「刺青が分からないように刻まなきゃ」遺体をサイコロステーキに…平成最大の猟奇殺人、凄惨な実態

「刺青が分からないように刻まなきゃ」遺体をサイコロステーキに…平成最大の猟奇殺人、凄惨な実態

※写真はイメージです ©iStock.com

 サイコロステーキほどに解体した人間の遺体を、無造作に渓流に落とし流されるままにする。これは戦後最大級の猟奇事件ともいわれる「埼玉愛犬家連続殺人事件」の一場面だ。

 この事件を取材した拙著『 罠 』(サイゾー)を原作とする『実録ドラマ 3つの取調室 〜埼玉愛犬家連続殺人事件〜』が10月4日午後8時にフジテレビで放送された。

 ドラマは大きな反響を呼んだが、放送時間はゴールデンタイム。子どもも見る時間帯であるため、凄惨な描写はカットされた。この記事では、ドラマで放送できなかったすさまじい事件の実態を紹介する。(全2回の第1回/ 第2回 を読む)

■4人の人物が連続失踪した事件

 事件が起きたのは1993年。犬などのペットを繁殖、販売する会社「アフリカケンネル」を共同経営する関根元と風間博子の周囲で4人の人物が連続失踪する。その4人とは、関根の顧客だった山上幸伸(仮名)、暴力団の高田組組長代行の高城昌義(仮名)、その付き人の小宮山亮(仮名)、そして「アフリカケンネル」の従業員の母親だった。まず、事件の概要を振り返ってみよう。

 当時関根らが経営していた「アフリカケンネル」は熊谷の一等地である八木橋デパートの前にペットショップを構え、そこから荒川を挟んで南に2キロほど行った田畑に囲まれた場所に、犬の繁殖と販売を行う万吉犬舎を持っていた。荒川近くにあったシャッター付きの佐谷田車庫には、ジャガーXJ-Sやダッジバンなど関根の所有車が収められていた。

 関根からアラスカンマラミュートを購入して親しくなった山上幸伸は、1992年の暮れに、利殖話を持ちかけられる。

「ローデシアン・リッジバックの繁殖を一緒にやらないか。この犬は日本には一頭もいないから必ず儲かる」

 今度、ヘリコプターに乗せてあげましょう、それともクルーザーがいいですか、などとホラ話を交えながら、利殖の明るい未来を語る。海外に残るシリアルキラーの記録によれば、彼らはたいていユーモアのある自信家だが、関根もまさしくそのタイプだったのであろう。

 判決に記された内容に添って、事件を見てみよう。

 山上はアラスカンマラミュートの雌雄2匹の代金として、1100万円を関根に渡した。だが山上は、それが法外な金額であることを知人から知らされ、関根を詰り返金を要求する。

 関根は650万円と車で返すと言い、山上を佐谷田車庫に呼び出した。それが1993年4月20日。山上は会社帰りに、アウディを運転してやってきた。

■犬の殺処分用の薬で殺害

 山上が佐谷田車庫に来た時にそこに居た、「アフリカケンネル」の名目上の役員である中岡洋介(仮名)が、買い物と給油をすませて帰ってくると、山上はダッジバンの座席で死んでいた。硝酸ストリキニーネという、犬の殺処分用の薬を栄養剤と偽って飲ませていたのだった。

 同じようになりたいかと関根に脅されて、中岡はミラージュに死体を乗せ、片品にある自身の自宅・通称「ポッポハウス」に運び、関根が遺体を解体した。その間、中岡は風間と合流し、中岡は山上のアウディを、風間は自身のクレフを運転して、アウディを八重洲の地下駐車場に入れ、隠している。

 第二の殺人事件は、この第一の山上殺害に端を発する。関根の古くからの友人である暴力団高田組組長代行の高城昌義が山上殺害に気づいて強請(ゆす)ってきたのだ。

 熊谷の祭り・うちわ祭の最中の7月21日、関根、風間、中岡はカリーナバンに乗って、午後10時頃、高城宅に行った。中岡を車の中に残し、関根と風間が入って行ってしばらくすると、高城の付き人の小宮山亮が家から飛び出してきた。関根と風間が小宮山を車の助手席に乗せると、走行中に小宮山は苦しみ出し、フロントガラスに足を突っ張り死に至った。小宮山にも、硝酸ストリキニーネを飲ませていたのだった。

 高城宅に戻ると、同じく硝酸ストリキニーネを飲まされた高城が大の字になって死亡していた。小宮山の遺体が載っているカリーナバンの荷台に高城の遺体も載せ、またもや片品のポッポハウスに向かった。

■遺体はサイコロステーキほどになるまで、徹底的に解体

 ポッポハウスに着くと、浴室で遺体の解体を行ったのは、関根と風間。「生意気に刺青を入れて、刺青から高城と分からないように、細かく刻まなくちゃ」、局部については「気持ち悪いから、あんたやってよ」と風間は言い、包丁を振るいながら、中村美律子の「大阪情話」を口ずさんでいた。中岡は言いつけられて、包丁を研いだくらいしかしていないという。

 8月26日には、アフリカケンネルの従業員の母親が殺害される第三の事件が起き、遺体は中岡の運転でポッポハウスに運ばれ、関根が解体した。

 3つの殺人事件では共通して、サイコロステーキほどになるまで、遺体は徹底的に解体された。骨は庭のドラム缶で灰になるまで焼かれ山林に撒かれ、肉は渓流に流され、自然に還るに任せられた。死体をまるごと燃やしたこともあったようだが、それでは肉が焼ける臭いが漂うことになる。試行錯誤を重ねた上で確立された手法なのだ。この犯行様態を関根は「ボディーを透明にする」と形容している。

■関根は事件を“透明”にしてしまった

 この事件の9年前の1984年にも、関根と関係のあった3人が行方不明になっている。この時すでに「ボディーを透明にする」手法は確立されていたことが、その時の共犯者の詳細な供述から分かる。

 その男によると、肉、内臓、骨を黒いビニール袋に分けて入れると関根は、「あーあ、腹減ったなあ」と言って、インスタントラーメン3人前を平らげたという。この事件でも埼玉県警は大がかりな捜査を行ったが、物的証拠は見つからず、立件されなかった。関根は事件を“透明”にしてしまったのだ。これを見れば、84年が関根の殺人の開始だとはとても思えない。

 1942年生まれの関根は、中学を卒業すると、埼玉県・秩父で中華料理店やパチンコ店で働いた。その中華料理店は火災で全焼し、中で店主は焼死していた。関根が店主を殺害し火をつけたのだと地元の人々は言うが、これも立件されていない。この時に関根は、死体をなくしてしまえば事件にはならない、と学習したのかもしれない。

 関根は20代で犬の販売を始め、弁舌の巧みさで成功させていく。やがて、アラスカンマラミュートを日本に広めた男として、犬の業界で名を馳せている。1988年には「男のBEタイムス」(テレビ東京)に出演し、猪瀬直樹を相手に、こんなことを喋った。

「自分はアフリカに11年、アラスカに8年、シベリアに2年いた。青年期からの半生を炎熱、酷寒の地で過ごした」「シマウマの血を体に塗りたくり、ライオンの群れの中に突進し、瞬く間に牛一頭を白骨化しつつある15万匹の凶暴なピラニアが群集する沼に素足で入り、英国BBC放送をして『ジャパニーズターザン』と呼ばしめた」

 それらはすべてホラであり、いつものことである京都大学卒業だという学歴詐称も行ったが、事業を成功させていたのは事実だった。

■日本では稀にしか現れないシリアルキラー

 アメリカ連邦捜査局(FBI)は4人以上を殺害した大量殺人者を、3種類に分類している。一つの場所で多数を殺害した者は、マスマーダラー(Mass murderer)。短期間に複数の場所で殺人を行った者は、スプリーキラー(Spree killer)。長期間にわたって殺人を続けた者が、シリアルキラー(Serial killer)だ。

 この3つのタイプは、動機も犯行様態も異なる。マスマーダラーというのは、アメリカでなら銃で、日本でなら刃物で手当たり次第に殺傷していくもので、彼らには逃走の意志もなく、その場で逮捕されたり、すぐに自首する。

 やや分かりにくいのが、短期と長期の差である、スプリーキラーとシリアルキラーの違いだ。スプリーキラーは殺人に耽溺してしまい、短期間のうちに犯行をくり返す。シリアルキラーは殺人から次の殺人までの間に、感情的な冷却期間を持つことができる。作業をすませるように殺人を行うと、普段通りの社会生活や家庭生活を営むことができるのだ。殺人を行う傍ら、社会的成功を収めていた関根は、日本では稀にしか現れないシリアルキラーと言えるだろう。

■物的証拠はほとんどなく、捜査は自供で進行

 第一の殺人の直後から関根、風間、中岡は捜査当局の監視対象になったが、遺体が関根によって跡形もなく解体されてしまったため、物的証拠はほとんどない。中岡の自供によって、犠牲者の物であった、焼け焦げたロレックス、鍵、ライター、義歯が山林から見つかったが、それらは殺人があったことを示すのみで、誰がどのように殺人を行ったのかを語るものではない。それゆえに捜査は中岡の自供、そしてそれによって逮捕された、関根や風間らの自供なども交えて進められた。

 2009年6月5日、最高裁で関根と風間への死刑判決が確定。中岡へは1996年6月7日、東京高裁で死体損壊・遺棄で懲役3年の刑が確定し服役、1998年8月28日、満期出所した。関根は2017年3月27日、東京拘置所にて多臓器不全で死亡。東京拘置所に収監されている風間は、再審請求中である。

■起訴の元になった供述が法廷で覆された

冒頭の『実録ドラマ 3つの取調室 〜埼玉愛犬家連続殺人事件〜』では、内田朝陽演じる中岡洋介が、法廷でこのように語るシーンがある。

「人も殺してないのに、なんで死刑判決出んの? なんで(風間)博子がここにいんのよ。問題は殺人もやってないのに、なんでこの場にいるかですよ。それで釈放しないというのはおかしいですよ。俺が出てるんだから」

 事件に関わった中岡の供述によって、関根と風間の2人は起訴されて有罪となったわけだが、2人の法廷に証人として招かれた中岡は、風間は殺人は行っていないと証言したのだ。

 この発言は、2004年2月23日、東京高裁での控訴審第3回公判でのもの。風間博子は殺人を行っていないという趣旨の発言を中岡は、浦和地裁(現さいたま地裁)と東京高裁で計5回している。

 起訴の元になった供述が法廷で覆されたわけだが、当時この事実は一切報じられなかった。

 そもそも、なぜ共犯者の中岡は自供をしたのか。そして、「刺青から高城と分からないように、細かく刻まなくちゃ」などと語り、遺体を解体した風間は果たして殺人を犯していなかったのか。後編では、捜査過程や公判での謎を探っていく。

【後編を読む】「 検事の取り計らいで妻と取調室セックス…平成最大の猟奇事件の捜査過程はなぜ不可解なのか 」

検事の取り計らいで妻と取調室セックス…平成最大の猟奇事件の捜査過程はなぜ不可解なのか へ続く

(深笛 義也)

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