「フクシマ50」の中にもヤクザはいた 原発事故の“英雄たち”は月給100万円

「フクシマ50」の中にもヤクザはいた 原発事故の“英雄たち”は月給100万円

※写真はイメージ ©?iStock.com

 30年近くヤクザを取材してきたジャーナリストの鈴木智彦氏は、あるとき原発と暴力団には接点があることを知る。そして2011年3月11日、東日本大震災が起こった――。鈴木氏が福島第一原発(1F)に潜入したレポート、『 ヤクザと原発 福島第一潜入記 』(文春文庫)より、一部を転載する。(全2回の1回目/ 後編 に続く)

◆◆◆

■茶髪のフクシマ50

 時間通りに老舗旅館に着くと、フロント脇の応接セットに茶髪の若者が座っていた。時々こちらをのぞき込む。まだ若い。20代だろう。

 責任者の姿を探す。それらしい人はいなかった。10分、20分……約束の時間を過ぎても、ピンク色の腕時計を見つめたままの茶髪君しか見あたらない。30分ほどたって、ようやくピンと来た。

「あれ、もしかして……」

「えっ、鈴木さん……ですか?」

 初対面の責任者は、こちらの目を見ようともせずはにかんだ。

「責任者っていうから……こんなに若いと思わなかった。ごめん」

「俺も東京からやってきて、初めて原発で働く人が、作業着に安全靴だとは思わなくて……てっきり背広かなんか着てるんだと思って……」

 若い茶髪の責任者は、「とりあえず、鈴木さんの部屋に行きませんか」と提案した。拒否する理由はないので、2人で501号室に上がった。広い。20畳はある。

「7月10日の夕方に、この部屋に来て下さい。O社(G社の上会社)の鈴木っていえば、フロントで鍵もらえます。あとのことはその時説明します」

「了解!」

 おどけて若い責任者に敬礼した。

「プファッ〜」

 責任者はやっと笑った。

 そこから小一時間ほど世間話をした。話題は私の過去についてだった。

「いつもはなんの仕事をしてるんですか?」

 どう答えていいか悩んだ。軽いジャブで応酬した。

「俺の仕事? ゆすり、たかり、恐喝」

「マジっすか?」

 取材対象が暴力団なので、とっさにそう?をついた。

「いや、でも実際いつもそんな感じの場所にいる」

「なのに作業着似合いすぎ、です」

「形から入るのが詐欺師のやり方だもん」

「クックック。すげぇ、なんかすげぇ感じです」

 責任者は、右腕で両目を覆いながら、純朴な仕草で笑った。

「そうだ。俺、会社から名刺作ってもらったんです」

 受け取った名刺には、G社の会社名の下に『FUKUSHIMA 50』と印刷してあった。

「えっ? フクシマ50なの?」

「一応、です」

■情報を漏らさないフクシマ50

 俗にいう『フクシマ50』の定義はひどく曖昧である。一般的には「東日本大震災によって発生した“想定外”の津波が1Fに来襲し、冷却システムがダウン、1号機および3号機が立て続けに水素爆発をした後、1Fに残った職員・作業員」となろう。インターネットのフリー辞書であるWikiにもある程度の記述がある。サイトには関係者の大半が避難するなか、死を覚悟して原発の収束作業に当たった50人……実際の総数は約70名だったと書かれており、取材の印象でいえば、その程度なら信用してもいい。

 ただ、東電は免震重要棟で指揮を執った吉田昌郎所長(当時)以外のメンツを、プライバシー保護を理由に公開していない。東電社員の内訳、協力企業の人数や年齢、支給された危険手当の金額など、よく分かっていない部分が多い。噂が一人歩きをしてしまい、神格化されている部分はある。東電としてもフクシマ50を曖昧なままにしておきたいはずで、世間が彼らの英雄的行動を賞賛することで、原発事故への批判が多少でも薄まればありがたいだろう。

 当時、私が把握していたフクシマ50は彼だけだった。その後、吉田所長以外の4名から話を訊けたが、うち2名は私をフリーライターと認識していない。あえて隠しているわけではない。問われないから言わない。これまでさんざん情報を隠蔽してきた東電からアンフェアと批判されても、私はまったく平気である。

 ともかく……フクシマ50とようやく連絡が取れても、大方、口が堅い。会社員である以上、おそらく雇用者から「情報を漏らさない」ことを約束する書面を渡され、詳しい説明のないまま流れ作業的にサインしているはずだ。筋を通し、会社に殉じる生真面目さは尊重する。が、多くの人間を苦しめ、生活を破綻させ、世界を汚染した事実を考えれば、そんな一筆は社会全体の利益の前には無効である。具体的には裁判になってもかなりの確率で勝てる。公共の利益が会社の損失に優先するのは明白だ。

 そう説得はしても、フクシマ50はたいてい、カミングアウトをためらった。オフレコで……と釘を刺されているなか、?を書くわけにはいかないので茶髪の責任者の他、3名の詳細は割愛する。

■死んでもいい人間を用意

 責任者の名を、仮に佐藤としておこう。私は佐藤を毎日食事に誘った。責任者に嫌われたら仕事がやりにくい。また、いったい佐藤がどこまで私の素姓を知らされているか、確認したいからでもあった。

 何回か食事をして、ようやく佐藤は私の目を見て話してくれるようになった。彼は3号機が水素爆発した直後、1Fへの召集令状を受け取り、地獄絵図の中に降り立ったという。

「あとで聞いた話だと、経営者が電力から『死んでもいい人間を用意してくれ』と言われていたらしい。社長、もじもじしてて、なかなか『行け』と言わなかったですね。だから志願しました。うちの社長、自分が行っちゃいそうだったんで。社長が死んだら社員が路頭に迷うけど、俺が死んでも代わりはいますから」

 もちろん佐藤は自殺志願者ではない。これまで、原発を生活の糧(かて)にしてきた贖罪だったわけでもないらしい。

「居直るわけじゃないけど、誰も原子力や原発が社会的にどうのなんて考えず、普通の会社に就職する感覚でこの仕事に就いてるんじゃないですか? 原発が善か悪かなんて、深く考えたことなかったです。学校もろくに行ってないんで、難しいことは得意じゃないし(笑)。

 たしかにドキドキはしましたね。不謹慎かもしれないけど、それはどっちかといえば楽しい気持ちで……。そりゃあたくさんの人が困ってるんだから、俺たちが頑張らなきゃいけないっていう使命感はありましたよ。でもそれを自分で言ったらマンガでしょう?

 あと、当てつけみたいな気持ちはありました。これまで威勢のいいこと、偉そうなこと言ってた人間たちがビビってたんで、『よし、じゃあ俺が行ってきてやる』みたいな。

(1Fに向かう)バスの中、みんな青白い顔して泣きそうなんです。話しかけられる雰囲気じゃなかった。でも俺、わくわくしちゃって、みんなを写メしてました。20代とか、若いヤツらのほうが元気だったですね。みんながみんなじゃないけど、歳をとればとるほどブルってたですね。なにかあっても死ぬだけなのに。ぼちぼち1Fも落ち着いて、いまになって復活してきたゾンビもいるけど、『あんた、あの時バックレたよね?』って言いたいです」

 佐藤の話はどこまでが本気で、どこまで冗談なのか、簡単には判断が付きかねる。修羅場を経験した一時のテンションが、彼を調子づかせている可能性はある。それだけ、水素爆発直後の1Fは悲惨だった。自衛隊に退避命令が出され、住民たちを置き去りにしていったほど、一帯は放射能に汚染されていた。ヒロイズムに酔いしれている可能性を考慮し、佐藤のインタビューには時間をかけた。まる一日原発のことには触れず、酒を飲み、ソープをハシゴし、馬鹿話をした。

■放射能を吐くゴジラ

 佐藤がようやく話し始めたのは、出会いから1カ月ほど経ったある夜からだ。その日の夕方、JR湯本駅の近くの居酒屋でビールを数杯飲んだ後、歩いて5分ほどの距離にある居酒屋で痛飲した。

「俺、ここにボトル入ってるんで安く飲めるんです!」

 そう言われて入店したのに、佐藤は自分がなんという名前でボトルをキープしたのか忘れていた。仕方がないので新しく芋焼酎のボトルを注文し、「がんばっぺ、いわき」とピンクの文字でプリントされたTシャツを着ているホステスたちを相手に?み始めた。最初からペースが速く、1時間もしないうちにこちらが潰れ、ホステスにも犠牲者が出た。

 不覚にも1時間ほどボックス席で爆睡していたら、夢の中で『湘南乃風』がきこえてきた。ふと我に返り目を覚ますと、マスターから借りたアロハシャツ姿でマイクを握りしめ、熱唱する佐藤の姿が目に入った。

「はっはっは、鈴木さん、やっと起きましたか。てんでだらしないですね」

 そのまま2人で肩を組み、腕を振り上げながらカラオケを熱唱する。クーラーがガンガンに効いた部屋なのに、額に汗がにじむ。

「暑い!」

「まだまだ、1Fの暑さはこんなもんじゃないですよ」

 30分後、私は佐藤を担ぎ、必死で旅館の駐車場まで運んだ。足がぱんぱんで、もう一歩も進めず、アスファルトの上に佐藤を降ろす。

「佐藤さん、大丈夫? 歩ける?」

「コーラ飲みたい。飲めば復活する」

 フロントでコカ・コーラのペットボトルを買って駐車場に戻ると、佐藤は胃の中の酒をすっかりはき出していた。口から出た吐瀉物(としゃぶつ)が坂道に沿って広がっており、まるで放射能を吐くゴジラである。こちらも酔いが回っていたので、思わず笑ってしまった。

「佐藤さん、大丈夫? 喉に詰まらせたら死んじゃうよ。放射能じゃなく酒で死んだらかっこ悪いじゃん」

「コーラ……放射能に効くんだってさ。これ飲んでまた明日1Fに行く」

 コーラが放射能に効くというのは、完全なる勘違いである。それは膣内射精した後、コーラで洗浄すれば避妊できる……という中学生レベルの話に近い。

 ただ、強がっている佐藤にも、少しは恐怖心があるんだろう、と感じた。夜空の月に雲がかかり、まるで吐瀉物まみれの佐藤のようだった。

■佐藤の告白

 以降、佐藤はたびたび自分の身の上話をするようになった。

 吐くまで飲んだ仲……という陳腐な事実が、佐藤にとって心を打ち明ける一線だったのかもしれない。幼稚な体育会系の精神構造は、しかし、原発作業員としては、スタンダードだろう。よく言えば頭ではなく体で語り合うタイプ……行動が伴わず、口だけの人間を佐藤は嫌う。

 客観的に観ると、それは過剰な不信感だった。死の危険を顧みず1Fで作業したという事実が、彼のプライドを増幅しているのだろう。取材対象としては極めて面倒でやりにくい。自分と同じ目線まで降りてこない限り、どこまでも話をはぐらかし、相手を小馬鹿にするからだ。

 少年時代はよくいる不良で、これまたありがちな大人社会―具体的に言えば父親に対して反抗していたという。両親からの?責には耐えられたのに、大好きだった祖父母から「まともな人間になれ」と怒られたことが引き金となり、カッとして家を飛び出した。毎晩、違法改造のバイクで暴走し、近所の噂になっていたことをとがめられたのだ。

 ただし金はない。友達の家に転がり込んだ。

「親父だけに言われるなら……まだ堪えられたんだけどね、おじいちゃんとおばあちゃんからも、親父と同じこと言われてイラッとしちゃって。不満が溜まってたから、本当の原因は親父ですね。なにかしたいと気持ちばっかり焦って、でもうちの父親が働かなくて。親父……いま何してるか、生きているかどうかさえ知りません。

 ガキの頃、憧れた職業ですか? 親父みたいになりたくない、とにかく金持ちになりたかったですね。内容はどうでもいい、金に困らない生活をしたいって。金が必要だったけど、原発で働こうという未来予想図を持ったことはなかったです。卒業文集の将来の夢の欄に『原発作業員』って書く子供なんて気持ち悪いでしょ(笑)。

 友達のお母さん……すっごく優しかったです。一年近くブラブラして、家に住み着いてしまったのに、毎日ご飯作ってくれて。こりゃあ俺もブラブラ遊んでらんねぇな、って思った。暴走族とか、まぁ、それなりに楽しかったんだけど、友達のお母さんに悪いなって、仕事探したんですよ。先輩に『働きたい』って相談した先が原発をやってる会社で。とんでもないとこだったですけどね。まともなヤツなんて一人もいない。インチキばっかりなんですよ。なんかあったら、全部部下の責任にして……」

 よくある上司の愚痴は、佐藤の言い分だけを聞く限り全面的に正しい。少年らしい、青臭い理想論のウラを取るほど、こちらもヒマではないので全面的に肯定して話を訊いた。

 上司にぶち切れ、会社を辞めた佐藤を、いまの社長が拾ってくれたという。つまり佐藤が原発で働くことになったのは成り行きである。その割に、こちらが恥ずかしくなるほど、彼はいまの社長をべた褒めする。たとえば、弟と妹の進学にあたり、実家に金が必要になったとき、社長が黙って50万円を用意してくれたエピソードは、もう10回は訊かされた。

「別に金に転んだわけじゃないんですけど、学校行くのを諦めようってときだったから、すっごく嬉しかったです。その後も、いろいろ面倒をみてもらって、まだ半人前だし、これまた不謹慎かもだけど、今回の事故でちょっとは恩返しが出来たかもしれないって思ってます。

 上会社からいくらもらってるか、そんなこと知らないし、知りたくもない。電力は一人当たりの日当をいくら出してるんですか? 現場じゃ、8万円とか50万円とか、いろいろ言われてますけど、みんな普段の2割増しくらいでしょ。鳶でも、溶接でも、鍛冶屋でも、たぶんそんなもんです。社長には『いっぱい儲けてくれ』って言ってあるんです。俺の日当は3万円もあれば十分ですって、そう伝えて。でも、(爆発した直後の)何日かは、20万円も(日当を)くれた」

 ということは、おそらく、彼は金持ちになりたいという夢を叶えたのだろう。これまで何度質問しても、給料だけは教えてくれなかった。乗っている車も、年相応の地味な国産中古車なので、実収入が読み切れない。

 ある夕方、午後6時、佐藤はすっかりできあがっていた。1Fの原発作業員は朝が早い。一般的なサラリーマンが帰宅し始める頃は、もうとっくにできあがっている。

 酔いが回った彼は「今月はなんだかんだで、母親に50万も仕送りしちゃった」と、自慢げな声で、ポーズだけの愚痴をこぼした。話したそうなタイミングに見えたので慎重に流れを読んで質問を重ねた。

「じゃあ、もうほとんど給料残ってないんでしょ?」

「まだまだいけます。あと倍はオッケーです」

 それから換算して、彼の月給は100万円越えだと推測し、こっちはもちろんウラをとった。などと書くとご大層だが、それは簡単な作業だった。佐藤が次のスナックで、財布に入っていた給料明細を見せてくれたのである。

「うそー、マジ?」

 名古屋からいわき湯本に流れ着いたホステスは、金額をみて目の色を変えた。

「結婚しよう」

「いいよ。式はどこで挙げる?」

「ハワイにしようぜ!」

「ほんと、マジ?」

「でもいわきの、ね」

 いわきのハワイとは、湯本の観光のメッカだった『スパリゾートハワイアンズ』のことだ。映画『フラガール』の舞台ともなったここは、一見するとそう被害がないように見えるが、中に入ると壊滅的な状況を呈している。当時、急ピッチで新しいビルを建設中で、この頃、いわき湯本インターを降りると、巨大なクレーンが見えた。フクシマ50とホステスが、ともに本気だったとしても、二人の夢が叶うのは、物理的に2012年2月8日のグランドオープン後ということになる。もちろん、まだまだ1F事故は収束しない。新郎の休みが取れないので、夢の実現はさらに先だろう。

 それでも佐藤は十分に満足している。

「おじいちゃんとおばあちゃんが、近所に『うちの孫はフクシマ50だ』って自慢してるんだって聞いて、俺、すっごく嬉しくて」

 佐藤は世間が放射能におびえる中、幸せの絶頂にある。なんとも皮肉な話である。

「死んでもいい人間を用意してくれ」 深夜2時に福島1Fに向かった、“20人の決死隊” へ続く

(鈴木 智彦/文春文庫)

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