〈深層レポート〉安倍・菅が固執「黒川検事総長」に期待した“桜”捜査

〈深層レポート〉安倍・菅が固執「黒川検事総長」に期待した“桜”捜査

菅義偉首相

「桜を見る会」問題が再燃している。前夜祭をめぐって東京地検特捜部が、安倍晋三前首相の公設第1秘書を政治資金規正法違反で立件する方針だ。さらに、安倍前首相本人にも任意の事情聴取が要請されている。捜査は大詰めを迎えつつある。

 今年、検察は大きく揺れた。黒川弘務東京高検検事長の検事総長含みの「定年延長」と、それを裏書きするかのような検察幹部の定年延長に政府の裁量権を盛り込んだ検察庁法改正案。「検察への政治介入」と世論が猛反発する中、黒川氏は賭け麻雀発覚で電撃辞任。安倍首相は法案撤回に追い込まれ、その後辞職した。

 そこに至るまでに官邸と法務・検察の間では人事をめぐり4年に及ぶ暗闘劇があった。その一端を紐解いたのが村山治氏が上梓した、『 安倍・菅政権vs.検察庁 暗闘のクロニクル 』だ。本書には「桜を見る会」問題の本質を知る上で重要な新事実がいくつも書かれている。今回はダイジェスト版として、読みどころを一挙公開する。

◆◆◆

 法務省刑事局長の林真琴を法務事務次官、そしてゆくゆくは検事総長に据えたいと考えていた法務・検察と、林と同期のライバル・黒川弘務をその座に据えたがった安倍政権の間で、最初の「衝突」があったのは2016年7月中旬。

「真っ青になって帰ったようだ」

 当時法務事務次官だった稲田伸夫が後任次官の人事案を官房長官の菅義偉の反対で撤回せざるを得なくなったときの様子を、官邸筋はこう語った。「検察人事の政治からの独立」に「黄信号」が灯った瞬間だった。

 法務省の人事案では、稲田の後任次官には林が昇格し、当時官房長の黒川は地方の高検検事長に転出させることになっていた。ところが、菅は黒川を次官に昇任させるよう強く求めたという。これを受けて稲田は法務・検察の首脳と対応を協議。黒川を次官に起用し、林を刑事局長に留任させる人事案に切り替えた。ただし、稲田が官邸側から「黒川次官は一年だけで、一年後には林に交代する」という約束をとりつけたとの話も法務・検察の首脳間で共有された。

 だが実は、この時点で菅は稲田に相当強い不快感を抱いていた。折衝の後、周辺に「稲田ってどんな奴だ。あいつは勘違いしている」と吐き捨てたという。稲田は「次は黒川を次官に」と求める菅に対し、「自分が総長になったとき、林を東京高検検事長にするつもりだ、だから、黒川の法務事務次官は一年で必ず林に交代させたい」と念を押すような物言いをしたようだ。

 菅はこれにカチンときた。菅が黒川を次官にしたいと考えたのは、辺野古訴訟や共謀罪法案などの審議を控え、それが、国益にかかわる内閣の喫緊の課題と考えていたからだった。

「稲田は検察の都合だけで人事を考えており、国益のために人材をどう使うか、という発想がない、と菅は感じ、苛立った」(官邸筋)

 ともあれ、16年9月、黒川次官が誕生し、林は刑事局長に留め置かれた。

 二度目の「衝突」は17年夏。ここで「林次官」人事を、法務・検察は是が非でも実現しなければならなかった。だが、安倍官邸は依然として黒川を事務次官で使いたがった。辺野古訴訟が、また政権の思惑通りに進まなくなりつつあった。法務省で「国の代理人」として法廷に立つ訟務検事を統括するのは次官の黒川だ。「モリカケ」も懸案だった。検察現場は、国有地処分をめぐる背任などで告発された財務官僚らについて訴追を目指して熱心に捜査していたが、法務省刑事局や最高検は、法律上、証拠上の問題で起訴するのは難しいとみていた。しかし、首相の安倍がかかわる疑惑である。国民の関心は高い。国民に起訴困難の理由を説明するだけで大変だった。

 法務・検察は官邸の意向を受け容れた。政官界に太いパイプを持つ元検察首脳は、黒川次官続投が内定した後の17年8月1日、筆者にこう語った。

「官邸は、(秋の)臨時国会対策が大変なので、黒川を手元に置いたのだろう。内閣は、今、経産省の今井(尚哉政務秘書官)が仕切ろうとしている。対抗する菅の知恵袋は黒川しかいない。ただ、これで黒川はつらい立場になった。法務・検察で居場所がなくなった。官邸は、検察という役所のメンタリティを理解していない。(次は)黒川に対する論功行賞で検事総長に、と考えるだろうが、逆に、検察現場や法務省は反発する」

 黒川は裁判所、弁護士会はもちろん、野党の政治家から官界、財界、マスコミまで幅広い人脈を持ち、豊富な法律知識を駆使した「危機管理」で、官邸や各省庁から頼りにされていた。様々な政策の策定や国会審議の舞台裏での政党間の「貸し借り」にも通じていた。菅にとっては手放せない「知恵袋」であり「危機管理アドバイザー」であることは間違いなかった。

 そして三度目の「衝突」が、17年冬だ。翌年1月の人事をにらみ次官の黒川が起案した人事案は、黒川自身を名古屋高検検事長に転出させ、後任に林をあてるというものだった。だが、黒川が11月末から12月初めにかけ、年内の閣議決定を目指して、その案について法相の上川陽子に了解を得ようとしたところ、上川は林の次官起用を頑として拒み、黒川留任を求めた。

■「官邸による人事介入だ」

 上川は林の刑事局長留任すらも拒絶した。最後は、林の次官昇格を認めていた官房長官の菅のもとに乗り込み、直談判して林を名古屋高検検事長に転出させる人事を決めた。

 上川が林次官を拒否した理由は、表向き、「国際仲裁センター」の日本誘致の方針をめぐる意見の相違と説明された。納得がいかない林は12月19日、上川に説明を求めた。法務省内には、林が次官になるため猟官運動をしたのではないかとの噂があった。林はセンター問題以外で、何か自分の言動に問題があったのですか、と問い詰めたが具体的な説明はなかった。談判は2時間以上に及んだが平行線を辿った。

 結局、官邸は林を次官にしないまま18年1月、名古屋高検検事長に転出させ、黒川次官を再び続投させた末、19年1月、検事総長の待機ポストである東京高検検事長に起用した。当の黒川は、官邸に対し「検事総長にはなりたくない」と何度も固辞してきたとされるが、「黒川検事総長」誕生は決定的となった。

 検事総長の稲田が土壇場で抵抗に出たのは19年暮れのことだ。詳細は著書に譲るが、20年2月初めに定年退官を控えた黒川の定年延長も、稲田の「抵抗」に困り果てた法務省による苦肉の策だった。稲田は検察庁法の身分保障規定を盾に勇退を拒み、安倍側近の河井克行前法相・案里参院議員夫妻の選挙違反捜査などに邁進した。足元を揺さぶられた安倍政権は、検察庁法改正への世論の猛反発もあって事実上、改正法案を撤回。相前後して黒川が賭け麻雀発覚で辞職し、一連の暗闘劇は一旦終わった。

 菅や官房副長官の杉田和博は黒川の行政手腕を高く評価し、黒川の方が林より検察トップにふさわしいと考えていたとみられる。一方、2人とは距離のある安倍側近の官邸官僚たちも黒川検事総長実現を強く求めていた。それは、19年秋に急浮上した「桜を見る会」問題抜きには考えにくい。菅、杉田と親交のある政治ジャーナリストが指摘する。

「安倍は、桜を見る会問題で検察の捜査が始まると、父親の代からの後援者が次々聴取を受け、さらに自分も聴取を受ける恐れがあると考え、そうした事態を避けたいという強いモチベーションを持っていた」

 だが、黒川は検察を去り今年7月17日、林が検事総長に就任した。

 実は17年夏、黒川次官続投が決まった後、林は周辺にこう漏らしていた。

「官邸による人事介入だ。(略)検察人事のメカニズムをよく知っているやつが、数年かけて(検事総長人事への介入を)仕掛けてきていたら、抵抗のしようがない」

 検察人事の政治からの独立を重視する林の、政権中枢への不信は深かった。

 9月16日、菅が自ら組む初めての内閣で法相に任命したのが、林とぶつかりあった上川だった。上川は、林を名古屋に飛ばした後、林と数回会食し、関係を修復したとの情報もあるが、三度目の法相起用の理由は何処にあるのか。

 官邸と検察の暗闘は今も終わっていない。林率いる検察は前首相の疑惑にどこまで切り込めるのか。

(文中敬称略)

(村山 治/週刊文春 2020年12月3日号)

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