「お前は何アゲだ? 何で俺だけ“たたき上げ”なんだ!」“最後の怪物幹事長”二階俊博がキレた瞬間――文藝春秋特選記事

「お前は何アゲだ? 何で俺だけ“たたき上げ”なんだ!」“最後の怪物幹事長”二階俊博がキレた瞬間――文藝春秋特選記事

二階俊博氏 ©文藝春秋

「文藝春秋」11月号の特選記事を公開します。(初公開:2020年10月15日)

 自民党幹事長の通算在職記録を更新中の二階俊博は寝業師、すなわち「政治技術の巧者」という報道のされ方をすることが多い。政策というと親中派であること、運輸や土地改良事業の族議員であることぐらいは知られるが、政治思想は意外と知られていない。メディアで多くを語る姿を見ない二階が今回、インタビューで「政治の原点」を語った。

■二階俊博のスイッチが入った“ある質問”

 与えられた時間は30分間、限られた時間の中で、私は二階にいくつもの質問を矢継ぎ早にぶつけた。

 13年前の「ある場面」について私が訊ねた瞬間、二階のスイッチが入った。

――2007年12月25日、東京ホテルオークラの広間で開催された高速道路建設を決める「国土開発幹線自動車道建設会議(国幹会議)」の最終盤でのことだ。テーマに地方の道路はなく、主題は東京外環自動車道だった。会議の2週間前、道路特定財源の一般財源化で政府・与党が合意し、2年前に道路公団が民営化して以来の高速道路の建設にブレーキをかけ、限られた財源を投資するなら東京などの大都市へ――という風潮が強まっていた。

 この時、二階は立ち上がって「今後の道路予算をどうするんだ。国土の均衡ある発展は死語になっているのか、生きているのか」と食ってかかり、議長の著名な学者が「貴重な意見として承らせていただく」と割り込もうとしても「そんな簡単なもんじゃない」と吠えた。

 普段、メディアもいる場で見せることのない意外な姿が、私の印象に残っていた。

 私がその13年前の発言の真意を問うと、二階は堰を切ったように語り始めた。

「我々は開発発展の遅れている地域の出身ですからね。それが政界へ進出する原点です。いかにも国土の均衡ある発展がなされてないではないかという、激しい怒りにも似た気持ちがありましたから」

■これが本当に同じ国か?

 1939年(昭和14年)に和歌山県の御坊で木造船会社を起こした父と保健師の母の間に生まれた二階は、中央大学を卒業後、静岡県選出の衆院議員、遠藤三郎の秘書を11年にわたって務めた。1975年(昭和50年)から県議2期の後、1983年(昭和58年)に国政に進出する。

「怒りにも似た気持ち」は、二階が遠藤三郎の地元から、県議選に初出馬するため故郷の御坊市に戻る途中で目にした光景のことだ。

「国会議員の秘書という門前の小僧ではあるが、東京から名古屋まで、東名高速道路の建設の姿を見て、それから故郷に帰ったわけです。発展の息吹が感じられる地域があるのに、和歌山にはそのことを語る声さえなかった。これが本当に同じ国かというほどの思いがありました」

■「紀州一周高速道の実現」を掲げて

 東京と名古屋を結ぶ東名高速道路が全線開通したのが1969年。そのルートの先にある大阪で万博が開催される1年前のことだ。開通によって、東京、名古屋、大阪という三大都市の富の恩恵が、沿道の寒村の風景を変えていく。インターからの周辺には工場が張りつき、そこから市街地に向かう道路脇には土産物店やレストランができた。

「『東名高速道路が引かれている地域とそうでない地域と、国が違うのか』と、議会で県の部長に質問したよ。いささか厳しすぎることは承知の上で、認識を皆が持たなければいけないという気持ちがあったから。このままでは国土の均衡ある発展なんてしないではないか、と」

 その憤りが、二階の原点だという。県議、国政を通じて「紀州一周高速道の実現」を掲げて政治キャリアを歩むことになる。

 二階は今年、菅義偉内閣発足の立役者となった。インタビューで「門前の小僧」とは言ったが、自身のキャリアについて強烈な自負ものぞかせた。

■「政治学の本筋をずっとやってきたんだ」

 独自の政局勘をどこで培ったか、と尋ねた時、ひときわ語気を強めて、こう言い放った。

「私は、大学を出た翌日から国会議員の秘書ですよ。11年間代議士の秘書をやって県議を8年やって、国政へチャレンジしてきた。その政治訓練の実績です。これは聞かれたから初めて言うが、そんなこと自分で誇るべきことでもなんでもない。でも、同じようなコースを歩んできた人を“秘書上がり”だとか、“たたき上げ”とか生意気なことを言うやつがいる。お前は何アゲだ。唐揚げとは言わんが、何で俺だけ“たたき上げ”なんだ。俺は、政治学の本筋をずっとやってきたんだ」

 こうしたことをふいに語ったのも、「国土の均衡ある発展」という死語として語られた政治の原点のことを質問したからだ。

■二項対立ではつかめない政治家

 なぜそう問うたか。8月末の安倍晋三首相の退陣表明から2日で後継をめぐる政局を片付けた二階俊博という人物を描きたいと考えた私は、慌てて資料を集め、知人、地元有権者、仕えた官僚など次々と人に会って話を聞いた。

 取材を重ねても、なかなかその全体像をつかむことが難しく、そのために取材メモだけが山積みになった。

 調整型の政治家だが、05年の郵政選挙では当時の小泉純一郎首相の下、総務局長として切り回した二階は、反対し離党した者に刺客を送った。国幹会議での咆哮はその2年後。改革か反改革か――そうした二項対立で整理しようとすると、つかめない。どうしても聞きたかったのが「国土の均衡ある発展」というキイワードだった。

 最後に本人にインタビューをした上で、「 二階俊博『最後のキングメーカー』の研究 」として「文藝春秋」11月号に寄稿した(全文は「文藝春秋digital」にも掲載中)。取材した材料の9割は捨てざるをえなかったが、その資料を見直すうちにまた疑問が湧いてくる。それが二階俊博の面妖な特質とも言える。(文中敬称略)

(広野 真嗣/文藝春秋 2020年11月号)

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