「わしボケナスのアホ全部殺すけえのお」 1999年池袋通り魔事件犯人を死刑前に支配した“怒り”

「わしボケナスのアホ全部殺すけえのお」 1999年池袋通り魔事件犯人を死刑前に支配した“怒り”

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“お尻に力を入れ、身体をくの字にして椅子にしがみつき…” オウム・麻原彰晃が見せた“悪あがき” から続く

 1999年9月8日正午前、人通りの絶えることのない東京・池袋で起きた通り魔殺人事件。包丁と金槌で次々と通行人を襲い、死者2名、重軽傷者6名の被害者を出した。犯人は池袋駅前で取り押さえられ、その場で警察に逮捕された。それから3ヶ月半が経った12月、東京地方裁判所に池袋の通り魔が姿を現した。その公判廷の傍聴席にいたのが、ジャーナリストの青沼陽一郎氏だ。判決に至るまでの記録を、青沼氏の著書『 私が見た21の死刑判決 』(文春新書)から、一部を抜粋して紹介する。(全2回中の2回目。 前編 を読む)

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◆◆◆

■池袋の通り魔

 自らを超能力者とも、神とも語り、武装化した組織の決起によって、日本を支配しようとした男でさえ、死刑に怯え、恐ろしくてならなかった。

 ならば、そこまで取り乱さずとも、死刑の宣告を黙って受け入れる瞬間の被告人の心境とは、どんなものなのだろうか。

 ちょっと想像してみる。

 自分が裁きの場に立たされて、それまで顔も合わせたこともなかった裁判官から、死刑を言い渡される。まったくの他人から死を宣告される。その瞬間の気持ち。

 その時から、どうすることもできない力によって支配され、塀の内側に生涯を封印され、そして確実に命の奪われる瞬間を待つ。

 やはり怖いだろうか。

 罪を犯したとしても、生きていたいと思うだろうか。

 それとも衝撃的な絶望感に生きる気力すら奪われるのだろうか。

 現実の裁判で、実際に死刑が差し迫った被告人が、その時の心境を、正直に打ち明けてくれたことがある。法廷の裏側で。ぼくにだけ。

 そんな貴重な体験をしたことがあった。

 その時の彼を支配していた感情は、恐怖でも、悲愴感でもなく、むしろ怒りだった。

■「むかついた。ぶっ殺す!」

 男の犯した罪は、池袋で通り魔となったことだった。

 1999年9月8日、正午前。

 平日とはいえ、人通りの絶えることのない東京・池袋駅東口の繁華街。その一角にある「東急ハンズ」の正面玄関前。すぐ脇には、「サンシャイン60」へ通じる地下通路のエスカレーターが隣接している。

 ここに、右手に刃渡り約14pの包丁、左手に金槌を持った当時23歳の男が、突如立ちはだかった。

 男はそこで、

「むかついた。ぶっ殺す!」

 とだけ叫ぶと、まず目に止まった若い男女のアベックを追いかけ出した。異変を感じた二人はすぐにその場から逃げ出すと、替わってサンシャイン60のエスカレーターからこちらに昇ってきた老女(当時66歳)の左胸を包丁でひと突きする。女性は即死。

 その直後に、彼女といっしょに歩いていた夫に向かって、金槌で頭を殴打。庇う手を包丁で斬り付ける。

 これを見ていた別の通行人が池袋駅方向に逃げ出すのを見ると、すかさず追走。そのすれ違い様に、当時29歳の女性の左腰を包丁で刺す。刺された女性は、夫に支えられながら、東急ハンズ向いのパチンコ店に助けを求めるも、搬送先の病院で死亡している。

 さらに男は、そこから繁華街を疾走しながら、手当り次第に次々と通行人を急襲。不測の事態に高校生を含む6人が10日から2週間の怪我を負った。

 やがて男は、異常に気付いた別の通行人複数によって、池袋駅前で取り押さえられ、その場で警察官に逮捕された。

 世にいう「池袋通り魔事件」だった。

■岡山からの失踪

 それから、3カ月半。12月22日。

 東京地方裁判所第104号法廷。

 池袋の通り魔が姿を現わした。

 犯行当時の長髪は、短く刈り揃えられ、のびた灰色のVネックセーターに、よれよれのジーンズパンツを穿いて、とぼとぼと法廷に入ってきた。面長に切れ長の目、それに痩せ細った身体からは、服装の印象といっしょになって、どこか“貧弱”という言葉を思い起こさせた。

「名前は何と言いますか?」

「造田博です」

「生年月日は?」

「昭和50年11月29日です」

「本籍は?」

「岡山県児島郡灘崎町……」

「住所は」

「同じです」

「職業は」

「無職です」

 機械的に尋ねる裁判長の質問に、覇気のない声で、呟くように答えていった。

■造田博の生い立ち

 造田博は事件を起こす4カ月前から、東京・北千住の新聞販売所で新聞配達員をしていた。

 それが、事件発生7日前。朝刊の配達時刻に遅刻してしまった。勤め先で初めてのことだった。これをきっかけに、販売所の店長からの勧めもあって、彼は初めて携帯電話を手にする。

 そして、事件5日前の深夜のことだった。突然この携帯が鳴り響く。

 ところが、電話に出たところで、相手は何もいわずに切ってしまった。無言電話だった。

 この出来事に激昂した彼は、アパートの玄関ドアに書き置きを張り付け、その場から姿を消している。そこにはこうあった。

『わし以外のまともな人がボケナスのアホ殺しとるけえのお。

 わしボケナスのアホ全部殺すけえのお』

 出身地の岡山の方言で綴られた書き置きだった。

 岡山で暮らしていた高校生の頃だった。

 造田の両親は、ある日、忽然と姿を消した。ギャンブルに興じた挙げ句に嵩んだ借金が原因だった。

 独り取り残された実家には、連日のように金融業者が取り立てに押し寄せる。生活にも窮した造田は、やむなく高校を中退。広島にいた兄を頼り、そこから職を転々としながら上京、事件の4カ月前に新聞販売所にたどり着いていた。

 そして、置き手紙を残して失踪した造田は、事件を起すまでの4日の間を、赤坂のカプセルホテルで過ごしていた。凶器となった包丁と金槌は、犯行現場の東急ハンズ池袋店で買い求め、そして、事件を引き起こす。

■消えた包丁の先端

「起訴状の内容に間違いないです」

 法廷の造田博は、罪状認否でそう言っただけだった。

 これに拍子抜けしたのか、裁判長が念を押す。

「間違いないことで、いいですか?」

「はい」

 うちひしがれたように、沈んだ声だった。

 そんなことにはお構いなしに、検察官は粛々と立証に入る。

 検察官は犯行現場から押収した凶器の包丁と金槌を法廷に持ち出し、法廷中の人々にも見えるように、彼の方に掲げて見せた。

「この玄能(金槌)に見覚えありますか?」

「あ。はい」

「事件の時に持っていたものですか」

「あ。はい」

「東急ハンズで買ったものですか」

「あ。はい」

 彼は必ず、問いかけに対して「あ」をつけてから答える。それも抑揚も感情もなく、機械的に。しかも、そのあとに続く「はい」は、どこか気が抜けたような生返事だった。

「この包丁に見覚えありますか」

 それに視線を送った彼は、少し間をおいてやはりこう言った。

「あ。はい」

 奇妙な色に錆び付いた包丁は、柄から先端にかけて、ぐにゃりと曲がっていた。刃先は欠損している。

「事件の時に持っていたものですか」

「あ。はい」

「東急ハンズで買ったものですか」

「あ。はい」

「先が欠けていますが、いつ欠けたんですか」

「捨てた時……」

「ん」

「捨てた時に、欠けました」

 実際には、被害者の身体の中に破損して残っている。

(青沼 陽一郎/文春新書)

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