長嶋茂雄やNHKアナも訪れていた…暴力団の高級クラブが「幽霊ビル」と化した顛末

長嶋茂雄やNHKアナも訪れていた…暴力団の高級クラブが「幽霊ビル」と化した顛末

TSK・CCC内の社交クラブの様子(「TSK CCC アルバム」より)

 今、反社会的勢力と交際すれば芸能人は追放され、取引が露見すれば企業の社長は首が飛ぶ。しかし、以前は暴力団の組長が開いた会員制社交クラブに著名人が多数集まっていた。

 1973年7月――広域指定暴力団「東声会」を率いた町井久之氏が、巨大な会員制クラブ「TSK・CCCターミナル」を六本木に開業した。オープニングセレモニーの夜、政官財そして芸能界から数百人が集まり、周辺は送迎車で大渋滞、祝いの花輪は西麻布まで1キロ並んだという。

 TSK・CCCは1000坪を超える敷地に、連結された8棟のビルから成った。赤の絨毯が敷かれた正面入口の階段を上ると、シャンデリアが輝くホール、和洋中それぞれのレストラン、キャバレー、アスレチッククラブ、女性向けビューティーサロンなどがあり、館内にはピカソやマチスの絵など美術品が飾られた。

■NHK人気アナウンサーの宮田氏も

 開業1年後、その盛況ぶりを収めた写真集「TSK CCC アルバム」が作られ、関係者に配られた。その1冊がここにある。

 セレモニーで挨拶に立った姿が写っているのは、陸軍大尉出身で自民党代議士となり、外相、厚相を歴任した園田直氏。野村証券の“天皇”と呼ばれ、社長・会長を19年務めた瀬川美能留氏。老舗百貨店・三越に君臨し、後に追放された岡田茂氏。司会を務めたNHK人気アナウンサーの宮田輝氏。そして町井氏の後見人となった日本の黒幕・児玉誉士夫氏らだ。ギリシア大使や米国上院議員の姿もある。

 写真集には写っていないが、読売新聞の渡辺恒雄氏、作家の檀一雄氏らがクラブの運営委員となり、宮田氏と共にセレモニーで司会を務めたのは、女優で後に参議院議員の山口淑子氏だったという。

■山口組3代目・田岡一雄組長と兄弟分に

 開業後も著名人で連日賑わった。TSK・CCCは家族連れも歓迎し、長嶋茂雄氏が気さくに子供にサインする姿も写っている。今も復帰が望まれる歌手のちあきなおみ氏らが歌い、毎夜、パーティが開かれた。

■町井久之氏の独特な経歴

 町井氏は1923年、在日韓国人2世として東京で生まれた。TSK・CCCを開いたのは50歳の時だった。?

 戦後、愚連隊を率いて銀座に進出し、反共産主義を掲げて朝鮮総連と対立した。暴力団「東声会」を結成し、構成員は1000人を超えた。身長180センチを超え、親しかった1歳下のプロレスラー力道山より腕相撲が強いと言われた。

 他の暴力団との抗争を経て、山口組3代目・田岡一雄組長と兄弟分になり、日本の黒幕・児玉誉士夫氏の知己を得て、日韓両国で人脈を広げていく。

 日本の政界では、元首相の岸信介氏、自民党を結成した1人で、党人派の重鎮・大野伴睦氏、自民党副総裁となる川島正次郎氏ら。韓国の政界では、軍事クーデターを起こして政権に就いた朴正煕大統領とパイプを作った。町井氏は「日韓の懸け橋になる」と言って、65年の日韓国交正常化に動き、山口県下関と韓国釜山を結ぶ関釜フェリー就航に尽力した。

 日韓を繋ぐ濃い人脈の形成に功罪はあるが、それが薄くなったために近年の日韓対立が生まれたという見方もできるだろう。

■栄華は一瞬だった

 町井氏は66年、東声会解散を宣言。実業家の道に進むべく、東亜相互企業(株)を設立し、TSKビル建設に着手した。

 会員制社交クラブの開業と並行して、福島県の白河高原を舞台に大規模リゾートを開発する夢も見た。2万6000坪に渡る土地を取得し、会員専用の温泉付きコテージホテル、牧場、テニスコート50面、スケート場、プール、人間ドックを受診できる施設まで作る、壮大な計画だ。実際に道路を整備し、建物建設に着手した。

 町井氏に資金支援した金融機関は後に国会で明らかになる。朴正煕政権下の政府系・韓国外換銀行が60億円の支払い保証を行って、日本不動産銀行(後の日本債券信用銀行、現・あおぞら銀行)が54億円を融資した。内訳はTSKビル建設に21億円、リゾート開発に33億円だ(消費者物価指数を基にすると当時の54億円は現在の160億円程度になる。)

 しかし栄華は一瞬だった。TSKビルもリゾート開発も採算度外視で金を湯水のごとく投じたとされたが、リゾート開発では福島県知事への贈賄容疑で部下が逮捕され、76年、TSKビルに会長室を置いていた児玉誉士夫氏がロッキード事件で起訴された。町井氏はその側近として影響を受けた。盛況だったTSK・CCCは波が引くように人が離れ、開業わずか3年後、東亜相互企業は破たんした。

■債権者を名乗る人たちが次から次へと現れて

 破たん後も町井氏はTSKビルを手放さず、その中のマンションで暮らした。会員制社交クラブが閉鎖された後、建物の一部で若者向けクラブが開業して賑わったが、建物の大部分は放置され、老朽化した。町井氏はリゾート開発の夢を諦めなかったが、人前に出なくなり、25年後の02年9月、79歳で亡くなった。?

 主がいなくなると、TSKビルは「六本木最後の一等地」として激しい地上げの対象となり、暴力団・ブローカー・不動産業者が群がった。

「町井さんはTSKビルの増改築を繰り返し、建物の登記はろくに行っていませんでした。晩年は、誰に金を借りたのか本人もよく覚えていなかったと言い、債権者を名乗る人たちが次から次へと現れ、登記上の所有権は繰り返し書き換えられました。

 1000坪に及ぶTSKビルの価値は500億円を超えると言われ、後にリーマンショックで破たんするリーマン・ブラザーズ(証券)が300億円出すとか、中東ドバイのファンドが200億円出すとか、金額ばかり膨れ上がりました。政治家が絡み、裁判が起こされ、権利を巡って死人が出たと言われ、地上げはなかなか進みませんでした」(取材した社会部記者)

■現在は日蓮宗大本山・池上本門寺に眠る

 巨大な幽霊ビルと化したTSKビルに筆者も入ったことがある。

 薄暗く、天井が高く、だだっ広い空間。テーブルや椅子など調度品は倒れ、価値のあるものは大方持ち去られたと聞いたが、大きな絵画が何枚も無造作に立てかけられていた。

 地上げが続く間に建物は解体され、一時は時間貸し駐車場に整備された。10年以上過ぎて大手不動産会社が取得し、現在、解体工事が進んでいる。

 東京都大田区の日蓮宗大本山・池上本門寺。

 日蓮聖人が入滅(臨終)した霊跡でもある名寺の墓所に、力道山(1963年没)、大野伴睦(1964年没)、児玉誉士夫(1984年没)ら各氏の墓がある。町井氏の墓は、児玉家の墓のすぐ奥に建てられた。墓石の傍らに、東声会物故者の名前が並んだ石碑が立ち、多くが20代、30代で亡くなっているのが印象的だ。

(坂田 拓也)

関連記事(外部サイト)