「みさちゃん、みさちゃん」家の周りをうろつく謎の男…高校時代の私を襲った“戦慄の体験”

「みさちゃん、みさちゃん」家の周りをうろつく謎の男…高校時代の私を襲った“戦慄の体験”

©iStock.com

『稲川淳二の怪談グランプリ』で優勝経験もある、オカルトコレクターの田中俊行氏は、高校時代にある“奇妙な出来事”を経験したといいます。画塾での合宿中、田中氏が寝泊まりするアトリエに近づいてきたのは一体誰だったのか。その衝撃の実話とは――。

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 これは数少ない、僕に起こった不思議な話である。

 小さい頃から絵を習っていた僕には、ずっとお世話になっていた画塾の先生夫婦がいた。2人はともに画家で、関西を中心に教室を開いていた。

 大きくなるにつれ、僕は画塾から足が遠のいたが、高校生のとき、美術大学を目指すためにもう一度先生夫婦の教室に通うことにした。当時、彼らは2人とも40代後半になっていた。

 受験勉強ということもあって、連休中はもちろん高校が休みの日には、教室ではなく先生たちの家に直接向かい、隣接するアトリエで泊まり込み合宿をした。そんなとき、生徒はだいたい僕一人だった。

■冬場はどこか寂しい一軒家だった

 先生たちの自宅は大阪の北区にあり、京都と神戸を結ぶ国道沿いの、山の麓に立つ2階建ての一軒家だった(その隣にアトリエがある)。緑に囲まれているが、周りには民家もなく、ひっそりとしていた。夏はそれこそ気持ちいい場所だが、冬場はどこか寂しい印象だった。

 合宿中は先生たちが朝昼晩とご飯を作ってくれ、お風呂にも入らせてくれる。僕が寝泊まりするアトリエには寝袋が用意され、あとは朝から晩までひたすら絵を描くのみだった。

 そんな僕のことを定期的に先生たちが見に来てくれ(特に奥さんが見に来てくれた)、アドバイスをもらい、それを受けて描き直す……。そんな繰り返しだった。

 それは、高校2年生も終わりの頃だ。立春が過ぎてもまだまだ寒い日が続く2月の上旬。高校の創立記念日が重なった3連休、僕はやはり先生夫婦の家にお世話になっていた。しかし、2人は自身の展覧会などもあってバタバタしていて、結局家を空けることになってしまった。

「鍵を預けておくから。冷蔵庫のもので適当に食事して、あとお風呂も入っていいからね。火元だけ気をつけてね」

 明後日の朝には帰ってくるから――。そう言われ、課題を与えられた僕は家の鍵を受け取り、車で出かける2人を見送った。

■「みさちゃん、みさちゃん……」

 そして僕は、そのアトリエで一人で過ごす事になった。しかし、いざ一人になってみると全くやる気が出ず、初日は一日中寝袋で過ごした。すると、「みさちゃん、みさちゃん、みさちゃん」と、唐突に耳元で男の低い声が聞こえ、目が覚めた。

 すぐに辺りを見渡すが、誰もいない。確かに聞こえたはずだが、寝ぼけていたのか……。そう思い、僕はしっかり目を覚まそうとアトリエの外に出た。すでに時刻は夕方になっていた。山の斜面から山風が降りてきて、麓にある先生の家はものすごく寒かった。

 僕はアトリエに戻って、また寝袋に入ることにした。それから何時間か経った頃、浅い眠りの中で「ピーーーーーーー」というラジオのノイズ音が聞こえて目が覚めた。薄く目を開けると、辺りはもう暗くなっていた。アトリエの外からはそのノイズ音に絡んで、「カラ〜ンカラ〜ン」と下駄の音のようなものも聞こえた。

■そして、翌日の夜もまた……

 先生が帰って来たのかと窓から外を見たが、そんな様子はない。しかし、ノイズ音と下駄の音は続き、やがて小さく歌も聞こえてきた。それは井上陽水の「傘がない」だった。アトリエには先生の趣味であるフォークソングのレコードが置いてあり、休み時間によくこの曲をかけていたので知っていた。

「酔っ払いでも来たんだろう」。そう思った僕は再び寝袋に入り、そのまま課題にも取り組まずに眠りについた。

 次の日は昼頃に目覚めたが、この日もやる気は起きず、少し絵を描くと後は寝袋でゴロゴロしていた。ほぼ何もしないまま夜になり、ウトウトとしていると昨日と同じ「ピーーーーーーー」というノイズ音を耳にした。やがて「カラ〜ン」という下駄の音、続いて「傘がない」が聞こえてくる。

「昨日と一緒の酔っ払いやな……」。どうやらこの人は、ラジオを持ちながら歩いているようだ。この日は下駄の音を鳴らしながら、家とアトリエを何回か往復してから去っていった。

 次の日の朝、先生夫婦が帰って来た。与えられていた課題が一つもできていなかった僕は当然ながら注意を受け、その日は奥さんの美佐江先生(仮名)がつきっきりで指導をしてくれた。

 アトリエで僕の絵を見ながら、おもむろに先生は自分のイーゼルに描きかけの絵を置いた。だれかの人物の素描だが、その顔が独特で日本人ではないように見えた。「これ誰なんですか?」。そう聞くと、一息ついて先生は話し始めた。

大学時代の辛い記憶

 先生によると、この人はYさんという男性で、先生の大学時代の友人だった。Yさんは兵庫の美術学校(デザイン科)に通っていたが、なんでもお父さんが黒人のハーフでお母さんがロシア人のハーフ。Yさん自身は肌の色は白いものの、顔つきは黒人に近く、彼が子供時代を過ごした70年代にはものすごい差別を受けたそうだ。

「美しいでしょう」。Yさんの素描を見ながらそう言う先生は、どこか寂しげに思えた。先生はYさんの容姿がとても好きで、いつか描かせてほしいと彼に伝えていたらしい。

 だがある日、「今日だけ、朝まで一緒にいてほしい」とYさんが懇願してきた日があったという。先生は一緒にいてあげたかったものの、実家から大学に通っていたため門限があり、どうしても帰らないといけなかった。涙ながらにお願いしてきたYさんには申し訳なかったが、先生はそのお願いを断った。

 すると翌日、Yさんは一人暮らしの部屋でガス自殺を図り、亡くなった。Yさんは少し前に大きな部屋に引っ越したばかりで、後から考えるとその部屋のせいで孤独が増したのではないか、と先生は言う。命日は2月11日で、Yさんがいなくなった日からずっと、先生は後悔し続けているという。

■「未だにあの子、私を……」

「この子なー、いつもデニムの下に下駄履いて、ラジオ持ち歩いててん。私の下の名前を3回呼ぶのが口癖で……」

 それを聞いて僕は、昨日と一昨日の出来事を思い出した。もしかしてあれは、Yさんだったのではないか――。そんな思いがよぎり、「実は、2人が留守中に……」と言おうとした。だが、先生の次の言葉を聞いて、口を噤んだ。

「早く絵を完成させてケジメつけな……。未だにあの子、私を連れて行こうとしてるから……」

 先生は震えながら、キャンパスの一点を見つめてそう言った。学生時代の切ない後悔話かと思ったが、震えている先生を見て、僕は何か恐ろしいものを感じた。

(田中 俊行)

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