“荒れ地の小駅”だった「池袋」…世界3位のカオスな“ダンジョン駅”になる前には何があった?

“荒れ地の小駅”だった「池袋」…世界3位のカオスな“ダンジョン駅”になる前には何があった?

日本3位どころか世界3位の巨大ターミナル「池袋」

 先日、編集氏と雑談をしていると、何でも都内に引っ越した当初迷ったらしく、「なんで池袋って東が西武で西が東武なんでしょうね」などと言ってきた。何をトンチンカンなことを言っているのだろうと思った。

 御存知の通り、某家電量販店のテーマソングになって名を馳せた“東が西武で西東武”。あの歌でも「不思議な不思議な池袋」などと言うが、実際のところどう考えたってただの偶然に決まっている。たまたま東口に西武のターミナルができて、西口に東武のターミナルができただけのことだ。不思議などなにもない……。と、あっさり切り捨ててもいいのだが、それでは少しつまらない。

 せっかくなので、池袋駅の不思議をもう少し探ってみるべきだ。他に池袋にはどんな不思議が……と水を向けてみると、「あ、『いけふくろう』ってあれなんですかね。あれも最初待ち合わせたときなんだこれはとよくわからなくて……」とのこと。うーむ、たしかにいけふくろうは気になるが、だからどうしたという話ではある。

 いずれにせよ、編集氏は「初池袋」で迷ったらしい。確かに池袋といえば有数の巨大ターミナル。「第2の編集氏」を作らないためにも、 “東が西武で西東武”のナゾといけふくろうのナゾを解き明かすべく、池袋駅に行ってきた。ナゾの答えはいつだって現場にあるものだ。

■実は世界3位の駅・池袋には何がある?

 池袋駅は件の歌からもわかるとおり、東口と西口がある。つまり線路は南北に走っているということだ。乗り入れているのはJR東日本の山手線・埼京線・湘南新宿ラインと西武鉄道、東武鉄道、そして地下鉄の丸ノ内線・有楽町線・副都心線。あわせて4社8路線だ。

 JR東日本池袋駅の乗車人員は2019年度で1日平均55万8623人。これはJR東日本全体で2位、というかJR全体でも第2位という圧倒的な大ターミナルだ。西武や東武のお客も合わせれば、新宿駅・渋谷駅に次ぐナンバー3(ちなみに日本だけでなく世界でも第3位。とてつもないことである)。

■池袋の原点は山手線にある

 その中でまず降り立ったのは山手線のホームだ。池袋駅は1903年に開業した。品川から渋谷・新宿を経て赤羽方面を結ぶ路線(当時は日本鉄道品川線といった)と上野方面を結ぶ路線が通り、その分岐点に駅を設けたのが池袋駅開業の経緯だ。そしてこれらの路線はすべて現在の山手線のルーツである。ということは、山手線こそ池袋駅の原点と言っていい。

 池袋駅の山手線のホームは2面4線。1日中ぐるぐる回っているだけの山手線なのに2面4線とは実に贅沢である。そのホームから、コンコースに向かって階段を降りる。

 ホームから階段を降りる駅のパターンは主に2つ。ひとつは高架駅で、もうひとつは地下にコンコースがあるパターンだ。池袋駅は後者に当てはまる。

 真ん中にJR線が通り、東側に西武、西側に東武の線路が敷かれている。それらはすべて地上に線路を敷いた地上駅なので、コンコースなどはホーム直下、地下に設けられているというわけだ。

■東西南北のわからないダンジョン駅

 池袋のような巨大ターミナルは、しばしばダンジョンなどと呼ばれて道に迷ってしまうことでよく知られている。8路線も乗り入れているのだからわかりにくいのは仕方がない。

 ただ、幾層にも駅が折り重なっている渋谷駅などと比べれば池袋駅はシンプルだ。南北に線路が通り、それを互いに結んでいるのが地下通路。その地下通路からさらに地下に潜れば、東西に走る地下鉄各線だ。

 と、そう思って地下のコンコースに出てJR線の改札を抜けた。すると、まあこれがややこしい。改札の前の通路が池袋の東西を結んでいることはわかる。だが、どちらに行けば東なのか西なのか、それがよくわからない。

 さらに、南北に長い池袋駅のこと、全体の中で北にいるのか中ほどか、それとも南側なのかがよくわからないのだ(天井からぶら下がっている案内板を見ればいいじゃないかと言われればそのとおりです)。

■平行に走る何本もの地下通路

 そこで通路をうろうろしてみることにする。右に左にと歩いてみると、東西の通路と垂直に交わっている、つまり線路と平行に走っている地下通路も何本もある。そしてどれも様相がそっくりだ。なんでも、オレンジロードとかアゼリアロードとかチェリーロードとか、そういう名前がつけられているらしい。が、そんなこと言われたって何もわからない。やはり池袋駅も、新宿や池袋に負けないほどのややこしいダンジョンなのだ。

■西口を目指すと…

 とりあえずは西口を目指すことにする。西口にあるのは東武だと、あの歌が教えてくれているから「東武東上線」という案内に導かれて歩いていけば大丈夫。実際、すぐに東上線の改札口が見えてきた。

 ならば次はどこかの階段を登って地上に出よう。東武百貨店とその先の東武ホープセンターなる地下街も待ち受けているが、地下街にまで入り込んでしまえば絶対に地上に出られない気がするので、適当なところで階段を登る。

 すると、よく見たことのあるような大きな駅前広場の片隅に出た。まっすぐ先にはマルイがあって、さらにその先にいけば立教大学だ。東京芸術劇場と池袋西口公園も見える。にぎやかな、いかにも典型的なターミナルである。

 周辺を少し歩いてみると、すぐに歓楽街に入り込む。池袋駅西口の歓楽街は、西口の北側を中心に広がっている。居酒屋やらカラオケ店やらファーストフードやらが入り交じり、さらに進むとラブホ街と風俗街。このあたりはいくらか危険な香りが漂う街なので、あまり深追いはしないでおくことにする。

■駅の東西はどこでつながっている?

 ひととおり、西口をうろうろしたら東口に移ろう。池袋駅は先述の通り地上に線路が敷かれている地上駅だ。となると、地下を通るしか西口に出る手段はない。もう一度先程のコンコースに戻る手もあるが、それではつまらない。駅のすぐ近くに東西を結ぶ他の手段はないものだろうか。

 駅構内の通路以外で、池袋の東西を結んでいるルートは2つある。北側の人(と自転車)だけが通れる通路と、南側のクルマも通る大きなガード。南側のガードは“ビックリガード”という通称があるらしいが、一体何にびっくりするのかはよくわからない。

 今回は北側の地下道を通り抜けた。壁面にはなんだかポップな前衛アートのようなものが描かれていて、ずいぶん清潔だ。以前、ここを通ったときにはもっと古びていたはずだけど、リニューアルでもしたのだろうか。

 この地下道が結んでいるエリアは、池袋駅の北側、つまり歓楽街の中でもディープな一帯だ。だから、東口側に出ても、少し歩けば風俗店やそれに類する店がいくつもあるような場所に出る。少し歩くと例の歌でおなじみのビックカメラがあって、その前を明治通りが通っている。明治通りに沿って歩けば、もうそこはパルコに西武百貨店、西武の牙城・池袋駅東口の駅前広場だ。

■“百貨店のターミナル”

 池袋駅は、まさしく百貨店のターミナルである。東口には西武の西武百貨店とパルコ(今では西武鉄道と西武百貨店はまったくの別会社だが、元をたどると同じである)、西口には東武の東武百貨店。それぞれ、その百貨店の中に駅があるような構造をしている。この単に西武と東武の駅があるだけではなく、百貨店もセットになっている構造が「東が西武で西東武」という印象を強くしているのではないだろうか。

■荒れ地の小駅はなぜ世界的ターミナルに?

 ここで少し池袋駅の歴史を振り返ろう。1903年に開業した池袋駅だったが、当時は日本鉄道・国鉄の路線が通っているだけで、駅の周りはとりたててなにもない荒れ地にすぎなかった。たまたまこの場所で線路が分岐することになったので、申し訳程度に駅ができただけだったのだ。そんな原野の中の小さな駅がどうして世界有数のターミナルになったのだろうか。

 そのきっかけのひとつは、西側に誕生したふたつの学校である。ひとつは、1908年創立の東京府豊島師範学校(現在の東京学芸大学)。もうひとつは、立教大学である。

 この2つの学校が駅の近くにできたことで、通学で池袋駅を利用する人が増えた。増えたと言っても、まだまだ原野の中にぽつんと駅と学校が、といった雰囲気だったのだろうが、定期的な利用者を確保できたことは池袋駅の発展にとって大きな第一歩と言っていい。

 ちなみに、駅開業前の1895年には巣鴨監獄が設置されている。監獄はあまり人の多い街には設けられにくいから、どれだけ池袋が閑散としていたかがわかる。この巣鴨監獄、戦後は巣鴨プリズンとなって東条英機らの処刑場所となり、今はサンシャインシティに生まれ変わっている。

■学校の次にやってきたのは…

 学校の登場についで、さらなる飛躍のチャンスがやってくる。1914年・1915年と2年続けて郊外からの私鉄路線が開業したのだ。1914年は東上鉄道、1915年は武蔵野鉄道。現在の東武東上線と西武池袋線の前身だ(開業時から駅の位置は今と同じ。が、会社名が違うから当時は“東が西武で西東武”ではなかったのだ。やはりただの偶然、である)。

 この2路線はともに埼玉県内から東京を目指していた。かくして池袋駅は、埼玉から東京へやってくる人たちが最初に出会うターミナルになったのである。

■デパート開業と熾烈な競争

 ターミナルとなってお客が増えていけば、彼らをあてこんだ商売も生まれる。1935年には東口に菊屋デパートが開業する。この菊屋デパート、1940年に武蔵野デパートとなり、戦後の1949年には西武百貨店として生まれ変わる。1950年には西口に東横百貨店池袋店もオープン。こちらは東急にとって本拠地・渋谷に次ぐ2番めの百貨店であった。

 結果、東西で熾烈なお客奪い合い合戦が繰り広げられ、軍配は東口の西武百貨店。東横百貨店は1964年に譲渡され、その跡地は東武百貨店となって現在に続いている。

■池袋には“3つの顔”があった

 こうして池袋駅は、中央の国鉄・JR線の存在感を消すほどに東西に巨大な私鉄百貨店がそびえる城となった。いっぽう、戦後直後の池袋駅周辺には巨大な闇市が生まれた。2本の私鉄が郊外からやってくるので、農産物などを売りさばくのにうってつけだったからだ。戦後直後の池袋駅は、闇市・百貨店・学生街という3つの顔を持っていたのである。

 闇市はさすがに時代とともに姿を消したが、そうした闇市の系譜を引くものといえるのが駅周辺に広がっている歓楽街といっていい。

 池袋駅は、西口北側に限らず、東口もどこを歩いても駅を取り囲むように歓楽街が広がっている。池袋駅から少し離れたところに勤めている人にとっては、どうしたって帰宅前に歓楽街の中を抜けることになるのだ。そりゃあ、遊んじゃいますよね……(乗り換えで池袋を使う人は百貨店で買い物をすればいいので歓楽街で遊び呆ける必要はない。案外よくできているのだ)。

■四方を歓楽街に囲まれた駅

 ともあれ、池袋駅は南北に走るJRの駅を中心に、東西に私鉄の百貨店ターミナルが取り囲み、そしてその周囲を広く歓楽街が囲んでいるという構造をしているというわけだ。1954年以降、地下鉄が乗り入れて駅の再開発も進み、東西を結ぶ地下通路が整備されて今の形になった。

 この歓楽街に四方を囲まれている点も池袋駅の大きな個性である。新宿にしろ渋谷にしろ、すべて歓楽街というわけではない。ところが、池袋は百貨店から一歩外に出れば、徹頭徹尾歓楽街である。せめて西口の東京芸術劇場があるのが救いか。それにしたって、繁華街の中の劇場といった風合いである。

■池袋の本質は…

 結果として、池袋駅の旅は東も西も歓楽街の中を歩いてそびえるターミナル百貨店を眺めるばかりになってしまった。ビックカメラのほど近くにはヤマダ電機の日本総本店もあったりして、家電の街じゃないかという声も聞こえてきそうだが、この点ではヨドバシカメラの新宿西口や秋葉原などにはかなわない。やはり池袋駅といえば、歓楽街と百貨店に本質があるといってよさそうだ。

■「いけふくろう」以外にも実はあちこち“ふくろう”がいる

 そう思いながら、東口からパルコの間を抜けて北側の地下通路に向けて階段を降りた。すると、階段の下で待っていたのは「いけふくろう」。“いけぶくろ”と“ふくろう”をかけ合わせた、つまりはダジャレだ。ダジャレのいけふくろうだからくまモンとかチーバくんのような独特の風体をしているのかと思ったら、意外と普通にふくろうである。

 このいけふくろう像は1987年に設置されたもので、JRが発足してなにか駅の待ち合わせスポットはできないものかとJRの池袋駅によって設けられたという。その後、2006年に近隣の小学校から寄贈された子ふくろうの像が傍らに置かれ、今の形になった。

 確かに池袋駅、東口も西口も百貨店で囲まれているし、JRの改札周辺も通路がいくつも通っているのでここぞという待ち合わせスポットには欠けている。いけふくろう、目印にはぴったりである。

 が、階段のすぐ下という場所柄、待ち合わせをしている人が多すぎると混み合ってしまって歩くのも大変だ。渋谷のハチ公前もそうだけど、ターミナルの待ち合わせスポットというのはそうしたものなのだろう。

 実は池袋の地名の由来として“池にふくろうが生息していたから”という説があるらしい。この説が真実であるかどうかはともかく、単なるダジャレじゃない、と言いたいのだろうか。実際、ふくろう像は池袋駅だけではなく街のあちこちに点在しているそうだ。豊島区のホームページには、「ふくろうとつながりの深い豊島区」などというナゾの一文がある。まあ、思えば確かに、歓楽街に四方を囲まれた駅。“夜ふくろう”は少なくなさそうである。

写真=鼠入昌史

(鼠入 昌史)

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