遊郭の跡も残っていたとか。駅の西側にある三菱重工の工場は1943年に蒸気機関車の製造を目的にできたもの。こうしたエピソードを聞けば、往年の糸崎の賑わい、なんとなく想像できそうなものだ。

「ただ、転車台とか機関区時代の設備はほとんどなくなってしまっていましてね。取材に来るからということで、古い写真を見てどこかに跡がわかるようなところがないかと調べてみたんですけど……う〜ん、わからない(笑)」

 懸田区長もそういう通り、確かにうろうろ歩き回っても、糸崎機関区が黄金期を謳歌していた頃の残滓はほとんどみつからない。使われていないボロボロの信号機などもあったが、これとてSL時代のものではないだろう。

■“1分でわかる”糸崎駅の歴史

 ここで改めて糸崎駅の歴史を振り返る。糸崎駅が開業したのは1892年。当時は山陽鉄道という私鉄の駅で、約2年の間は「三原駅」を名乗って正真正銘の終点だった。三原の市街地は今の三原駅のあたりにあるのに、それより手前で鉄路建設が一旦ストップしていたのだ。その理由はきっと次のとおりだ。三原から先、広島方面に向かっては山越えを控える。山越えは鉄道の大敵で、機関車を付け替えたり水や石炭を補給したりする必要があり、その手前には機関区が欠かせない。とは言え、三原市街地にそれを設けるスペースはないから、糸崎にいったんターミナルを設けて機関区を併設したのだ。

 1894年に山陽鉄道(山陽本線)が広島まで延伸すると駅名を糸崎に改め、国有化を経つつも件の通り機関区、鉄道の町として大いに栄えた。ところが、1961年になると山陽本線が三原駅まで電化。さらに翌1962年に広島まで電化される。それでもまだ、三原から分岐する呉線が非電化だったから糸崎のSLの基地としての機能は維持されたが、1970年に呉線も電化されると完全に車両基地としての役割を終える。そして現在ではただ車両が留置されるだけの場所となり、乗務員も乗り継ぎの休憩にここを使うくらいになったのである。

■「あれ? セブンイレブン、いいなあ……」

 このあたりで糸崎機関区の跡を出て、糸崎の町を歩く。海側には倉庫街があり、その中にはかつて線路が通っていたであろう廃線跡もあった。港まで線路を伸ばし、貨物を積み替えていた時代があった確かな証拠といっていい。跨線橋で線路を跨ぐと、北側に迫る山と海の間のわずかな平地。そこに糸崎の市街地(というか住宅地)が広がり、小学校や中学校も。国鉄時代の官舎やJR西日本の社宅もその中にあるという。かつて鉄道の町だった糸崎。小学校や中学校の生徒たちの大半が鉄道マンの子供という時代もあったのだろうか。糸崎の社宅に暮らしていたことがあるという、同行してくれた広報氏がつぶやく。

「ほんとに糸崎ってなにもないんですよね。コンビニに行くのも遠いから、大変でしたよ。夜中に腹が減って、でも家になにもないってなるとね、延々と歩いて……」

 そんな思い出話を聞きながら線路沿いの国道185号を歩いて駅に向かう。すると、いよいよ駅前というところでセブンイレブンの看板が。

「あれ? こんなところにできたんだ。これは糸崎の社宅の人は喜びますよ。乗務員もここがあれば休憩時間も安心でしょう。いいなあ……」

 実際に糸崎駅前で気軽に入れる商店はこのセブンイレブンくらい。それでもなにもないよりはマシ、糸崎に暮らす人はだいぶ便利になったと思っているに違いない。と思ったら、懸田さんが「昔ながらの商店街が少しだけど残っているんですよ」と教えてくれた。

 そこで一旦駅前を通り過ぎて国道をしばらく歩く。すると、国道沿いに、2階が住宅で1階が店舗になっているような昔ながらの商店がいくつか並んでいる。ほとんどの店がシャッターを下ろしているが今でも開けている小さな定食屋があって、「いまでも時々行きますよ、ここ」と懸田区長。「メシを食うならここだけって店がどこかにあったんだけどな」と件の広報氏。まあ、いずれにしても鉄道の町として栄えてた頃には行列のできる店だったのだろうか。

■「糸崎駅」のフォントがたまらない

「糸崎機関区が縮小してからは、鉄道というよりは三菱重工の町になったんでしょうね。働く人たちがこのへんで暮らして、こういう店にも行っていた。三菱の病院もあるみたいですし、鉄道の町というのはもうだいぶ昔のことでしょう(笑)」

 懸田区長はそう笑う。が、やはり往年の鉄道の町としての誇りは残っているようだ。最後になってやってきた糸崎駅の駅舎。1945年に建てられたという木造駅舎は、金太郎飴のように同じ見た目のイマドキの駅舎とは明らかに違う。駅名標も独特なフォントで「糸崎駅」と大書され、「JR」の文字は見当たらない。小さいけれど立派な設えであった。傍らには鉄道施設として実は今も使われているという古い木造の建屋もあるし、荷物などをホームから出し入れする際に使っていたと思しきスペースも。

「今年3月から改札口は無人になったんですけどね。いくら鉄道の町といっても、隣の三原駅と比べると利用者数は10分の1くらい。でも、古い駅舎がこうして残っていて、機関区も形を変えながらも使い続けているところは歴史のある駅という感じですね」

 ちなみに、山陽本線の岡山と広島の県境、実は糸崎よりはるか東の笠岡〜大門間。福山も尾道も、もちろん三原も広島県にある。いわゆる尾三地域、旧備後国に含まれる。糸崎駅で運転系統は分断されているとは言え、三原と尾道が人の往来が少ないわけではないようだ。もしも糸崎駅で乗り換えを強いられないならば、その存在を意識するようなことなどなく通り過ぎるまったく小さな駅なのかもしれない。そこに、鉄道の町として栄えた歴史があった。なんとも興味深い、終着駅の旅である。ただ、やっぱり乗り通すことができたらもっといいのになあ……それも広島の新エース、227系で。

※現地取材は3月に行いました。

写真=鼠入昌史

(鼠入 昌史)

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