新宿から2時間…「奥多摩駅の奥」“ジブリの森”みたいな“ナゾの廃線”を辿ってみた

新宿から2時間…「奥多摩駅の奥」“ジブリの森”みたいな“ナゾの廃線”を辿ってみた

東京の“最果ての駅”「奥多摩」は都内で一番標高が高い駅でもある (筆者撮影)

 東京の“最果ての駅”とはどこだろうか。

 だいたい、東京は1400万の人口を抱える大都市オブ大都市だ。新宿や渋谷などのターミナルはもとより、ごく普通の駅でも、地方都市のターミナルなどよりずっと賑わいを見せている。

 だから最果て感のある駅などあろうはずもない。強いていうなら、なんらかの事情で線路が途切れてしまった都心の中の終端駅だろうか。西高島平駅などがそのひとつ。叶わなかった延伸の夢を持て余し、いささか寂しげである。ただ、そうは言っても住宅地に囲まれた都心の端っこにあるのだから、最果てとは言い難い。

 そうして路線図を見ていると、あるじゃないかと気がついた。東京の一番西、JR青梅線の終点である奥多摩駅である。青梅線というと、東京駅から出ている中央線がしばしば直通。“青梅特快”はよく聞く名だし、通勤特急の「おうめ」も走っている。しかし、これらの列車は青梅駅止まり。終点の奥多摩駅は、それよりさらに多摩の山を分け入った先にある。なんでも、東京都内の駅で一番標高が高い駅でもあるらしい。

 東京都内の駅なのに、山深くに位置する奥多摩駅とは、いったいどんな駅なのか。ハイカーたちには馴染みの駅なんじゃないかという気もするが、見て見ぬ振りをして訪れることにした。

■「奥多摩」には何がある?

 奥多摩駅に向かうには、中央線の立川駅から青梅線に乗る。立川駅を出発する青梅線の列車は件の通り青梅行ばかりだ。やってくる電車は中央線でおなじみ、オレンジ色のE233系。昭和記念公園の昭島、横田基地のあるアメリカンな福生あたりを通り過ぎ、約30分で青梅駅に到着する。休日には終点まで直通する「ホリデー快速おくたま」が運転されることもあるが、筆者が訪れたのは何の変哲もない秋の平日。だから奥多摩駅へは青梅駅で乗り換えねばならない。

 青梅駅からの青梅線の車窓は、それまでの郊外の住宅地とは一変、まったくの山の中を、多摩川に沿って登ってゆく“登山電車”だ。中央線からの直通列車が青梅止まりというのはこうした沿線環境のせいなのだとよくわかる。多摩川沿いの谷を見下ろす区間あり、山の隙間の小さな集落に接した駅があり、途中では登山客が乗ったり降りたり。なんでも、青梅〜奥多摩間は「東京アドベンチャーライン」などという愛称を与えられているらしく、確かにこれぞ東京アドベンチャーワールドである。

 そして青梅駅から約30分、えっちらおっちらと山を登った青梅線の電車は“最果て”の奥多摩駅に着いた。立川駅からは約1時間。ちなみに、立川から東京駅も大月駅も50〜55分程度だから、奥多摩駅の最果て感、なかなかのものである。同じ電車からは何人かの登山客が降りてゆく。きっと、「さあ、登山しなさい!」と言わんばかりの山の中なんでしょうねえ……。

■ホームから見えたのはでっかい○○

 そう思ってホームに降りると、まず見えてきたのはなんとでっかい工場であった。大きく「奥多摩工業」という看板が掲げられている。工場は青梅線の終端の車止めのすぐ先、線路がそのまま伸びれば工場に突入するようなところに建っている。ハイカーたちがよく似合う山間の駅には、いかにも不釣り合いな工場の姿。その不釣り合いな感じは“工場萌え”という言葉を当てはめるのにふさわしいのかどうか、筆者にはよくわからない。ただ、いずれにしても奥多摩駅に到着した電車をだいいちに出迎えるのは、この無骨な工場なのである。うーむ、この工場はいったい何なのか。

 とにかく、駅の外に出てみることにした。階段を降りてホームから一段低いところの改札口をくぐり駅舎を出る。この駅舎、いかにも“山登り風”だ。駅舎の正面には「鍾乳洞」と行き先を掲げたバスが待つ。きっと、奥多摩名所の日原鍾乳洞に連れて行ってくれるのだろう。駅のすぐ近くには観光案内所やソバなどを食べさせる飲食店、土産物店などがぽつぽつ。やっぱり、奥多摩駅は“登山のための駅”であることは間違いないようだ。あのホームから見えた工場、幻だったのかしら……。

■新宿から伸びる街道はここまでつながっている

 気を取り直して、駅の近くを歩いてみる。1分も歩けば多摩川と日原川の合流地点。この多摩川がはるばる流れて以前訪れた天空橋駅の横っちょに流れ出ると思うとなんだか感慨深い。この合流地点の近くに架かった橋を渡り、さらに先へ進んでみる。すると、「奥多摩むかし道」の看板が。むかし道とはこれいかに。

 調べてみると、奥多摩むかし道とは、かつての青梅街道のことだという。青梅街道といったらあの新宿の大ガード。甲州街道と分かれて大ガードから延々と西に進みに進むと、この奥多摩に出るということだ。川を渡った橋は国道411号、現在の青梅街道である。

 青梅街道は江戸時代初期に大久保長安によって整備された街道のひとつ。青梅から奥多摩を経てさらに西に進んで峠を越え、甲府の手前で甲州街道と合流する。起伏の少ない甲州街道のほうが便利だったのではないかと思うが、実際には青梅街道のほうが8kmほど近道で、こちらを歩く人も少なくなかったとか。「奥多摩むかし道」はそうした青梅街道のいわば“旧道”なのである。

■「まるでラピュタやトトロの森」

 どうせならば少しだけ「奥多摩むかし道」を歩いてみよう。急坂を登って神社の横を抜け、まるで登山道のような不整地の道に出る。すると、右手にはナゾのトンネル、左手には朽ち果てた古レールと古まくら木。どうやら、奥多摩むかし道には並行してナゾの廃線があるようだ。廃線を見つけたら辿ってみたくなるのは人の性。山登りは苦手なのでそこそこに引き返そうと思っていたが、さらにむかし道を進んでいくことにした。

 朽ちたレールはむかし道のすぐ横をずっと並んで進んでいく。どうやら廃線は橋の上を通っているようで、レールが敷かれている橋桁も錆び果てている。さらにコンクリート造りの大きな橋も見えてくる。コンクリート造りとは言ったがほとんどが苔で覆われて周囲には奥多摩の木々がかぶさって、その先には漆黒のトンネルが口を開けている。まるでラピュタかトトロの森か。

■廃線跡の正体

 この廃線跡、正しくは水根貨物線という。奥多摩駅から多摩川をさらにさかのぼった先にある小河内ダム(奥多摩湖)を建設する際に、資材輸送のために東京都水道局がつくった貨物専用の鉄道路線だった。1952年に開通し、青梅線の奥多摩駅(1971年までは氷川駅といった)から実際に建設資材を運んでいた。例の漆黒のトンネルのむこうは不思議の町……ではなくて小河内ダム(だいぶ遠い先のほうだけど)。1957年に小河内ダムが完成すると、わずか5年の役割を終えて列車が走ることはなくなり、そのまま廃線と化したのである。

 ただ、建設当初はそのまま廃線化するつもりではなかったようだ。開通時の「開通要覧」には「小河内ダムの完成後は、奥多摩国立公園に一景観を添えることになろう」とあるから、観光路線化も視野に入っていたのだろう。1963年には西武鉄道に譲渡されているが、西武が当地の観光開発を目論んでいたのかもしれない。ただ、そうした夢は果たせず、1978年には奥多摩工業に譲渡され、水根貨物線として休止状態。ジブリ映画に出てきそうな廃線と化したのである。

■青梅線の意外なルーツ

 あれ、奥多摩工業、どこかで聞いたことが……。そう、奥多摩駅のホームから見えたあの工場に掲げられていた会社名。つまりは、奥多摩むかし道沿いのこの廃線は、奥多摩工業が保有する“休止路線”なのだ。

 ならば、線路の根っこは奥多摩工業につながっているのだろう。そう思ってむかし道を引き返し、奥多摩駅前も通り過ぎて日原川沿いをさかのぼる。そこには巨大なアーチ橋が架かっていた。橋の先を目で追うと、山肌に沿って進んで例の工場へと入っていくではないか! なるほど、このようにして線路がつながって、駅の裏手の巨大工場ともつながっていたのである。

 今でこそ、奥多摩というとハイキング、レジャーの駅である。青梅線も「東京アドベンチャーライン」なる愛称のとおりに、東京都内では数少ないレジャー路線だ。だが、そもそもの青梅線のルーツはレジャーではなく“産業路線”である。

 青梅にあった石灰石鉱山から石灰石を運び、立川からは現在の南武線経由で川崎の工業地帯へと送り出していた。石灰石を掘り尽くしたら西へ線路を伸ばしてさらに採掘、尽きたら西へと伸びていった。私鉄の青梅鉄道によって、1929年までに御嶽駅まで開通。御嶽〜奥多摩(当時は氷川)間は奥多摩電気鉄道が建設を進めていたが、開通直前に国有化され、1944年7月に全線で開通している(奥多摩電気鉄道は奥多摩工業の前身でもある!)。

 戦争末期の国有化、これは軍事上有用な路線を対象とした戦時買収で、石灰石輸送がいかに国策上重要だったのかがよくわかる事例だ(同時期に南武線も私鉄の南武鉄道が戦時買収で国有化されている)。ちなみに、むかし道のルーツでもある青梅街道も、江戸時代初期の整備の目的のひとつに石灰石輸送があったという。

 青梅線では戦後も長らく石灰石の輸送が続き、平成に入った1998年に終了。その間のわずか5年だけ、線路が先に伸びて小河内ダムの建設にも貢献している。「奥多摩むかし道」に沿った廃線跡は、そうしたアドベンチャーラインとは別の顔の青梅線の歴史の一端を後世に伝えているものなのかもしれない。

 アドベンチャーラインに乗って奥多摩ハイキングは楽しいが、ただ山道を歩くだけではあまりにもったいない。廃線跡を横から眺め、奥多摩の山奥の知られざる歴史にも思いを巡らせてみてはいかがだろうか。

(鼠入 昌史)

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