「ゾクゾクしっぱなし」はやぶさ2帰還までの舞台裏…JAXA津田雄一さんが明かす“15年間の軌跡”

JAXA・津田雄一氏が、はやぶさ2が帰還するまでの『15年間の軌跡』を明かす

記事まとめ

  • JAXA・津田雄一氏が、はやぶさ2が帰還するまでの『15年間の軌跡』を明かしている
  • はやぶさ2の打ち上げは、1秒以上遅れたらリュウグウへの軌道に入れなかったという
  • 帰還時は、火球出現が計算と1秒と違わなかったことにゾクゾクしっぱなしだったらしい

「ゾクゾクしっぱなし」はやぶさ2帰還までの舞台裏…JAXA津田雄一さんが明かす“15年間の軌跡”

「ゾクゾクしっぱなし」はやぶさ2帰還までの舞台裏…JAXA津田雄一さんが明かす“15年間の軌跡”

2019年2月22日、「はやぶさ2」ミッション最大の難関だった第1回目タッチダウン成功を報告する津田雄一さん。 ©高橋航太

 小惑星探査機はやぶさ2」が分離した「カプセル」が、豪州のウーメラ砂漠(WPA=国防省管轄区域)の上空に姿を現したのは、2020年12月6日午前2時28分49秒(日本時間)だった。

 プロジェクトマネージャの津田雄一さん(45)にインタビューした「文藝春秋」2月号「 はやぶさ2『管制室で震えた“完璧なる帰還”』 」で津田さんは、相模原市の宇宙科学研究所(JAXA・宇宙航空研究開発機構の一部門)でその朗報を待っていた時のことをこう語った。

「現地からの報告を管制室で聞いていましたが、ゾクゾクしっぱなしでした。カプセルが大気との摩擦で高熱となり、火球、赤い流れ星として『見えた!』のが嬉しくて。その火球出現が計算と1秒と違わなかったからです。あの火球は、私たちチームが本当に正しく飛ばしていたことを証明しているんだと思って」

■1秒以上遅れると小惑星の軌道に入れない

 種子島宇宙センターから「はやぶさ2」がH-UAロケット26号機で打ち上げられたのは2014年12月3日、午後1時22分04秒だった。その打ち上げに先立って津田雄一さん(当時はプロジェクトエンジニア)は私にこう説明した。

「打ち上げが1秒以上遅れると『はやぶさ2』は小惑星「1999 JU3」(後に「リュウグウ」と命名)への軌道に入れないので打ち上げは中止です」(拙著『 小惑星探査機「はやぶさ2」の大挑戦 』)

「はやぶさ2」チームは、旅立ちから帰還までの2195日間、毎日毎日、1秒刻みのダイアリーを記しながら探査機の運用を行ってきたのである。

■「大量の砂粒が入っていた!」

 津田さんのインタビューは開始時間が45分遅れた。

「カプセル内に大量の砂粒が入っていた!」という報告が飛び込んできたからだった。

 小惑星リュウグウは生命の起源を解く手がかりとされる炭素化合物を多く含むC型小惑星だ。私たちがこの宇宙でどう誕生したかの物語も教えてくれるかもしれない。インタビューは、その砂粒を人類が初めて手にしたことを確認した瞬間と重なったのである。

「はやぶさ」初号機から17年間取材を続けてきた私にとってもその瞬間に立ち合えたことは大きな喜びだったが、それで思い出したのが「はやぶさ」初号機が小惑星イトカワでタッチダウンに挑戦していた日々だった。

■宇宙ヨット「イカロス」の技術

 およそ15年前の2005年11月、初号機は人類初となる小惑星イトカワでのタッチダウン、サンプル採取に挑んでいた。管制室ではプロジェクトマネージャの川口淳一郎さんら先輩世代たちが運用を担っていたが、管制室の隣室には若い世代の宇宙工学者たちがデータ解析などの作業をしている姿があった。当時私が撮影した写真には「はやぶさ2」の2代目プロジェクトマネージャの吉川真さん(後、「はやぶさ2」のミッションマネージャという大黒柱を担当)らとともに津田雄一さんの姿が写っていた。

 川口さんは、小惑星探査というきわめて難しいプロジェクトは、「その貴重な経験が途絶えないうちに、次のプロジェクトに継承しなくてはいけない」と言い続けていたが、初号機の経験が次世代に引き継がれたことをこの写真は物語っている。

 その後も津田さんには何度も話を聞いてきたが、印象に残っているのが、宇宙ヨット「イカロス」の技術だった。

■巨大な帆をどう折り畳んだのか?

「イカロス」は「はやぶさ」初号機が地球帰還する直前の2010年5月21日、金星探査機「あかつき」とともに打ち上げられた「小型ソーラー電力セイル実証機」だ。打ち上げ後、宇宙空間で14m四方の正方形という大きな「帆」を広げて航行する宇宙ヨットだ。帆には太陽からの光の粒子が衝突する。そのごくごくわずかな力を帆で受けて推進するという世界初の実証試験を行ったのが「イカロス」だった(「帆」の一部には薄膜の太陽光パネルも貼り付けてありイオンエンジンの動力源になっているが)。

「イカロス」は、米国のように1000億円以上を投じる巨大探査機の実現が難しい日本ならではの、究極の低コスト省エネ探査機の実証ミッションだった。その打ち上げで最も心配されたのが、帆を宇宙空間で確実に広げられるか、だった。なにしろ一戸建て住宅に匹敵する巨大な帆だ(60.5坪相当)。その技術を宇宙科学研究所のチームリーダー、森治さんらに聞いたのだが、その席にいた津田さんが「帆をどのように折り畳んだか」を詳しく話してくれたのだ。

 その折り方は複雑だが見事な方法だった。そして折り畳んだ帆を「イカロス」に巻き付けて打ち上げるのだと言うのだ。

 宇宙科学研究所では、1970年に三浦公亮さん(後に東大名誉教授)が宇宙空間で太陽光電池パネルを展開する秀逸な折り方を開発、「ミウラ折り」と呼ばれてきた。これは、コンパクトサイズのものが瞬時に広げられる地図として普及している。津田さんの「帆」の折り方はそれに匹敵する創案だと感銘を受け、私は「ツダ巻き」と命名していた。

 このエピソードは今回の記事では書けなかったが、その着眼は東京大学工学部航空宇宙工学科の卒業設計で取り組んだ、「冥王星探査機を巨大ソーラーパネルの帆で実現」という課題が原点だと明かしてくれた。

「いい折り方が思いつかず困り果てていたんですが、大晦日にこたつで紅白歌合戦を見ながら折り紙を何気なく折っていたら、折れてしまったんです。宇宙科学研究所に就職後、イカロスにそれが活かせるはずと確認して必死に提案していたんです」

■化学工学者だった父からの教え

 今回の取材で津田さんは、プラントなどの材料腐食の研究を行っていた化学工学者の父から学んだことも話してくれた。

「私が電子ピアノを作りたいと言ったら、電子回路図面を書き秋葉原でICチップを買ってきてくれるような父でした。小、中学生時代だったと思いますが、解決不能と言われていた数学の難問の証明が達成できたというニュースがありました。『こんなの役に立つとは思えない』と笑いながらぼそっと口にしたら、父に非常に厳しく叱られました。『こういう基礎科学に一生懸命取り組んでいる人がいることへの理解なしに安易なことを言うな!』と」

 斬新な着眼や発想、真摯な取り組みはその場の思いつきでいきなり出るものではない。

 若い時代に苦労を続け真摯に取り組んで成功した経験、役立たないと思われることでも懸命に取り組むことの大事さを学んできたことが、「はやぶさ2」の成功につながったのだなと思う。

「はやぶさ2」は、技術や科学の世界にとどまらず、文科系やビジネスの世界にも通じる貴重な教訓を多くもたらしてくれたプロジェクトなのである。

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 津田プロジェクトマネージャのロング・インタビュー「 はやぶさ2『管制室で震えた“完璧なる帰還”』 」は、現在発売中の「文藝春秋」2月号及び「文藝春秋digital」に掲載されている。はやぶさ2と「カーリング競技」の共通点、リケジョの大活躍、津田家の秘話など……他誌では読めない内容が盛りだくさんだ。

(山根 一眞/文藝春秋 2021年2月号)

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