「残業代を付けてほしい…」ブラック化が叫ばれる“教育業界”に自ら進んだ若手教員の本音

「残業代を付けてほしい…」ブラック化が叫ばれる“教育業界”に自ら進んだ若手教員の本音

©iStock.com

 長い労働時間、モンスターペアレントへの対応、教員間のいじめ、休日に担当する部活顧問……。教育業界は労働環境のブラック化が問題視されはじめて久しい。しかし、いまも教員を目指す人たちは決して珍しくない。教員=ブラックな仕事との見方が社会に一般に広まっている中で、いったいどのような思いのもと教職を目指し、実際に働いてどのようなことを考えているのか。

 教育ジャーナリストの朝比奈なを氏の著書『 教員という仕事 なぜ「ブラック化」したのか 』(朝日新聞出版)を引用し、20代の現役学校教員の声を紹介する。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

◇◇◇

 取材に応じてくれた高藤(仮名)さんは2020年1月の取材当時は教員1年目、落ち着いた物腰で笑顔を絶やさない青年だった。教員=ブラックな仕事と広く認知されている今、教員になることを目指して実現させた彼のストーリーを追ってみる。

■小学校以来、ずっと学校が大好きだった

 会社員の父、パート勤めの母、4つ下の弟の4人家族で彼は育った。彼は小学校以来、ずっと学校が大好きだったと語る。

 地元の小規模な公立小学校に入学した彼は、3年生の時のことを楽しそうに語った。元気な彼はクラスの「3バカトリオ」の一員とみなされていた。定年間近の女性担任は休み時間にもいつも子どもたちと一緒にいた。子どもの一人が「先生、白髪があるよ」と言うと、「じゃあ、抜いて」と担任が答え、友人とともに白髪抜きをしたという。

 4年生の担任は若い女性教員だったが、子どもの目から見ても指導力に乏しく、担任を馬鹿にした態度を取る児童が多くなったそうだ。

 少し中だるみしたような学校生活が5年で変わる。担任は溌剌とした体育会系の若い男性教員で、学習指導にも熱心だった。

 小学校入学時から近所の個人経営学習塾に通っていた高藤さんは、それまでも勉強は嫌いではなかったが、「5年生の時に、もっと勉強をやるようになった」そうだ。この担任は自習学習でドリルを完成させると子どもたちにシールをくれてノートに貼らせた。「普通の丸いシールでしたが、それで自分の努力が可視化され、一層頑張って勉強をやるようになりました」と彼は語る。

 運動はやや苦手だったが、それも変わり始める。サッカーをやっていた友人と一緒に朝早く登校して始業までの約1時間走るようになった。「もとはできなかったのでそれでも人並みになった程度でしたが」と言いつつも、この年に体力や運動能力が向上したことを実感したという。

 6年生の担任も体育会系の男性教員でラグビーをやっている人だった。その影響を受け、クラス男子でラグビーチームを作って練習に励んだところ、地域の小学生チームリーグで優勝することができた。

 楽しそうに5、6年の時のことを語る高藤さんの表情から、この2人の担任の存在が、後に彼を小学校教員志望にさせた遠因だろうと筆者は推測した。

■公立中高一貫校に進学して

 小学校卒業後は自宅からほど近い公立の中高一貫校に進学する。両親がその中学を気に入り「受けたらゲームを買ってあげるから」と言うので受験したそうだ。入試は最初に抽選、当たった受験生が面接に進む形式だった。

 天性のコミュニケーション力で新しい環境にもすぐなじんだ。しかし、「最初の定期試験でショックを受けました。それまで取ったことのないような点数を取ってしまったので」と本人は語り、その後試験勉強を2週間前からやり始めるようになった。成績面で低空飛行を続けたくないと思い、努力を始める姿勢も高藤さんの強みだと感じる。

 部活動はテニス部に入った。事前に顧問から練習は厳しいと聞かされていたが、実際の活動は放課後2、3時間の練習で、定期試験前は休みだったので、さほど厳しいとは思わなかった。2年生の後半、彼は部員の互選で部長に選ばれる。意外だったが、選ばれた理由を考えてみて「おそらく部活動で色々な場面の調整役を務めていたから選ばれたのだろう」と納得したそうだ。

 中学は、好きな教科と嫌いな教科が明確になった時期でもあった。得意科目は数学と理科で、特に理科では3年時の教科担任の影響が大きかった。この教員はクラス担任でもあり、親しみやすく熱心な教員だった。授業中、つまらないオヤジギャグを連発し、生徒に冷たくスルーされてもくじけなかった。「授業では自作のプリントを使用していました。生徒が書き込む形のものでしたが、とてもわかりやすかったです」と彼は振り返る。

 苦手な科目は国語、英語。「小さい頃からあまり本を読んでいないので、何語でも文を読むのが苦手なんです」と彼は苦笑する。

■初任校は特別支援学校

 新採用の赴任先は原則として3月中旬に教育委員会から通知される。高藤さんは自宅から少し遠い場所にある肢体不自由児・生徒のための県立特別支援学校小学部に赴任する。大学の教職科目の一つとして特別支援は学んだが、身近に障がいを持った人はおらず、ほとんど基礎知識がないために実態がわからず、事前に不安はあまり感じなかった。

■「とりあえずおむつを替えてください」

 新年度から勤務する学校を初めて訪れた時、彼は「何をすればいいですか?」と学年主任に尋ねた。すると、「とりあえずおむつを替えてください」と言われ、非常に困惑する。弟が幼い頃にもおむつを替えた経験はないし、教職課程に含まれるため大学で実習先として行った障がい者施設等でもおむつ替えはやっていない。この時、「今度働く学校は大変なところかもしれない」と実感したという。

 彼が赴任した県立特別支援学校は小学部・中学部・高等部があり、2019年度は全生徒数131名、内64名が小学部に所属する。特別支援学校の場合は教職員が通常学校より多く配置されるので、教員等109名、事務行政職員10名が勤務している。

 小学部は子どもの障がいの症状により10クラスに分かれており、各クラス5人の教員が集団で指導にあたっていた。高藤さんのグループは50代のベテラン男性教員、私生活でも障がいを持った子どもを育てている40代女性教員、30代の男性教員、20代の女性教員で、ほぼ1年そこで過ごした今、「何か家族や親戚のような構成で、とてもチームワークがいいです」と彼は言う。

 だが、仕事自体は想像以上に厳しかった。自分の意志通りに身体を動かせない児童への対応は、経験を積んだ先輩教員と高藤さんとでは歴然とした差がある。塾講師として培ってきた授業研究のスキルを使う機会もなく自信を失い、「この仕事をやっていけるか」と毎日考えていた。教えていた塾から「うちの会社にそのまま就職しないか」と誘われた言葉が頭によぎった日もあった。

 その彼が、「この仕事で頑張ろう」と思った出来事がある。彼の受け持つクラスに小学4年生の女子がいた。彼女は簡単な手術のために9月に入院することになった。高藤さんは「手術を頑張って学校に戻ってきたら、聞かせてやるからな」と彼女と約束して、ギターの練習を始める。特別支援学校では子どもたちと一緒に活動するためにギターなどの楽器を弾く教員が多い。高藤さんもそうなりたいと考えたのだ。

■特別支援のプロになりたいという思い

 しかし、障がいを持つ子どもの場合には体調が急変することも少なくない。簡単な手術だったはずが、合併症のため彼女は12月に亡くなり、高藤さんは約束を果たせなかった。彼は「自分は何もできなかった。自分が子どもの時、日々が続くのが当たり前だったけど、そうではない子どももいるんだ」と痛感し、「だからこそ、一日一日を大切にしなければいけない」と決心したのだ。

 この日から彼の仕事への向き合い方が変わる。今、彼は「子どもと遊びながらも、一緒に考えている実感がある」と少し自信に満ちた顔で語る。「あまり早い時期には次の学校に異動したくない。特別支援のことをしっかり学んでプロになりたい」との決意も持ち始めた。一見、飄々とした人柄に見えるが、どのような場でも目標を見つけ努力できる彼の真骨頂を、筆者は彼のこの言葉に見た気がした。

■実際に教員になって思うこと

 赴任以来、彼は電車で片道2時間かけて始業1時間前に学校に到着するように通勤している。新型コロナウイルスで全国一斉休校になった時期も、彼の勤務校はしばらく開校していたが、高藤さんは「むしろ、学校に行けて嬉しい」と思った。帰宅時間はさほど遅くないと言いつつも、学校にいる実質の時間は8時間を大幅に超えている。私生活が心配になって聞いてみると、「趣味ややりたいことはあるので大丈夫です」とやんわりと答えた。「働き方改革」についても意見を聞いてみた。「新米だし、毎日が勉強だから遅くなるのは仕方がない」と言いながらも、「勤務時間外の仕事に残業代を付けてほしい」と語り、続けて「そうなると、いつまでも残業する人もでちゃうかな」とも付け加えた。

■「教育委員会とかが拘るんですかねえ」

 仕事のやり方も変えるべきとの提案もあった。教員のライフステージの部分で述べた通り、どの自治体も初任者研修を行う。そのために勤務校での授業持ち時間は2年目以降の教員より少なくされ、勤務校内外での講話やワークショップ等への参加が課される。高藤さんは1年間の研修を振り返り、勤務校での研修は役立ったが、「教育センター等に集められて講義形式で行われるものはネット配信にして、それぞれの勤務校で空き時間に見るようにした方がいいのでは」と提案する。初任者にとっては勤務校にいて子どもと接する時間を多くすることが何より役立つと実感しているからだ。確かに、大人数を一箇所に集めて行うより、わからないところは何度も視聴できるインターネット利用の方が効果的かもしれない。「僕らの世代はネット視聴の方が得意。全員集めて実施したという形に、教育委員会とかが拘るんですかねえ」と高藤さんは不思議がる。この提案は、「with コロナ」の時代になった今年度以降実現される可能性が高いだろう。

 教員1年目は校内での会議の多さに驚いた1年でもあった。「自分が校務分掌で所属している会議には必ず出席しなければいけない。チームワークができているんだから、そのチームの誰かが参加して、そのポイントを伝えればいいんじゃないでしょうか」とも提案してくれた。

 教員になった今、もっと学んでおけばよかったと思うことを尋ねると、「子どもの成長過程をもっと勉強したかった。今、できるなら保育園に行って発達の様子を臨床的に見てみたい」との真面目な答えが返ってきた。

■「教員=ブラック」という見方があっても…

 教員=ブラックな仕事との見方が社会に一般に広まっているので、教員になることに迷いはなかったかと尋ねると、きっぱりと「迷いませんでした。小さい頃から学校が好きだったから。今、毎日給食も食べられるし」とユーモアを交えて話してくれた。

 アルバイトを含め、学校と塾以外の場を彼はほとんど知らない。しかし、彼には教える意欲と子どもへの愛情が十二分にある。

 彼は、学生時代に「先生塾」にも教員養成セミナーにも参加していない。教員採用試験対策の雑誌の定期購読もしていないし、模擬試験も受けていない。そういう意味では、今、教員となる人たちの中では少数派と言えよう。だからこそ、大学の教員養成課程や新任研修について語る彼は、自分の判断と言葉で語っている。現在の教員養成課程の影響は受けているものの、まだ定型化されていない高藤さんが、今後の教員のライフステージをどのように進むのか、非常に楽しみでもあり、また一抹の不安もあるのが筆者の率直な感想である。

「私、子どもを保育園に12時間以上預けている…」なぜ教育業界の“ブラック化”は止まらないのか へ続く

(朝比奈 なを)

関連記事(外部サイト)