「なんでルーソー履かへんの?」――綿矢りさ「激煌短命」第三回

「なんでルーソー履かへんの?」――綿矢りさ「激煌短命」第三回

©iStock.com

※こちらは2019年8月号から雑誌「 文學界 」に連載中の小説「激煌短命」のWEBバージョンです( 第一回 から続く)。

◆ ◆ ◆

(あらすじ)第一志望には落ちてしまったが、久乃の中学生活が始まった。一緒の小学校だったたむじゅんは、入学後すっかり派手になった。たむじゅんと仲が良い朱村綸を、久乃は自分とは別の人間と感じながらも、入学式で交わした言葉が忘れられない。二人は少しずつ距離を縮めていく。

 五

 教室の外に置いてある七夕の笹の下に、朱村さんがめずらしく一人で立っていた。彼女の周りにはいつも彼女のグループがとりまいているから、英語を教えるとき以外は話しかけにくいから、今はチャンスだ。

「こんなとこで何してんの」

「うち七夕好きやねん」

 隣に立ち一緒に笹を見上げると、本当に竹林にいるみたいに、細長くとがって折り重なる笹の葉が、顔に木陰を作った。学校の裏山にある家からもらったという二メートルほどの笹には、クラス全員の願いごとを書いた色とりどりの短冊がぶら下がっている。野生の笹はガーデニングショップで売ってるものと違い、がさがさとして繊細さはなく、葉焼けし茶色くなっていたけど、とがった葉先は確かに願いを叶えてくれそうな、神聖な気配があった。

「おもしろい願いごとある?」

 朱村さんはしゃがんで私の短冊を探し当てると、声に出して読んだ。

「“志望校に受かりますように 悠木久乃”。なんやこれ、まだ一年生やのに、受験の願いごと? 他にないん?」

 私の短冊を見つけた朱村さんが呆れた声を出すから、私も彼女のを探し当てた。

“ひこぼし様に会えますように? 朱村綸”

「小学生なん?」

「うちだけのひこぼし様を、早く見つけたいやん?」

「がんばって、織姫様」

 朱村さんは、むんとアゴをつきだした。

「ばかにしてるやろ。久乃の方がまっすぐのハイソなんか履いて、よっぽど小学生みたいやで。なんでルーソー履かへんの?」

「先生に怒られるし、だるだる過ぎるし、足が臭くなるから。でもその巻いてる紐は可愛いと思う」

 ルーズソックスを結ぶ赤い紐を指差すと、彼女は笑顔になり足を持ち上げた。

「そやろ、私が考えてんで! ソックタッチの代わりに紐で止めたらイケてるんちゃうかなって」

 女子高生の流行りに合わせて、中学生の女子たちのルーズソックスも、“ルーソー”と縮めた愛称で呼ばれ出したのとは反対に、日に日に長く重く厚ぼったくなった。さらに、よりルーズにするために、履く前にソックスの中に丸めた雑誌を入れたりして幅を拡張した。

 伸ばせば太腿の付け根位までの長さのある真打ち“スーパールーズ”まで登場した。もちろん校則違反だったが、だるだるの靴下に向けられた女子たちの熱狂はすごくて、ルーソー関連については教師たちももう諦めモードだ。私は校則通りの、真っ直ぐのハイソックスに、膝を隠す長さの丈のスカートだったけど、みんなのルーソーが一体どこまで伸びるのか興味があった。

 種類も豊富で、タイヤメーカーのミシュラン社のキャラにそっくりな段段タイプと、溶けかけのソフトクリームのようなふんわりした質感で足首に垂れ下がるタイプとで、人気が二分していた。

 どちらのタイプであっても、はくだけなら重みでずり下がるのは間違いない。だからみんなはピンクのキャップのソックタッチをぬって、靴下をふくらはぎにのり付けしていたけど、朱村さんはずり下がり防止に、さらに靴下の履き口のすぐ下に赤い紐を巻いてアクセントにした。

 授業が終わる度にソックタッチを塗り直していた女子たちにとって、ソックスの上から紐で固定するのは画期的なアイデアで、編み出した朱村さんは尊敬されていた。

「そやろ! ひも、まだ余ってるから悠木さんにも巻いたげる」

「私はいいよ、ハイソックスでずれへんから。あと先生に見つかるのもこわいし」

「そう? こっちおいでよ」

 一緒に教室へ入ると彼女は、透明のビニール素材にたくさんの星が描かれたペンケースから、丸く巻かれた長く赤い紐を取りだした。

「親せきのおばちゃんがくれてん。台湾のお寺のお土産で、足首に巻くと運命の人に出会えるんやって」

「足首? 小指やなくて?」

「うん、そうゆってた」

「へえ。切れると願いが叶うんかな、ミサンガみたいに」

 小学四年生の頃Jリーグが開幕して、応援歌といっしょに選手たちが手首に巻いたカラフルなミサンガが流行り、多くの子が真似して身につけていた。はじめはみんな市販のものを買っていたけど、とちゅうからハンドメイドが流行って、編み方もどこかから伝来した。昼休みになると女子たちが色とりどりの何本かの紐の先を机にセロテープで貼りつけて編むのが、見慣れた光景になった。

 大半の子たちがファッションより“ミサンガが自然に切れたら願いが叶う”というジンクスの方に着目して、小学生にしては結構苦労しながら、食事するときも風呂に入るときも、ずっとつけていたけど、ミサンガほど丈夫な紐はこの世にないんじゃないかと思うほど切れなかった。見た目からして頑丈に編んだ組み紐で、ずるをして思いきりかんだり、とがった場所にこすりつけたりして痛めつけたが、それでも切れなかった。

「違うで。これは縁結びのおまじないで、願いが叶ったら自分でほどくんやって」

「ふうん、それならお手軽やな。ちょうだい」

 もらった紐を手に巻きつかせると、指を伝うその赤は、よりくっきり鮮やかに見えた。

「結んであげる」

 朱村さんは私の足元にしゃがみ込むと、左足のソックスをずり下ろし、すねにゴムの跡が強く残るその足首に、赤い紐を固結びして、紐の尾の余った部分を眉毛用のハサミで切った。

「久乃って呼んでいい?」

 私の足元にしゃがんだままの彼女が、こちらを見上げて聞いた。

「うん、いいよ」

 私も綸って呼ぶ。

 思ってるのに口で言えないでいると、察したように綸が笑顔になり、自分の足を私の足の隣へ持ってきた。

「ほら、おんなじ。でも赤い紐を素肌に直接まくと、ちょっとこわいな。ナイフで切ったみたいに見える」

「そうかな、私にはそんな風に見えへん」

「うち、傷口とかこわいねん」

「変なもんがこわいんやなぁ」

「久乃はなにかこわいのある?」

「うーん。生肉で作ったバラかな。高級料理店で大皿に咲いたみたいに盛られてるの見たときこわかった。肉の花びらやのに綺麗ってこわない?」

「ううん、おいしそーって感じ」

 焼肉でも思い浮かべたのか綸の顔がとろけて、私は笑った。

 校門へ続く下り道を歩いていると、野球部員たちが大きなスポンジを使ってグラウンドの水取をしていた。連日雨が続き、今日からようやく晴れだした。もうすぐ開催される運動場での球技大会も決行されるだろう。

 学級旗を作ったり、球技大会ではクラスごとの成績で順位が決まったりと、クラス単位での競争心をあおる行事が多くなってきたけど、あんまり興味が持てない。学級旗に書いてある“見せつけよう! 1年2組の底力”なんて気持ちは、私のなかに一つもなく、自分が一年二組に属している自覚もない。運動部に入っていたら、団結心の大切さとかを学べたのだろうか。

 男の人の怒鳴る声が聞こえる。グラウンドに張りめぐらされた球飛び防止用フェンスに、高校の制服を着た男子たちが数人たまっている。野球部員たちをののしっているのかと思ったが、「オイ出てこいや!」と遠くにある校舎に向かって口々に叫んでいる。このまま校門を出ると、学校の外の通学路にいる彼らの脇を通り抜けなければいけない。イヤだなと思ってその場に立ちつくしたら、同じように考えたのか、数人の下校中の生徒たちも中途半端な位置で立ち止まってた。

「前田、出てこいや! オレらがしめたる!」

“前田”は多分美術の先生で、私も授業を受けている。彼らはこの中学の元生徒なのかもしれない。運動場にいる体育の先生も、在校生ならすぐに注意するはずだけど、卒業生だとどうすればよいか迷うのか、なにもせずに彼らを見ている。

 騒ぎを聞きつけたのか前田先生が職員室のある校舎から出てきて、彼らへ向かって歩いてきた。出てこなくていいのに。大きな怒鳴り声で厳しく生徒を威圧する先生は何人かいたが、前田先生はそうではなく、どちらかと言うと、授業をボイコットされたり、すれ違いざまに悪口を言われるような、生徒にいじめられてるタイプの先生だった。先生にしては身なりがだらしなく、毛穴が開いてしわの寄った何歳か分からない顔に気弱そうな茶色の瞳、よく煙草やコーヒーの臭いがしている。バーやスナックに入っていく姿を、生徒や父兄が何度か見かけたと聞く。

 授業中に生徒が騒ぐとイヤミを言い反撃するのだが、それが案外攻撃力があってぐさっと来るので、生徒たちの恨みを買う。だけどもともとは、授業を妨害した生徒の方が悪いはずだ。熱血で暴力までふるうタイプの先生より、おとなしめの前田先生の方が、こうして卒業生に堂々としたお礼まいりを受けるなんて、何があったんだろう。

「お前がおれらのことどんだけバカにしとったか、気づいてへんとでも思ってんのか!」

「お前みたいな人間のくずが、先公いうだけで幅きかせやがって」

「町で会ったら絶対しめたるさかい、覚悟しとけよ!」

 荒々しくフェンスを揺さぶりながらも絶対に敷地に入らない者と、絶対敷地からは出ない者が、フェンスといううすい境界を隔てて中学校という聖域で対立してる。

 前田先生はフェンスをがしゃがしゃ鳴らしながら高校生たちが浴びせる罵声を、苦い顔でしばらく聞いていたが、やがて彼らにむかって手で追い払う仕草をしたあと、校舎へ戻ろうとした。

「死ねーっ」

 高校生の一人がフェンスのすきまから石を投げ、先生の後頭部に命中し、先生がうずくまる。他の先生が前田先生に駆け寄り、高校生たちは歓声を上げて逃げ出した。

「久乃ちゃん知ってる? 昨日前田先生が学校で石投げられて、三針ぬったんやって」

 次の日登校すると千賀子ちゃんが教えてくれて、なんとなくその場で見ていたと言いづらく、あいまいにうなずいた。

「石投げた犯人、逮捕されるんかな」

「うわさでは前田先生は被害届出さへんかったらしいで」

 千賀子ちゃんの言葉に、おおごとにならずに済むんだ、とほっとしながらも、なんとなく不穏な気持ちを引きずったまま一限目の授業が始まる。シャーペンで数学のノートに元生徒たちのフェンスを揺らす姿をゴリラに似せて描いてみたけど、気は晴れなくてすぐに消しゴムで消した。

 学校ではあまりに多くの人たちの感情がうずまいて、ときどきなにが普通か分からなくなる。私たちはたぶん、勉強のほかにもこの“普通”を学ぶために学校へ来ているけど、普通を学べば学ぶほど、自然な個性はなくなってく。どちらを選べば大人になったときに生きやすいのか。普通ばかり選んで来た私は、いまの時点ですでに息苦しい。

 六

「さすが家庭科部はお弁当作るのも上手いな」

 昼ごはんの時間、千賀子ちゃんと私が弁当のふたを開けたとき、たまたま近くにいた綸が私たちの弁当をのぞきこんだ。

「うちはお母さんが作ってるで」

 私が言うと千賀子ちゃんも、

「うちも」

 とうなずいた。

「そうなん? 料理習ってるんやし、自分で作ればいいやん。うちは両親とも店の準備で忙しいから、私が自分のもきょうだいのも作ってるで」

「へえ、どんなん? 見せて」

 私が言うと綸は自分の机から弁当箱を持ってきて、開けて見せた。

 一段目は区切りも何も無く、入ってるのは三つの食材。茹でたホウレンソウが弁当の半分に向きをそろえて敷き詰められ、その上に縦に二つに切ったゆで卵が乗り、もう半分には香辛料が香る、サイの目に切った厚いチャーシューが詰めてあった。二段目は三つのスペースに区切られ、さくらんぼとアボカドとぶどうが詰まっている。

 銀紙やバランではなく、食材自体の鮮やかな色彩の違いでお弁当のなかを区切る盛り付け方法は初めて見た。

「カラフルでおいしそうやなぁ」

 千賀子ちゃんが声を上げる。

「冷蔵庫にあったものを茹でたり切ったりして、てきとうに自分で詰めてきてん。簡単にできたで」

「綸、早よ戻ってきて弁当食べ! 昼休みのドッヂボールの時間が短くなるやん」

 声のする方に顔を向けると、たむじゅんだけでなくグループの子たち全員がこちらをにらんでいる。昼ご飯のとき友達どうしで机をくっつけて島を作るので、だれがどのグループなのか明白になる。綸が私たちのグループへ移るつもりだと思ったのかもしれない。

 四月からプール掃除をして、五月には元気にバタフライで泳いでる水泳部員を見ていたから、六月末からの授業でのプール開きは遅いくらいに思ってた。でも実際に入るとプールの水はけっこう冷たいし、わざわざ着替えたり、髪をかわかしたり、思った以上に大変なことが多い。

 プールサイドで体育座りして先生の話を聞いている間、さりげなく手を持ってきて、赤い紐をかくす。準備体操のときは右足を左足の前にできるだけ持ってきて隠し、プールに入るまえは左足の方から素早く浸けた。学校にアクセサリーをつけてくるのは禁止だ。見つかったらたとえただの紐であっても、外せと言われるだろう。

 プールの授業が終わり、さつきちゃんと一緒に教室へ戻って、ほこりっぽくなった体育服を脱いでいると、陰口を叩くトーンの声が後ろから聞こえた。

「綸の真似やろ、あいつが足に巻いてんの」

 振り向かなくても分かる、この声はたむじゅんだ。先生には見つからずに済んだけど、やっぱりクラスの女子は目ざとい。

「あいつがやるとダサくなるから嫌やねんけど。調子乗ってない? チョームカつくわ。ほんまキモい、綸に憧れてるか知らんけどさ。あいつ無表情やし、何考えてるか分からへんよな」

 たむじゅんの言葉に賛成するように、グループの他の子たちもいっしょに笑う。綸はトイレにでも行ってるのか、ちょうど不在だ。綸のグループの子たちの足元を見ると、全員が赤い紐をルーズソックスに巻いている。

 これは……。

 たしかにあの人たちからしてみれば、私がグループでもないのにいきなりメンバーの腕章を勝手につけ始めて、何してんねんという気分だろう。

「カットサロンまで真似してるねんで。昨日の日曜日にエバーグリーンに行ったら、あいつが先に来てるのがウィンドウ越しに見えて、なんか嫌になってそのまま帰ってきてん。あいつの後に切ってもらったりしたら、ダサくなりそうやん?」

「おんなじ髪型にされたりしてー」

 イヤーッと女子たちが黄色い声を飛ばすのを背中で浴びて、聞こえてないふうに着替えを続けようとするが、手に力が入らず、机に畳んでおいたブラウスがつかめない。うつむいた私の、切りたての前髪が視界の先で揺れる。

「エバーグリーンはうちらが初めに行き出したサロンやんなぁ? 綸に教えられたんか知らんけど、もう来んといて欲しいわ」

 だんだん腹が立ってきた。あの子たちはいったい何様なんだろう。特にたむじゅん、中学に進学しただけで、なんでこれほど私を見下げるようになったのか。

 私が近づくと、彼女たちは霧が晴れるように笑うのをやめた。みんな目を伏せたけど、たむじゅんだけが私をにらみ続けている。小学校の集団登校のときに私の前を歩く彼女のランドセルで揺れていたキーホルダーは今も、ハイビスカスを落書きした高校生風の平べったい紺のスクールバッグでゆれ続けている。

 私は白くて丸っこい体に細い手足が生えている、つぶらな黒い瞳のキーホルダーを指さした。

「バボちゃん」

「だから何やねん!」

 家に帰るとさっそく足の紐をほどくことにした。たむじゅんは仁王像に似てるけど、生きてる分、仁王像より恐かった。美容院のなわばり争いなんて、アホらしと思うけど、私は彼女たちの狙い通り、エバーグリーンには二度と足を踏み入れないだろう。私は綸のグループの子たちみたいに、クラス内の人間関係とか上下関係に、いちいちこだわっていられるほど暇じゃない。今までの勉強に加えて、もうすぐ始まる夏休みには塾の難関高校突破のための学習強化プログラムも申し込んだ。

 クラスメイトたちは小学生のころよりも、明らかに幼稚化している。あこがれのお姉さん、お兄さん的存在の高校生たちが、ブランド化されて好き放題にハジけているのも影響してるのだろう。写真を撮るとき、女子高生の間では手のひらをカメラに向かって突き出すポーズが流行っていたけど、中学ではうつむき気味の顔の横でピースして、わざと内股に見せるために脚をハの字にして立つポーズが流行っていた。派手な女子ほど、はにかんでる幼児みたいな様子で写りたがった。

 書き文字も小学校で習った楷書体でなく、ぎりぎり読めるレベルまで崩した落書きみたいな字体が流行っていて、小学生の頃は習字の時間に美しい文字を書いていた子も、今では自分のノートを個性的すぎて逆にもうちっとも個性的じゃなくなった文字で埋めている。しゃべり方まで舌足らずになって、まるで大人になるのを全力で拒否しているような流行り全般に、私はもちろんついていけてない。

 子どもっぽくふるまうくせに脅しだけは大人顔負けなあの子たちにはもうからまれたくない。足の紐の結び目に爪を引っかけるけど、よっぽど綸がきつく結んだのか、ほどけるどころかゆるむ気配もない。ピンセットでも歯が立たず、だんだん足首に目を近づけるために折り曲げてる背中が痛くなってきた。

 これはもう、切るしかない。

 ソーイングセットの小さなはさみを持ってきて、細い刃の片側を、紐と足首の間に通す。結んでくれたときの、私を見上げたときの綸の顔が頭に思い浮かんだ。

“久乃って呼んでいい?”

 あのとき私は、はっきりとうれしかった。

※全文は、第一回は「文學界」 2020年8月号 、第二回は 9月号 (8月7日発売)、第三回は 10月号 (9月7日)、第四回は 11月号 (10月7日発売)に掲載しています。

(綿矢 りさ/文學界 2020年10月号)

関連記事(外部サイト)