「郷里の娘を呼んでやってください」 元ホステスが語る銀座最後のキャバレー「白いばら」伝説

「郷里の娘を呼んでやってください」 元ホステスが語る銀座最後のキャバレー「白いばら」伝説

白いばら外観 ©郷里の娘

 銀座最後のキャバレー「白いばら」をご存知ですか?

 2018年1月10日に惜しまれつつ閉店したこのキャバレーは、1931(昭和6)年創業、1951年に「白いばら」の店名でキャバレーとして開店し、銀座三丁目で60年以上にわたり、銀座の夜を彩り続けていました。

「あなたの郷里の娘を呼んでやってください」

 そもそもキャバレーとはどんなお店を指す言葉なのでしょうか。その答えは“ホステス”と呼ばれる女性による接待に加えて、大箱で、ダンスフロアとステージがあり、バンドがいて、ショータイムもある接待飲食店というもの。日本のキャバレーは戦前のカフェーをルーツとし、戦後日本の経済成長とともに栄え、1970年代に最盛期を迎えたといわれています。

 白いばらもそうした特徴を備えた華やかなキャバレーでした。店内には入ったことがなくても、銀座を歩きながら見かけた昭和レトロな外観や、「あなたの郷里の娘を呼んでやってください」と書かれた日本地図の看板が気になっていたという方はいらっしゃるのではないでしょうか。

 店内に入ると、外観からは想像できない光景が広がっていました。赤を基調とした内装、シャンデリア代わりに並ぶ電球とその光を増幅させる鏡、あちこちに置かれたばらの造花……。ダンスフロアの鏡張りの壁には「キャバレーは楽しい! 今も昔も青春のキャンパス 夢・恋・愛」というキャッチフレーズが掲げてありました。

 建物は開店時から建て替えなしの木造3階建てで、1階と2階が客席というつくり。吹き抜けの下にはダンスフロアが。そして中2階にはステージが設けられていました。

 営業時間は毎日18時から23時30分まで。20時と22時からは8人のダンサーチームが登場する20分間のショータイムです。宝塚を思わせるほどの本格的なレビューショーで、このために席を予約する常連さんもたくさん。ショー以外の時間にはステージでバンドの演奏があり、生演奏でのカラオケもできました。

■白いばらの華やかなショーの数々

 白いばらには四季折々の風物詩とも呼べる数々のイベントがありました。たとえば6月は「開店記念」で、店名にちなんだばらの苗をお客さんにプレゼント。10月の「料理教室」ではホステスがお客さんに手料理をふるまい、11月の「文化祭」では仮装大会……。イベントに合わせた手作り感あふれる店内飾りは、お昼のうちにボーイさんたちが用意していました。

 年始には営業初日に鏡割りがあり、升酒が振る舞われます。挨拶回りを終えたお客さんたちで開店から賑わい、遅い時間にも新年会の二次会など途切れることなくお客さんが入ってくる。そんな光景が年明けはもっぱら定番でした。ショータイムには、ダンサーさんたちが着物や金銀の衣装で登場する、一年のなかでもとりわけゴージャスで華やかな新春ショー。閉店の日が刻々と迫っていた2018年の1月にも、数日間のためにショーが用意され、惜しみない豪華さでお客さんを楽しませていました。

■18歳から50代まで…出身地だけでなくホステスの年齢層も幅広かった

 私たち「郷里の娘」は、白いばらで働いていた元ホステス3人のユニットです。閉店直前となる2010年代にそれぞれ3〜5年ほど白いばらで働いていました。

 白いばらには当時200人以上のホステスが在籍しており、お店に出勤しているのは毎日100人ほど、金曜日や年末など繁忙日には150人ほどの日もありました。

 ホステスは18歳から50代までさまざまで、白いばら一本で働いている人もいましたが、お昼の仕事をしていたり学生だったり、本業が別にある人が圧倒的に多かったと思います。働きはじめたきっかけは紹介が多く、友人や先輩、姉妹、昔ホステスとして働いていた母親の紹介で入店したという人も。

 入店まもない新人ホステスは胸に白いばらを付けていました。続々と新人が入店しているというお客さんへのアピールに加え、この印はホステス同士のコミュニケーションにも役立ちました。水商売が初めてというホステスも多く、伝票の付け方からお客さんと話すときの心構えまで、さまざまな姿勢を先輩ホステスたちから教わることができたのです。

 新人だった私たちを何かと気にかけてくれた先輩ホステスさん。あるときお客さんから、そんなお姉さん方の一人が「ホステス同士の喧嘩の気配を見つけたら芽を摘むのよ」と言っていたと聞きました。このように、ホステスにとってキャバレー白いばらは働きやすく、そして、安心して働けるお店でした。クラブなどではありがちな罰金やノルマがないといった制度面に加えて、先輩ホステスや黒服と呼ばれるスタッフたちが居心地のいいお店を作ってくれていました。だからこそ、「あなたの郷里の娘を呼んでやってください」という謳い文句を店頭看板に掲げるほど、全国各地出身の女の子が集まったのではないでしょうか。

■突然の閉店発表、そして……

 そんな白いばらも2018年1月に閉店を迎えることに。

 私たちホステスに閉店が知らされたのは2017年の10月のことでした。あまりにも突然で、皆が驚いていたことを覚えています。情報が解禁されてからというもの、「一度は行ってみたかった」という新規のお客さんが増えていきました。白いばらで過ごすひと時を楽しんでもらいながらも、いままでお店に通ってくれた常連さんに残り少ない日を楽しんでもらうため、徐々に新規のお客さんはお断りすることになっていきました。

 閉店を目前にした年末からは連日満席。ホステスの数を大きく上回るお客さんで座席はいっぱいで、ホステスはいくつもの席を受け持ち、補助の丸椅子に座って接客していました。

■白いばらの最後

 あっという間にやってきた最終日。ホステスたちは着物を着たり、美容院でセットしたりと存分に着飾り、更衣室すら華やかでした。開店時間から予約でいっぱいで、予約は取れなかったけれどお店の最後を見たいというお客さんでお店の外にも長蛇の列ができ、一旦時間になってお店を出てからまた列に並ぶお客さんまでいました。

 それぞれの席では、いつものホステスといつもの話をするお客さん、泣きながら閉店を惜しむお客さん、いままで話したホステスを何人も呼ぶお客さんなど、みなさん思い思いに最後の時間を過ごしていました。私をいつも呼んでくださったお客さんのお席では、ホステスたちでコースターの裏に寄せ書きをしてプレゼント。

 白いばらでは毎日、閉店前にホステスが3人ステージに上がり、『今日の日はさようなら』を歌っていたのですが、最終日は閉店時間の少し前、すべての席にこの曲の歌詞が配られました。

 社長と店長が最後の挨拶をしてから、「みんなで歌いましょう」と。ステージまでやってくるお客さん、感極まって泣きながら歌うお客さん、ホステスにほかのスタッフたちも加わり、嗚咽の交じる大合唱に……。まるで卒業式のような空間でした!

■キャバレーでの人間関係は独特なもの

 お客さんとホステスとの間ではどんなやりとりがなされているのでしょうか。もしかしたら、男と女の「疑似恋愛」の場というイメージが強いかもしれません。たしかに、そういう面がまったくないわけではありませんが、私たちがキャバレーで目にしてきた人間関係はもっと多様で、そこには独特の時間の流れがありました。

 白いばらには、特定のホステスを追いかけるというより「白いばらのファン」としてお店に通ってくださるお客さんがたくさんいました。20代の頃から40年、50年と通いつづけたという常連さんも。また10年以上勤めるホステスも多く、30年以上勤めている方も数名いました。キャバレー全盛期の銀座からみれば決して大規模ではなかった白いばらが最後まで愛されて続くことができたのは、このように、通い続けてくれるお客さん、そして働き続けるホステスを抱えていたからだと思います。

 ある日、20年ぶりに白いばらに訪れたというお客さんがいました。通っていたころと変わらない店内を懐かしむ彼に当時指名していたホステスさんの名前を聞くと、なんと彼女はまだ在籍していて、その日も出勤中でした! 再会した二人は昔話に花を咲かせ、お客さんは「当時の僕は君に夢中だったよね」と言っていました。白いばららしい素敵な思い出です。

■クラシックなキャバレーは日本であと1店だけ

 白いばらが閉店した2018年には奇しくも「キャバレー王」と呼ばれた福富太郎さんの「ハリウッド」赤羽店・北千住店が閉店。昨年春には歌舞伎町の「ロータリー」も閉店し、東京からキャバレーはなくなりました。

 キャバレーと呼ばれるお店は数を減らしつつも各地に残っていますが、本来のキャバレーの定義である生バンドを備えて営業しているのは熊本県八代市にある「白馬」のみ。八代亜紀さんがデビュー前に歌っていたことで有名なお店です。キャバレーを体験してみたい方はぜひ!

■改めて思う「キャバレー」という場の魅力

 白いばらで働いていたことを話すと、「一度行ってみたかったけど行けなかった」と、とくに女性の方から多く言われます。実は女性のお客さんも大歓迎です。白いばらが閉店してしまってから私たちは各地のキャバレーをお客さんとして回っていますが、どのお店でもあたたかく迎えていただき、そのたびにキャバレーという場の懐の深さを感じます。

 ホステスもお客さんも合わせて、毎日何百人もが会話し、新しく人と出会い、さまざまな感情を交わしていたのが私たちの過ごした白いばらでした。単にレトロというだけでなく、お店のなかだけ時が止まっているような不思議な空間でした。なくなってしまって寂しい気持ちもありますが、キャバレーという場を必要とした時代が終わりつつあるのだろうとも思います。

 閉店から3年、新型コロナウイルスの流行で人が集まること自体が難しくなってしまい、人とただ話すための時間・空間がこんなに貴重で恋しいものになるとは思ってもみませんでした。キャバレーという箱がなくなっても、人と人との親密な時間のための場、そこでしかできないコミュニケーションの場はいつの時代も必要とされるのではないでしょうか。

 みなさんにとっての大切な場を思うとき、こんなお店があったことにも思いを馳せていただけたら幸いです。

(郷里の娘)

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